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リメイク中作品  作者: 沿海
2章 汝は何を望み、誰が為に戦う165745
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49 吟遊詩人の覚悟12844

「あの、どこへ向かっているのですか?」

 わたし――吟遊詩人セシリスは眼前で先導する男に問い掛けました。

 くすんだ金色の髪を獅子王のように切り揃え、わたしの胴体ほどもある太さの大剣を腰に差した男は、歩みを止めてのっそりとした動作で振り返ると、わたしの顔を見ました。

 とびきり、というわけではありませんが、わたしは女性の中ではそこそこ長身です。しかし、男は比べ物にならない熊のような巨躯ですから、意図せずとも見下ろされる形になってしまいます。無意識に気圧されてわたしが後退ると、男は心配させないようにと鋭い眼光でありながら優しい声で答えました。

「すぐにわかることさ、セシリス。俺の主が待っている」

 詳しいことは教えてくれませんでした。男はそれだけ答えると、再び踵を返して、廊下を進みます。

 わたしは男にわざと聞こえるように、嫌味たっぷりの溜息を付きました。はあ、と。

 この面倒ごとが舞い込んだのは半刻ほど前のことですが、全てはずっとずっと前から関係していたのかもしれません。

 三週間前のことです。わたしはこれでも戦場の歌姫と呼ばれるそれなりに有名な吟遊詩人で、世界各地を渡り歩くのが仕事のようなものです。ここ数年は人族でありながら魔界を巡っており、その日は里帰りをしようと、異種族の緩衝地フロゥグディまで戻ってきたのです。それが運命の悪戯だったのか。珍しい経験も多々あるわたしでも想定外のことが起こったのです。

 突然変異でもしたのかと疑うほど強力なニードルベアが現れ、それを打ち破った冒険者。颯爽と現れ、純白のマントを翻し、流星の如き剣技を繰り広げた様子は、今もこの脳裏に深く染み付いています。彼は冒険者エイルと名乗ったそうです。しかし、暫くして何の因果か最恐の魔術師アガサと出会い、ニードルベアを倒した冒険者の正体が七代目勇者エイジだと気付いたわたしは、彼が向かったとされるここ鍛冶の街コズネスへ出発したのです。

 聞きたいことが沢山ありましたから。どうして魔界にいるはずの勇者がこんなところにいるのか。残り二人いたはずの仲間はどこへ行ったのか。彼と行動を共にしていた黒髪の少女はいったい何者なのか。

 一週間かけて辿り着いたコズネスでは、面白い噂を耳に挟みました。少し前に伝説とも言われる炎龍イグニスドラゴンその幼体が現れ、とある冒険者が激闘を繰り広げながらも何とか追い返したという噂。いわく、黒い風のように燃え盛る戦場を駆け抜けたとか。いわく、彗星のように輝く突き技が炎龍イグニスドラゴンの胴体に風穴を開けたとか。かつて大国を滅ぼしたという炎龍イグニスドラゴンさえ追い払ったその冒険者は名乗らずに去ったそうですが、そんな噂を集めると集めるほど、勇者エイジが冒険者エイルとして人界に戻ってきた、というわたしの仮説に信憑性が出てきたのです。もちろん、吟遊詩人としての矜持で、本人に確認も取っていない真偽の定かではない噂を自ら語ることはしませんが、不特定多数から得たほとんど事実として断定できる情報を冒険者エイルの物語として纏めたのです。

 コズネスに滞在していれば彼と会えるかもしれないという希望的観測で、方向音痴なため迷路のような道に迷いながら、また一週間ほど吟遊詩人の活動を行いながら留まっていた時でした。アルベルト騎士団が戦の準備を始めたのです。

 どうやら地霊族が攻めてくるというのです。

 地霊族は魔族の中で割と有力な種族で、人族と比較すると何倍もの身体能力を有し、しかし魔法が一切使えないという、少し変わった種族です。そんな彼らがコズネスへ向かって進軍してきているというのです。

