第1話
長い冬を越え、窓から見える外の草木がやわらかい緑をうっすらと帯びていた。
今日は生誕祭だ。
我が国の第二王子……今は国王陛下とその王妃との間に初めての子どもが誕生した。
昨年は前国王の崩御により国全体が自粛ムードだったから、それも相まって王都はかつてない賑わいを見せていると、休暇明けのメイドたちが談笑しているのを耳にした。
その賑わいを、僕が目にすることはない。
王都の隣領であるこの地に更迭されて以来、王都に足を踏み入れることを禁じられているからだ。
父である前国王陛下の葬儀にすら、参列を許されなかった。
今さら悔やんでも仕方がないことだ。
第一王子という次期の国王候補であったにも関わらず、今や政治から遠ざかり、お飾りの領主さえまともに務めることが出来ないダメ人間。そんな僕に声をかけてくれる者などもういない。
どうしてこうなってしまったんだろう……。
いつ人生の道から逸れてしまったのか、もはや分からないけれど、このような状況になった直接のきっかけは今もはっきりと覚えている。
5年前の、あの卒業パーティーの夜だ。
――「公爵家の娘ソフィア!! 今日をもって君との婚約を破棄する!!」
僕はパーティ会場に設けられた舞台に立ち、婚約者であったソフィアに向かって高らかに宣言した。
かたわらでは、真実の愛を与えるにふさわしい女性、ロザリアが不安げな顔で僕に身を寄せていた。
「大丈夫、君は僕が守る」と、ロザリアの体をさらに自分に引き寄せ、
ソフィアからの反論に備える。
「……エヴァン王太子殿下、突然何をおっしゃっているのです?」
ソフィアは怪訝な顔を僕に向けた。
「突然も何も、君はこのロザリアを見て思うことはないのか!?」
ソフィアは僕の隣にいるロザリアを一瞥する。その瞬間、彼女は体を震わせ、僕の服を握る手に力が入る。
その姿がたまらなく愛おしい。同時に婚約者であったソフィアへの怒りがさらに募った。
「……おっしゃる意味が分かりません」
ソフィアは視線を僕に戻すとそう答えた。
「あくまでシラを切る。……ということだな?」
僕は念を押すように尋ねる。ソフィアは答えず、困ったように首を横にふる。
婚約者が高潔なふりをした下賤な女だったことを改めて認識し、僕は後ろに控えた二人の同級生を見る。
「ルイ、フェルディ、あれをソフィアに見せてくれ」
忠実な側近でもある彼らだって今回のことには非常に腹を立てていた。
力強く頷くと、二人は僕たちの隣に立ち、手にした羊皮紙を仰々しく広げた。
ソフィアだけでなく、パーティの参加者全員に見えるように。
「ここに書かれているのは、これまでソフィア公爵令嬢がロザリア男爵令嬢に対し行った数々の所業の一部だ!!」
僕はその場にいる全員に向かってそう叫んだ。
「婚約者であるソフィアは、下級貴族である男爵令嬢ロザリアに目を付けて、あろうことか公爵家の権力をかさに着て、影で陰湿な暴力、虐めを行っていたことが判明した!」
それを聞いた会場がにわかにざわめく。
「生徒会長でもある僕はロザリア嬢から相談を受け、真偽を確かめるべく調査を行ったところ、ソフィアの虐めを裏付ける多くの証言を得ることができた。証言は、一緒に調査を行ったこの者たちもしかと聞いている」
側近であるルイとフェルディが無言のままうなずく。
「それらの証言を、一部ではあるがここにまとめてある。もちろん、これだけではない。証言はすべて記録してあり、今見せているものと合わせて後日国王陛下と公爵家に提出する予定だ!」
会場にいる者たちが眉をひそめ、側近たちの掲げる羊皮紙に目を向けている。
細かな内容は読めないまでも、そこに膨大な証言が記録されてあり、王家の印章まで使用されていることが分かるだろう。
へたをすれば闇に葬られたであろう、公爵令嬢としてあってはならぬ行為がつまびらかにされ、満足気に僕は会場を見渡す。
そして婚約者であるソフィアに目を戻す。焦燥や困惑を表情に浮かべていることを期待して。
……だが、彼女は何食わぬ顔で平然としていた。
「ソフィア。弁明はあるかい?」
悠然と尋ねる。彼女は深い溜め息をついたあとで、僕の目を見据えた。
「……事実無根ですわ。エヴァン王太子殿下」
彼女がそう言った途端、僕の内側から灼熱のような怒りと落胆が同時にせり上がってくるのを感じた。
「っ……ここまでされてもまだ認めないというのか!?」
「やってもいないことを認めることは出来ませんわ」
「君はっ……!!」
「それとエヴァン王太子殿下。私と貴方の婚約は王家と公爵家で取り決めたこと。両家の承諾なく一方的に破棄することはできません」
「黙りたまえ! 公女としてあるまじき行いをした君なんかを王族に迎え入れられるわけがないだろう!! 父上と公爵殿にはこの書状とともに申し伝える。……君との婚約は破棄。これは決定事項だ!!」
