54 まだ戦える6677
オリバーは俺が発動した古代流派剣術赤釘を見て、冷静に評価する。
「見事な赤釘だけど……駄目だね。それだけだとレパートリーが少なすぎる」
「っ……」
言い返そうとして、できなかった。確かにその通りだ。赤釘は強力な技だが、タイミングも構えも限定される。状況を選ぶ技だ。特に重い剣を扱う戦いでは、一撃で仕留められなければ、隙になる。
オリバーは腰の鞘から剣を抜き、ゆったりと構えた。
その動きは、静かでありながら、どこか空気を刺すような鋭さを秘めていた。
「せっかくだし、教えてあげようか。アルベルト騎士団初代総長、つまり僕の祖父が造り上げた剣技。現代流派剣術アルベルト流トライラッシュって言うんだけどね、君も見ているでしょ?」
「ああ」
以前オリバーとここで手合わせをした時、彼はそのような技を見せたものだ。
俺がその技を脳裏に思い描くよりも早く、オリバーは目の前で実演してみせた。
煙を纏ったように、剣がのっぺりとしたアッシュグレイに染まった。
一歩踏み出し、剣を突き出す。引き戻すのではなく、そのまま剣を右肩の横へ流すようにしながら二撃目を突く。そして、反動を殺さずに半歩斜め前へ踏み込みながら三撃目――連続する突きが空気を裂き、残響のような風が顔を撫でた。
どの突きにも力強さがあった。それなのに、まるで剣が風に乗って滑っていくようだった。重い剣を使っているとは思えない速さと、洗練された静かさがあった。
無駄な動きが全くない、そう思うと同時に、俺はまたもやその剣技に懐かしさを覚えていた。ずっと昔、誰かが実演しているところを見たことがあるような――
「ね、いい技でしょ? 重さを武器に変える刺突術。加護がなくても、工夫と構造で十分通用する。今の君には最も向いている剣技かもしれないさ」
「……教えてくれるのか?」
「特別さ。本来なら後継者一人だけにしか伝えてはいけない決まりだけど、エイジ君には期待しているからね。存分に使いこなしてほしい」
「必ず期待に応えてみせる」
真っ直ぐな眼差しに、彼は頷いた。
「まず最初に剣技っていうのは、なにも力任せに動くだけじゃ発動しない。流派ごとに根差したイメージを思い浮かべながら型通りに動くことで、初めて発動する。エイジ君もわかると思うけれど、例えば古代流派剣術なら燃え盛る炎、アッガス流なら流れる疾風。技を編むには、その流派に根ざしたイメージを明確に知る必要があるのさ」
俺は静かに頷く。もちろん知っていた、というよりエリアにも教えたことがある。剣技とは、意思の力によって形作られるもの。剣士が心に描いた世界が、現実と結びついて初めて剣に宿る。だから、ただ型通りに動くだけでは発動できないし、理論上ではイメージが強ければ木刀で鉄さえ斬ることができる。
それゆえに、明確なイメージを掴むことができない最初の段階では、他流派の剣技の習得が一筋縄ではいかない。加えて、新たな剣技を編み出すのは不可能と考えられるのだ。
そんな本来ならば不可能なはずの新興流派であるアルベルト流を扱うオリバーは、自分の胸元に手を当てて続けた。
「アルベルト流のイメージは灰色。派手さも輝きもない。ただ、曖昧で、鈍く、けれど決して揺るがない色。金属のような重さと、煙のような曖昧さ。その両方を持った、存在感のない存在さ。突き進むことだけを目的として、余計な感情や飾りは一切排除した実用的な剣技」
そう言いながら、彼は再び剣を前へと構えた。オリバーの剣の輪郭が――かすかに滲むように揺れて見えた。光でも影でもない、沈んだ灰のような色が、剣の表面に浮かぶ。
「頭の中に灰色を思い描くんだ。煙のように柔らかく、金属のように重く。感情を混ぜず、ただ突くことだけに集中する。さあ、試して」
俺は深く息を吸い、剣を両手で構えた。
頭の中に、灰色の光景を思い浮かべる。立ちこめる霧。すすけた鉄。煙のように揺れながら、どこまでも直線的に進んでいく突きのイメージ。
