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リメイク中作品  作者: 沿海
2章 汝は何を望み、誰が為に戦う165745
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38 ある族長の話9082

 日の出。

 ずっと先の山脈から太陽が顔を見せ、世界を赤色に染め上げる。

 地霊族族長のファイドルはこの瞬間が好きだ。寝静まった世界に活気が宿る瞬間、生きているという実感が沸く。いつもは村から抜け出して、この景色を酒の肴として楽しむものだ。だが、今は状況が状況である。朝日から視線を外すと、傍に控えている部下へ指示を出す。

「もう少しで完全に陽が昇る。眠ってる奴らを叩き起こせ」

 それだけを言うと、彼は前方を見据えた。

 たった数キロルもない距離に、堅牢な城壁で囲まれたコズネスという街がある。そこがファイドルの目的だ。魔族の侵攻に備えて建造された大規模城郭都市で、その聳え立つ城壁を超えたとしても、三次元的な移動を強制する迷路のような道が続いているという。戦争が始まってから何度か小競り合いがあったが、一度として陥落したことがない難攻不落の都市。そこにファイドル率いる地霊族は攻め入ろうとしていた。

 遠目で見えるのは、人族の軍。その数は約千ほどか。しかし、それは夜間の守りとして展開された軍であり、開戦すれば、本隊として二千ほど新たに城門から出てくるであろう。今回はほとんど急襲に近い状況なのに、しっかりと準備された軍の配置だ。

 対して、地霊族の戦闘員は約二千。兵法でよく言われる攻者三倍の法則から考えると、圧倒的な不利だ。その差は地霊族の身体能力を以てしても覆せそうにない。まして、相手には地霊族に使えない魔法という切り札さえあるのだ。絶対に勝てる見込みはなかった。

 いや、コズネスを陥落させるのが目的だったら見込みはなかったかもしれないが、今回の目的は別だ。部下が持ち込んだとある噂の真偽を確かめる、それだけだ。とはいえ、それを達成するには、どちらにせよ邪魔する者を突き抜けて少なくとも城壁まで到達する必要がある。

 さてどうしたものか、と一人考えていた時のことだ。

 後方から近付いてくる足音が聞こえて、振り返った。

「もうすぐじゃの、ファイドル殿」

「ああ、そろそろ時間だ」

 それは一人の少女だ。紫紺に染め上げた絹糸のような黒髪を持ち、古臭い特徴的な少女。それぐらいしか読み取れる情報がなかった。なんたって、その少女は顔を隠すためなのか、顔に狐の面を付けており、顔の造形なんてわからない。にも関わらず、その不思議な少女にどこか既視感があるのは。

「そなた、最後まで妾が魔王エリアじゃと信じなかったの」

 この少女が遠い記憶の少女と重なって見えたからだ。

「そりゃそうだ。お前は魔王エリア嬢と違う。確かに声音も口調も髪色も同じかもしれないが、それならなぜ顔を頑なに見せようとしない。それに、かつて俺が見た魔王エリアにあった滲み出る魔力、つまり、強者の風格がお前からは感じられない。どれだけ魔法の技術が優れていたって、魔力という本質的なものは誤魔化せねえんだ」

「ふうむ……」

 狐面の少女がファイドルの前に現れたのは、地霊族の村を出てから三日後のことだった。本人は自分自身が魔王エリアだと名乗り、コズネスへの進軍を止めてほしいと頼み込んできたのだ。もちろんのこと、少女が魔王であるなんて信じられないうえに、どちらにせよ軍の目的を考慮すればここで引き返すことはできそうにない。

「それで、お前の頼みを聞いてここまで連れてきてやったが、これからどうするつもりなんだ?」

「妾か? そうじゃの、妾は開戦時のどさくさに紛れてコズネスへ向かわせてもらう。そこに用事があるゆえな。……そうそう、この戦いが始まって暫くすれば、頑ななファイドル殿でも妾が魔王だと信じざるを得なくなる出来事が起ころうぞ」

「ははっ、それは楽しみだな」

 それを境に会話が途切れ、二人揃って朝焼けに染まるコズネスを眺める。

 かつて地霊族は何度も人族と、特にコズネスへ常駐しているアルベルト騎士団と幾度となく小競り合いをしてきた。しかし、数年前のとある事件をきっかけにして、地霊族は戦争というものが心底嫌になり、ここ長らくは攻め入ることはしていない。

 ただそれでは互いに世間体が悪いため、戦闘履歴を残すだけのために、互いが傷つかない安全なお遊び手合わせをアルベルト騎士団と続けていた。今では騎士団のコズネス支部長であるアングリフだとかいう男とは、酒を飲み交わすほどの仲になっている。