ソフィアは呆れたような表情を浮かべた。
「仮に婚約破棄が成ったとして……どうするおつもりですか? お隣にいるその女性と再び婚約なさると?」
「ああ、そうだ」僕はかたわらに侍るロザリアの手を握りしめる。
「この女性こそが……僕の運命の相手なんだ!」
そう言ってロザリアの目を見る。
「エヴァン様……」
憂いの含んだ彼女の瞳を見て、彼女こそ僕が守るべき至宝の花であるのだと心から思った。
――――――――――
……なんてこともあったな。……ハァ。
お前はどれだけ愚かなんだと、あのときの僕に言ってやりたい。
思いきり頬を張ってやりたい。
……叶わぬことだが。
おしゃべりな侍女たちが時々、「あのご婦人は、頭の中がお花畑なのよ」と僕の部屋にも聞こえる声でクスクス笑っているのを耳にする。
どうやら市井の友人のことを言っているらしいが、どんな意味か尋ねずとも言わんとしたいことは何となく分かる。
あの卒業パーティの日の僕もまさに「頭の中がお花畑」な状態だったのだろう。
思い出すと胸が痛く、窓から飛び降りたくなるような衝動に駆られる。
若かった……と言えばそれまでだ。
男を堕とす手管に長けたロザリアという女性に、王太子として日々重圧に耐えていた心は簡単に絆されてしまった……。
婚約者であったソフィアも、次期王妃として毎日遅くまで教育を施されていた。それこそ寝る暇も無いほど。
けど彼女は弱音を吐くことはなかったし、僕のように安易な恋慕に走ることもなく、ひたすら王妃として、王に並び立つにふさわしい人物になるため、自分を磨いていた。
そんな彼女の姿が眩しく、また羨ましかったのもあったのだろう。
勉学に身が入らなくなり、男爵家の令嬢と1日中生徒会室でおしゃべりしているのを諌められたとき、思わず彼女が疎ましいと口にしてしまった。
あんな真面目な女が婚約者なのはつまらないとも。
それを聞いたロザリアが「可哀想なエヴァン……」と慰めてくれるものだから、僕はすっかりソフィアから気持ちが離れ、ロザリアに夢中になり始めた。
あとはもう、彼女の手のひらの上だった。
ロザリアに言われるがままにソフィアの虐めを信じ、それが事実という前提でもって調査を始めた。
もちろん、王家の正式な調査官に依頼することなどなく、生徒会長である僕と側近のみで秘密裏に行った。
学院の教師にすら報告していない。
そのうちに、虐めや暴力の現場を見たという者たちが現れ、彼らの話を聞き、そのままいくつもの証言を鵜呑みにしていく。
今思えば、その証人たちもすべてロザリアが用意した者たちだった。
冷静に考えれば疑うべき点はいくつもあった。
証人たちが皆、ロザリアの男爵領に住まう平民出身だったことや、出自の分からない使用人や護衛だったこと。
虐めのあったとされた日の幾日かはソフィアが王城で1日中王妃教育しているため不可能であったこと。
それを聞いた証人が簡単に証言を翻したこと。
あまりにお粗末で、あまりにずさんだったのに……それでも僕は、疑わなかったのだ。
それどころか嬉々として調査を推し進めた。
いつも完璧で、僕につまらない小言を放つ婚約者の持つ裏の顔に、いつしか自分の劣等感が薄まってゆくのを感じていたのだ。
だが、そんな幼稚な企みが実を結ぶことなど、あるはずがなかった。
――――――――――
「ソフィア。これだけ確たる証拠が揃っているにも関わらずその狼藉を認めないのなら、断罪も有り得るぞ!?」
強情な彼女に向かって脅しめいた文句を口にする。
それでも彼女の表情が変わらないのを見て、どうやって彼女の自白を引き出そうか考えあぐねているときだった。
「お待ちください」
聞き覚えのある声が参加者たちの後ろから聞こえた。
そしてツカツカとソフィアのいる広間の中央に一人の男が歩み出る。
「……アルベルト?」
「ご無沙汰してます。兄さん」
それは第二王子であるアルベルト。僕の弟だった。
だが、弟は外国に留学しているはず。なぜ王立学院の卒業パーティーにいるのか分からない。
「兄さんなら、今日を婚約破棄の舞台に選ぶと思って、待機していたんだよ」
「……は?」
意味が分からない。
僕が婚約破棄をするつもりなのをなぜ弟が知っているのか。
そもそもなぜ、僕の婚約破棄に弟が首を突っ込むのか。
「……義姉さんを守るためだよ」
困惑を感じ取ったのか、アルベルトが答えを口にする。
「守る?」
ますます混乱した。
義姉というのはソフィアのことだ。……だがなぜソフィアが守られるんだ?
彼女はロザリアに対し虐めを行った張本人。裁かれこそすれ、守るべき善人ではない。
それともまさか、アルベルトまで弱き立場への虐めを正当化するというのだろうか?
