40 VS, ファイドル(1)5602
剣技を大まかに分けると、俺だけが使える勇者専用剣技は例外として、古代流派剣術と現代流派剣術の二種類がある。
古代剣術はその名の通り、古代の大戦以前から連綿と受け継がれる剣技で、連撃数は少ない反面、一撃あたりの威力が高い。
対して、現代流派は連撃数が多く、それぞれ威力が低い。しかも、発動前後に古代剣術よりも長い隙が発生するものだから、タイミングを見て発動しなければならないが、全弾が当たった時の総威力は古代剣術を超えるし、避けにくいという長所もある。
さて、こう並べて考えた時に、現状の敵であるファイドルに有効な流派はどちらだろうか。
俺は加護持ち。ファイドルも加護持ち。それはイーブンな関係だ。
しかし、俺は人族。ファイドルは地霊族。つまり、素の能力に圧倒的な隔たりがある。地霊族は魔法との親和性がない反面、その基礎体力は尋常じゃない。二重の増強魔法程度では補えない差だ。
だからこそ、俺は剣技でその差を埋めようとした。
古代流派剣術は一撃の威力が異常に高い。
勇者の加護で加速された古代流派剣術、旋緋はどんなに硬い盾でも砕くのではないかと錯覚するほどの威力があった。
「――なッ!?」
はずだった。
深紅の火花が散る。
交差した二者の剣から。
遅れてガガンッッ、という重い金属音が周囲を震わした。
俺が驚いたのは、全力の一撃を受け止められたからではない。それは、あるいは予想できていた。古代流派剣術の使用だけでは基礎能力の差を完全には埋めれないのではないかと。だから、俺の驚きは別の点にある。
宵闇の剣を受け止めたファイドルの剣から、噴き出る血のような燐光が漂っていたから。
記憶にある構えとは微かに異なるが、俺はファイドルの繰り出した剣技を深く見知っていた。
剣技の煌めきが絶えない鍔迫り合いを継続したまま、俺は弾ける火花越しに問い掛ける。
「あんた……いや、ファイドルの使った剣技は?」
「――紅弦。やはり小僧エイジも古代流派剣術の使い手だったようだな」
「そうだ。しかし、魔界にも伝わっていたのか?」
「いや、他の部族には浸透していないな」
内心で、ちっ、と舌打ちする。完全な予想外だ。アングリフの話では地霊族が剣技を使ったのは見たことがないという。だから、使えないものだと思っていた。仕方がない、地霊族は内向的な種族であるらしく、彼らについて得られる情報が少なかった。予想が外れて、剣技が使えるだけでもなく、しかもよりもよって俺が得意とする古代流派剣術とは。戦術を変えるか……いや、とりあえず当初通りに戦おう。
スパークが途切れて各々の剣技が中断されたその瞬間に、俺はすぐさま剣を右肩へ添えるように構えた。突如、宵闇の剣がまたもや赤く染まる、世界の理によって、凄まじい勢いで引っ張られる。
「おおッ!」
「……はっ!」
天から落ちる紅色の剣を受け止めたのは、こちらも同じく真紅に染まるファイドルの剣。横薙ぎに繰り出されたその剣技――俺が先ほど使った旋緋と激突し、戦場に耳を劈くような轟音が響き渡る。
びりびりと剣を握る右手が痺れる。
本来ならここで二度目の鍔迫り合いとなる所だが、しかし、俺が発動したのは紅弦ではない。ここまでの動作は一致しているが、この剣技は二連撃、噴炎だ。
噛み合う刃を下方へ滑らせ、その慣性に抗うように再加速した剣を上方に振り上げる。
ファイドルは剣を横薙ぎに振り抜いたままの体勢だ。剣技を発動した直後は少なからず隙が発生するものだから、俺の噴炎を防御する手段はない。
打ち出された剣尖は迷いもなくファイドルの胴体へ吸い込まれ――いや、本当にそうだろうか。
俺と同じく古代流派剣術を極めるファイドルなら、俺が発動したのは同じ軌道を描く噴炎だと予想していなかったはずがない。それなのに、こんなあっさりと勝負が決まるとは考えられない。
その嫌な予感のように、僅かな隙が発生していたはずのファイドルが、その身体を反転させていた。時計回りに猛然と回転し、やはり右から赤い尾を引いた横薙ぎが再度迫ってくる。
古代流派剣術二連撃技、紅車。
敵に一度背を見せる必要があるから扱いにくいため、俺はあまり使ったことがない。
それをあっさりと実演してみせた。まさか、ファイドルは俺よりも古代流派剣術に精通しているというのか。