 わたしは信じられませんでした。わたしは人族ですが、吟遊詩人として魔界も巡ってきました。彼ら地霊族の村にも一度訪れたことがあります。ですので、彼らが異種族に寛容で争いごとを好まない性格だと知っているわたしは、とても信じることができませんでした。

 しかし、つい昨日。その情報は現実となったのです。

 南西方向の城壁外で展開し睨み合う地霊族軍と連合防衛軍。一触即発の空気は簡単に弾け、両軍は正面から衝突しました。

 わたしは戦場の歌姫という異名にあるように、武術の心得はそれなりありますが、巻き込まれるのは不本意だったため、遠目での見物だけに止めました。しかし、やはり見付けたのです。あの冒険者の姿を。

 そこからは怒涛の展開です。七代目勇者エイジだと思われる冒険者エイルが地霊族族長らしき人物――確かファイドルという名前だったはずです――と目にも留まらぬ速度で剣を斬り結び、圧倒的な実力差を運さえ味方にして辛くも引き分けると、次の瞬間には、空一面を覆いつくさんとする量の魔法陣が宙に浮かび、唐突に凛とした声が戦場に響き渡ったのです。

 ――皆の者、よく聞くがよい。妾は十二代目魔王、霹靂の魔王エリア

 魂が抜け出るかと思いました。霹靂の魔王は、僅か八歳で魔王の座を引き継ぎ、先代魔王暗殺が起因となる内乱をたちどころに収め、誰もが到達しえなかった八重魔法(オクタプルクラフト)を成功させたという、歴代最強魔王と名高い魔王です。ですが、なるほど。視界一杯に広がる魔法陣の花を見れば、歴代最強と呼ばれるのも理解できます。それは声を拡散させるためのもののようですが、もしこれが攻撃魔法だったら。この戦場は跡形もなく粉塵に帰すことでしょう。

 全員が呆然とする最中、魔王エリアは双方共に代表者を遣わして、落としどころについての交渉会議を行うようにと指示したのです。逆らう者はいませんでした。てきぱきと戦場に天幕が張られ、それぞれの代表者が集まったのです。まるで事前に打ち合わせをしていたかのように。ちなみに、言うまでもなくわたしは部外者なので、その会議に参加することは無理でした。残念です。

 全てが終わり、地霊族が自分たちの村へ向かって去った後のことです。わたしは広場で開かれた臨時の酒場へ、多角的な視点の情報を得るために来ていました。騒動の中心となった騎士団隊員も多く、酔いが回って饒舌になっているので情報収集は簡単です。すると以外な事実が次々と判明しました。事前に勇者と魔王が介入することは説明されていただの、大量の魔法陣は魔王と最恐の魔術師が協力して生み出したものだの。やはり冒険者エイルは勇者エイジだったわけですが、全く状況が理解できません。事実だけを整理すると、わたしが見た黒髪の少女が魔王エリアで、どうしてか彼女と勇者エイジは共に人界へ戻った。その後を追って最恐の魔術師アガサもコズネスへ来た、ということでしょうか。

 そうやって酒場の端で歌を披露しながら、地道に詳しい情報を集めていた時でした。

 ――戦場の歌姫セシリスだな、付いてこい

 いま眼前を歩いている屈強な男が話し掛けてきたのです。

 男はアルベルト騎士団師範長という肩書きを持ち、名をアングリフという者です。彼は――いえ、彼の説明をする前に、アルベルト騎士団について簡単な説明をしましょうか。人界ではもう知らぬ人などいない組織ですが、その成り立ちまでをご存じな方は少ないですから。

 七十年前。大地融合が起こり、それまで互いに認知していなかった人族と魔族が戦争を始めました。整世教会は『争え、奪え、魔族の血で世界を染めろ』という神託で積極的な侵略を推奨しましたが、しかし、人族は魔族に比べて身体能力も魔法技術も劣っていたのに加えて、侵略に戦力を回すことで魔物に対する備えが足りなくなったのです。そこで『戦火から民を守る』という方針を掲げた互助組合が初代総長によって設立され、後にアルベルト騎士団と転じて大陸中に広まったのです。

