45 黒く輝く瞳の少年7973
黒い瞳が、世界を映した。
曇り一つない、勇気と希望に溢れた黒い瞳だ。
まるで悪意なんて知らない、無邪気な黒目の少年は、しかし、その身にそぐわない荒い手作りの木刀を握っていた。木製だから本物の剣よりも軽いとはいいつつも、子供の力では到底振れなさそうな無骨な木刀だが、少年は軽々と片手で握っている。
見た目も、年齢も、ただの子供である。しかし、その寸分の隙もない構えは、子供とは思えないまるで剣士のような風格を纏っていた。少年は少しのブレもなく、ただ木刀を構えていた。
風が吹き抜け、彼の黒髪を揺らす。木漏れ日が地面に光の波を描く。
静寂が広がる。
ふと、少年は剣を振り上げた。
「――うわっ!」
ガキッ、と鈍い音と共に、黒髪の少年が剣で弾いたのは、これもまた無骨な手作りの木刀だ。少年が渾身の力をぶつけた相手の木刀は、所持者の掌を離れて、くるくると宙を回転してから地面に突き刺さった。ついでに、その所持者も弾かれたかのように、どさっと後ろへ倒れた。
また、静寂が広がった。
「だっ、大丈夫か?」
怪我させちゃったかも、と黒髪の少年が慌てて駆け寄ると、突然、笑い声が木々を震わせた。
「あはははっ、最初からエイジに勝つなんて無理だよ。僕はやっぱり剣を振るより、剣を造る方が性に合ってるんだ」
そう言うのは、今まさに地面へ倒れ込んだ少年。ツンツンと尖っている黄色の髪が似合っていて、年が近く家も近所だからか、竹馬の友と呼べるぐらいに黒髪の少年とは仲が良い。イザラという名前の彼は、身体を起こすと、胡坐を組んだ。
その身軽な動作に怪我の予感はない。黒髪の少年はほっと胸をなでおろし、後ろめたさを誤魔化すように言う。
「まあ、そりゃ剣は俺の得意分野だからな。剣術を習い始めたばかりの後輩に負けるほど、俺は弱くねえよ」
「そうだね、僕は僕の鍛冶技術を向上させたいという不純な理由で、剣を習い始めたからね。そんな僕がエイジに勝てるはずないよ。聞くところによると、エイジはまだ学校で剣術を習っていないのに、既に剣技を覚えたらしいじゃないか」
その言葉に、ぎくっ、と黒髪の少年エイジは身体をこわばらせた。
彼の父親は村の衛兵で、襲い来る外敵から村を守っている。尤も、この村は魔界と目と鼻の先ほど近いというが、天に聳えるほど高い山脈に隔てられているため、魔族に侵攻される心配はない。代わりに、稀に現れる魔物の退治をしている。
そんな父親の背中をずっと見てきたのだ。剣の振るい方だって知っているし、剣技の発動方法もわかる。
とはいえ、まだ子供であるエイジに剣技は難しく、まだ学校に入学していないから習えない上に、父親に練習していることを秘密にしているのだ。だから、進捗はミミズが這うよりも遅く、先月にやっと古代流派剣術を一つ覚えた程度である。
ただ、それをイザラが知っているのはどういう理屈だろうか。エイジは森で隠れて練習していたから、誰も知らないはずなのに。
「……誰から聞いたんだ?」
「セシリスだよ」
「な!?」
意外過ぎる名前にエイジは言葉を詰まらせ、続いて顔を恥ずかしさで赤く染める。
セシリアとは隣の家に養子でやってきた、エイジより三歳ほど年上の少女だ。底抜けの明るさが魅力で、エイジのことをまるで弟のように可愛がるから、密かに想いを寄せていた。が、言葉にしていなくとも、親友のイザラには悟られているのだろう。
見え見えの反応に、イザラは口角を上げた。
「秘密にしていたのにね、ばれちゃったね。状況から考えると、この前の手合わせで負けたのが相当悔しくて、内緒で練習していたんでしょ? そして再戦の時に披露して驚かしたかったんでしょ? でも、その目論見は残念なことにばれちゃったね」
