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第2話 彼女のお願い

「——とりあえず、お茶用意したよっ」


 明るく三つのお茶をローテーブルの前に置いてくれたのは、椎名祈里しいないのり——俺の大好きな彼女だ。


「「ありがとう」」


 そして祈里に対してお茶のお礼を言ったのが、俺と……俺の上司である古橋主任。

 まだうまく状況が飲み込めず、向かいに座る古橋主任をちらちらと見ながらお茶を啜って緊張をほぐした。


 ただ、俺にはどうしても聞きたいことがあった。だからそれを質問してみることにした。もちろん古橋主任に聞くのは恐いので、祈里に聞いてみることにした。


「……ええと、古橋主任とは、姉妹ってことで良いんだよね?」

「うんっ、私たち結構似てるでしょ? 小さい頃はもっと似てたんだよっ」


 そう言われ、俺は祈里の顔と古橋主任の顔を見比べてみた。

 確かによく見ると目元は似ている気がする。けど、髪型も髪色も全然違うし胸の大きさだって違う。なにより名字が違うのだ。


「……ふぅ。私たちの親は離婚したのよ。私は父に引き取られて、祈里が母に引き取られたの」


 お茶を一口飲み、むすっとした表情のまま、俺に説明してくれた古橋主任。

 名字が違う理由が理解できた。


「でも、私たちずっと仲が良いんだぁ。そういうのって親が離婚しても関係ないから、社会人になって一緒に住み始めたのっ」

「そういう経緯があったんだ。でも、それにしてもまさかだよ……」


 姉妹だと理解してからも、俺の心臓はまだバクバクしていた。

 それもそうだ。会社で一番嫌いな女性が目の前にいるのだ。それに今まで一度も頭が上がらなかった相手でもある。


「まさかって、こっちのセリフよ。毎日顔を合わせている人が妹の彼氏だなんて思うわけもないじゃない」

「え〜、特徴とか好きなところとか何回も言ってたじゃんっ。確かにお姉ちゃんと同じ会社だとは言わなかったけど」


 ということは、最初から祈里は俺と古橋主任が一緒に働いていたことを知っていたのか。言ってくれればもっと何か対応できたかもしれないのに。でも、俺が古橋主任にできることなんて限られているけど。


「音無くん、この際聞くけど——祈里に変なことはしていないでしょうね?」

「へ、変なことってなんですかっ!」


 突然、意味深な質問をしてくる古橋主任。

 その目は、俺を彼氏として相応しいか見定めているようにも見えて。


「変なことは変なことよ!」

「言わないとわかりません! てか、俺と祈里は付き合ってるんです! 男女の仲なら、することは決まって——」

「——バカ! 口に出して言うんじゃない!」

「先に古橋主任が聞いてきたんでしょ!」


 祈里の前だからか、俺は初めて古橋主任に言い返してしまった。

 彼女の姉だと聞いて、少しは古橋主任という人物像が、柔らかく見えてきたのかもしれない。


「二人共仲が良いねっ。嬉しいなぁっ」

「「仲良くないっ!」」

「ほらぁ」


 息がピッタリ合うように返してしまった。

 俺も古橋主任も頭を抱えた。


「——あ、忘れてた。祈里、これ」


 ふと、思い出した俺は持ってきていた紙袋を祈里に渡す。


「これ、なに?」

「お姉さんに挨拶するって話だったから、一応菓子折りを」


 祈里が紙袋から長方形の箱を取り出す。

 包装紙を綺麗に剥がしていくと、そこから出てきたのは、クッキーの詰め合わせだった。


「俺の家の近くにあるお菓子屋さんで買ったんだ。見た目は美味しそうだったよ」

「えーっ、嬉しい! お姉ちゃんも甘い物好きなんだよ! ね?」


 そう言いつつ、祈里は古橋主任に目配せする。


「い、いや……甘いものなんて私は……」

「昨日だって、モンブラン食べてたくせに〜」

「い、祈里! 音無くんの前でそういうことは……っ」


 俺に甘い物好きだと聞かれて恥ずかしくなったのか、少し顔を赤らめる古橋主任。

 いつも怒っている顔しか見ないので、恥ずかしそうにしている顔を見て、初めて古橋主任にギャップを感じた。


 別に甘いものが好きなくらい隠すことでもないと思うのだが……。



 ◇ ◇ ◇



 そんなこんなで、俺たちは一緒に鍋を食べることになった。


 しかも、今日は古橋主任が早く帰ってきたからか、エプロンをつけて鍋の準備をしてくれた。そのエプロン姿も少し胸の部分がきつそうに見え、普段とは全く違うオフな姿に俺は古橋主任にさらなるギャップを感じた。