そんな思考は、俺の旋緋とファイドルの紅車が十字架を描くように激突したことで吹き飛んだ。威力が高い両者の二連撃目は、発生した高密度のエネルギーにより、大きく弾き返される。
俺はその衝撃のままに後ろへ跳躍して、着地した。
たった二十秒で二合の打ち合い。それだけで実力の差をまざまざと身に染みさせられた。
「……強いな」
俺のとりとめのない呟きは拾われる。
「小僧もな。その年なのに剣技の神髄へ辿り着かんとしている。だが、経験が足りない。まだ加護を使いこなせていない。つまり、今の小僧では俺に勝てない」
「ご忠告どうも」
元より勝てるとは考えていない。俺の目的は時間稼ぎだ。城壁の上でエリアとアガサによってこの争いを止めるための準備が行われているはずだ。それにどれだけ掛かるかわからないが、その時まで強敵ファイドルを食い止めるのが俺の目標だ。
つまり、戦いには勝たなくてもいい。
とはいっても、勝たなくてもいいと考えていれば、負けない戦いにも負けてしまう。全力を出し切らなければならない。
当初の予定であった古代流派剣術で差を埋める作戦は失敗だ。ならば、別の案を。俺がファイドルに勝っている点は恐らく三点。勇者専用剣技スターダスト・シリーズ、現代流派剣術、そして魔法が使えること。
最後の点はあまりアドバンテージにならない。既に増強魔法を二重で使っているし、放棄して詠唱し直すような時間はないだろう。しようと思えばできなくもないが、放棄してから魔法を構築する間は当然ながら増強魔法が掛かっていない状態だから、戦いの最中では些かリスクが大きすぎる。
それならば、勇者専用剣技か現代流派剣術。どちらで対処する。どうすれば……
「ふっ――」
そんな刹那の逡巡を悟ったファイドルが、距離を一足で詰めてきた。まるで消えて現れたのような速度。発動しているのは古代流派剣術、朱閃。高速で剣を振り抜く技で、俺が知っている中で二番目に速い剣技だ。その剣尖が視界外から襲い掛かってくる。何も見えていない。
だが、その技は俺も知っている。つまり、その剣技の射程と軌道も知っている。後はピンポイントで迎撃できる技量があればいいだけ。発動したスターダスト・スパイクの青白い輝きを、朱閃の赤い輝きの軌道上に合わせる。防ぐなら当てる、それだけでいい。
かなり無茶な技術を要求される行為だ。しかし、俺にはできるはずである。この剣技をいままで何度発動したか。数えれば軽く万は越えるだろうその剣技――スターダスト・スパイクは最も慣れしたんだ技といっても過言ではない。結局、強敵と戦う時はこの技にいつも頼ることになる。一心不乱に、地道に、愚直に、剣を振り続けた。足の蹴りも身体の捻りも、手首の撓りも腕の振りも最適なタイミングがわかる。だから、少しのずれもない精度で発動できる自信があった。
果たして。
点と点がピンポイントで接触。
高密度のエネルギーと高密度のエネルギーの衝突。相殺。爆風。炎龍の咆哮を想起させる衝撃音が奔る。次は弾き返されなかった。ファイドルが驚きの声を上げた。
「なにッ!?」
「――まだまだ!」
その一瞬の打ち合いを契機として、高速の攻防が幕を上げる。
俺は駆け出した。この時点で、俺はもう周囲の状況が見えなくなっていた。この世界には俺とファイドル、そして俺の剣とファイドルの剣しか存在しない。世界から色が抜け落ち、神速の勢いで前進している俺の身体すら遅く見える。思考が加速し、脳裏が白く染まる。
剣を振るう。型も何もない、ただ本能のまま。剣を振るう。ファイドルが繰り出した一撃を弾くために。剣を振るう。僅かにその刃が彼の皮膚を抉った。剣を振るう。避け損ねた一撃の痛みを忘れて。
全てにおいて俺はファイドルに劣っている。そのため、手数で上回る必要があった。
ただ、剣を振るう。
その剣の応酬は、俺ですら視認できていなかった。時折、剣技の赤い線が入り混じり、だが、その剣技の名前すら頭に浮かんでこないほど集中している。
しかし、俺は心のどこかでこの攻防が長く続かないことを予感していた。