 そうすれば、この進軍は彼らにとっての裏切り行為である。もちろん、好んで攻め入ろうとしているわけではなく、ファイドルにもそれなりな理由はあった。

「…………」

 それは確か今から六年前のことだ。前日に大雪が降っていて、凍えるように寒かったのを覚えている。

 本棚の片隅にある記憶という書籍を紐解くように、まるであの瞬間の自分へ憑依するかの如く、当時の状況を思い出す。

 親友と酒を夜通し飲み明かし、二日酔いに悩まされていたファイドルは、知らぬ理由から拘束されたのだった。当時三十歳そこそこだったファイドルには、自分が何か罪を犯したのかわからなかった。酒を飲めば気性が荒くなるし、よく部下と試合する時に相手の骨を折ったりもした。だが、即座に拘束されるような罪を犯した覚えはなかった。

「――容疑者の地霊族長ファイドルを連れてきました」

 しかし、ファイドルは厳重な拘束を施され、馬車で運ばれ、気が付けば魔王の間にいた。

 魔王の間はその名の通り魔王が君臨する場所で、有力種族である地霊族の族長といえども、軽々しく出入りできる場所ではない。にも関わらず、ファイドルはその場で跪いて頭を垂れていた。いや、頭を垂れているのは当然である。ここは魔王の間、つまり前方には魔王がいる。当然の礼儀である。

 だが、どうしてここまで厳重な拘束が施される必要があるのか。手首を縛るぐらいなら地霊族が誇る筋力で砕けるのだが、全身に頑丈な鎖を巻かれて、誰かの支えなしに自立することも叶わない。まるで、凶悪犯罪者にするような拘束だ。覚えはない。まさか、二日酔いで忘れているだけで、何か問題を起こしたのだろうか。

「このままだとまともな弁論もできませんね。彼は地霊族です。魔法での抵抗は考えられませんし、現段階は容疑者なのですから、せめて手足の拘束だけは解いてあげましょう」

「はっ!」

 両手と両足の拘束が外れる。

 二日酔いで鈍い頭を捻りながら、ファイドルが直前の記憶を掘り起こしていると、知った声が響いた。

「地霊族族長ファイドル。何か弁明はありますか?」

「クルーガか?」

 声だけしかわからないが、その声は騎士のクルーガだった。

 彼は魔王の騎士であり、ファイドルは魔王の親友である。ゆえに、ファイドルは魔王を介してクルーガとも少なくない関係があった。

 そんな彼がファイドルにこのような冷たい声を掛けるのは、今までで初めてのことだった。ファイドルにとっては状況が全くわからない。気が付けば拘束され、気が付けばここにいる。それだけだ。

「クルーガ。教えてくれないか、俺はなぜ拘束されている」

 その返答はやはり冷たいクルーガの声。

「そうですか、あくまでも白を切るつもりですね? ……説明しましょう。ファイドル、あなたには現在ある容疑が掛けられています」

「――容疑?」

「ええ。魔王暗殺の容疑です。今朝がた、何者かに殺害された魔王クラディオ様が執務室で発見されました」

 魔王暗殺。

 喉の奥で転がすように反芻する。

 その言葉が理解できなかった。

 顔を上げる。

 魔王の間は、魔王が君臨する場所だ。しかし、君臨されるべき中央の王座はぽっかりと空席であるだけで、予想していた人物は座っていない。十一代目氷結の魔王クラディオの姿はどこにもない。

「……魔王の暗殺? ……つまり、クラディオが死んだということか?」

 信じられなかった。

 クラディオは十一代目氷結の魔王。一人の魔族として魔王クラディオは従うべき人物であるが、同時に、ファイドルは彼と竹馬の友といった深い間柄であった。もちろん、ファイドルは地霊族の次期族長で彼は魔人族であり次期魔王という種族も立場も全く異なる関係だったが、本来ならば関わるはずのない奇縁を結んだのは、ファイドルの父だった先代族長であった。

 数年に一度、魔王城で開かれる族長会議。父に連れられて魔王城まで来たのはいいものの、偉いさんがたの会議なんて興味のなかった幼き日のファイドルは、莫大な面積であると噂に聞きし中庭へ散歩に出掛けたのだ。季節を問わずに咲き誇る色とりどりの花々、深い地中が故郷だったファイドルには初めての経験だった。目を輝かせてずんずん奥へ進むファイドルであったが、ふと、周りの景色に見合わない異物が紛れ込んでいたのを見付けた。花壇の傍で蹲る、黒髪の少年。当時のファイドルは子供であるためそれなりに低身長だったが、それよりも低い背だった。顔は見えない。けれど、どこか悲しげで寂しげな雰囲気を漂わせた背中に、ファイドルは声を掛けた。

 ――お前も退屈な会議を抜け出してきたのか?