それは王族としてあってはならない考えだ。
「失望したぞ、アルベルト。まさか悪事の片棒を担ぐために留学を切り上げるとはな」
婚約者と弟の共謀に、黒い感情が沸き起こる。
……今思えばそれは嫉妬のようなものだった。
「それはこちらのセリフだよ。兄さん。卒業式の日にこんな茶番を繰り広げるだなんて。兄さんはもう少し賢い人だと思ってた……」
言葉だけ聞けばまるで挑発しているかのようだが、アルベルトはいたって真面目に、いや、うっすら悲しげな表情さえ浮かべてそう言った。
「何も知らないお前が口を挟むことじゃない!!」
「いや、知ってるよ」 アルベルトがいささか視線を険しくする。「僕は兄さん以上にこの事件のことを良く知っている」
「……何だと……」
そこからの形勢逆転はあっという間だった。
まず、アルベルトはソフィアの虐めを見たという証言者たちを前に呼んだ。
まだ卒業する学年ではない者や使用人もいたから、なぜこの卒業パーティーに参加していたのか疑問だったが、そういうことだったのか。
彼らは誰一人僕と視線を合わせず、気まずそうに俯いている。
そしてアルベルトに促されると、信じられないことを言った。
あの証言はすべて嘘である、と。
男爵令嬢であるロザリアに金を握らされ、嘘の証言を迫られたというのだ。
最初は信じられなかった。今の証言こそが嘘だろうと思った。
おおかたソフィアかアルベルトに強要され、証言を捏造しているのだろうと。
だが同時にアルベルトは、王家による調査記録を持ち出した。
そこには僕の側近たちが持つ記録書にあるよりも遥かに格上の、国王陛下のみが使用を許された大印章が刻まれていた。
公的文書として最上位にあたるという証明だ。
調査記録には、これまでのソフィアの一連の行動が時系列に細かく記されていた。
それらを僕の用意した記録書と突き合わせると一目瞭然、虐めがあったとされる多くの時間が王妃教育や公女としての政務と重なっており、学院にさえ来ていなかったことが判明した。
一体誰がそれを記録したのかとアルベルトに尋ね、答えを聞くと僕は唖然とした。
次期王妃となる彼女の身に何かあれば当然大事となるわけで、王家と公爵家、それぞれに使える護衛たちが24時間、気配を消して彼女の側に仕えていたというのだ。
そして彼女の行動は逐一両家に報告され、何か問題行動があれば王家から直々に審問が行われるという。
だからもしも、ロザリアが言うように彼女への虐めが存在していたのなら、とうに何らかの対応がなされていたというのだ。
僕が唖然としたのは、驚いたからではない。
……なぜ思い至らなかったのか、という疑問のせいだった。
王族に護衛が付くのは当然のこと。
学院では教育や友人との交流の邪魔にならないよう、影に潜んで様子を見守っていることなど百も承知だった。
ならば、王族の婚約者である彼女にも護衛がいることなど明白。
虐めの疑いがあるのなら、わざわざ証人など集めなくても国王陛下に提言して護衛たちから直接話しを聞けば良かっただけのことなのだ。なぜ今の今まで考えもしなかったのだろう……。
ふいにロザリアの方を見ると、困惑を浮かべていた。
僕と違い、彼女はソフィアに四六時中護衛が付いていることなど知らなかったのだ。
そして不安そうに僕を見つめる。
もはや全てと言っていいほど僕の集めた証言が覆され、今度はこちらが詰問される番だった。
「ロザリア男爵令嬢。何か弁明はあるかな?」
アルベルトが落ち着いた口調で、しかし王族特有のプレッシャーを放ちながら言った。
「わ、私は、……でも、本当に虐められたんです! ……そうだよね? エヴァン」
ロザリアが助けを求めるように僕を見て、服の裾を掴んだ。彼女のつけている甘い香水がふわりと香る。
「あ、ああ……! 彼女がそう証言しているんだ。間違いない。……それか、お互いになにか誤解があったのかもしれない」
苦しい言い訳だと自分でも分かっていた。
こうまで自信のあった確たる証拠が崩れ去ってしまったなら、もはや虐めを証明することなど出来ない。
それでも、僕はなぜだかロザリアを守らなければという使命感に駆られていた。
「……もう良いのです。アルベルト殿下。彼らとはもう、何を言っても分かりあえないのだと、今はっきりしました」
疲れたようにソフィアが言った。
僕が言い訳めいたことを口走ったからだろう。
呆れたように、それでいて悲しげに目を伏せった。
それを慈しむように、アルベルトが「大丈夫かい? 義姉さん……」と声をかける。
「と、ともかく! この場はいったん矛を収めてやる。この話は一度仕切り直しだ」
見苦しくそう口にする。
会場にいるほかの学生たちの白けた視線が、このときになってようやく気になり始めたのだ。
「婚約破棄も保留だ。だが! ロザリアが虐めを受けたと言っている以上、再度調査をしたうえで……」
「……もうよい」
背後からの厳かな声が、僕の言葉を遮った。
振り向くとそこにいたのは、父である国王陛下。……そしてソフィアの父、ヒュードリック公爵だった。
国王陛下は右手で頭を抑えながら重々しく息を吐いた。
「お前にはがっかりさせられた……」
「陛下……! な、なぜここに?」
弟のアルベルトといい、なぜこれほどの顔ぶれがパーティー会場にそろっているのか分からなかった。