ぶるり、と剣が震えたような気がした。アダマント製の剣から黒色が抜け落ち、灰色に染まる。
完全に初心者だとこうもいかない。だが、俺は色々な流派の剣術を習得してきた経験があるため、発動の予備動作を呼び起こすのは難しくなかった。簡単じゃなくなるのは、ここからだ。
「じゃあいこうか。まずは一撃目。剣を構えて、前に光を通すように突く。慣性を無理に殺さず、そのまま流すこと。次の突きにつなげる意識を忘れないで」
「――了解」
深く腰を落とし、重心を前へ。
踏み出す。剣を突き出す。重い。だが――止まらない。重い剣の先端が、空気を切り裂き、虚空へ一直線に突き込まれた。
剣の動きを止めずに、横へなぞるように引き、二撃目を繋げる。
剣を、身体の延長ではなく、光の軌道として捉える。余計な重さは感じない。ただ、前へ進む。瞬きのように。点と点を結ぶ直線のように。世界の理が剣を引っ張って加速させる。 風を切る音も、力の爆発もない。ただ、空気が裂けたような鋭い感覚が、全身を通り抜ける。
三撃目。肩をほんの少し引いて、剣を右脇へ流しながら、半歩だけ斜めに踏み込み、剣先を前へ滑らせ――
「……くっ」
しかし、三撃目を出す直前、バランスが崩れて失速した。
崩した体勢を立て直すことはできず、俺は顔面からどしゃりと石畳の地面へ倒れ込む。
「今のは二撃目の抜きが甘かったんだ。もっと剣を滑らせて、身体の外に流す感覚でいこう。貫いたあと、引き戻すんじゃない。前に滑らせながら次に向かわせる。まるで光が次の場所に移動するように。とはいっても、そんな助言はいらないかもね。もうほとんど完璧に再現できていたし」
「……そんな簡単には習得できないか」
落ち込むように肩を落とすと、オリバーは笑った。
「そもそも剣技はそんな簡単に習得するものじゃないよ。君のセンスがずば抜けすぎている。僕ですらこの剣技を習得するのに、数年は父親から指導してもらったぐらいさ。その才能を聞けば世界中の剣士が羨ましがるだろうね。……冗談はさておき、トライラッシュはもう次に発動すれば問題なく最後まで続くだろうさ。だから、次の剣技に移ろう」
「えっ?」
オリバーは、腰の剣を軽く回転させて持ち替えると、静かに構えを取った。
「次に見せるのはアルベルト流ヴァリアブルラッシュ――変則突斬連携技。これは、トライラッシュの拡張型ともいえるものでね。三回の突きに、二回の斬撃を組み合わせる。順番は固定されていない。突き、斬り、また突き。相手の動きに応じて即興で変える特殊な剣技さ」
「……順番が、自由に?」
そんなことありえるのか、と俺は首を捻った。剣技とは決められた型の技だ。だから、威力が高い代償として動きを途中で変えることができず、それゆえに敵の剣技を咄嗟に判別して避けたりといった芸当もできる。
「流石にこの技を再現するのはできないと思うよ。でも、いつか必要になった時のために見せよう」
そう言うと、オリバーはひとつ深呼吸し――動いた。
一撃、突き。踏み込みと同時に、灰色の閃光が生まれる。
二撃目、すぐさま剣を捻り、そのまま右からの斬撃。突きの勢いを殺さずに、腕と腰を連動させて流す。
三撃目、反動を殺さず反転、再び突き。空間を三度、連続して抉った。
四撃目、剣を左へ開いて、下から上への斬撃。煙のような軌道で、剣が空気を裂く。
五撃目、少し溜めてから、重く最後の突き。
すべてが灰色の閃きとなって、まるで一つの流れのように繋がっていた。
オリバーは軽く汗を拭いながら、剣を納めた。
「このヴァリアブルラッシュは、正確には型じゃない。選択の集まりなんだ。最初の一撃で相手がどう動くか、それに応じて次を決める。瞬時に五通りの構成を頭の中で組み立てながら、自分の重心を崩さないように流し続ける。……まあ、難しいけどね」
「なんだそれ……!」
突きと斬り、それぞれの技は本来分断されるものだ。しかしオリバーの動きは、断続ではなく線だった。しかも剣が重い分だけ、流れの中に余計な跳ね返りがなく、まるで煙が舞い続けるような動きだった。
