5 大切な信頼のお話5368
フロゥグディは村を二つに分断するように、大きな河が通っている。その西側が魔界、東側が人界で、実質的にその河は世界を分け隔てる境界線のようなものだ。
だが、この村に関しては立派な橋が架けられ、交流が栄えている。人族、妖精族、竜鬼族、地霊族などと様々な人種が目抜き通りを行き交っている。
損得勘定で二つの世界を旅する商人だけでなく、敵対する世界に伝わる技術を求めてきた鍛冶師、他にも野心的な想いを抱いた者たちが多い。だからこそ、人種が違えども、朝から酒を飲みかわすほど平和にいられるのだろう。
そんな戦争とは無縁の通りを、河に向かって俺たちは歩いていた。
魔王エリアは、昨日は魔王らしい黒づくめの出で立ちだったが、現在は紺色のロングスカートにレザーコートを身にまとっている。
どうやら初めから収納魔法に換えの衣類も入れていたらしく、対して仲間の魔術師に衣類の収納を任せていた俺は、昨日と同じく白い外套に一本の長剣、そして黒のポンチョ型ローブだ。替えの衣類はない。
俺も魔王エリアの服装も冒険者が多いここでは珍しくなかった。
それなのに、俺は先ほどから通行人にちらちらと向けられている視線に気付いた。
まさか、勇者だということが露見したのか、と身構えたが、その視線の原因は俺ではなく隣で歩いている少女であった。
それまで知識とは知っていても見たことがなかった世界に興味津々で、エリアが「あれは何だ」とか「これはどんなものだ」とか片っ端から尋ねるのだ。
成り行き上で二人旅となったが、エリアは魔王を名乗る少女である。杞憂かもしれなくても、用心に越したことはないと思っていた俺は、だからこそ、そんな無邪気な魔王に脱力した。
少し古めかしい言葉使いなため、見た目に反して年上なのだろうか、と思っていたほどだ。
今朝に用意周到さを見せた少女とは、とても同じ人物とは思えない子供っぽさだ。
俺の呆れた視線に気付いたエリアは、こほんと咳払いをして誤魔化す。
「それでどこへいくのだ、エイジ」
「橋の両替商だ」
露店で売られている豚の丸焼きを見ながら訪ねたエリアに、素っ気なく言葉を返した。
あっちへこっちへ渡り歩くエリアの振る舞いは年相応に見えるが、少し恥ずかしかった。
目抜き通りを少し進むと、りっぱな石畳の道になる。村の中心部だ。
世界を分断する河には、村のシンボルになるような上等な橋が架けられている。なぜか人界にも魔界にも『両替商は橋上に店を構えるべき』という風習があり、ここも漏れずに橋の上は両替に来た人々でごった返している。ただでさえ人界のエルド硬貨と魔界のユルド硬貨が流通している唯一の村だから、その盛況さも当然だ。
俺はそんな両替商の一つに並ぶ。
露店のような形で店は小さいが、精密な仕事をするがためにあり得ないくらい整った店だった。店の信用を維持する為にカウンターには水の入ったコップが入っている。中の水は一切の傾きを見せず、正確な計量を行うと云う自信の表れだ。
エリアは、興味深くカウンターで様々な金貨を上皿天秤で計量し、客と取引している店主を見ていた。その手際は実に鮮やかで、手先は男性と思えないほどの器用さだ。
「なぜ、両替商に来たのじゃ?」
「なぜって……」
「勇者であるエイジには、人界からの支援金が多いはずじゃ」
「それは仲間の魔術師が魔法で収納していたから俺は持ってないし、お前は人界に行くんだろう? それなら、今持っているユルド硬貨を、人界のエルド硬貨に交換する必要があるだろ」
「それは……。すまぬ、失念しておった。妾はエルド硬貨を持ってきておらぬ」
申し訳なさそうな顔をするから、俺はかさばらないように金額の大きい硬貨を持っているから心配するな、とエリアに言った。ほっとしたような顔を浮かべたのは、気のせいではないだろう。
「これからの支払いは全て俺が持つ。物価もあまり知らないんだろ?」
「それは……、しかし……」
「気にするな。代わりにエリアは俺が足りない部分を補ってほしい。例えば俺は交渉事が苦手なんだ。敵に唆されて寝返ってしまうかもしれない」
自嘲気味に茶化すと、エリアはわかったと頷いた。
ちょうど俺の番が回ってきたので、革袋からユルド金貨と銀貨をテーブルに置く。ちらりと店主は俺が置いた数枚の硬貨を見ると、おもむろに笑った。
