8 因果は巡る7494
「――緊急依頼を発令してくださいッッ!!」
そう声を荒げた若者は、城壁の警備をしている者なのか、フロゥグディの紋章が刺繍されたマントを纏っていた。彼は息をするのもままならない焦ったような様子だったが、伝えるべき内容をわかりやすく、全員に向けて発する。
「西の門に上級の魔物、ニードルベアが現れました。しかも、一般的な個体ではなく、凶暴化している模様です」
その途端、ギルド内にいた冒険者の間に緊張が走り、しんと静まった。
俺が記憶している限り緊急依頼は発令された前例がかなり少ない珍しいものだ。魔物が魔物が増えすぎた場合か、非常に強力な魔物が現れた場合に出されることが多いという。今回の場合は後者なのだろう。どちらにせよ、緊急依頼が発令される時は本当に状況が喫緊しているため、即座の対応が必要となる。冒険者はどんな指示が出ても迅速に動けるよう、言葉を発さずに待機した。
受付嬢が即座に奥の部屋へ赴き、ギルドマスターらしき人物を連れてきた。
「それは本当か」
確認を取る言葉に、守衛が頷く。
「は、はい。西の門から街道へ三百メルほど離れた場所に、個体を確認しました。この村へ到達するのは半刻後あたりと予想されます」
「ふむ。それでなぜ緊急依頼が必要だと考えた? 緊急依頼は安直に発令できるものではない。全戦力を招集し、全市民へ避難を促すことになる。後で間違いだったと判明すれば大問題になろう。今回は本当に緊急依頼を出す必要があるのか?」
慌てている守衛を宥めるように、ギルドマスターは冷静な態度で尋ねる。
それはそうだろう。発見されたらしき魔物はニードルベア、本来ならば中級の魔物だ。屈強な図体と魔法が通らない針の鎧が特徴的だが、中級の冒険者が何人かで囲めば問題なく倒せる。そんな魔物が一匹現れた程度で緊急依頼は発令できない。
しかし、若者は頷く。
「はい。発見された魔物は確かにニードルベアですが、以前討伐された個体に比べて一回り大きく、性格も凶暴なものになっているようです。また、魔力を蓄えているという情報も……」
「魔力?」
「そうです。身体周辺の空気が揺らいでいるように見え、魔法が使える冒険者に聞いたところ、突然変異した魔法が使えようになった個体ではないかと」
「ふむ……」
若者がそう言い切ると、ギルドマスターは反芻するように目を閉じた。その姿は本当にギルドの長らしい、貫禄のある出で立ちだ。とはいえ、冒険者ではなく元から文官なのだろう。強そうには見えなかった。
「なるほどな、魔法が使えるかもしれないか。確かにそれは最悪の状況を想定して動かなければならぬな。よし、わかったそれではここにいる冒険者に緊急依頼を発令する。――上級冒険者パーティーは出払ってしまっているな?」
答えたのは、俺とエリアの冒険者登録証を作成してくれた受付嬢だ。
「そうです、本ギルドに所属しています上級冒険者のパーティは只今、山脈地帯へ遠征中です。ただ、一応ですが上級冒険者といいますか、該当する者は一人だけ滞在していますが……」
尻すぼみになったのは、言いにくいことがあるからだろう。
「誰だ?」
ギルドマスターに短く問われた受付嬢は、歯切れが悪そうに答える。
「戦場の歌姫と呼ばれる吟遊詩人です」
「セシリスか……彼女は強いが、独立した吟遊詩人だ。冒険者ギルドは彼女に依頼を強要できないと決まっているし、彼女を前線に立たせれば、人界からも魔界からも非難されるだろうな」
その名前は俺も聞き覚えがあった。というより、俺にとっては少し思い入れのある名前だ。
戦場の歌姫、セシリス。
人界にも魔界にも赴き、戦場で歌うと伝わる吟遊詩人だ。道中を一人で行動するのだから、遭遇した強い魔物にも対処できるだけの能力はあるのだろう。しかし、ギルドマスターは彼女に頼むのを渋った。
「仕方ない。では、ここにいる中級の冒険者は……百獣の牙だけか」
「――はい!」
建物の中央付近にいた四人組の冒険者が、ぴしっと姿勢を正した。俺と同じくらいの若い冒険者なのに中級ランクとは大したものだ。
「お前たちにはニードルベア相手に時間稼ぎを頼みたい。下級冒険者は市民の非難を誘導し、同時に他の中級冒険者パーティーを見付けて連れてこい。百獣の牙は他パーティと合流後、ニードルベアの討伐を頼むが、無理そうなら追い払うだけでいい。指令は以上だ。連綿と栄えてきた『異種族の緩衝地』を護るために、それぞれができる行動をしてほしい。では解散」