「来賓として呼ばれたのだ。我が国の未来を担う若者たちの門出を祝うためにな……。たまにはこういう場に顔を出した方が良いと、アルベルトに説得されたのもあるが」
アルベルトの方をちらりと見ると、恭しくお辞儀をしている。
国王が来賓と言うならば、その次に位の高いヒュードリック公爵が同じく招待されていても何らおかしなことではない。
ヒューリック公爵は国王陛下と違い、呆れ混じりのなかに確かな怒りがあった。
「君なら娘を大事にしてくれると思ったんだがね。……見込み違いだったようだ」
吐き捨てるように僕に言った。
「いや……ですが……」
「心配しなくていい。君が娘と結婚することなんてもうない。婚約は破棄させてもらう」
「致し方あるまい。すまんな、公爵」
国王陛下が迎合したように頷く。
婚約……破棄。僕からではなく、妻側である公爵から破棄された意味は大きい。
僕の有責であると明言されているようなものであり、ともすれば王家に泥を塗る行為とも呼べる。
これを国王が手放しで許すとは到底信じられなかった。
僕はよく分からないまま、呆然とそこに立ち尽くしていた。
なぜこんなことになったのか、うまく頭で考えることが出来ない。
だから、
「じゃあ……私がエヴァンと結婚できるってことなの?」とロザリアが嬉しそうに微笑むのも、
それを冷ややかに見つめる国王と公爵のことも、
なぜか、仲睦まじい様子で手を取り合うアルベルトとソフィアのことも、
まるで窓の外から他人の家を覗いているような、どこか自分とは関係のない出来事のように思えた。
それからの展開に、僕は追いついていけなかった。
何らかの処分があると言われ、保養地での謹慎を想像した。
けど処分は予想したよりずっと重いものだった。僕は廃位されて王太子の立場を失い、王家の末席からも外されたのだ。
王の嫡子に対する処罰としては異例と言っていいだろう。
聞けば両親である国王陛下と王妃は、婚約者のソフィアを娘のように大事に思っていたそうだ。
母は汚物を見るような目で僕を見ていた。母の顔はアルベルトにそっくりだったから、まるで弟にまで蔑まれているように錯覚した。
国王である父はヒュードリック公爵と昔からの友人だったこともあり、この婚約は政略結婚以上に意味のあるものだった。
それを僕がめちゃくちゃにし、国王と公爵の友人関係にまで亀裂を入れかねない事態だった。
うまく事が治まったのは、弟であるアルベルトがソフィアと婚約したからだ。
僕の態度に思うところがあったソフィアは、そのことを公爵に相談していた。
それが国王の耳にも入り、若者同士の問題であることも考慮して、同世代のアルベルトをこっそり王都に呼び戻していたのだ。
次代の王族として、学友として、義理の弟として、ソフィアの相談に乗っていたアルベルトは、持ち前の機転の良さで僕やロザリアのことを調べ上げた。
そして、僕たちが卒業パーティの夜に断罪劇を行うことを掴み、国王や公爵、そして証人たちまで招いて、迎え撃つ準備をしていたのだった。
その準備のさなかで、ふたりが惹かれ合うのは当然のことかもしれない。
真面目で優秀なソフィア。同じく真面目で、正義感の塊である弟のアルベルト。
ふたりとも、似た者同士だから。
ふたりはあの夜、どんな思いで僕を見ていたのだろう。
どれほど滑稽に写っていたのだろう。
僕はといえば、廃位されたあと「お前の望み通りにしてやろう」と国王に言われ、ロザリアの実家であるクロウフォード男爵家に婿入りすることになった。
男爵は貴族の中でも最下級。平民に多少泊が付いた程度だ。そんな地位に落とされるのは抵抗があった。
けど、僕以上に屈辱を感じていたのはロザリアだったと思う。
見事、婚約者を蹴落とし次期王妃の座に収まったと勘違いしたのも束の間。
僕が廃位され、実家の婿養子となることが分かった途端、態度を翻した。
「これじゃダメ……。何も変わらないじゃない……」
僕の至宝の花は、どこにでもある雑草だったのだろうか。
彼女は僕ではなく、僕の持つ地位に目がくらんでいたのかもしれない。
僕たちは結婚したが、学院の頃にあった恋慕や情熱は冷め切っており、口を聞くことも、肌を重ね合うこともなかった。
当然子どもだっていない。
そのロザリアも、結婚して三年目に死んでしまった。
僕に失望し、気晴らしに複数の男と浮気を重ねていたらしいロザリアだったが、ある時浮気相手の妻に見つかり、激昂されて刃物で刺されたのだ。
あまり苦しむこともなく、あっさりと死んだらしい。
それを聞いても僕には悲しいという気持ちが沸かなかった。
怒りも哀れみもない。……ただ、心のどこかにぽっかりと穴が空いたような気がした。
彼女がいなくなり、家中に漂っていた甘い香水の香りが薄まってきたころ、それまでどこかボンヤリとしていた僕の頭がふいに澄み渡ったような感覚を覚えた。
同時に、激しい後悔が胸をつく。
それまで白昼夢を見ているような感覚だった過去の出来事も、鮮明に脳裏に呼び起こされる。
そして自分の浅はかな行動を心の底から恥じた。
だが今さら自分のしでかしたことを悔いたとしても過去は戻らない。
学院の出来事だけじゃなく、この男爵領に婿入りしてからのこともだ。
ロザリアの両親であるクロウフォード男爵夫妻のことは、ほとんど記憶にない。
