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リメイク中作品  作者: 沿海
2章 汝は何を望み、誰が為に戦う165745
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47 暗く濁る瞳の少年2999


 黒い瞳が、世界を映した。


 まるで生きる目的を失ったかのような曇り切ってしまった瞳だ。そこに光はなく、ただ虚ろな暗闇だけが広がっている。

 その少年は、今日もまた燃え盛る村を歩いていた。成人したばかりのようにも見える少年は、ただの人形へと成り果てていた。もちろん人形は比喩であり、エイジと呼ばれる彼は人族である。

 しかし、視界へ入る生きしもの全てを命令のままに躊躇いなく殺すその姿は、自我を持たない人形と揶揄するのが当然だろう。

 三年前まで、エイジは魔族を殺したことがなかった。でも、ある少女を殺してしまったのが契機だった。実際に死んだのを確認してはいないが、あの日、エイジの中にあった何かが確実に壊れたのだ。世界平和を目指すという勇者の建前は既に捨てられ、ただただ命じられるがままに殺戮を繰り返すようになった。

 少年は世界の残酷さを知らなかった。知らな過ぎた。戦争の前で命の価値は安い。整世教会にとって敵である魔族はもってのほかだった。少年がどう思っていようと、殺戮だけを命じられた人形に抗うすべはない。

 理不尽で、不条理で、非合理で、逆らいようがない暴力が、また新たな犠牲者を増やす。血が飛び散る。赤子を庇った母親は、背中から剣を貫かれて死んだ。その死に顔は苦しく悲しく憎しみに溢れている。母親に庇われていた赤子は甲高い泣き声を響かせるが、やはり、その剣の一突きで頭部を破壊された。

 そこに慈悲など何もありやしない。なぜなら、彼らはエイジにとって敵であるから。魔族である限り、大人も子供も関係ない。殺すだけの対象で、復讐の対象であるだけだから。

 復讐、それがエイジの心を保つ最後の砦だった。かつて魔族は故郷を滅ぼした。理不尽で、不条理で、非合理で、逆らいようがない暴力が、故郷シレミスを襲った。かつて彼らは父と母を殺した。苦しく悲しく憎しみに溢れた死が両親に訪れた。だから、復讐する。もちろん実際に故郷を滅ぼした魔族らは、既にアルベルト騎士団によって討伐されている。ゆえに、エイジが殺しているのは罪も何もない無垢な一般人だった。

 ならば、そんな一般人を殺している俺はただの人殺しなのではないか?

 そんな邪念を押しやるために、復讐、そんな二文字の建前を使う。これは復讐だ、復讐のために剣を振る。何が悪い、何がおかしい、奪われたならば復讐するのが道理であるだろう。そう思い込めば心は壊れずに、そして楽だった。

「……戻るか」

 エイジはなんともなしに呟いて、親子の骸から背を向けると、重い脚を引きずってふらふらと歩き出す。



 その姿を、俺は見ていた。

 まるで守護霊のように、俺はエイジの背後でふわふわと浮かびながら、彼が行った数多くの所業を間近で見ていた。

 幼い頃にイザラと森で遊んだ記憶、蜥霊族(せきれいぞく)と呼ばれる魔族に故郷を滅ぼされた記憶、復讐することだけを糧に一心不乱で素振りした記憶、ふらりと夢に現れた女神から加護を貰った記憶、あの円形闘技場で勇者に認められた記憶、仲間と出た旅で現実を知ってなんびとたりとも殺さないと誓った記憶、エルリアの村でメリーという少女を斬ってしまった記憶、そして命じられるがまま厄災を振り撒いてしまった記憶。取り返しのつかない過去の記憶があとからあとから湧き出して、俺を飲み込んでいく。