その言葉に冒険者は揃って最敬礼を示すと、それぞれの準備を始めた。
住民を誘導するための打ち合わせが始まり、一部の下級冒険者は他の中級冒険者を探すためにギルドの扉から飛び出していった。百獣の牙という名前らしい中級冒険者パーティの四人は、装備品の確認を手短に終わらせると、ニードルベア攻略時の定石を確かめ合い始めた。男の剣士と盾使い、女の斥候と魔術師。バランスの取れたパーティーだ。リーダーらしい男の剣士が発言する。
「ニードルベアは中級の魔物で、俺たちはまだ一度も遭遇したことがない。だけれど、俺たちの実力なら入念な作戦を立てればきっと勝てる。まずニードルベアは魔力を通さない針の鎧が有名で、魔法攻撃が全く通用しないらしい。だからリリーちゃんは俺とグランを増強魔法でサポートしつつ、後方から目眩ましになる爆発系魔法で攻撃してほしい。シュレちゃんは――」
二十にも満たない歳で中級冒険者になるだけあって、かなりきちんとしている。積み上げてきた実績があるのだろう、その横顔は自信に満ち溢れていた。これからの活躍が期待できる若手パーティーだ。これなら安心できそうであった。
俺がそんな彼らの様子を眺めていると、エリアがまたもやローブの裾をくいくいと引っ張ってきた。
「……エイジよ」
「ん?」
「戦わぬのか?」
「ああ、俺は戦わない」
今の俺は勇者ではない。駆け出しの初級冒険者エイルだ。身分を隠している以上は目立つような真似を避けたいし、何より、今はエリアが隣にいる。そもそも、俺はこのフロゥグディには少し程度特別な感情があるが、古郷でもないし家族もいない。ここが故郷である冒険者がニードルベアを討伐するのが、外聞もずっといい。
俺が戦わない方がいい理由なんて、たくさんあった。
「あの百獣の牙っていうパーティーならきっと大丈夫だろう。装備も実力もしっかりしているようだ。心配することはない」
だが、気にしていないというほど俺は非情でもなかった。
「少し様子を見ることにする。もし危険だと感じれば、助太刀に行く。それでいいだろ? 緊急依頼が出されるようなニードルベアも少し興味があるからな」
昔、仲間と旅をしていた頃に、一度だけニードルベアと敵対したことがある。その時と同じぐらいの強さならば、彼らなら問題なく討伐できるだろう。俺の場合だと経験というアドバンテージがあるから、一人でも難なく倒せるはずだ。しかし、あの守衛はニードルベアが凶暴化していると述べた。もし俺の想像以上の強さなら倒せないかもしれない。どちらにせよ、最初は様子を見ていた方がいい。
そんな話をしていると、パーティー百獣の牙が出発したようだ。ギルドマスターに指令された通り、最初は様子見つつ時間を稼ぐ方針にしたようだ。他の冒険者たちは既に市民の避難誘導や中級パーティー捜索のため、建物から出ていった。
「それじゃあ、俺らも行くか」
「どこへ行くのか、と聞いても?」
俺はその質問に答えずに、歩き出す。どうせ、すぐにわかることだ。先ほどの仕返しでは決してない。
目抜き通りに出ると、避難する住人で溢れかえっていた。やはり、上級冒険者がいない現在のこの村では、緊急依頼は天災のようなものなのだろう。緊急依頼が出される時はだいたい被害が深刻になる。巻き込まれるのを恐れて逃げるのは当然だった。
俺たちは西の門へ向かうので、自然と流れに逆らうようになる。人々の隙間を縫いながら数分歩けば、西の門まですぐそこだ。
しかし、俺は道を外れて、閑散とした路地に入る。目的地は村を囲んでいる石壁なのだから、わざわざ西の門へ行く必要はないのだ。
城壁の土台に近付くと、俺は周りを見渡す。
「よし、誰も見ていないな」
「何をするのじゃ?」
「まあ、見とけ。風素召喚――」
紡ぐのは風素を生み出す起句。空気を圧縮した球体のイメージを作り上げ、足裏で空間座標を固定。そして、解放しないように保持する。
「……エリア、ちょっと持ち上げるぞ」
「うにゃ!?」
じたばたするエリアを抱え上げた俺は、壁に向かって跳躍した。やはり勇者の脚力をもってしてでも、その高さには届かない。だが、――ここだ。
「――全開放」
足の裏で魔法を開放し、その風素が俺の体を持ち上げる。まるで、鳥が羽ばたくように空中で再度跳躍した俺は、その右足を城壁に届かせることができた。バランスを取るのは難しい技だが、慣れれば戦闘にも応用できる魔法の使い方だ。