僕が婿入りした頃からほとんど家におらず、いつの間にか他家の領地で病にかかって亡くなったと知らされた。
それからは、彼らに代わって僕が当主となったが、いかんせん無気力がつきまとい、まともに領を統治する気が起きないまま何年も過ぎた。
帳簿も見ていないから、ロザリアが死んでからようやく、領地の運営資金がほとんど無いことを知ったのだ。
執事長に言わせれば、クロウフォード家の散財癖が招いた結果だ、ということだ。
どういう意味なのかよく分からなかったけど、おそらくロザリアが浪費にでも使ったのだろう。
そのままでは使用人への給金もままならず、事態を重く見た執事長に促されて王家に助けを求めた。
これを受けて、クロウフォード男爵領は王家直轄領として王室に併合された。
無能の烙印を押された僕はまたも廃位され、国王の代官が領地を治めることになったのだ。
僕は今も、かつての男爵家の屋敷に暮らしている。
王都から来た代官は領地の反対側に立派な屋敷を建設し、町の経済の中心はそちらへと移り変わった。
この場所には今、数人の使用人が通いで訪れるだけ。それ以外の誰とも会うことはなかった。
愚かな僕はどこで間違えたのか……。
考えることに意味などないのに、ほかにすることがないせいで、そればかり考えてしまう。
あの卒業パーティーの日だろうか。
ソフィアをうとましく思った日? あるいは、ロザリアと出会った日か。
後悔を払うように、僕は読書にふけった。
何度も季節が巡る。10年、15年、20年……あっという間だ。
アルベルトとソフィアの息子である王太子が学院を卒業したという知らせを、病床で聞いた。
数年前から病を患っていた僕は、いよいよベッドから起き上がれないほど衰弱していた。
壁に空いた隙間から外の冷たい空気が入り込む。
暖炉の火はとっくに消えているが、使用人はしばらく休みを取っており、薪をくべる者はいない。
僕の人生は何だったのだろう。
王の後継者として生まれ、理想のパートナーをあてがわれ、華やかな道を突き進むのだと信じて疑わなかった。
かつて全てを持っていた僕は……自分からそれを手放した。
みんなを恨んだこともある。
アルベルトや、ソフィア、ロザリアを。
公爵も、父であった国王陛下も……。
でも、最近になってようやく気づいた。
……すべて自業自得だったと。
気づくのがとても遅かったけど。
僕には選択する自由があったんだ。
何を選び何を捨てるのか、決めることが出来た。
そのなかで選んだのが、今という未来につながる道だった。
誰のせいでもない。僕自身の責任において辿り着いた結果が、今のこの状況だ。
誰かを恨むなんて筋違いもいいとこだよ。
ロザリア。
君が僕に見せた笑顔のほとんどが演技だったかもしれないけど、
なかには本当の笑顔も混じっていたように思うんだ。
結婚したあと、冷たかった君が一度だけ僕の誕生日に贈り物を手渡してきたことがあった。
口も聞かずに渡してきたけど、箱の中身は以前僕が欲しがっていた万年筆だった。
お礼を言う前に部屋を出ていった君は、その1週間後に遺体となって戻ってきた。
あのとき、贈り物をくれた意味を深くは考えなかったけど、今思えば君は少しずつでも僕に歩み寄ろうとしていたのかもしれない……。
アルベルト。
優秀なお前に、僕は何度嫉妬したことだろう。
けど、卒業パーティーの日に見せた悲しげな表情を、実は今でも忘れることが出来ないんだ。
一度だけお前に手紙をもらったな。
兄さんに目を覚まして欲しくて自分は動いたのだ、と。
まさか廃位されるとは思っていなかったと、後悔の言葉が書かれていた。
無気力だった僕は何も思わず、返事の手紙すら出さなかった。
願わくば……お前があの日のことをこれ以上後悔しませんように。
アルベルトが気にすることなんて何ひとつ無いのだから。
ソフィア。
君は僕を正しい道に戻すための努力をしてくれていた。
耳を塞ぐ僕に、諦めず何度も。それでも道を逸れようとする僕を、君から突き放すことはしなかった。
あのあと君からも何度か手紙が届いていたけれど、臆病な僕は封を開くこともなく暖炉の火で燃やしてしまった。
怖かったんだ。僕を責める言葉が書かれているんじゃないかと思うと、どうしても読む勇気がなかった。
君が何を伝えたかったのか、何を訴えていたのか、結局分からずじまいだったのは、今も残る後悔のひとつだ。
死を前にして過ぎ去った人々のことを想っていると、いつの間にか涙が頬を伝っていた。
僕は人生を間違えたけど、不幸ではなかった。
少なからず僕を気にかけてくれる人がおり、大きな苦労もなく安寧の生活を送ることが許された。
そうか……。と最後にようやく気づく。
僕は感謝すべきだったのだ。ソフィアに、アルベルトに、ロザリアに……。
彼らは僕に失望していたけど、かといって僕を害すこともなかった。
愚かなのは僕だった。ずっと、僕だけだったんだ。
やがて命の終わりが訪れた。
僕は目を閉じ、暗闇に身を委ねる。
辺りは静かで、先ほどまで聞こえていた外の冷たい風の音も、今は遠く、静寂にかき消されていく。
――――――――――
どれほど眠ったのだろう。
まぶたの向こうから光が当たるのを感じ、僕はうっすらと目を見開いた。
きらびやかなシャンデリアが映る。
どこだろう、ここは?