 今では整世教会に次ぐ権力機構として大陸に名を轟かせています。人界には四方にそれぞれギアーデ帝国、フォスレン王国、ルベルク共和国、マルセル公国という四大国があり、間を埋めるように小国が立ち並んでいます。騎士団の本部はルベルク共和国に位置していますが、その存在は国という枠に収まらないものとなり、その総長ともなれば整世教会の教皇に匹敵する権力があるのです。

 そして現在の総長オリバー・アルベルトの補佐的な立場にあり、全隊員へ命令する権限を行使できるのが騎士団師範長、アングリフという男なのです。

 そんな彼に呼び出されるような心当たりなんて、わたしにはありません。

 しかし、断ればどうなるか。そもそもわたしの立場上、決して断ることができません。

 わたしは仕方なくその背中を追い続けるしかないのです。

 もちろん、わたしにも落ち度があるのです。アングリフがコズネスの支部長を任されている立場だとは既に聞き及んでいたのですから、わたしがこの街に入った時点で、その情報はいずれ彼に伝わってしまうのは当然なのですから。

 それに、利点もあります。アングリフは今回の中心人物になります。ですので、彼に付いていけば詳しい話を聞けるかもしれません。吟遊詩人としてそんなチャンスをみすみす逃すことは許されません。

 ですが、それでも夜中に呼び出すとは何事でしょうか。今は第五の刻です。商業区ではまだ騒ぎが収まっていませんが、市街地は誰もがいまだに寝静まっている時間帯です。今日でなく、明日にすればよかったのに。そんなことを思いました。

 閑散とした市街地を街灯頼りに進み、方向音痴なわたしには真似できないほど滞りなく迷路を攻略し、遂には勝手知ったるなんとやらの如く騎士団支部の建物へずかずかと踏み込んでいき、最終的にアングリフは大きな扉の前で立ち止まりました。

「ここだ」

「……ここは?」

「俺の執務室だな。……今は違うが」

「?」

 その言葉の意味をわたしが把握するよりも早く、アングリフは重厚な木製の扉を開け放ちました。

「邪魔するぜ」

 部屋の奥から返事が聞こえました。

「邪魔はしないでほしいかな。……ああ、ちょうどいいところに来たよ」

 声の主が視線をアングリフからわたしへと移しました。

 その姿を見た時、わたしは驚き過ぎて咄嗟に言葉が出ませんでした。

 太陽のように僅かな曇りもない金髪に、世紀の彫刻家が丹精込めて造ったような整った顔立ち、見る人を魅了するような輝く山吹色の瞳。

 あるいは、これも予想できたのかもしれません。

 アングリフは「俺の主が待っている」と言いました。彼は騎士団総長に次ぐ実質ナンバーツー。ならば、彼の主とは騎士団総長に他ならないのですから。

「久しぶりだね、セシリス・アルメリア」

「お久しぶりです、お――」

「久しぶりだね、セシリス・アルメリア」

 オリバーは遮るように言葉を被せました。しかも、何故か同じ言葉です。

 はっとしたわたしは、執務室をぐるっと見渡しました。すると、わたしとアングリフと金髪の青年だけではなく、部外者であるはずの顔が若干二名ほど混ざっていました。空色短髪の少女と、少し小太り気味の商人らしき中年男性。片方の少女は少なからず見知っていますが、商人らしき男性は見覚えありません。

 ですが、なるほど。どこか青年の言葉に圧を感じる理由がわかりました。

「――お久しぶりです、オリバー・アルベルトさん」

 オリバー・アルベルト。三代目騎士団総長であり、本来ならば本部が構えられているルベルク共和国にいるはずの最重要人物で、滅多なことがない限り他の国へ移動しないはずです。なのにどうしてギアーデ帝国の、しかも最前線であるはずの城郭都市コズネスにいるのか。そんな疑問は心の中に留めました。