「っと、それでニードルベアは……あれか」
「そんなことよりも、妾を降ろせ!」
「悪い」
抱えていたエリアを石壁に降ろすと、まだ何やらぶつぶつ文句を言っていたが、俺と同じように村の外へと目を向けた。
フロゥグディは周りを麦畑に囲まれているから、一面が黄金色の海になっている。その光景にエリアは、眩しそうに両目を細めた。天気も良く、どこまでも青空が広がっていて、この城壁の上で寝転べばさぞ気持ちいいだろうと思った。
ところで、この村に城などはないのに、なぜ城壁と呼ぶのだろうか。
その答えは、村の造りにある。このような戦場に近く、また城を造るような余裕がない場合、都市自体を城と見なして設計するのだ。道を狭くすれば、大規模な軍隊での侵略は難しく、真ん中に石橋があるのは、それを落とせば軍隊の進行を止められるのだ。そして、その城とも見える村を壁で囲み、このような都市を城郭都市と呼ぶ。両種族の境界にある村なので、いくら用心した設計でも問題はない。
だが、この村の城壁の幅はせいぜい三メルしかないし、高さは十メルとそこまで堅牢ではないし、ニードルベアのような大型の魔物なら時間を掛ければ破壊できるかもしれない。
立つと下から目立つため、俺たちは腹這いになって観察することにした。少し距離が遠いため、水素を召喚してレンズに変形させて、望遠鏡の代わりにする。そうすれば、その巨体はしっかりと目に映る。
エリアはそのような魔法の使い方は知らなかったみたいだが、仕組みを理解すれば、すぐさま同じ術式を再現していた。やはり、魔王だなと思った。
「……始まったな」
身動きもせず、水素望遠鏡越しに見ていると、門から百メルほど離れた場所で、百獣の牙パーティーとニードルベアの戦闘が始まった。両側が麦畑に挟まれているから、一本道で彼らは衝突する。
防御盾を装備した男の冒険者がニードルベアの攻撃を受け止めた。甲高い衝撃音を響かせる。大盾の背後からリーダーらしき剣士が飛び出し、死角からその首を斬り掛かる。当たったが、毛皮に阻まれて効かない。冒険者二人はそれを確認すると、後方に跳んだ。直後、追撃しようとしていたニードルベアに、大きな火球が衝突していた。後方に控えていた魔術師によるものだ。ニードルベアは魔法にも耐性があるため、微塵も揺るがない。しかし、その爆発に紛れて接近していた斥候が縄を瞬時に巻き付けて、離脱する。
ぶちぶちぶちと音を立てて縄が引き千切られ、苛立ちの様子を隠さないまま、その拳を虚空に向けて振るった。直線状に鋭い針のようなものが放たれた。
ニードルベアが恐れられるのは、その強靭な身体と底知れぬ腕力もあるが、それよりも、名前の通り極太の針での遠距離攻撃だ。
その毛皮は鉄のように丈夫な針が幾重にも連なっているため、鉄壁の防御力を誇り、また魔法耐性がかなり高い。そのうえ、攻撃手段の一つとして、身体表面の針を周囲にばら撒く。その太さは三セメルを超え、簡単に致命傷となりうる。だからこそ、針熊で、中級の魔物でもかなり上位に分類される。
大量の針が百獣の牙へ高速で接近するが、事前に対処法を練っていたようで、直前で女の魔術師による風魔法が展開された。風によって軌道が捻じ曲げられ針があらぬ方向に飛んでいくと、またもや剣士と盾使いがニードルベアへ向かって駆け出した。
「なるほど、連携がしっかりしたパーティーだな」
俺は呟いた。
まるで何年も共に背中を預けて戦ってきたかのように、言葉もなく互いの行動を理解し、動くタイミングを完全に合わせている。その域に達するには並大抵の努力では到底不可能であった。
しかし、どれほど完璧な連携をしていても、攻撃が通らなければ意味がない。剣も魔法もニードルベアの針でできた毛皮に阻まれて、大きなダメージは与えられない。
戦場が膠着状態に陥るのは、早かった。ニードルベアは突進するが、冒険者は盾を押し出しバッシュで抵抗する。そして、隣から突き出された武器が、僅かな傷を与える。互いに決定打が入らない状態。
だが、これで問題はない。命令は時間稼ぎである。このまま他の中級冒険者パーティーが合流するまで耐久し続ければいいのである。
しかし、どこかおかしい。これは緊急依頼のはずだ。あのニードルベアは確かに俺が知る個体よりも身体が少し大きく、腕力も僅かに高いようだが、緊急依頼を出さなければいけないほど強くは感じない。攻めあぐねている百獣の牙も、思っていたより手応えがないことに違和感を覚えているようだ。ただ想定外は想定外でも、想定していたよりも弱いのならば何も問題はない。そう判断したようだった。