「……うるせぇ」
「まあでも、剣技の一つや二つ覚えたところで勝てないんじゃない? セシリスはエイジよりも年上で背丈がまるで違うし、彼女は君のお父さんも見たことがないらしい奇妙な剣術を使うし。たぶん、帝都で実力のある剣士に教えられてきたんだろうね。格が違うよ」
「……でも、いつか勝つ。絶対に勝たなければならないんだ」
「セトに負けたくないもんね」
イザラが新たに出した名前の彼も、セシリスに恋心を抱いている少年だ。
少し前にセトがセシリスに、どんな人が好みなのか聞いたのだ。答えは、私よりも強い人。その言葉に火を付けられたエイジとセトは、競い合うが如くに剣の実力を磨いた。悔しいことに、セトはエイジよりも剣の扱いに長けている。だから、その差を剣技の習得で埋めようとしたのだ。
何と言葉を続けようか悩んでいると、イザラは思い出したように話題を大きく変えた。
「そういえば、エイジは学校の専攻科目って、やっぱり剣術を選ぶんだよね?」
あまりセシリスに関連する話題が長引いてほしくなかったエイジは、便乗することに決めた。
「……そのつもりだけど、少し体術にするか悩んでいる」
学校、という教育機関がこのシレミスにある。本来ならば勉強なんてしたくてもできないが、近隣貴族の享楽による出資で、村の子供なら十歳になれば誰でも無料で学べる。
読み書き計算は誰しもが習うけれども、イザラの言う専攻科目とは、自分の興味がある分野を深く学べる特別な授業のことだ。王都へ出稼ぎに行くなら作法や弁論法、村の衛兵や冒険者になるなら剣術や体術、そして生活に便利な魔法だって学べる。もちろん、お金の掛かる家庭教師に比べると質が落ちるとはいえども、平民であるエイジには無償であるのは素晴らしい幸運だ。だからこそ、何の科目を学ぶか決めかねてもいる。
ここは剣術を選ぶのが第一候補だが、セシリアに一矢報いるのなら彼女の得意な分野を習っても効果が薄いかもしれず、攻撃の選択肢を増やすという意味で体術も、さらには魔法もありだろう。
「まだ入学まで時間もあるし、気長に決めるさ。それでイザラはどうするんだ?」
「僕? 僕は鍛冶でもできればよかったんだけど、科目にないからね。金属についても学べるから、地学を選択しようかなって思ってる」
「いいんじゃないか? いつかあの伝説の金属アダマントで最強の剣を造ってくれよ。そしたら俺はそれで勇者になって、旅に出るんだ」
「うん、そうだね。いつか僕がエイジのために最強の剣を造るよ。そして、エイジは旅に出てどうするの?」
「心強い仲間と共に心躍る冒険をして、旅路の果てに魔王を討ち倒して、一番有名になるんだ。そして凱旋式で謁見した王様にこう叫ぶんだ。俺の剣技だけじゃない、この剣を打ったイザラがいたから魔王を倒せたんだってな」
「それは……とても楽しそうな未来だね」
「だろ?」
エイジは木剣を地面に突き刺すと、イザラの隣に腰を下ろすと、そのままごろりと寝ころんだ。イザラも同じように揃って背中を倒す。草が柔らかく自然のベッドみたいだった。
優しい秋の空気が頬を撫でて、小鳥のさえずりが耳を楽しませる。木々の間から落ちる木漏れ日は、既に赤く染まりかけている。そろそろ帰らなければならない。冬に近づくにつれて陽の落ちる時刻が早まっているのだから、あと半刻でも過ぎれば、村へ戻る頃にはすっかり闇空になってるかもしれない。そうなれば、村の門を守る衛兵に二人揃って大目玉を食うことだろう。