「うん、それでいい。夜中に悪かったね、何せ急な話でさ。……さて、こうして偶然に偶然が重なり、予想外の主役までこの街に揃ったことだし、始めようか。まず簡単に自己紹介をしよう。とはいっても、セシリア、君と彼ら二人だけのだけれどね。僕とアングリフの紹介は必要ないだろう?」

 室内の全員が頷いたのを確認して、オリバーはわたしに手を向けました。

「こちらは戦場の歌姫とも呼ばれるセシリス・アルメリア。人界と魔界を巡り歩き、収集した歌を各地に届ける吟遊詩人だ。僕とは古くから交友があり贔屓にさせてもらっている。近年は行方知らずだったのだけれどね、二週間ほど前に城門を通ったとの連絡があって探させていたんだ。でも、広い迷路の中から迷った子羊を探し出すのは難しくて、二週間掛けてやっと見付かった。彼女の性格からするとこの騒ぎで表に出てくるのは想像できたしね、楽をさせてもらったよ」

 わたしの紹介だったはずですが、途中からわたしが呼び出された経緯の説明になりました。方向音痴を暴露されて不服です。内心で頬を膨らませます。

 確かにわたしは方向音痴ですが、悪いのはこの都市の構造です。魔族の侵攻に備えて設計されているため、迷路のような通路が多く、とても道を覚えられないのです。一度迷えば一週間は出ることができません。わたしは悪くないのです。

 気持ちを切り替えて、わたしは二人に礼をすると一歩前へ踏み出しました。

 吟遊詩人をする上で大切なことは、どんな状況でも気後れせずに堂々とすることですから。

「ご紹介に与かりました吟遊詩人、セシリス・アルメリアです。融合した大陸を遍く渡り歩き、各地に伝わる伝説や英雄譚の収集と伝達を生業としております。剣の覚えは多少ながらありまして、これでも上級冒険者としても活動させていただいてます。以後、お見知りおきを」

「ありがとう。では、次に彼女だ」

 オリバーは次にこの場で最も幼い少女に手を向けました。

「彼女は最恐の魔術師と名高いアガサちゃん。整世教会所属で勇者パーティーの一人として魔界へ旅立っていた。今はかくかくしかじかな理由があって、行動を共にさせてもらっている。……ああ、もちろんアガサちゃんは教会の指示に抗えない立場にいるけれど、かくかくしかじかな理由があって、今は女神の束縛から限定的に離れている状態みたいだね。だから、突然攻撃されたりする心配はないよ」

 最強の魔術師アガサ。

 かつては孤児だったようですが、幼くして教会に引き取られ非人道的な洗脳教育を受け、兵器として育てられた少女です。教会に仇なすものを指示されたままに暗殺する。悪人からは徹底的に嫌われて付いた異名が最恐の魔術師。

 わたしも本当は彼女と会いたくありませんでした。魔族とも交流を持つわたしは教会にとって明確な敵なのですから、いつ瞬殺されてもおかしくありませんでしたから。

 信頼できるかどうか、その判断をするために最も重要な内容が意図的に端折られていますが、それでもわたしの信頼するオリバーが心配ないと言いますし、既にフロゥグディで一度顔を見合わせた時にそんな節はなかったので大丈夫でしょう。それに、わたしがコズネスへ来ることになった原因の一つが彼女にあったのですから、いずれにせよ魔術師アガサには会わなければいけなかったのです。

 記憶通りなら今年で十六歳になるはずの彼女は、そうとは思えないほどの幼い低身長で、その可愛らしく首を傾げながら、しかし人形のような極まった無表情で言いました。

「わたし、アガサ。特に紹介するような自己なんてない。よろしく」

「ええ、アガサさん、よろしくお願いしますね。貴女は覚えておいででなさらないかも知れませんが、わたしは以前に貴女とお会いしたことがあります。その時に預かっていたものをお返ししますね」