リーダー格の剣士が声を張り上げる。
「――こいつ、思っていたよりも弱いぞ! 他の冒険者が来るよりも早く俺たちで倒そう! 連携してくれ!」
「わかった!」
盾使いが答えた。
前へと踏み込んで、大盾をどっしりと構える。その後ろで控えている剣士は剣を肩に担ぐように構えており、赤い光を刀身に灯らせていた。俺もよく使うことが多い古代流派剣術、紅弦だろう。先ほどまでと同じく攻撃をしっかり防いで反撃は仲間に任せる戦法のようだが、剣技を使わなければ有効な損傷を与えれないと考えたのだろう。対して、ニードルベアは本能のままに先ほどと同じく拳を振り上げた。単調で変化のない戦術だ。ゆえに、対応が簡単である。
この流れならば、百獣の牙がニードルベアを討伐するのも時間の問題だと感じた。
しかし、ここで予期しないことが起こる。
その拳が構えられた大盾に接触しようとする直前、ニードルベアが何か紫色の燐光のようなものを纏った。と思ったのも束の間、薙ぎ払われた腕が防御盾ごと冒険者を吹き飛ばした。大盾がひゃげてまるで意味をなさず、麦畑の中へ消えていった。姿が晒された剣士は驚きで動きを止めてしまい、その隙をニードルベアは逃さない。突進。防御する間もなく巻き込まれ、血飛沫を散らしながら落ちていく。
「な……」
「ッ! お前ェ、よくも!」
強化された聴覚が二人の声を拾う。
絶句する魔術師と、怒りで顔を真っ赤にする斥候。
冷静さを失ってしまったのだろう、斥候が考えなしに真正面から突っ込み、やはり同じく強烈な一撃で場外へ退場させられた。
硬直していたはずの戦況が瓦解するのは早かった。一瞬にして百獣の牙の中級冒険者三名が倒されて、残ったのは魔術師一人だけ。頼れる仲間はもういない。その事実を理解した女の魔術師は、最後まで戦うわけでもなく戦意を喪失し、護身用の細剣を震える手で握りしめて、ぺたりとへたり込んでしまった。
ニードルベアはそんな女の冒険者には興味が失せたのか目もくれず、のしりのしりと城門方向へ、つまり俺たちがいる方向へ歩み始めた。あの速度なら五分も経たずにここまで辿り着くだろう。
「――エリア、何が起こったかわかるか?」
俺はその様子を最後まで観察してから、隣に伏すエリアへ問い掛ける。が、俺にも推測はある。
増強魔法だ。
筋肉の強度を向上させる魔法。一撃で冒険者を吹き飛ばしたのは、魔法での強化にしか見えない。
しかし、ニードルベアは魔法を使えないはずだ。魔法を使う魔物もいるにはいるが、あいつが使えるなんて聞いたことがない。だが、俺は確かに魔力の流れを感じた。
突然変異だろうか。稀に特殊な環境に置かれた魔物が、特殊な能力を持った魔物に変異することがある。例えば、毒素で汚染された地域で育ったホーンウルフが、自ら毒を生成できるようになったように。
そう考えると、今回の場合は。
俺がその結論に至ったのと同時に、エリアが心底申し訳なさそうな口調で謝る。
「すまぬ、あれからは妾の魔力と同じ波長を感じる。……今朝、妾が解放した魔力が突然変異を促したのじゃろう。詳しいことまではわからぬが、魔法は本能的に使っているだけであろう。増強魔法以外は発動できぬと判断してよさそうじゃの」
「だが、それでも脅威的だな……」
ニードルベアはゆっくりと、されど着実に城門へと歩みを進める。
この状況下で城門はしっかりと閉められて閂もされているようだが、先ほどの破壊力を鑑みるに、何度か殴られただけで突破されるかもしれない。その後は確実に村の中へ入られることだろう。まだ他の中級冒険者は来ていないようだ。パーティー百獣の牙が壊滅したいま、この村を護る手立てはなかった。
「……行くか」
「戦うのかや?」
仕方ない。本当はここの村の冒険者が奴を討伐するのが最善だったのだが、ここには俺しか戦える者がいなかった。そこまでこの村に思い入れはないとはいえ、世界平和という目標を掲げて活動するのならば、見て見ぬふりを決め込むのは忍びない。それに、発端はエリアで責任の一部は俺にもあった。
「ああ、勝てるかどうかは怪しいが。エリア、お前は倒れた百獣の牙メンバーの応急処置に向かってくれ。ここであいつらを死なせたくない」
俺はそう言うと、静かに城壁から飛び降りる。そして見たのは、俺へニタァと笑ったニードルベアの凶悪な顔だった。