僕は屋敷のベッドに横たわっていたはず。
ボロボロで、天井の梁にはネズミに齧られた痕がいくつもあった。
夢を見ているのか、それとも死後の世界なのか……。
「……様」
誰かの声がする。「……ヴァン様」
眼の前の光景が鮮明になるにつれて、様々な音が近づいてくる。
見覚えのある景色だ。
豪華絢爛な大広間に、礼服を着飾った大勢の人々。
あちこちから聞こえるどよめき。こちらを見る数多くの視線。
「エヴァン様!!?」
ようやく耳元の声がはっきりと聞こえ、僕は声のする方を見た。
「ロザリア……」
かつての伴侶、ロザリア。
記憶しているより若く、その表情に僕への失望は少しも見られない。
ロザリアは腕に縋り付くように身を寄せ、不思議なものを見るように僕の顔を覗き込んでいた。
「どうしたのですか? エヴァン様。……続きを言わなくて良いのですか?」
続き……?
徐々に記憶の底にある光景と今が重なる。
「卒業パーティー……」
ありえないことだ。
もうすでに20年以上前の出来事が、なぜ今ここで起こっている?!
ひとりぼっちで死んでいくあの人生は、一瞬のうちに見た壮大な夢だったのか……。
にしては生々しく、現実だったとしか思えない。
ならば……到底信じられないことだが、時が過去に戻ったということか……?
僕とロザリアは舞台の上から群衆を見下ろしている。
そして人々が開けた空間に、懐かしき女性が佇んでいた。
「ソフィア」
思わず口にしたあと、僕のような者が呼んで良い名だと思えず、右手で口元を押さえた。
この身に何が起こったのか分からないが、僕は過去の世界にいる。
あれほど後悔し、やり直しを願った卒業パーティーの時に。
死を前にした僕へ、神様からの贈り物だろうか……。
逡巡する僕に業を煮やしたのか、ロザリアが腕を引っ張る。
「どうしたんですか、エヴァン様!? 続きはどうなさるんです?」
続き……だと?
ハッとして胸を抑える。そうだ、僕は今どこまで口にしてしまったんだろう……?
「えーと……ロザリア」
「……何でしょう?」
「僕はどこまで話を進めたんだっけ? すまないが教えてもらえないか?」
「……。え?」
ロザリアの顔が強張る。
「一体どうしてしまったんですか?」
僕たちのやり取りを見ている他の卒業生たちの目もだんだん怪訝なものに変わっていく。
その様子を気にしながら、周囲に聞こえないようロザリアが小声で耳打ちする。
「婚約破棄を伝えたばかりでしょう!? これから虐めの証拠とか、色々話す流れじゃないですか!」
「な、なにぃ!?」
すでに婚約破棄は伝えてしまった後なのか?
な、なんというタイミングなんだ。どうせ時間を遡るなら、せめてあと10分前に戻してください……神よ!!