 わたしはそう言いながら、収納魔法から一枚の硬貨を取り出すと、少女に手渡しました。

「――せっ、聖金貨!?」

 隣にいた商人が唖然としました。

 紺碧色の輝きを宿すそれは、人界で最も高い価値を持つ聖金貨です。聖魔白銀とも呼ばれる伝説の金属オリハルコンで作られた硬貨で、希少価値があることはもちろんのこと、普通は大商会や国家が大口の取引を行う時に用いるものです。わたしがアガサからこれを貰ったのは、彼女に冒険者エイルの行き先を伝えたからです。たったそれだけで、一枚で小国を変えるほどの大金が渡されてしまったのです。そのため、わたしはこれを返すために、彼女を探さざるを得なくなりました。

 アガサは手中に収まった聖金貨を照明にかざしたりしてまじまじと見ると、ぼそっと言いました。

「……いらない。もうあげたものだし」

 わたしの手の上に聖金貨が戻ってきたため、思わず声を荒げました。

「渡されても困ります! これは一枚で幾人の人生を狂わせることができるものですよ! 簡単に他人へあげていいものではありません! このようなものを渡すなら、大商会の会長にでも渡してください!」

 わたしがそこまで捲し立てると、横から恐る恐る手が上がりました。

 見ると、小太り気味の中年男性がだらだらと汗を流しながら話し掛けてきます。

「……あのー、もしよろしければなんですか、その聖金貨を私にくれませんか? ほら、私これでもそれなりの商会の会長ですから?」

 商人ですから聖金貨の輝きに目を奪われるのは必然なのでしょうあ。しかし、わたしはその要求を飲めません。

「無理です! よく知らない相手にそんな貴重なものを渡せるわけないじゃないですか! そもそも貴方はどこの誰なんですか!」

 わたしがそこで息継ぎして続けようとすると、オリバーが手で制しました。

「じゃあ、僕が紹介するよ。彼はコズネス有数の大商会の会長をしているベゼル・アベリア。彼が運営しているベゼル商会は魔界で自ら仕入れた商品をコズネスで売る、他の商会にはとても真似ができないような方法でここまで規模を拡大させた。もちろんその販路は騎士団の協力なしに認められないものだし、創立時は僕自身が関わって恩を売ったからね。大商会の会長でもこうして簡単に呼び出せる」

「……恩ほど高いものはありませんからね」

 だらだらと汗を流しながら、ベゼル・アベリアは言いました。

 彼の名前は、魔界にいた時に聞いたことがあります。人族のくせに魔界まで一人で来て商品を仕入れる変わった商人がいる、と。コズネスの巷でもベゼル商会の名前を聞いたことがあります。自負するように、それなりの商会の会長なようです。

 しかし、商会の会長であるのにも関わらず、部下に命令して行わせるのではなく、自分で魔界に出向いて仕入れをするとは。危険も多いはずなのに、珍しいですね。わたしと同じ種類の人間かもしれません。好感が持てます。

「では、改めまして私はベゼル商会会長のベゼル・アベリアです。商人たるもの自ら出向き自ら商いするべし、とのモットーで商わせていただいています。歌姫セシリス殿の噂はかねがね。いつかお会いしたいと思っていましたので、本日はラッキーですね。……というわけで、友好の証としてその聖金貨をいただけないでしょうか?」

「へ? ……むっ、無理ですよ!」

 途中まで凄い人なんだ、と思いながら聞いていたので、無意識で頷きそうになりました。やはり商人ですね、知らぬ間に騙されそうになりました。わたしは気を引き締めました。

「残念です……。粉骨砕身で商会の発展に尽くしてきましたが、まだ聖金貨を持ったことはないんです。夢を叶える機会でしたが、今回は諦めましょう。…………では、代わりにおひとつお願いしてもいいですか?」