「はは、大口の取引だね。全てエルド硬貨に交換でいいかい?」
「もちろん、そうしてくれ。交換比率は今日の分でいい」
「請け負った。金貨を扱うから、明日の昼頃にこれを持って来てくれ」
店主はそう言うと、羊皮紙にさらさらと数字を記入して、俺に渡してきた。内容は俺が出したユルド硬貨の金額と、交換予定のエルド硬貨の金額だ。これは預けたお金の交換に必要な書状である。これを持ってこれば、書かれた金額のエルド硬貨を貰える。
「これでいい、ありがとう」
俺は踵を返し、店から離れる。と、エリアが後ろ袖を引っ張ってきた。
「のう、どうして硬貨を置いたままにするのだ? 盗まれる可能性はないのか?」
「……商人は信用の上で生活しているから大丈夫だ」
鋭い質問に俺は答えた。
商人や両替商はその仕事柄、横のつながりが強い。例えば、どこどこでは商品を安く仕入れれる、隣町で通貨の交換比率が大きく変動したぞ、という情報が非常に重要だからだ。
それならば、顧客との約束を反故にしてしまうと、瞬く間に同業仲間へ伝わってしまい、信用が地の底に落ちてしまう。だから商人は時間や約束事に厳しく、お金を預けても大丈夫である。
とはいえ、そんな信用を失ってまで、あの硬貨を手に入れようとするのもないだろう。両替商にとって金貨ぐらいなら、はした金なのだ。商人にとって信用とはお金で買えない積み上げてきた掛け替えのないものであるから。
「信用といえば……そうだな、どうして金貨に価値があると思う?」
「それは……価値が高いからかの?」
「いや、材料としての金鉱石も極論ただの石だ。そこに錆びにくいという希少性は確かにあるが、食べることもできない無能な石だ」
エリアは少し考えていたが、やがて、ふるふると首を振った。どうやら民を統べる王でも、お金にまつわる雑学はしらないようだった。俺は統治のことなんて何も知らないし、それも当然かもしれない。
俺はエルド銀貨を一枚懐から取り出すと、太陽にかざした。反射した鋭い光に、エリアは眩しそうに眼を細めた。表には女神の横顔が描かれており、裏には整世教会のシンボルが彫られている。
「その貨幣を発行した元が、硬貨の価値を保証しているからだ。エルド硬貨の場合は整世教会だな。こんな組織がその硬貨では小麦が三袋買えますよ、とかを決めて、価値を付随しているんだ」
大事なのは、金貨一枚で何ができるか、何が買えるかなのだ。もし一枚で一ヵ月も宿が借りれるならば、一ヵ月分の価値がある。この価値をみんなが信じているからこそ、教会がその価値を保証しているからこそ、ただの金貨がどこでも使えるのだ。
だからこそ、もし人々が一斉にその価値を疑い始めたら、金貨は石ころ当然になるだろうし、教会の権威も地に落ちる。教会が凄いのは、そんな繊細な市場操作を連綿と続けてきたからである。
「変な話じゃの」
「俺も最初は不思議な話だと思ったが、旅をする内にわかるようになる」
といっても、こんな知識の出所は殆どが、今はいない味方の魔術師によるものだ。彼女は俺よりも幼いのに、頭の中に図書館でもあるのかと疑うほど、多くの知識があった。そんな彼女から道中に様々なことを教わっていたから、世間知らずだった俺でもこうして旅に関することを逆に教えられるのだ。
まあ、受け売りの知識のためにこのままだと綻びが露見するかもしれないし、無理やり話を纏めようとすると、エリアは首を傾げた。
「うぬ? ……今更なのじゃが、なぜこんな硬貨が使えるのか?」
「どういう意味だ?」
「あやふやであるが、先ほどの話を使えば極論、金貨はただの石ころに装飾が施されているだけ。教会が価値を付随しているからどこでも使える、ということじゃろ? ならば、ただの紙切れであっても、同じことができそうじゃ。為替取引に似たものを感じる……」
「お、おい」
制止の声を掛けるが、エリアは自分の世界へ入ってしまったようだ。理解するのが難しい、言葉を続ける。
「そもそも、なぜ偽物が出回らぬのか。確かに装飾が複雑じゃが、この程度なら妾のような高位の魔術師なら簡単に加工できる。特殊な魔法が掛かっているわけでもない。なのに、偽物が出回っているなんて噂なんて聞かぬ。神々が見ているから? それだけで欲望の制限は不可能そうじゃが……」
