母上の為に
ああ、これは夢だな。
それも、少し前の事。
この頃はまだ、私が魂としてこの世を漂っていた時だったか。
今世の母上と出会ったのは、偶然であった。
白い大きな建物、今でこそ病院だと分かるが、あの時の私は教会かと思い、すぐに離れようと思ったのだったな。
だが、そんな時に聞こえた声。
「ひっぐ……ぐすっ……ごめん、ごめんなさいっ……」
「何を言うんだ千代! 頑張った! 偉かったよ……!」
「うぅ……あぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”……!」
「「「………」」」
重苦しい空気が漂っていた。
どうやら、子を出産したが……すでに亡くなっていたようだな。
ベッドに寝かされている女性は、凄まじい魔力を秘めている。
恐らく、その魔力に子供の体が耐えられなかったのだ。
「うわぁぁぁぁんっ……! ごめ”ん”ね”ぇ”……産んで、あげられなぐで……ぐずっ……ぁぁぁぁっ!!」
「千代……」
泣きじゃくる女性に、そっと手を握る男性。
その顔はとても辛そうで、苦しそうで、悲しそうだ。
この顔には、覚えがあった。
私が、命を終える時に見た、仲間達の表情に酷似している。
あの顔は、イヤだ。
この空気は、イヤだ。
『……神よ、私の魂の100年前後で良い、自由に使わせてはくれないか。その後で良ければ、私の記憶を消し、魂を他に使う事も構わん』
"Belial。悪魔の王でありながら、善政を行った魔王よ。私は貴方の行いを見てきました。この世界は、力ある貴方にとって、とてもつまらない世界になる事でしょう。それでも、構わないのですか?"
『構わぬ。私は……あの泣き顔は、見たくないのだ。戦場での怨嗟とは違う、我が子を想い、涙する親の心……慮って余りあるのだ」
"Belial……分かりました。では、少し時を戻しましょう。貴方の魂を、あの子がまだ中で生きているうちに、融合させましょう。貴方の力であれば、その身を保護する事が可能でしょう"
『感謝する、神よ』
"ふふ……本当に貴方は、他の魔王とは違いますね。そんな貴方の願いだから、私は叶えようと思うのです。しかし、世界に手を出すと私もペナルティを受けてしまいます。そうですね、恐らく100年は何も干渉出来なくなるでしょう"
『!! 私を、見逃すと言うのか、神よ』
"さて、何の事でしょうか。私は事実を述べただけですが……まぁ、その際に? 魂が一つくらい、元に戻るかもしれませんが?"
『フ……本当に稀有な神だよ、貴女は。心から、感謝を』
"はい。ではBelial……良き生を"
そうして私は、天羽 揚羽として生を受けた。
「元気な女の子ですよ!」
「あぁっ……! アタシの赤ちゃん……生まれて来てくれて、ありがとうっ……!」
「ああ! ああ! よく頑張ったね、ありがとう千代! 私達の、子供だっ……こんなに嬉しい事はないっ……!」
母上の、先程とは違う嬉しそうな泣き顔と、父上の心からの笑顔を、私は生涯忘れることは無いだろう。
私は他の赤子とはまるで違った為、二人共とても困惑した事だろう。
それなのに、二人は愛をもって私を育ててくれた。
気味が悪いと思っても仕方がないのに、だ。
それから、母上はまた身籠った。
私はお腹の中に新たに生まれた生命に、時間を掛けてゆっくりと加護を掛ける事にした。
今度は男の子なんだそうだ。
母上が出産の時に、出来るだけ痛くないように。
生まれてくる弟が、母上の魔力で圧死しないように。
そうして生まれてきた赤ちゃんは、とても可愛らしい見目をしていた。
指一つでも触れれば、壊れてしまいそうな儚い姿。
まだ当時2歳の私を母上は抱っこしながら、弟の前に持っていく。
「はぁ~い、お姉ちゃんでちゅよぉ~。仲良くするんだぞぉ~?」
そう言う母上に倣って、私は右手をゆっくり、ゆっくりと弟へと近づける。
触れるか触れないか、そのくらいの距離で。
「きゃっ♪ きゃっ♪」
「っ!!」
弟は、その小さな小さな手で、私の手を握って笑った。
この時に決めたのだ。私は、この可愛い弟を大切にすると。
「ーーさん。姉さん、起きて」
「うぅん……みなとぉ……?」
「うん。おはよう姉さん。もう朝の十時だよ?」
「!? しまっ……! 寝過ごした!?」
授業は8時40分から開始だ、完全に遅刻である。
「あはは。落ち着いて姉さん。今日は日曜日だよ?」
「!!」
「ゆっくり寝て欲しかったから、起こさなかったんだけど……流石にお昼まで寝ちゃったら、一日が短く感じるんじゃないかなって思って。ごめんね姉さん」
「みなとぉー!」
「わっ……!?」
そのままベッドへと湊を連れ込む。
体温で温まった布団の中は、温かくて二度寝の誘惑をしてくる。
「ね、姉さん、起きないの?」
「まぁ、たまには良いではないか。湊は姉さんと一緒に寝るのは嫌か?」
「う、その聞き方はズルいよ姉さん。嫌なわけないじゃないか」
「そうかそうか。なら、このまま二度寝するとしよう。おやすみぃ……くぅ……」
「もう……仕方ないなぁ姉さんは。……おやすみなさい、大好きな姉さん」
その日は幸せな夢を見た気がした。