「なっ、なんですか?」

 自覚できるほど冷ややかな視線と冷たい声。それを前にして、商人ベゼルはにこっと笑いました。

「友好の証で、握手をしましょう。これならいいでしょう?」

 そう言いながら、商人ベゼルは右手をわたしに差し出してきました。

 もう少し難しい要求がされると予想していたのですが、まあ握手くらいなら、と。

 断らずに握り返そうとしてから気付きます。

 記憶が正しければ、これは譲歩的依頼法かもしれません。大きな要求をして断らせ、その後の要求を有利にすすめることができるという交渉術の一つです。昔、知り合いの学者が使っていた手口なので覚えていました。なるほど、流石に聖金貨は渡せられないけれど握手ぐらいならいいか、と確かに考えていました。しかも注意深く観察すると、だらだらと流れていたはずの汗は既に止まっており、それもわたしの判断を欺くための演技だったのでしょう。やはり商人は侮れません。

 もとより握手は心理的に難しくないものですが、しかし、相手は商人です。

 商人にとって握手は特別な意味を持つのです。

 それは契約合意の意味があったり、武器の不所持を示すためであったり、仲間であることを認め合うためでもあったり。とにかく、一般的な握手とは異なり、商人がする握手には何かしらの特別な理由があるのです。ですので、このようにほいほいと握手をしようとするのは、何か裏に隠された意図があるのかもしれません。

 わたしが手を伸ばさずに、商人ベゼルの掌をじっと見ていると、彼は苦笑しながら言いました。

「そんなに警戒なさらずともいいですよ。……ただ、安心しました。セシリス殿が誰でも簡単に信用してしまうような方ではなくて。これなら共に旅をしても大丈夫そうですね」

 気になる単語が混ざりました。

「……共に旅? なんですかそれ?」

 わたしが聞き返すと、ぱんっ、と突然オリバーが手を打って、乾いた音が響きました。

「さて、自己紹介で親睦を深めたところで本題に入ろうか。セシリス、君をここに呼び出したのは頼みたいことがあるからさ」

「頼みたいこと?」

「うん。ところでそもそもセシリス、君のことだから冒険者エイルとその隣にいた少女の正体について、思い当たりぐらいあるんだろう?」

「そう、ですね……冒険者エイルが七代目勇者エイジで少女が十二代目魔王霹靂の魔王エリアということは客観的事実と聞き込みで目星が付いています」

「うん正解だよ。だけど流石の君でも勇者と魔王が同行することになった経緯までは知るまい」

「はい」

「では、教えてしんぜよう」

 オリバーは最初から語りました。全ての発端は四週間前のこと。勇者エイジの元に魔王エリアが現れ、本来は敵であるはずの彼を説得し、世界平和という自らの夢のため仲間に引き入れると、まずはフロゥグディを訪れたそうです。そこからはニードルベアや炎龍イグニスドラゴンとの戦闘、そして地霊族族長ファイドルとの戦いと続くわけですが、そこはほとんど想定通りの流れでした。

 しかし、何よりも興味深いのは、やはり勇者エイジが魔王エリアの説得に耳を傾けた、ということでしょうか。勇者エイジは幼い頃に彼の故郷を魔族に滅ぼされています。その憎しみから勇者となり、復讐のために魔界へ飛び立ったはずです。もしかしたら途中で魔族を殺すことに罪悪感が生じたかもしれない。しかし、誰よりも責任感の強かった彼は決して止めなかったでしょう。現に彼が滅ぼした村や街の数は片手で収まりませんし、彼自身が殺した魔族は千を超えると聞きます。そんな彼が宿敵である魔王の説得だけで絆されるとは流石に思えません。そこには別の何かがあるはずです。

 とはいいますが、結局のところ勇者エイジは魔王エリアと共に行動している事実は変わりません。

「そんなわけで彼らは世界平和を目指して活動している。対して我らがアルベルト騎士団は君の知る通り『戦火から民を守る』が指針だ。つまり、戦争はないことに越したことはないんだよね。だから先代魔王との交渉もあったことだし、僕は自分の夢を叶えるために、ある計画を進めていたわけだ。そこに勇者と魔王という卓越したジョーカーが現れた。利害は一致するわけだし、僕は彼らに協力することにしたわけだ。そして彼らも僕に協力する」