加護を持つ身だから、息が上がるほどの疲弊もしない。集中が途切れることもない。最初は確かに圧倒されていたが、全力を出し尽くしている現在、俺とファイドルの力関係は互角と言っていい。だが、ファイドルの繰り出す古代剣術は、俺の予想しているよりもレベルが高い。互いの剣技が衝突すれば、俺が僅かに押し負ける。唯一救いなのは、ファイドルが勇者専用剣技を知らなかったのは当然だが、現代流派剣術に対しての知見がそこまでなかったことだろう。おかげで俺が現代流派剣術を繰り出すと、ファイドルは対処に少しばかり手間取る。しかし、やはりどこかで俺がミスをして、看過できぬ隙を晒すのは時間の問題だった。
それでも、俺は剣を振るった。
身体が灼熱の炎に包まれたかのように熱く、そして途轍もなく心地よい。それはファイドルも同じのようだ。命を賭けて戦っている彼も、楽しそうに笑っているのが見えた。
彼の目的について俺は深く知らない。軽く聞いた内容では、コズネスに囚われていると噂される魔王を助けるために、このような大軍を起こしたらしい。しかし、その大切な要件よりも俺との戦闘を選んでくれているのは、自己的な期待になるが、それだけこの戦いを楽しんでくれているからかもしれない。
加護持ちは決して多くない。戦闘に関する加護を持っているものは、より少なくなる。だから、加護を与えられてしまうと、周りに同等の能力がある者がいなくなる。それまでのライバルは過去のものとなり、誰も付いてこられなくなる。表すのなら、孤独の二文字。俺はそれを知っている。ならば、眼前のファイドルは、最後に全力で戦ったのはいつになるのだろうか。
十秒で十合の打ち合い、次の八秒で十合、さらに次の五秒で十合。瞬きする度により速くより鋭くなる。
「――おぉッ!」
俺は右肩に剣を構えて、踏み込んだ。すぐさま剣が蜂蜜のような鮮やかな山吹色に染まり、見えない糸に引っ張られるが如く自ら加速する。現代流派剣術グレンセル流三連撃技フォールリリィ。交差するように切り払った後に自重を加えた振り落としが特徴の、魔界では使う機会が少なかった剣技だ。
「ぬっ!」
対して、鋭い踏み込みと共にファイドルが踏み込み、深紅の剣が突き出された。古代流派剣術、赤釘と呼ばれる突き技。
それは俺の得意とするスターダスト・スパイクと比べると、射程も威力も発動速度も劣る恵義だが、他にはない唯一無二の特徴がある。剣尖が何かに接触した瞬間に発する衝撃波。全方位に広がるそれは、もし生身の肉体で受けてしまえば内臓をずたずたに掻き回される。直撃しなくとも、掠るだけで致命傷になるだろう。
ということは、ファイドルが発動する剣技に赤釘を選んだのは、俺の攻撃を封じる最上の一手だった。必ず俺はその剣技を対処しなければいけなくなる、攻めであった俺のバトルスタイルを守りに強制するのだ。
本来なら、先ほどのように剣技を剣技で相殺する、つまり赤釘をフォールリリィで迎撃したいところだが、いかんせん、この現代流派剣術はそんな器用な真似ができるほど慣れていない。剣技を中断させることも、オリバーとの手合わせで見せた裏技でもない限りできない。
すなわち、俺が行える行動はこれだけだ。
世界の理に抗い無理やり身体の体勢を崩して、間一髪で赤い閃光を躱した。右頬のすぐそばを鋭い風と共に通り抜ける。余波による熱気。これで決着は決まらなかったが、俺は自分のミスを悟った。
宵闇の剣からフォールリリィの輝きが、ふっと消える。回避のために体勢を崩し過ぎて、世界が認める剣技の軌道から外れてしまった。強制的中断。身体が完全に停止する。かつてないほど長い隙。それを見逃すファイドルではなかった。
ファイドルも剣技使用後の隙があったはずだ。しかし、その隙を埋めるように、握る大剣ではなく身体の一部が深紅の明滅を発する。彼の右足だ。溢れ出る赤い燐光は、まさしく剣技と対なるもの、体術が発動した色。古代流派体術、兜刈り。
体術は俺もいくらか使える。使えるが、剣での戦いを得意とする俺は、好んで使わなかった。だからこそ完全に失念していた。
左足で踏み込み、右足が真紅の煌めきを撒き散らしながら、俺の腹へと迫り――
「がっ……」
防御も何もできなかった。
ゆっくりと変わりゆく視界の中で、その右足が俺の腹を守るチェストプレートと接触する。少し前にニードルベアと戦った時と同じく、ほとんど無抵抗でそれが砕け散る。
威力は軽減できなかった。
守られていたはずの腹に、尖った膝が食い込む。
俺は自分の口内から噴き出した血潮を見た。