……すがる思いで祈っても、これ以上の変化は起こりそうになかった。
諦めた僕は再びソフィアを見る。
彼女もまた、僕の言葉を待っているようだった。
そして視界の隅に弟のアルベルトを見つけた。何かあればすぐに出ていけるよう、学生たちの背後で様子を見ているらしい。
僕は覚悟を決めた。
……弁明する覚悟をだ。
「ソフィア」
もう一度彼女の名を呼ぶ。
それは自分らしからぬ声だった。凛として辺りに通る、それこそ父である国王が民に向けて語りかけるときのような、心地よい響きの声だ。
偶然の声色に自分自身が驚いたが、それは周囲の者たちも同様だったようだ。
「はい……?」
ソフィアが少しためらったように答える。
僕は、恥を偲んで続けた。
「すまない。今、僕が伝えた婚約破棄の件だが、……撤回する」
「えぇぇ!?」
傍らのロザリアが露骨に驚きを露わにする。
「みんなもだ」
そして会場にいる者たちへも呼びかける。
「楽しんでいるところに水を差してすまなかった。少し手違いがあったのだ。歓談に戻ってかまわない」
皆は戸惑いながらそれぞれに顔を見合わせる。
手違いなどという言葉のどこにも納得できる要素はないが、王太子がそういうのだから、納得するしかない。
ロザリアと側近の二人を伴って舞台を降りると、余興が終わったとばかりにみんな少しずつ、それぞれの時間へと戻ってゆく。
「エヴァン様、一体どういうことですか……?」
納得できないロザリアが僕に詰め寄るが、それには答えず「ロザリアを頼む」と側近の二人に言い残し、今も同じ場所に佇んだままのソフィアに歩み寄った。
ソフィアは僕が近づくと警戒したように半歩下がった。
その姿を見てかすかに胸の奥が傷んだが、自らが招いた結果なのだと改めて思い直す。
「どういうことです? 殿下」
怒るでもなく、率直な疑問をソフィアは投げかけた。
「すまなかった、ソフィア」
「何の謝罪でしょうか?」
「たった今君に投げてしまった言葉への謝罪だ。……それと、これまで君にとってきた態度も。申し訳なかった」
誠意を伝えるため、彼女の前で深々と頭を下げた。
それを見た周囲が再びざわめく。
「お止めください殿下! 王族がこのように簡単に頭を下げるなんて……」
「君だからだ。苦労をかけてしまった君だから」
「…………」
どのように応えたものか、ソフィアは思いあぐねているようだ。
このまま謝罪を続けても彼女の疑問が増えるだけだろう。
「今日のことは別途機会を設けて、改めて謝罪したいんだが。良いだろうか?」
「私は別に構いませんが……」
「私は構います」
僕とソフィアの間にロザリアが割り込む。
その後ろから慌ててやって来た側近のルイが彼女を腕を掴む。「だ、だめですよロザリア嬢! 公女様の前ですって!!」
「今はそれどころじゃないの!」
ダメだ……完全に間が悪い。
「エヴァン様、虐めの件はどうなさるんですか? これまでの準備は?」
「その件だがロザリア。一度改めて話をしないか?」
この場でそんな話をする気にはなれない。何より今日はこれ以上ソフィアに迷惑をかけたくなかった。
「どうしてですか!? 今日じゃなければいつがあるんです!? 私たちはいつ……」
「ロザリア……」
そっと彼女の肩に手を添える。
「実は体調が優れなくてね……。この場にいるのも辛いんだ」
「エヴァン様?」
ふらりと足元を崩す僕に、ソフィアとロザリアが慌てて駆け寄った。
これは、この場を終わらせるための演技ではない。
先程から本当に体調が優れないのだ。
原因はひとつ思い当たる。
ロザリアが身にまとう香水の香りだ。
なぜだか、この香りを嗅ぐと胸の奥底から気持ち悪さが涌いてくる。
以前はそんなことはなかった。むしろ花のように甘く良い香りで、彼女からこの香りがするたびに、どこか頭が痺れるような不思議な心地よさが感じられたのだが。
「ルイ、フェルディ。すまないけど、僕を医務室に連れていってくれないか?」
「も、もちろんです。エヴァン様」
ふたりが彼女たちと代わるようにして僕を両脇から支える。
憐憫の目で見るソフィアに、「すまなかったね」と告げる。そしてロザリアにも。
「君もだ。すまないロザリア、この埋め合わせはするから……」
彼女たちの返事を聞くことはなかった。
ルイとフェルディが速やかに僕を抱えて会場を後にしたから。
ふたりは真っすぐ医務室へ行く。
そういえば弟のアルベルトや国王陛下はどうしているのだろう。
僕の婚約破棄宣言を事前に察して秘密裏に待機していたはずだから、僕が体調を崩したとあってもやすやすと姿を見せることは出来ないか……。
医務室に控えていた学院専属の医師に見せると、
医師は原因を調べるべく慎重に私が口にした食べ物や、パーティー前後の出来事を尋ねる。
そして聴診器を当て、すみずみまで異常を調べた。
側に仕えていたルイとフェルディに気づいた僕は、ふたりに声をかける。
「ふたりとも、大丈夫だからパーティーに戻れ。急がないとダンスパートナーがいなくなるぞ?」
前回のパーティーは、僕が台無しにしたせいで強制的に解散してしまった。あれでずいぶん卒業生たちの反感を買ったと後から知らされた。
「いえ、私はエヴァン様と一緒にいます。護衛も兼ねてますから」
律儀な側近だ。
「気にするな。それにな、ロザリアを一人にするのも心配なんだ。もしかしたらソフィア相手に暴走するかもしれないし……」
ふたりは納得したように顔を見合わせる。