それを変幻自在に操れるというのか。固定された型ではなく、瞬時の判断力と身体の柔軟性が求められるということだが、実践だと他の型よりも重宝しそうだ。剣技を一度発動すると、決まった型でしか動けない。もしもその時に別方向から攻撃が来たりすると、対処ができなくなってしまう。剣技を無理やり中断してもいいが、その場合はより長い隙を晒してしまう。
ヴァリアブルラッシュはそんな剣技の常識を翻すものだった。オリバーがむやみに他人前で見せない理由を実感できた。
「驚くのはまだ早いよ」
しかし、呆気に取られている俺を横目に、オリバーは少し構えを変えた。
剣を、軽く寝かせるように逆手に持つ。構えたその動きに、既に何か異質なものを感じた。
「名前はトリックロブ。突きの応用技だ。相手の武器に、こちらの剣先を絡めて奪い取るためのもの。……簡単に言えば、フェイントと奪取の融合かな。試してみようか。エイジ君、僕に向かって何か剣技を発動してくれないかい?」
「――わかった」
それは好奇心から来た即答だろう。魔界に伝来しているものでなければ、俺は既に全ての剣技を見たことがあると自負していた。しかし、オリバーは知らない剣技を見せてくれるという。
俺はわくわくする心を抑えきれずに、剣を構えて飛び出した。
発動するのは、教えてくれたばかりの現代流派剣術アルベルト流トライラッシュ。
灰色を思い浮かべると、まるで実体のない影のような色が浮き出て、剣に纏わり付く。一歩踏み出し、無駄な力を使わず、ただ剣を前へ押し出す。トライラッシュ、一撃目。
剣先が一直線にオリバーの胸元を狙う。
その瞬間だった。
オリバーの同じく灰色に染まった剣が、沈むように動いた。
ほんの少し、彼の剣先が下へ逸れる。が、それは受けるための動きではなかった。
「――っ!?」
俺の突きが命中する寸前、オリバーの剣が俺の剣の下に滑り込んだ。
そして――絡め取られる。
金属同士が擦れる小さな音。次の瞬間、俺の剣の進行方向が斜めに逸らされ、腕ごとバランスを崩す。
オリバーはそのまま剣をすっと引き、空中でくるりと回してみせた。
まるで、さっきまで俺が突き出したはずの剣の動きさえ、最初から彼の掌にあったかのような鮮やかさだった。俺の手中から剣が奪われ、空中を彷徨い、そして地面へ突き刺さる。
剣士として、敗北を喫したのは言い逃れできない。
「これがトリックロブ。相手の剣技を絡めるように差し込むことで、相手の剣を奪うか、あるいは無力化する技だ。相手の剣の慣性と、動作の流れを見極める。その一瞬の緩みに、灰のように滑り込む。相手が今だと思ったその瞬間を逆手に取るのが、この技の核心だよ」
ありえない。
繰り返す言葉は次こそ声にならなかった。
他の流派には存在しない剣技だ。そもそも剣技を発動している最中の剣は、そう簡単に奪い取れるようなものじゃないはずだ。どうなっている。
俺は思わず腕をさすった。
今の感覚は、受け流されたわけでも、弾かれたわけでもなかった。まるで、自分の剣が勝手に道を逸れたような、異様な体験だった。
彼の部下であり俺の師匠であるオリバーが、オリバーのことを最強と表現していた理由がわかった気がする。彼は攻める戦い方を好まず、相手が自ら倒れるまで翻弄し続ける守りの剣なのだ。俺とは真逆の考え方で、だからこそ勉強になる。
もちろんトリックロブとヴァリアブルラッシュは真似できそうもないが、教えてくれたトライラッシュは自分のものとしたし、重い剣での戦い方も学ぶこともできた。これならば、宵闇の剣でも今までのように戦うことができる。
その考えまで至った時だった。
ふと、胸の奥に奇妙な違和感が湧いて、俺は静かに問い掛けた。
「なあ、オリバー。教えてくれた戦い方、剣の重さに逆らわずに流すとか、突きに慣性を乗せるとかさ。確かに、加護を失った俺には有効なんだと思う。でも、それだけじゃないよな? これ、加護のない者なりの戦い方っていうより……」