だから、そろそろ帰ろうかとエイジが立ち上がった瞬間――
「な、なんだ?」
耳鳴がするような甲高い、鴉の鳴き声が響く。百羽どころではない、まるで世界中の鴉が鳴いているのかと錯覚するような大音量だ。仰ぎ見ると、赤い空を背景に大量の鴉が飛び立った。
鴉はかなりの知性を持つという。ゆえに、彼らが一挙して飛び出すのは、不吉なことが起こる前兆だから気を付けなさい。そう村の大人たちに教えられていた二人は、顔を見合わせた。
「魔物……かな?」
「いや、ここらに強い魔物が現れた記録はない。もしもあったら、ここを遊び場にしないだろ?」
震えるイザラへ、安心させるようにエイジは言った。あるいは、自分を安心させたかったからかもしれない。
近くに転がっていた木剣を拾い握り締めると、森の奥を見た。どことなく普段とは異なり、薄暗い闇の奥から禍々しい何かが迫ってくるように感じる。気のせいだ。薄暗いのは、陽が落ちかけているからだ。禍々しい何か、なんてどこにもない。
「とりあえず、村に戻ろう。何かが出てきても、俺が退治してやるからな」
「……うん。心強いよ」
そうイザラは笑うが、気張っているだけなようで、その両手は震えている。だから、エイジは彼の不安を取り除くように、その片手を握り連れて、森の出口へ、村の方向へと小走りで進み始める。
元々この森は、大人たちから逃れるために開拓した遊び場だ。どこに何があり、近道も抜け道も全て知り尽くしていて、最近は目新しさを求めてより遠くに開拓していたのが、今回ばかりは裏目に出てしまった。エイジとイザラが先ほどまで遊んでいた場所は、中でも村から一番遠い場所だ。
何かに急かされるかのように、二人は歩く。確証はなくても、えもいわれぬ不快感が二人の足を速くさせる。
二人が名付けた地名、底なし沼や人食い鬼の岩のそばを、会話も無しに進む。普段はとても幻想的で綺麗だと思う夕焼けの空が、不気味で、不愉快で、秋だというのに大量の冷や汗がびっしょりと背中を濡らす。何か不自然だ。いつもは野兎が草を食んでいる場面に出くわすものだが、小動物の姿はどこにも見えず、小鳥のさえずりが聞こえなくなっている。あまりにも静かすぎた。
ずっと歩いた。実際では半刻も経っていないだろうが、感覚的には二刻も三刻も歩き続けた気がする。だから、森が開けて遠くに村が見えた時の安堵は、凄まじいものだった。
しかし、その安堵も束の間。
収穫前の、視界一杯だったはずの麦畑は、踏み荒らされたかのように土肌を覗かせ。
村の象徴でもあった小高い丘に建てられた学校は、知らない間に重度の地震があったのではないかと思わせられるほど、見るも無残に半壊し。
村全体から立ち昇る夥しい黒煙は、ここからでも異常があったのだと嫌でも理解させられる。
「イザラ、俺は先に戻ってる」
「ちょ、ちょっと待ってよ! エイジ!」
制止しようとするイザラの手を振りほどき、エイジは木剣を片手に駆け出した。とても少年とは思えない体重移動により、ぐんぐんと小さな身体が加速する。熱い血が手足を駆け巡り、より速く、より速くと前へ進ませる。
空へ流れる黒煙と、その焦げたような臭いを目標に全力で走り続けた。流石に広大な森を踏破し、その後の全力疾走だから、呼吸が乱れ、懸命に動かす手足も絡まりそうになる。
それでも速度を少しも落とさずに、塀を飛び越えたエイジは――
「なんだこれ……」
その光景を見て、絶句した。
地獄がこの世にあるのなら、これなんだろう。
そこには地獄絵図が広がっていた。
全てが、視界に入るその全てが燃えている。
家屋も、教会も、――そして生命さえも。
