婚約破棄ですよね? 皆まで言わずともわかっております
「マデリーン・ヘールボップ侯爵令嬢! 僕はそなたを……」
「皆まで言わずともわかっております」
貴族学院のパーティー会場で、婚約者であるリチャード第一王子殿下の言葉を遮ったのはわたくしです。
淑女らしくない強い声だったので、出席者がシーンとしていますか?
いえ、リチャード様の宣言が何か、皆さんも続きが聞きたいということなのでしょう。
まあリチャード様なんて王子であることと顔くらいしか、取り立てて優れた点のない方ですからね。
リチャード様とわたくしのどちらに存在感があるかなんて決まっています。
わたくしがリードいたしますわ。
「リチャード様は、わたくしとの婚約を破棄したいと仰るのでしょう?」
「そ、そうだ!」
「了承いたします」
「は?」
「リチャード様……殿下はアコニットを次の婚約者にするおつもりでしょう?」
「その通りだ!」
殿下の横で妖しい笑みを浮かべているアコニット・ラミアは、貴族学院に特待生で入学できるほどの平民です。
極めて優秀な。
調べさせて、またアコニット自身の申告もあり、元貴族の血筋だということは知っています。
……それ以上のことも。
「お幸せに。カラーラ王国の平穏と繁栄を祈っております」
ウソです。
アコニットなどという毒を飲んで、王国が無事であるはずがないです。
あくまでも口で祈るだけのこと。
「では、わたくしはこれで失礼いたします」
「マデリーン、待て!」
何でしょうね?
事前の予定では、これでお役御免と思っていたのですけれども。
「そなたはアコニット嬢に嫌がらせをしていただろう!」
「は?」
「アコニット嬢のノートを破ったろう! 目撃者がいるのだぞ!」
ははあ、どなたかに見られていましたか。
アコニットも驚いていますね。
これは計算外のようです。
仕方ありません。
「確かに。特に嫌がらせとは考えていませんでしたが」
「何故だ!」
「わたくしの婚約者に接近する身分違いの平民に、躾が必要と考えたからですわ」
頷いている者も多いです。
何とか誤魔化せましたか。
しかしわたくしもアコニットも目立つ方です。
注意しなければなりませんね。
「ふん、大方僕の寵を得るアコニット嬢に嫉妬したのであろう!」
嫉妬? 何に?
出来の悪いリチャード殿下に好かれて、得なことなんてありませんよね?
ムダに自信家ですねえ。
わたくしがリチャード殿下の婚約者としてそれなりに気を張っていたのは、国家の藩屏たるヘールボップ侯爵家の娘としての義務感でしかありませんでした。
でもリチャード殿下にはわかっていただけなかったようです。
わたくしとの婚約をなきものにして、よりによってアコニットを婚約者にするなんて。
わかってはいましたが、リチャード殿下の目は節穴なのですね。
長きにわたって婚約者だったので、思うことが何もないとは申せません。
でも婚約を破棄されたわたくしに、最早あれこれ言う義務はないのです。
それよりもあの優秀な平民アコニットに魅せられてしまったというのが大きいです。
リチャード殿下だけでなくわたくしも。
わたくしの破ったアコニットのノート。
アコニットの可愛らしい外見には似合わない、過激な反王制について暗号で書かれていました。
わたくしも妃教育で暗号について齧っていなかったら、全く気付かなかったと思います。
……アコニットはカラーラ王国にとって忌むべき共和主義者なのです。
わたくしはアコニットの才能を惜しんでしまいました。
使える人材なのではないかと。
ノートを破棄することで、共和思想については不問に付したつもりでした。
しかしアコニットは考えていたよりも強かだったのです。
「……嫉妬、ですか。アコニットに」
「そうだ! 身に覚えがあるだろう!」
「……かもしれません」
アコニットに嫉妬したとするなら、その才能にです。
何とアコニットは破れたノートを取引材料に使ってきました。
共和主義者を見逃したとあっては都合が悪いのではないですか、と。
驚いたというより、呆れました。
自分の身を捨てて特攻ではないですか。
アコニットは優秀なだけではありません。
その覚悟を窺い知ることができました。
またわたくしの心も見切られていました。
当時もう、リチャード殿下とカラーラ王国を支えるだけの情熱がなかったということを。
……条件次第では、共和主義者達の計画に乗ってやってもいいと。
「そなたはアコニット嬢を憎んでいたのだ!」
「完全な誤解ですわ」
「ハハッ、何を言っても説得力がないわ!」
「証拠をお見せしますわ。アコニット」
「はい、マデリーンお姉様」
「は?」
呆気にとられるリチャード殿下の脇をすり抜け、アコニットがわたくしの側まで来ました。
ぎゅーと抱きしめます。
はあ、アコニットはとても可愛いですね。
「御覧になりまして? わたくしとアコニットは仲良しなのです」
「え? しかし破られたノートは……」
「躾だと申し上げたではございませんか」
「お姉様には、性癖が明らかになるようなノートを放置するなと叱られまして」
さすがアコニット。
うまいです。
この言い訳ならノートから注意が離れるでしょう。
……ふふっ、別の意味の興味以外は。
「ともかくわたくしは婚約破棄を受け入れますし、アコニット・ラミアが殿下の婚約者になることに賛成いたしますわ。アコニットが優秀なことはよく存じていますからね」
「お、おう」
リチャード殿下もわたくしを責めきれないでしょう。
いかに卓越した成績であることが貴族学院で知られているとはいえ、平民であるアコニットを婚約者にすることが難しいことくらいはわかっているでしょうから。
しかしヘールボップ侯爵家の息女で前婚約者であったわたくしが賛成しているとなればどうでしょう。
アコニットのバックにはヘールボップ侯爵家がいるも同然と、考える世の人はいるのでは?