 それが、十一代目氷結の魔王クラディオとの出会いだった。天真爛漫なファイドルが真面目なクラディオを連れ回し、ファイドルはもちろんのこと、連れ回されるクラディオもそれを心から楽しんでいた幼き日々。水と油ほど正反対な性格の二人であったが、だからこそ気が合ったのか、自他共に認める大親友だった。

 今でこそ、クラディオが自身の娘を持ったため少しばかり疎遠になってしまったが、それでも年に数回程度、酒を飲みかわす程度の仲がある。それに、昨夜だって彼の執務室で酒を飲み交わしていたぐらいだ。

 そんな昨夜も会った親友が、死んだなんて信じられなかった。

 絶対に信じられない。

 なぜなら、ファイドルが誰よりも彼の強さを知っているからだ。

 瞬きするよりも速く万物を凍らせる創造魔法オリジナルクラフト。あれがあるから魔王である彼が彼自身を魔王たらしめられたのだ。

「――そしてなにより、彼が最も疑わしい点として、彼がクラディオ様と最後に会っていた人物だという目撃証言があります。情報によると、容疑者ファイドルは昨晩クラディオ様の執務室を訪問し、夜通しお酒を交わしていたそうです。死亡推定時刻を鑑みて考えると、やはり彼が最も疑わしい人物に挙げられます。次いで、彼は地霊族族長という立場で――」

 頭上でクルーガの声が籠ったように響く。うるさい。

 ファイドルはクラディオが死んだなんて信じられなかった。だが、クルーガの反応を見るに事実なのかもしれないと感じ始めていた。クルーガは魔王クラディオの騎士だ。友だったと呼ぶには年代が離れているが、彼は部下として誰よりも魔王クラディオを尊敬していた。クラディオのように強く優しく慈悲深くあれ、と彼はクラディオの背中を見て成長してきた。そんな彼が取り乱し怒り、犯人を見付けようと躍起になっている。少なくとも、作り話にしては手が込み過ぎていた。クラディオは本当に死んだのかもしれなかった。

 その事実を前にしても、ファイドルは冷静であった。

 もしかしたら、あるいは、と昔から考えていたことだ。魔王は魔族を統べる王である。もし魔王が暗殺されたら、魔界は大混乱に陥る。だから、魔族の根絶を望む人界の整世協会は勇者でも魔界へ送り出して、魔王の暗殺を目論むかもしれないと。しかし、勇者ではないはずだ。五代目勇者は先代魔王が殺し、六代目勇者とその仲間は地下牢の中だ。まだ七代目は現れていないというし、勇者の脅威は今のところない。

 ならば、誰がクラディオを殺したのか。

「――以上より彼は犯人だと決定付けられます。容疑者ファイドル、最後に何か弁明はありますか?」

 まさか、疑われている内容が事実であり、ファイドルが親友であるはずのクラディオを殺したのだろうか。絶対に違うと自信をもって答えられなかった。酒の酔いが回っていて、昨夜から今朝にかけての記憶が曖昧だ。酔った勢いで、彼を手に掛けてしまったのかもしれない。

 そう考えたが、それはなさそうだ。もしファイドルが彼を暗殺しようと思うものなら、触れるよりも早く氷漬けにされてしまう。

 ならば、と。二日酔いの頭痛を堪えて考えた。

 そもそも、なぜ昨夜は二人で飲み明かすことになったのか。確か、大事な話があるといってクラディオから呼び出されたのではなかったか。思い出せ、思い出せ。

「っ!」

 思い出す。

 真剣な顔をしたクラディオと、彼の姿が記憶に蘇った。

 ――ファイドル、君にしか頼めない。これを預かってくれないか?

 ――これは、鍵か?

 ――そうさ、とても大事な鍵。全ての謎と答えがそこに眠っている。いつかこれが必要になった時、私の娘に渡してほしい……

 思い出した。ファイドルは首元のネックレスを服越しに触る。先に感じるごつっとした感触は、クラディオから預かった小さな鍵のはずだ。構造的にはどこにでもある一般的な鍵だが、材質が特殊なようで、金属とも判別が付かぬ虹色といったどこか神々しい光沢を纏った鍵だった。クラディオは大切なこれをファイドルに預けると言った。いつもの様子から考えると、不思議な言い回しだ。加えて、その鍵がどこで使われるかも丁寧に説明していた。まるで、もう二度とそんな機会がないと暗示するかのような。

 まさか!