「……何をするわけですか?」

「僕たちは世界平和を実現したい。でも、整世教会は魔族を排除したい。どう考えても僕たちにとって教会は邪魔者になるし、必ず衝突することになるだろう。武力的には僕たちが負けていることはないだろうけれど、民意は教会に向いている。例え僕たちが勝っても内戦時代に突入してしまうのは想像に難くない。――そこで僕たちは十二代目魔王霹靂の魔王エリアには、アルベルト騎士団本部が位置するルベルク共和国ヴァルナへ来てもらう」

「…………なるほど。演出した誠意で教会中心的な巷の考えを一気に覆すのですね」

 わたしが言うと、オリバーは我が意得たりと指を鳴らしました。正解のようです。

「その通り。対して、七代目勇者エイジには別の仕事を頼むつもりなんだ。セシリスはドロッセルという魔界の街を知っているかな?」

「ええと……」

 言葉に詰まりました。わたしは百を超える村や街に訪れているため、記憶の底から一つの名前を思い出すには時間が掛かるのです。ましてや、一度も訪れたことがない街でしたから。

 群雄都市ドロッセル。魔界のちょうど中心に位置する街で、魔界では珍しい完全に開放された都市です。記憶通りならば、そこは弱肉強食を絵に描いたような街で、強ければ強いほど偉いとされ、実力ある強者を歓迎すると聞きます。なんでも、毎年の秋ごろに統一武人選抜会なる試合というものを開催するというのです。治安は悪いわけではないらしいのですが、流石に女性一人で訪れるのは考えものですので、わたしはまだ行ったことがありません。

「ドロッセルは人族と魔族の戦争には参加していない。彼らは彼らの中だけで切磋琢磨するのが趣味みたいだからね。だけれど、もし参加したら簡単に戦況が押されてしまうし、戦争が激化するのは自明のことだよ。彼らは全員が戦闘好きだからね、被害は甚大になるだろうね」

「つまり、交渉で味方にする余地があると考えているのですね。成功すれば心強い味方になりますし、失敗しても不干渉の確約を取れれば、不確定要素は排除できますし。そしてその使者に七代目勇者エイジさんを選出するということですか。……しかし、彼らが勇者を歓迎するとは限らないと思うのですが」

「人族だから、という点は問題ないだろうね。実力至上主義の彼らならば逆に、非力な人族なのに割と強い、みたいな落ち着くはずさ。エイジ君の成長は目を見張るものがある。彼ならきっと上手くことを進めるだろう。でも、勇者として多くの魔族を殺してきた過去は消えない。家族を殺された者もきっといる。交渉自体に行き着かないかもしれない。そこで君たちの出番だ」

「?」

 わたしは首を傾げました。

「戦場の歌姫セシリスと商人ベゼル・アベリアは魔界で中立の存在としてかなり名が知られている。魔族だろうと分け隔てなく接し、良好な関係を築いてきた。君たちなら問答無用で攻撃される心配は限りなくないだろう。だから、君たち二人にはエイジ君よりも早くドロッセルに行って、彼が敵ではないことを説明してほしい。その後、合流したエイジ君を交えて同盟が結べられれば最上だ」

「そういうことですか……」

「もちろん強制ではない。そもそもセシリスの存在もエイジ君の存在も想定外だったんだから。今回は偶然にも君が戻ってきていただけだから、君が参加しなくても不都合はない。元々はベゼルに協力してもらって、僕の書状を届けてもらうつもりだったんだ。それも何年も掛けてね。計画を進めていた時に君たちが戻ってきたから、計画を前倒してより成功率の高いものに変更しただけなんだ。だから、断ってもらっても構わない」