そのくらいはリチャード殿下も頭を働かせるんじゃないですかね。
小声でアコニットに耳打ちします。
「……わたくしが力になれるのはここまでですよ」
「……十分です」
魅力的と言うにはあまりにも蠱惑的な笑みを浮かべるアコニット。
さて、どうなることでしょうか。
◇
――――――――――半年後、王都のヘールボップ侯爵家邸にて。
父様が僅かに興奮を含ませた声で言います。
「始まったな」
「まさに始まった、というのが正しいでしょうね」
騎士団のクーデターで王家が処断されました。
もちろんヘールボップ侯爵家では事前に情報を掴んでいましたが、特に王家に報告などはしていないです。
もう王家を見限っていましたから。
同様に考えていた貴族家当主が多かったのではないでしょうか?
ですから王家に情報が回らず、クーデターに対して後手に回ったのではないかと。
……当家でもクーデターを防げるかで、王家の現時点での実力を見たかったという面があります。
あっさり潰れてしまったので拍子抜けです。
まあ次代を担うはずだったリチャード殿下の出来が悪いから、失望を買っていたのでしょう。
影響力のあるヘールボップ侯爵家の娘のわたくしを婚約破棄して、平民が後釜ですものね。
しかもリチャード殿下の暴走を王家が普通に追認したのも、何をやっているんだと思われたのでは?
わたくしがアコニットを認めたことも、事態を混乱させないための個人プレイと受け取られたのだと思われます。
わたくし個人の評価は上がったものの、王家の求心力は落ちました。
それに王家は気付けなかった。
共和主義者達に暗躍する隙を与えた……。
「共和主義者達も、騎士団を籠絡するとはなかなかやるではないか」
「共和主義者も考え方を変えていきましたからね」
元々は王制を廃止し、法の下に身分の上下のない社会を目指していたらしいです。
教科書的な共和主義思想と言えますね。
でもそんなのは夢物語に過ぎません。
長年お上の言うことを聞くように習慣づけられている市民が、急に平等と言われても対応できるはずがないではありませんか。
そういう教育をされていないからです。
市民のための共和主義が、支持層であるはずの市民に世を乱す撹乱要因だと思われてはどうにもなりません。
そのことをわたくしが指摘すると、アコニットはすぐ気が付きました。
貴族学院で学べば、賢き者ならば俯瞰で物事が見えてきますから。
貴族の血筋ということも関係していたかもしれません。
やはりアコニットは理解度も素晴らしいです。
既存勢力を取り込み王家を打倒し、共和主義との共存を目指す方向に切り替えました。
共和主義者幹部の説得に成功したのは、アコニットの最も大きな功績です。
共和主義者達が内部分裂していては、クーデターなんか成功するはずがないですからね。
もっとも我がヘールボップ侯爵家は、共和主義者達が失敗した時には知らぬ存ぜぬを通して、アコニットを切り捨てる予定でした。
しかし共和主義者達は騎士団を抱き込み、王家の打倒に成功しました。
ここから事態を収拾するのは貴族の出番です。
一番尊敬を集めている貴族であり、そして明らかにしたわたくしとアコニットの関係から、共和主義者との対話のルートを持っているだろうと考えられている、我がヘールボップ侯爵家が王国を導きます。
「アコニット、か……」
「不思議な個性です」
「ハハッ、見た目もな」
アコニットは結局最後まで自分が男性だと、リチャード殿下に気付かせませんでした。
まあリチャード殿下の目が節穴たる所以なのですけれども。
平民なので貴族との融和は時間がかかる、せめて騎士団や宮廷魔道士との関係をよくしておきたいというもっともな言い分でリチャード殿下を丸め込み、アコニットは有力者と接触を図っていました。
騎士団長や宮廷魔道士長は、アコニットが共和主義者だと気付いていたと思われます。
にも拘らず騎士団はクーデターに加担しました。
それだけ王家の権威が地に落ち、忠誠心がなくなっていたことは確実です。
またおそらくバックにヘールボップ侯爵家がいるということを臭わせていたのではないでしょうか。
アコニットは抜け目ないから。
「共和主義者に配慮せねばならんな」
「議会の召集と移動の自由ですか」
共和主義者幹部とアコニットを介して密かに連絡を取り、得た共和主義者の要求がそれです。