この村の全員が顔見知りだ。だから、エイジはそこで地面に伏し息絶えている親子に見覚えがあった。恐怖の形相を貼り付けたまま転がっている少女の生首には、とても見覚えがあった。
アリス、と。その名前を呼んでも答えてくれない幼馴染。
それだけではない。燃え尽きた生命の残骸が、そこかしこに散らばっている。村全員が知り合いのエイジには、身体の一部分だけでも誰のものなのか判別できた。その中には、敬愛していた衛兵の師匠や、隣に住む老夫婦――そして、彼の父親のものだと考えられる右腕。
「と、父さん?」
見なければどれほどよかったか。血の跡を視線で辿ると、そこには兜を被ったままの父親の首が――
――エイジ、仕事に行ってくるよ。今日は早く帰れるから、一緒に夕食を食べよう。
「……母さんは?」
揺らめきながら、しかし、無意識に木剣だけは落とさずに、ゆらゆらと家の方角へ進む。
希望を抱いていた。そこだけが無事であるはずはないのに、無事だと願う儚い希望。
彼の家は庭付きの立派な家だった。木造でありながら、石造りの暖炉があった。秋になると紅葉して綺麗だった庭の楓は、産まれた頃からあったものだ。その家は十年間エイジが両親と共に暮らしてきた、多くの思い出が詰まった結晶体。
それが倒壊して、炎を上げていた。下敷きになって人型に見える焼け焦げた黒い物体は、いったい誰のものなのか。
――エイジ、行ってらっしゃい。遠くには行かず、早く帰ってきてね。
最後に聞いた言葉が耳の奥で反響する。
これは、夢なのか。ありえない、嘘だ、信じられない。たった数時間で何が起こったんだ。
エイジは急な吐き気を催した。何も考えずに、胃の中身を地面にぶちまけた。視野も思考も激しい狭窄に陥り、もう立っていることもままならず、握っていた木剣は取り落とし、倒れるようにへたり込んだ。
目の前の状況について行けず呆然としながら、しかし不意に、狭まった視界に三つの人影が写った。何やら顔を寄せ合って話し込んでいる様子の彼らは、エイジの恐怖心を煽るのに十分な見た目だ。
ひょろりとした長身で、魚の尾のようなものが付いていて、その体躯には杭のようなごつごつとした出っ張りが無数にある。胴体を包むのは金属質の防具、そして腰回りには蛮族的な武器が差されている。肌はてかてかの青緑で、蛇のような鱗がびっしりと覆っている。尖った顔に、ぎょろりとした禍々しい紅玉の瞳。そして、鋭く尖った歯は、ぎちぎちと不快な音を振り撒きながら噛み鳴らされている。その姿はまるで、物語の世界から飛び出してきた悪魔のような見た目だった。
僅かばかり知識のあるエイジは、彼らが何者なのか予想できた。あの山脈の向こうにあるという魔界に住まう怪物、魔族だ。凶暴で残忍な魔族は人族の肉を好み、夜な夜な現れると女子を魔界へ攫うという。ただそれは物語の世界だけでの話だ。こんなところに現れるはずはない。
初めて魔族のことを聞いた時はエイジも震え上がったものだが、その山脈は断崖絶壁の如く天に聳え立ち、魔族の侵攻は一度として記録されていない。しかし、眼前にいる異形の怪物はなんだ。まさか、あの山脈を越えてきたのだというのか。
数々の疑問が浮いて来るが、それよりも先にエイジの重い腰を上げさせたのは、怒りの感情だった。
――こいつらが、この地獄絵図を作り出したのかっ!!
今までに感じた事がない、どす黒い憤怒の感情が痺れるように脳を支配する。もう何も考えられない。ただ、赦せなかった。この日常を奪った元凶が赦せなかった。絶対に、絶対に殺してやる。みんなが受けた苦しみを味あわせてやる!