「では私だけ会場の様子をこっそり見てきましょう。ここにはフェルディが残ります」
ルイが言った。
別に誰も残らなくても良いのだが、これ以上の押し問答は無意味に思えたので黙って頷いた。
医師は、少し調べたいことがあると言ってどこかへ行ってしまった。
僕とフェルディがふたり残される。
「すまなかった、フェルディ。君も僕のしたことに納得してないだろ?」
僕はベッドに横になると、傍らでにいるフェルディに語りかけた。
無口で勤勉なフェルディは、自分の正義をまっすぐ貫く男だ。
以前の僕と同様、ソフィアが罪を犯したと思っているフェルディにとって、断罪劇を早々に切り上げたことは納得していないだろう。
ところが、彼の返事は僕の予想外だった。
「……婚約破棄の撤回ですか? それなら懸命な判断だと思います」
「ん? どうしてだ?」
「ロザリア嬢の言葉は、真に受けるべきじゃないです……。エヴァン様が一体どこまで行くのかルイと心配していました」
僕は思わずベッドから起き上がる。
「……フェルディはもしかして、ロザリアの証言が捏造だと知っていたのか?」
そう尋ねると、いつも笑わないフェルディが珍しく苦笑いを浮かべた。
「エヴァン様もですか? ……てっきり嘘にちっとも気づいていないとばかり」
僕は混乱する。
ロザリアが嘘をついていると気づいていたのなら、なぜ協力者として断罪劇を実行したのか。
前回のパーティでは、僕たちの作った記録書を高々と掲げ、証言が真実であることも肯定していたではないか。
僕が疑問符を浮かべていると、察したフェルディが先回りで答えを言う。
「俺たち、エヴァン様に付いていくと決めてますから。黒いカラスも、エヴァン様が白だと言えば俺たちにとっては白なんですよ」
……僕を盲信しすぎだろ。いや……その忠誠心は見上げたものだと思うが、それでも限度があるだろう……。
「それに、エヴァン様にロザリア嬢のことで諫言しても、聞く耳をもたなかったでしょうし」
思わずフェルディに苦言を呈そうと開きかけた口をそのまま閉じる。
なるほど確かに……あの頃の僕に何を言ったところで聞きはしなかっただろう。
恋は盲目とはよく言ったものだ。国を背負う王族の身でありながら恥ずかしい話だが……。
そこへ、先ほど出ていった医師が戻ってきた。
隣に見慣れない男を連れて。
「エヴァン様、この方は学院で呪術の講師をしている……」
「ノードと申します。ごきげんよう、殿下」
呪術? ノードのあいさつに片手を挙げて応えながら、怪訝な目でふたりを見る。
「エヴァン様から微かですが呪いの痕跡が見つかりました。私は専門ではないので、彼に協力を仰いだのです」
ノードは対呪術のための防衛学を専門で教えているらしい。彼の授業を選択していなかったのでその存在は知らなかった。
「それでは殿下、失礼します」
ベッドから起き上がった僕のみぞおちに両手を重ねると、ノードが古代語で呪文を唱えた。
途端にかつて無いほどの不快感と吐き気が湧き上がってくる。
「お……おええっ!!」
こらえきれずその場で嗚咽する。
吐瀉物で辺りを汚すと思ったが、出てきたのは白い煙のようなものだった。
ノードはその煙を指先をつかって器用に誘導すると、持ってきたガラス瓶に吸い寄せ、煙が瓶に完全に入ったところでフタをする。
それを見ていた僕は、これまでの不快感が一切消えていることに気づいた。
「これは……なんだ?」
恐る恐る尋ねると、ノードは「ふむ」と首をかしげる。
「呪いの一種であることは間違いないですね。しかしどのような呪いかはまだ分かりません」
「呪いとは、こうして目に見えるものなのか?」
「普段は目にすることは出来ませんが、呪いを払うために私の魔術で可視化したのです。そしてこれは魔封じの薬を塗布した特別な容器です」
煙は行き場を失ったかのように、ノードの手の中でゆらゆらとビンの壁にまとわりついている。
「しばらくは中に留めておけますので、後でどのような呪術なのか調べてみましょう。しかしこれで殿下にかけられていた呪いはキレイに消えました」
「僕にかけられていた呪い……」
すると医師が険しい目をして声を潜めた。
「殿下。私どもはこのことを大変重く考えております。我が国の王族に害をなす者がいるということですから。当然ながら国王陛下にもご報告いたしますが、改めて、殿下にも調査の協力依頼があると思います」
「……分かった」
王族への害意となると、僕ひとりの問題ではない。王族、ひいては国家全体の問題にもつながってくる。
これが僕一人を狙ったものなのか、王族を狙う手始めが僕だったのか、また目的は何なのか、など調べることはいくらでもある。
調査に協力することを約束し、フェルディとともに医務室を後にする。
「体調はどうですか?」
フェルディが心配そうに尋ねた。
「ああ、もうすっかり大丈夫だ。……しかしパーティーには戻らず、このまま帰るよ」
「分かりました」
フェルディとしては呪いをもたらした相手が誰か分からない以上、
人の多い場所には行かないほうが良いという思ったのだろう。
だが僕としては、ソフィアや弟のアルベルトがいるパーティー会場に戻って、
これ以上恥を上塗りしたくないというのが本音だ。
それに思考も混乱したままだ。一度休んで考えを整理したかった。
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