 だとしたら、クラディオは自分が何者かに殺されると予め知っていたのではないか。

 ぞわりと肌が泡立つ。全てが繋がる。二日酔いのせいで忘れていた。犯人はクラディオから謎の鍵を奪うために、彼を殺した。しかし、目的の物はどこにもなかったとすると。犯人は誰がそれを持ち去ったと考えるだろうか。最後に会ったとされるファイドルではないか。

 その考えまで至り、そしてその考えを説明しようと立ち上がりかけた時だった。

「動くなッ!」

 鋭い声が響く。

 前を見ると、クルーガが怒り心頭といった形相をしていた。

「それ以上動くな! ファイドル、お前はいま魔王クラディオ様を暗殺したと決定された大罪人だ。それ以上動いてみろ、すぐにお前の首を刎ねる。クラディオ様が感じた痛みの片鱗を味わわせてやる、裏切り者が!」

 怒りで真っ赤な顔になっているクルーガと対照的に、ファイドルは青ざめる。

 あと少し早ければ。既に弁解できる状況ではなくなっていた。

 身体を硬直させたファイドルに満足したのか、クルーガは頷いた。

「これより統一法に従って、多数決を取ります。元老院の皆様がた、彼を死罪にすべきと思う者は手を挙げてください」

 恐る恐る周りを見渡すと、十数名の元老院議員がしっかりと挙手していた。過半数どころじゃない、満場一致だ。

 ありえない、満場一致なんて。彼らとの関わりは少ないが、それでも誰かしらファイドルを庇おうとする者がいるはずだ。魔王と同じくファイドルもそれなりの立場にあるため、揃って死ねば余計に混乱を招くだけだ。なのに、満場一致とは。濁った嫌な空気を感じた。

 まさか、ファイドルは嵌められたのか。

 親友を殺した犯人が、ファイドルをも嵌めるために根回ししていたのか。そう考えれば辻褄は合う。クルーガの様子から、彼は無関係なのだろう。ただ視野が狭窄していて、満場一致という不自然さに気付いていない。

「過半数の同意より、ここでファイドルを死刑とする。……殺せ」

 頷いた騎士が、剣を振り上げたのが肌で感じられた。

 流れが悪い。このままだと本当にファイドルも殺されてしまう。どうすればいい、何か起死回生となる一手はないか。何も思いつかない。諦めるな、何か――

「――待て」

 凛とした声が澄み渡るように響いた。

 現れたのは、一人の少女。

 長く艶のある黒髪、煌々と光り輝く紅玉の両眼、その体中から滲み出る魔力。しかし、その身長はファイドルの半分にも届かない。この場には似合わない、ちんちくりんな少女だ。

 それでも、ファイドルは確信できた。その少女は魔王の娘だ。話としては聞いていたが、顔を合わせたことはなかった。だが、その放たれし威圧感が魔王という存在を本能に刻み込む。

「妾は魔王クラディオの娘、エリアである。魔王が不在となれば、魔界で混乱が起きるのは避けられぬ。したがって、この場を持って、妾は十二代目魔王として王位を継ぐ」

 いきなり何を言い出すのだろう。周りにいた者たちもそう考えたらしく、ざわめきが広がる。だが、反対意見はない。クラディオの娘として既に彼女の才能は知れ渡っているし、彼女は魔王の証を正当に継承している人物だ。今の魔王が死んで、次の魔王を名乗るのは正しい行いだ。

「反対意見はないようじゃな。では、妾は今より十二代目霹靂の魔王エリアである。心得よ、クルーガおじさまと元老院がた」

「……はっ!」

「うぬ。では、魔王として命令する。今すぐファイドルの戒めを解き、すぐさまに家族の元へ届けさせよ」

「なっ、何を突然言い出すのですか! お嬢さまは――」

「そもそも、最後に我が父と会っていたのはファイドルではない。この妾じゃ。その時にはまだ父は健全であったため、ファイドルが暗殺したとは考えられぬ。他の証拠もいささか信憑性に欠ける。地霊族族長である彼は謀反を起こそうと画策していただと? 馬鹿者め、彼が我が父と誰よりも親密な関係であったのは、何よりも妾が知っている。彼を死刑にしたいのなら、もっとましな嘘を使え」

「ですが!」

「ファイドルは殺していない、濡れ衣じゃ。犯人は他におる。彼を解放し、真犯人を見付けよ」

「……お嬢さまの命令とあらば」

 そこで思考が記憶の過去から戦場の現在へ浮上する。

 幼き日の魔王エリアの姿が、隣に立つ狐面の少女と重なる。

 あの一件以降、魔王エリアと対面したことはついぞない。先代魔王暗殺の犯人か、それとも親子に渡る魔王を心から大切に想っていたクルーガか、誰かによる裏工作のせいで。それでもあの幼かった魔王エリアが順当に成長すれば、まるで眼前に立つ少女のようになったのではないか、とも思う。