 まるで長い夢を見ているようだった。

 事実、これは夢で間違いないのだろう。イザラの工房二階で眠りに就いたのを覚えている。そこから故郷で過ごした頃の思い出を皮切りに、過去を振り返るような記憶の奔流に流されてきた。似たような体験は先日したばかりだ。夢とわからないほど明晰な悪夢に俺は何日も悩まされた。その時と同じで、しかし不思議なのは、いま見てきた記憶は妄想ではなく疑う余地もない実際にあった光景で、加えて俺がこれを夢だと自覚できている点だろう。

 ただこれが夢だと自覚できていても、そのほとんどが憎悪と後悔で染まった記憶で、とても見ていられない。二度と味わいたくなかった辛い記憶も哀しい記憶も鮮明にはっきりと目の前へ映し出されるのだから。しかし、こうして懐かしむように記憶の頁を少しずつ繰られるのは、過去の罪に立ち向かう覚悟があるのと同時に、ある確信があったからだ。

 この夢の最後に、あの勇者エイジは魔王エリアと邂逅する。

 これほど安心できる事実はない。この夢が悪い結末になるはずがないのだから。

 考えてみれば、俺が初めてエリアと出会ってから、もう四週間が経つ。あの日が遠い過去のように感じるし、対して、まるで昨日のことのようにも感じる。それだけ濃密なことがこの四週間の中に詰まっていて、これらもいつか思い出となるのだろう。

 そう、今の俺が存在しているのはエリアと出会ったからだし、エリアと出会ったのは過去の俺が存在していたからだ。だから、過去の俺がどれだけ極悪非道なことをしていたとしても、結局はこの夢の終わりでエリアと出会う。

 この事実があるからこそ、俺は安心してその悪夢の続きを鑑賞することができた。

 ただ、気になることがあれば、なぜ俺はエリアに負けたのだろうか。負けた、というのは実力的なことではない。彼女は仲間のアガサですら到達できなかった八重魔法(オクタプルクラフト)が扱えたのだから、手も足も出せず圧倒されたことに文句はない。それよりも、どうして当時の俺はエリアの説得に屈したのかがわからなかった。

 俺が殺した魔族の数は百や二百では収まらない。復讐のためだけに、不思議なほど狭窄した視野で殺し続けていた。疑問も心の奥底に封印して、まるでそれが正解だといわんばかりに。例えそれが千を超えて万に達しても変わらなかったはずだ。しかし、初めて出会った敵であるはずの魔王エリアによる説得で心を動かされたのは、今更ながらに不可解である。聞く耳を持たず無鉄砲に襲い掛かって、挙句の果てに討伐されるのが当然であった。それに説得が成功しても、敵だったエリアを簡単に信用しているのも不可解だ。だからこそ、心を縛っていた何らかの枷が外れたような行動は、その一件の奇妙さを際立たせる。

 そんな取り留めもない考えをしていると、燃え盛る村を歩いていたエイジが、ふと足を止めた。あの懐かしき場所、教会だ。海の中でぽっかりと浮かぶ島の如く、三角屋根の建物は炎の波に飲み込まれていない。窓枠に填められたステンドグラスが黄昏の光を虹色に染め上げて、全てのわだかまりが吹っ切れた今の俺は、過去のエイジよりも断然それを幻想的だと形容できた。

 ああ、そうだった。あの教会に足を踏み入れた俺は、何を考えてかどっかりと長椅子に座り、過去を思い出すのだ。そして直後に、幼くも凛とした声が耳朶を震わすのだ。こんばんは、勇者――と。

 それが俺たちの間で交わした、最初の言葉だ。

 エイジは両開きの扉を潜り教会に入ると、多列にわたり並んだ長椅子の一つにどっかりと腰を下ろした。彼が過去へ想いを馳せると同時に、見守っていた俺も揃って両目を閉じた。あと少しで聞こえるであろう懐かしいエリアの声を、深く脳裏へ刻み込むためだ。

 あと少し。あと少しでこの長き悪夢が終わる。

 しかし――

「そうか。ここまで見せても汝の立場は変わらんか」

 知らない声が耳元で囁いた。


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