そこで言葉を切る。慎重に、けれど確信を持って続けた。
「……これは、俺の剣で戦うための技術なんじゃないか? アダマント製の、宵闇の剣で戦うための技術だ」
オリバーは、俺の言葉を遮ることなく、ただ静かに聞いていた。
やがて、ふっと笑みを浮かべる。彼はゆっくりと剣を鞘に収め、灰色の瞳をこちらに向けた。
「――気付いた? やっぱり君は鋭いね。そうだよ、僕は君の剣での戦い方を教えていた。それは君のためじゃない、僕のためさ。既に君というジョーカーの存在は僕の計画に組み込まれている。勇者じゃなくなった。女神からその資格を失った。けれど、もう逃げることはできない段階に来ているんだ。一蓮托生なんだよ。君がもし逃げてしまえば、僕も破滅の道に追い込まれる」
彼の声は静かだったが、ひとつひとつの言葉が冷たく鋭く、皮膚の内側まで刺さるようだった。
「ジョーカーっていうのは、王や騎士を食う札だ。ルールの外にいて、状況次第でどんな形にも化ける。だから、僕は君を勇者としてではなく、例外として見ている。計画において、そんな存在を放っておく方が愚かだよ。僕は理想主義者じゃない。使える駒を、動く駒にするのは当然だろう?」
オリバーは軽く肩を竦め、淡く笑みを浮かべる。
俺は言葉を失っていた。
それは、あまりにも――冷たい現実の理屈だった。
「ただし、誤解しないでほしい。僕は君を操るつもりはない。価値があるのは自分で動ける駒だけだからね。意志を持って、自分の判断で選択できる者じゃないと、いざという時に使い物にならない」
言葉の選び方は残酷だが、そこには一切の嘘がなかった。
そしてオリバーはふと目を細め、わずかに視線を逸らす。
「――ま、それもこれも、君が加護を取り戻すまでの問題なんだけどね」
想定していなかった言葉に俺は聞き返す。
「……加護を、取り戻す?」
俺が頓狂とした顔でいると、彼はぱちくりと目を瞬かせた。
「え、もしかして気付いていなかったの?」
「……何を?」
「エイジ君は女神から加護を奪われた。裏切り者となった君は、もう彼女に振り向いてもらえない。だから、逆に魔界の魔王から加護を貰えばいいだけの話なんだろう? え、僕の言っていること間違ってないよね?」
俺はその言葉を反芻した。
魔界の魔王から加護を貰えばいい?
ゆっくりと意味を飲み込み、咀嚼し、味を判断して、大声として吐き出す。
「――は、はぁぁあああああああ!?」
「いや、エイジ君が思い付いていなかったことに驚きなんだけれどね、僕は」
そんな、そんな方法があったなんて。
確かに正しい方法だ。女神の加護は万能だった。身体能力においても、あらゆる面においても。それゆえに、俺は加護なしで戦うことを想像できなかったのだ。しかし、魔王の加護を手に入れてしまえば。
エリアは六代目慈愛の魔王リューリエから加護を貰っていたはずだ。エリアによると魔界では歴代の魔王が死して暫くすると、神様として永遠の存在になり、稀に加護を与えることがあるそうだ。それならば、俺にも加護を渡してくれることもありえるのか?
いや、そもそも人族の俺に魔王が加護を渡してくれる可能性はあるのか?
どちらにせよ、オリバーの語った案は奇策でありながら的を得たものだった。俺には考え付かなかった方法だ。荒を探すのは簡単だが、やらずに放置するのは忍びないほど可能性に満ちた案だった。
これからも戦い続けることができる。
その事実をエリアとイザラに伝えなければ。
俺がうずうずとしていると、その内心を悟ったのか、オリバーは片目を瞑った。
「早く戻りたいんだね。この場はもういいよ」
「助かる!」
俺は返事をするや否や、来た道を駆け戻る。
心臓が逸るが、問題ない。
風のようにエリアの元へ駆け戻って、まだ戦える、と伝えるのだ。
太陽が頭上高く昇る最中、俺は帰路を急いだ。