 さておいて、魔王エリアはとにかくファイドルにとって尊敬していた親友の娘であり、冤罪を晴らしてくれた恩人であるのだ。そんな彼女が人界の街コズネスに幽閉されているという噂が部下の間で流れ始めたのは二週間前のことだった。もし普段のファイドルならその情報を馬鹿らしいと鼻で笑う所だったが、ちょうどその頃は魔王エリアが突如行方を晦ました、という手紙が元老院から届いていたため、ファイドルの中で信憑性が高まったのは事実だ。

 もちろん、エリアが幽閉されていないなら、何の問題も生じない。彼女は希代の才能を見せ、誰も成し遂げなかった八重魔法(オクタプルクラフト)を実現したばかりか、あらゆるものを拘束する創造魔法オリジナルクラフトさえ開発したというのだ。僅か十四歳といえども、霹靂の異名を持つ魔王たるエリアが、やすやすと人族に後れを取るとはどうしても思えない。同時に、魔王城からコズネスまでいったいどれほど離れている。こんな長距離を短時間で移動しようなら、古の大戦で失われた転移魔法でも使わなければならない。

 そんなわけでファイドルは噂を全く信じていなかったのだが、その噂を広めた部下がそれなりの立場にあり、噂自体も部下の間で広く信じられてしまったのだ。いかに族長であろうと部下の申し出を断るのは難しく、その噂の真偽を確かめるだけという条件付きで、こうした進軍を認めたのだ。

 ただその判断も――

「……ミスったな」

 噂の真偽を確かめるにはコズネスへ侵入しなければならない。コズネスへ侵入するには、前方に展開している人族の軍を突破しなければならない。死者を出すなとは通達しているが、それでも双方共に被害が出るのは確実だろう。

 まあ、仕方ない。ファイドル自身も噂の真偽を確かめたいのだ。魔王エリアが本当にコズネスへ囚われているのなら、助け出さなければいけない。先代魔王クラディオからも娘を頼む、と言われているのだ。ならば、連れてきた部下たちはあちらの軍とぶつけて、その戦場をファイドル一人で突破する方がよさそうだ。

 そんなことを考えていた時、ぴりっとした感覚が肌を撫でる。

「ほう?」

 姿は見えない。が、ファイドルに匹敵する実力者がコズネスにいるみたいだ。騎士団支部長のアングリフという奴もそれなりの強さだったが、加護持ちであるファイドルにとって敵ですらなかった。だが、練り上げられた闘気がここまで届くのなら、同じく加護持ちなのだろう。

「――この感覚はエイジじゃな」

「エイジ? 誰だ?」

 聞き返すと、狐面の少女は顔が隠れていても声音でわかるほど自慢げに言う。

「エイジは妾の騎士じゃの。――彼の相手はファイドル殿の部下では無理そうであるゆえ、戦場を突破するのなら、彼を倒してからでなくてはならぬな」

「強いのか?」

「強い。そなたの方が強いかもしれぬが、慢心していると足元を掬われるぞ」

 その言葉を最後に、少女はファイドルから離れていく。向かう先にはコズネスの堅牢な城壁が聳え立っている。今更ながらに、少女がコズネスへ向かいたがっていた理由、ファイドルの軍に同行した理由を聞いていないと気付いた。

 それよりも、足元を掬われるか。ファイドルにとっては考えてもいなかった言葉だ。

 地霊族の屈強な肉体に加えて、幼いころから加護持ちであったファイドルは、同族の間でも負けたことはおろか引き分けたことすらない。万物を凍らせる創造魔法オリジナルクラフト使いの先代魔王クラディオには及ばないかもしれないが、実際に戦ったことはないのだからわからない。つまり、敗北を知らないのだ。自分に匹敵する相手がいなかったため、常に孤独。試合も手加減ばかりで、全力を出し切ることはなかった。

 いい機会だ。その相手がいるのなら、本来の要件を後回しにしてでも戦うことにしよう。

 ファイドルは見渡して部下全員が戦闘態勢なのを見届けると、声を張り上げた。

「我が同胞たちよ! 戦いの幕を上げる! 相手を殺さないのなら、それぞれ各自の判断で動いてよし! ――――では全軍、突撃開始!!」

 この瞬間、後にコズネス攻防戦と呼ばれる戦争が始まったのだ。


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