意味が半分以上わからないから、理解を諦める。
ぶつぶつと呟くエリアは自ら進もうとしなくなったので、俺はその腕を掴んで引く。それでも反応しない。しばらくすれば、戻るだろう。
そう判断して、エリアを連れて暫く歩いていると、目的地であった冒険者ギルドへ着いた。
冒険者ギルドとは、名前のように冒険者を雇い、依頼による取引を行う組織だ。例えば魔物が発生したら依頼を発令し冒険者に倒してもらう。魔物の解体、素材の売却をしてもらい手数料を引いたその代金を冒険者に渡す。
依頼には魔物討伐だけでなく素材の採取や市民のお願い事など幅広く、それに対した代金が毎回支払われる。日雇い労働者みたいなシステムだ。
「ここが冒険者ギルドだ。魔界側にも同じような機関があるから、説明しなくもいいだろ?」
そう話し掛けると、自分の世界にいたエリアは、はっと我に返りきょろきょろと見渡し、自身がいる場所と現状を把握すると、こくりと頷いた。
「……うむ。じゃが、なぜ冒険者ギルドに来たのかや? 魔物でも狩るのか?」
「まあ、人界での通行証みたいなものを作りに来ただけだ」
俺の目的は、エリアの冒険者登録証を作成すること。このフロゥグディにはすんなりと入れたが、他の大きな街にもなると、身分を証明するものが必要になる。だから、魔王エリアの登録証はここで造らなければいけない。
同時に、俺は勇者としての冒険者登録証は所持しているが、身分を隠さなければいけない以上、新たな冒険者登録証が必要だ。
もちろん、普通の冒険者ギルドでは魔族が人界側の冒険者登録証なんて造れないだろうが、ここフロゥグディでは色々と甘い。それなのに、事件が少ないから不思議だ。
「凄い……」
俺がその扉を開けると、隣のエリアがそう声を漏らした。無理もない。狭い店内には人界の冒険者も、魔界の冒険者も乱雑していて、熱気が溢れていた。彼らのほとんどは鎧や盾を装備していて、中々に物騒だ。ここなら俺の白服に長剣も軽装の部類に入るだろう。
迷わずに奥の受付カウンターに行き、作業していた受付嬢に話し掛ける。
「すいません」
「あっ、はい。統合ギルドへようこそ、冒険者さん。今回は依頼のお探しですか?」
「いえ、初めてなので、冒険者に二人でとうろ……」
登録しようと思って、と続けようとした時、大切なことを思い出した。
「ごめんなさい、用事を思い出したので、一度出直します」
そう言って、不思議そうな顔をしたエリアを連れで、ギルドから出る。僅か数十秒の滞在。受付嬢からは怪訝な視線を向けられたが、これは仕方のないことだろう。
俺はギルドから離れるなり、小声で尋ねた。
「おい、エリア。お前の最大魔力量はいくらだ」
「だいたい八百ほどだ」
「やっぱりか……」
俺は驚きながらも、納得していた。
やはり魔王だ。俺とは比ぶべくもないし、しかも仲間の魔術師よりも随分と勝っていた。
それよりも、どちらにせよ冒険者登録証を造りに行けなくなった。
商人や硬貨の話と同じように、冒険者登録証にも信用がある。だからこそ、広く人界で使えるのだが、それなら、他の人の登録証を借りた場合は使えるのだろうか。
答えは、否である。
「冒険者登録証は個人である保証をするために、最大魔力量を細かく測定して記録する。その時の魔力量と違って最大魔力量は個人でばらばらだし、加護などの例外を除けば、生涯で変わることがないからだ」
「ふむ」
「また、ギルドにはその最大魔力量を計測する古代遺物が存在する。これで計測する限り、隠蔽や改竄は不可能だ。つまり――」
「つまり?」
「そんなデタラメな数値を提示したら、お前が魔王だって即座にバレる」
逆に、俺の場合は身体能力が高いだけで、最大魔力量は百五十と平均よりやや上らへんだ。だから、勇者だとわからないだろうが、魔王エリアの場合はそうもいかない。俺の五倍以上の魔力量が大問題になるのは自明だ。
「それに考えてみれば、魔族が人界の街に入るなんて不可能だろ。赤い瞳に尖った耳、フードを深く被って誤魔化してもいいが、怪しいことこの上ない。そもそもエリアはどうやって潜入するつもりだったんだ?」
そんなことを説明すると、エリアは「考えがある」と言って、にやっと怪しい笑みを浮かべたのだった。