議会の召集はわかりますが、移動の自由がどう共和主義者の目的にかなうというのか。
これはわたくしも説明を受けるまでわかりませんでした。
つまり移動の自由が制限されると、事実上民は生まれた土地に縛りつけられることになります。
優れた素質を持つ者がいたとしても、教育や経験を積む機会はごく制限され埋もれてしまうでしょう。
国の発展に繋がらないという意見でした。
「盲点だったな」
「ええ。制御は難しくなりますが、悪いことばかりじゃありませんよ」
国の発展を目指すことは、王制であろうと共和制であろうと違いがありません。
移動の自由を許すと、治安の悪化や地方格差が問題視されそうではあります。
が、商業は格段に発展すると思われます。
優れた人物が台頭しやすいのは、共和主義者の語った通りです。
「新しい国だ。俺が王か」
「そうですね」
制度上王権が弱められるとは言っても、市民勢力が強くなるまでには時間がかかるでしょう。
じっくりと統治機構を熟成させなければなりません。
執事が言います。
「アコニット様がいらっしゃいました」
「通せ」
ニコニコしながらアコニットが入室してきました。
男性とはわかっていますが、愛らしいですね。
「侯爵、マデリーンお姉様、御機嫌よう」
「何がお姉様ですか、もう」
可愛くて優秀なアコニットは現在、男性であるということを明らかにしています。
貴族学院時代は、下手を打った場合に性別を変えて逃げ出すという目論見があったので、女生徒として潜入していたみたい。
リチャード殿下に見初められるというのは当然計算外で、その計算外を利用するために私に近付いてきたこともアコニットのすごいところ。
男性であると教えてもらったのもその時です。
アコニットをぎゅっと抱きしめます。
非公式ではありますが、アコニットはわたくしの婚約者扱いです。
順調ならば父様から現在領に待機している兄様へと王位は受け継がれ、わたくしは現在のヘールボップ侯爵家を継ぐことになるでしょう。
共和主義者アコニットを夫にして。
「離してくださいよ」
「離したくないですわ。だってアコニットは可愛いのですもの」
「お姉様とリチャード殿下の異性の趣味は同じなんじゃないですか?」
「嫌なことを言うわね」
アコニットを離します。
陛下御夫妻をはじめ旧王族の方々は幽閉されています。
が、数人抵抗したため弑したとのことです。
リチャード殿下も露と消えた一人です。
「共和主義者も方針が割れていまして」
「ふむ、クーデターは大成功だろうに、内部で割れるのか」
「というより、僕がヘールボップ侯爵家に取り入るために共和主義者達を利用したんだろう、なんて不平が出ているのです」
アコニットは貴族に未練なんかありませんでしたよ。
家を潰された無念と王家への恨みはありましたけど。
「あら、一番身の危険があったアコニットが疑われるなんて」
「クーデターがスムーズに行き過ぎました。やはり貴族は必要ないという声が少しずつ大きくなっているんです」
「俺も貴族を抑えるのが精一杯だ。手は貸せんぞ」
保守派貴族こそ、共和主義者と手を組むなんてと考えている者が多いのです。
今はヘールボップ侯爵家を立ててくれていますが、情勢次第で今後どうなることやら。
ただ騎士団・文官・宮廷魔道士は味方なので、時間が解決しそうではありますが……。
「宮廷魔道士の指揮権をお貸しください。思想家と夢想家は違うことを思い知らせます」
「ふ、任せたぞ」
最初こそ女みたいなやつとアコニットを侮っていた父様ですが、今では完全にその実力を認めています。
だからこそわたくしの婚約者扱いなのですけれども。
笑顔を見せるアコニット。
「お義兄様にも挨拶したいなあ」
「共和主義者をまとめる件はどうなったの?」
「宮廷魔道士を使えれば問題ないよ」
あらあら、凄みのある笑顔ですこと。
もう一度抱きしめます。
「事態が落ち着いたら、ね」
「僕の心臓が落ち着かないんだけど」
「あら、アコニットは可愛いんですから」
「マデリーン、アコニットを愛でるのもいい加減にしておきなさい」
「ええ?」
アハハウフフと笑い合います。
わたくし達は歩調を合わせて、前へ進むのです。
輝かしき未来に向けて。
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