「お姉ちゃん、可愛いでしょ〜」

「な、何言ってんだよ祈里。あの人はいっつも恐くて俺に怒って……って、それも祈里にはいつも言ってたよね」


 鍋の準備をしてくれている古橋主任の背を見ながら、俺と祈里はコソコソを会話する。今思えば、いつも祈里には古橋主任の愚痴を言っていたはずだ。妹なら怒ったりしないのだろうか。


「でも、ゆうくんはいっつも最後には自分が悪いんだって、ちゃんと責任感じてたじゃんっ。だからお姉ちゃんだけが悪いってことは言ってなかったはずだよ。私はそんな優しいゆうくんが好きになったんだから」

「祈里……お前こそ優しいなぁ」


 と言っても、愚痴を言っていたのは確か。怒らない祈里は優しすぎるのだ。


 そうして三人で鍋をつついて食べ終わると、俺は食器洗いを任せてもらうことにした。古橋主任にはやらなくていいと言われたが、お世話になりっぱなしは俺の心が許さなかった。



 ◇ ◇ ◇



「ね。ゆうくん優しいでしょ、お姉ちゃん?」


 悠樹が一人で洗い物をしている時、今度はテーブルの前で祈里と伊織がコソコソと会話していた。


「確かに音無くんは仕事は頑張ってくれているけど、ミスが多くて……」

「でも、頑張ってるんでしょ? 今だって食器洗いしてくれてるんだよ?」

「そうかもしれないけど……未だに祈里の彼氏だなんて信じられないよ」


 伊織は悠樹の背中を見ながらも妹のことを心配する。

 彼女から見た悠樹は、確かに仕事は真面目に頑張っている。しかし、真面目というのはイコール仕事ができるという意味ではない。


 姿勢としては褒めるが、ミスが多いため、これまでずっと彼を褒めることができないでいた。

 だからいつも強い言葉をかけていることに少しは後悔していたが、褒める機会は結局やってこなくて。


「仕事はどうあれ、プライベートは本当に素敵なんだよ。もう、とにかくかっこよくて優しいのっ」

「確かに音無くんの顔は整っているかもしれないけど……まあ、祈里が好きなら私はとやかくいう権利はないな……」

「お姉ちゃんも徐々にゆうくんの魅力に気づいていくよっ」

「そんな時がくるのかな……」


 伊織は妹を心配しながらも、悠樹のことは悪いヤツではないとも感じ始めていた。




 ◇ ◇ ◇




 俺が食器洗いを済ませると、再び祈里はお茶を人数分用意してくれた。

 時間も遅いし、これを飲んだら帰ろうと思っていた。しかし——、


「じゃあ、私からのお願いを言うねっ」

「え?」


 すると突然、祈里が変なことを言い出す。


「お願いって姉を会わせることがお願いじゃなかったのか?」

「私も祈里の彼氏に会うことがお願いだと思っていたんだけど……」


 俺も古橋主任も同意見だった。

 しかし、祈里には別のお願いがあるようで。


「違うよ〜っ。そんなのお願いのうちにはいらないじゃんっ」


 確かに会うというだけなら、お願いするまでもないようなこと。

 では、祈里のお願いとはなんなのだろうか。


「じゃあどんなお願いがあるんだ?」


 俺がそう聞くと、祈里は少しだけ溜めて言い放った。



「じゃあ言うね——ゆうくん、お姉ちゃんと付き合ってほしいの!」



 想像できないほど突拍子もないお願いが、祈里の口から飛び出した。




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