「ア、あああアアアァァッッ!」
エイジは無意識の内に木剣を握りしめると、三つの人影、その一つへ叫びながら襲い掛かった。
異形の怪物が飛び込んできた少年に反応するよりも早く、エイジは剣を空中で構えていた。
「紅弦ッッ!」
その剣技は古代流派剣術、紅弦というらしい。彼が父親の動きを真似て練習して、再現できるようになった唯一の剣技だ。
世界の理に従い加速された赤き木剣が、反射的に掲げられた腕へ衝突する。皮膚を覆う鱗には傷一つ与えられなかったが、その衝撃は確かに皮下へ通り、異形の怪物はたたらを踏んだ。
エイジは僅かに開いたその空間で、流れるような動作で剣を再度構えた。
「旋緋ッッ!」
眩い深紅の煌めきが一閃する。
練習では一度として成功しなかった剣技が、この土壇場で初めて発動する。右下から跳ね上がるように旋緋が狂わずその胴体へ吸い込まれる。発生した高密度のエネルギーが衝撃波となり、今度こそその巨体を吹き飛ばした。燃えている家屋の壁を突き破るかのように倒れ込み、その魔族は火の粉に身体をうずめた。
やったか、と心の中で喝采を挙げようとしたが、しかし無常かな、次の瞬間に吹き飛ばされていたのはエイジの身体だった。
一体の魔族に気を取られるあまりに、他の魔族を愚かにも失念していたのだ。視覚外からの膝蹴りを受けた小さな身体は、いとも簡単に風前の塵の如く弾かれ、ごろごろと無残に地面へと転がった。
意識が飛びそうになるほどの痛み。だが、拙いながらも意識を何とか保っていると、異形の怪物たちの会話が聞こえた。
「……おいおい、まだ人族の餓鬼が残ってたぞ。殺すか?」
「いや、殺すのは惜しい。この年齢でここまで剣技を扱える才能はかなり稀少だ。持ち帰って奴隷にしよう」
「本隊へ合流する前に珍しい土産が手に入ったな」
本隊だと。まさか魔族は三体だけではないのか、とエイジは脳裏でうめいた。だが確かに、たった三体の怪物だけでこの村が虐殺の舞台になったとは思えない。村には彼の父親のような衛兵も少なからずいるし、学校には魔法を扱える先生だっている。魔族の侵攻は想定外だったが、そう簡単には攻め切れない――はずだった。
もう手遅れだ。何をしても遅い。家族も知り合いも大切な人は殺された。畑を耕し、家畜を飼い、歌を大声で歌い、肩を組んで葡萄酒を飲みかわす。そんな日常はもう訪れない。
それでも立たなければ。それでも戦わねば。せめてこの二体だけでも倒さなければ。先ほどは死角からの攻撃だったから避けられなかった。気を抜かなかったら、例え二体が相手でも勝てるはずだ。なぜなら、俺は魔王を討ち果たす世界最強の男だから。
そうやって自分に言い聞かせることで心を奮い立たせ、床に手を付きながら立ち上がろうとした時だった。新たな声が聞こえた。
「……痛てて。奴隷として売り飛ばすぐらいなら、そいつは俺が殺してもいいっすか?」
エイジが倒したはずの魔族だった。
「おっ、かなり鈍い音がしたけど、大丈夫だったか?」
「いやあ、腹の方は防具で大丈夫っすけど、剣技を防いだ左腕は骨折してると思いますわ。人族に攻撃を喰らうなんて、ものすげえ屈辱なんで殺してもいいっすよね」
攻撃が、まるで効いていなかった。
そいつは仲間から了承の言質を得ると、おもむろにエイジを見た。ニタァと笑った。左腰から剣を引き出すと、ぶんっと元気そうに空気を切り裂いた。焦らすように、鋭利で光沢のある剣で左右を払いながら近づいて来る。
心が折れるのを自分でも感じられた。
もう無理だ。勝てない。
あれは、エイジの木剣とは比べ物にならないほど、切れ味に優れているのが、ここからでもわかる。もし切り結めば、一合と経たずに木剣が切断されていることだろう。だから、戦っても戦わなくても、遅かれ早かれあの剣で殺されてしまう。ああ、あの剣で首を切断されるのは痛いだろうか。きっと痛いだろう。いやいや、あんなに鋭く見える剣なのだから、気付かぬ内に断たれているに違いない。
必死に現実から逃避していても、鱗のようなものにびっしりと覆われた太い脚が、エイジのすぐ前で止まった。
ひゅうっ、と剣を振りかぶる音が聞こえた。ぎゅっ、とエイジは両目をつぶった。
しかしその時、どさどさどさっと予想外の音が響く。いつまでも、首を絶つはずの剣が振り下ろされない。
恐る恐る目を開けると、鎧に包まれたがっしりとした背中が視界に映る。あの異形の怪物ではない。その後ろ姿は、正真正銘人族の男だ。
男は振り向くと、静かに言った。
「遅くなってすまないが、助けに来たぞ。少年」




