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リメイク中作品  作者: 沿海
2章 汝は何を望み、誰が為に戦う165745
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37 開戦前夜7060

 冬がすぐそこまでやってきた、ある夜のこと。

 コズネス常備軍と騎士団の数割が、南西方向の城壁外へ展開した。そしてその前方、わずか数キロル先には大量の篝火が焚かれ、満点の星空の元で揺らめいている。

 地霊族、二千の軍。

 どどろん、どどろん。

 相手側が鳴らした戦太鼓は、数キロルの距離をものともせずに伝播し、この城壁さえ揺るがしたような感覚がした。

 数としては知っていたが、この距離で睨み合う両軍の全容を見れば、俺でさえ寒気を覚える。かつて勇者として旅していた頃は何度も敵地で孤立したことがあるが、どれも命からがら逃げだせたのは運がよかっただけだ。まして相手が地霊族となると、一瞬で布切れのようになることだろう。数の暴力とは、そういうことだ。

 現在は、第二十三の刻。

 篝火があれども、もう城壁の辺りは闇に包まれている。魔法が、特に照明魔法が使えない地霊族ならば必ず実力が発揮できるように、太陽が昇ってから攻撃を開始するはずだ。だから、開戦までは後七時間程度も余裕がある。

 もちろん奇襲などの可能性も考慮して一定の見張りと巡回はいるが、コズネス常備軍とアルベルト騎士団との連合軍はほとんどはゆったりとくつろいでいた。

 俺はもう一度、睨み合う両軍を一瞥して、城壁から飛び降りる。

 ちょうどそこには臨時で準備された黒い天幕が並んでいて、その一角にある総合指揮室へ俺は入った。中はそこまで広くないのに、内装と状況が狭苦しさと暑苦しさを強調している。部屋の中央には会議室から運ばれた長机が鎮座し、そこにはいつかのようにコズネス周辺の地図が広げられている。長机を囲んでいるのは、八名の大所帯。オリバーとアングリフとアガサ以外に顔を見たことがある人物はいない。

 俺は全員の視線を集めながらどうすべきか考え、素直にオリバーの隣へと移動した。

「すまん、遅くなった」

「いいよ、君もこの作戦の要だからね。――では、全員が揃ったみたいだし、最後の作戦会議を始めよう。まず最初に、この場にいる君たちは僕が信用できると思った隊員だけだ。しかし、できるだけ伏せたい情報があったため、今まで詳細な作戦を伝えなかったことを詫びる」

 フリドは頭を下げた。

 この作戦には勇者である俺と魔王であるエリアが関わってくる。その事実をそのままに伝えてしまうと、整世協会の信者もいるアルベルト騎士団の内部で混乱どころが暴動さえ起きる可能性があったから、オリバーはこうして直前まで情報を統制していた。

「今回、相手となるのは地霊族が二千。対して僕たちはコズネス常備軍が二千、騎士団が千、場合によっては冒険者も招集可能だ。例え地霊族の身体能力がいかに高いといえども、魔法もある僕たちの圧勝だろう。……しかし、ある筋からの要望で、この戦いでの死者はできる限り少なくしたいと考えている。例え、相手の地霊族だろうと、死者を出さない方向で戦うことになる」

「そ、それはっ――」

「最後まで話を聞きなさい。事前に通達していたように、この戦いで攻撃魔法の使用は禁ず。代わりに、前線には支援魔法を、城壁に強化魔法を優先的に掛けて欲しい。主に戦うのは騎士団と防衛軍の密集体形部隊になるが、相手を倒すというよりも、むしろ時間稼ぎを第一にしてくれ。城内に相手を侵入させなかったら、僕らの勝ちだ」

 一同が作戦の概要を理解しきれずに困惑した顔だ。

 微妙な空気が漂う中、机を隔てて眼前に立っていた勇気ある男が、質問の意思を示すように挙手した。オリバーが頷きで許可すると、彼は着込んでいた鎧をかしゃりと鳴らしながら立ち上がり、上司であるフリドに向かって確認するように聞く。

「こちらとしても隊員に被害を出したくないため願ったり叶ったりな作戦ですが……つまり、限定的な籠城戦をするということですね。しかし、攻撃魔法の使用が禁じられた上で相手を傷付けないように戦えるほど、地霊族は弱くありません。籠城戦ということは、何か状況が変わるのを待つ、ということですか?」