 わたしを気遣ったオリバーの発言に甘えて、わたしは考え込みました。

 わたしが吟遊詩人として活動を始めたのは八年前です。幼い頃から楽器の演奏と物語と歌が好きで、両親から唯一餞別として贈られたキタローネがあったため、吟遊詩人として生きることを決心したのです。そこから人界で四年間ほど渡り歩いて下積みをして、そこからまた四年間ほどフロゥグディ経由で魔界に入って活動して、節目となる本年を迎えたため人界に戻ろうとしていたのです。

 本来の予定であれば、またギアーデ帝国などの四大国を巡りながら故郷にも訪れて、暫く人界に留まるつもりでした。しかし、オリバーの話に乗れば、魔界へトンボ帰りするのみならず、また何年も人界を留守することになります。群雄都市ドロッセルは魔界のちょうど中心で、普通に移動するだけでも片道一年は見積もらなくてはなりません。そして話を統合すると、道中は商人ベゼルと四六時中ずっと共に行動することとなるのでしょう。

 どうしたものか、と頭を悩ませます。

 わたし個人としては断りたくありません。ドロッセルへ行ったことがないため興味はありますし、わたしはオリバー・アルベルトに恩がありますから。彼はかつてわたしの命を二度も救いました。彼のおかげでわたしの存在は世界に許されたのです。オリバーは恩を笠に着るつもりはないのでしょうけれど、彼が何かをしようとするならば、手助けしたいと思うのは当然でしょう。

 覚悟は決まりました。おもむろに言葉を紡ぎます。

「……わかりました。わたしが協力できるなら喜んで」

「ありがとう! 君が協力してくれるなら心強いよ。――ああ、もちろん出発は明日すぐなんてことはない。数日は旅の疲れを温泉で癒して、しっかりと準備もしてもらえればいい。僕はその間に書状を纏めておく。完成次第で君たちは二人で出発してほしい。ベゼルもそれでいいかな?」

「私は問題ありません」

「ではそろそろ解散しようか。夜明けも近くなってきたし、流石に一睡ぐらいはしなければ戦後処理の業務に支障が出るしね。セシリスの部屋も用意してある、案内しよう」

 オリバーが執務机から立ち上がりました。

 そういえば、そろそろ第七の刻になりそうです。自覚してしまうと、一気に眠たくなってきました。睡魔が瞼の裏で嗤っています。普通の身体は不憫ですね。身体能力関連の加護がある者は寝なくても問題なく活動できるそうで、羨ましい限りです。

 それにしても、結局この聖金貨はどうすればいいのでしょうか。最後まで言及がありませんでした。オリハルコン製の大商会が大口の取引で使うような硬貨です。わたしには到底似付かわしくありません。が、どうしてかわたしの掌に握られたままです。どうしましょう。

 考えた挙句、眠気で深いことが考えられないので明日に決めようと思い立ち、収納魔法へ落とそうとしたその瞬間――



「なんですか、あれは……」

 凄まじい光の奔流にわたしは驚きました。

 室内を満たしたその光の出元は、窓の外です。

 夜明けにほど近いですが、まだ暗闇が支配している世界に、突如、立ち昇る光の蜃気楼。煌めくそれは、ゆらゆらと揺れながら闇空へ吸い込まれるように立ち昇ります。

 朝が早い商人ですら眠る時間帯ですから、その光景を見ているものは、わたしたち以外に誰もいないでしょう。しかし、一目でも見れば、心に残り続ける幻想的な光景。わたしの吟遊詩人八年の人生でも見たことがありません。

 光のリボンが幾重にも交じり合い、上空へ融け消えていきます。

「……魔法か?」

「違う。魔力は感じられない。でも、何か別種の力を感じる」

 オリバーの問いとアガサの答え。正体は専門家でもわからないようです。

 しかし、直接的な害を及ぼすことはなさそうでした。事実、その光が完全に消えた後も、何も起こるような気配はありません。

 ですが――どこか嫌な予感がしました。あれは祝福を表す光ではなく、破滅を表す光なのだと、どこかで感じるのです。

 わたしがその予感を言葉に表すよりも早く、アガサは窓を開け放って飛び出すと、出元に向かって走り去ったのでした。


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