「うん、そうだね。まず、確かに地霊族の身体能力は侮れない。だけれど、信用できる内通者から独自入手した情報によると、彼らの目的は城壁内に囚われていると噂されるある人物の救出。その達成にあたり、彼らは僕らの防御を突破して、この堅牢な城壁を超えようとしている。しかし、地霊族は君たちも知る通り、誰も傷付けないことを信条としていて、今回もその例に漏れないと内通者も保証している。地霊族も僕らをできるだけ傷付けないように戦うみたいだ。つまり、この攻防戦は茶番も茶番、意味のない戦いだ」

「なるほど、つまり私たちは城壁の死守をすればいいわけですね。ですが、普通の地霊族なら私たちでも喰いとめられるかもしれませんが、彼らの族長である男は我らのアングリフ隊長でさえ手も足も出せない強敵です。私たちの防衛は簡単に突破されるでしょう。そこに関してオリバー総長はどうお考えですか?」

「ここに立つエイジ君に任せようと思う」

 その言葉で怪訝な視線が俺の全身に突き刺さる。実力を推し量るような視線だ。

 もちろん彼らは俺の正体を知らないし、加護持ち同士にしか伝わらない独特のオーラがわかるはずもなく、彼らにとって俺はなぜかこの会議にしれっと参加している部外者なはずだ。それもそうだろう。俺は一般的な身長に対して、アルベルト騎士団の隊員は鍛え方が違うのか屈強な体格の者が多い。こうして囲まれると、とても強そうに見えないだろう。

「お待ちください、総長。こんな子供が強いなんて思えません。あの族長ファイドルの相手をするのは、相性的にオリバー総長の方が適任だと考えられます」

「いやいや、彼は強い。この僕が保証する。少し前に手合わせをしたんだけれど、手も足も出ない完敗だったよ」

「総長がこんな子供に負けるなんて信じられません!」

「――彼の正体は七代目勇者エイジ。君たちの中でも覚えがある者はいるんじゃないかな? 四年前にここでアングリフと戦っていたことだし」

 切り札らしき重要な情報を開示したオリバーと裏腹に、俺への怪訝な視線が強まる。

 やはり、信じられない。

 だが、ここで俺が強いと証明しなければ作戦に支障をきたすことになるし、俺に負けたと公言したオリバーに恥を掻かせてしまう。いや、あるいは、それも織り込み済みなのかもしれない。オリバーとはそれなりに話す機会があったが、未だに何を考えているのか腹の底が見えない。

 仕方ない。軽く室内にオーラというべき圧力を発生させる。

 受けた騎士団隊員たちは抜刀の気配を刹那的に見せたが、即座に剣を抜かなかった自制心は凄いと思う。

「まあ、こんなわけで、彼が強いのは信じてくれたかな。ただし彼の正体についてはここだけの話ということで。――さて、何か状況が変わるのを待つ、だったかな? その質問には、魔王を待つことになると回答しよう」

「ま、まおう? それは比喩か何かでしょうか?」

「違うよ。正真正銘の魔王。魔界で名高い、十二代目霹靂の魔王本人に来てもらう手筈になっている」

 次の爆弾発言には、流石に自制心が持たなかったようだ。質問していた男は机上の地図に皴ができるのも厭わず、というか気付かず、乗り出すように聞き返す。

「どういうことですか!?」

「今回は訳あって、魔王御本人様が地霊族の進軍を止める手筈になっている。きっと理解ができないだろうが、この作戦を成功させることができれば、世界平和が手の届く距離まで近付く。この作戦は勇者と魔王という本来ならば敵同士である二人の協力によって成功する。要するに、人族と魔族の歩み寄りが示されるわけだ。僕たちが掲げる方針は昔から『戦火から民を守る』から変わっていない。以前、君たちには僕が思い描く未来を話したよね? その計画の工程が少し前倒しになるだけさ。……だから、どうか君たちも協力してくれないか?」

 俺は知っている。フリドは抜かりない人物だ。

 だから、その願いを無下に扱う者はここにいることは絶対にない。

 最初に質問をした男が悩みながらも頷く。

「……もちろんです。私たちは総長の滑稽な夢に夢見た馬鹿なんです。どんな指示でも従います」

「本当にありがとう。それじゃあ、他の作戦は前の作戦会議と同じだから、これからは個別の質問時間としようか」

「では、僕からいいですか? まずですが、具体的に魔王はどのような目的で――」

 これ以上は俺がいてもいなくても同じだろう。抜ける旨を小声で伝え、天幕の外に出た。

 寒い。

 冬が近く、雪が降るのもそろそろだろう。

 吐いた息が白く染まり、綺麗な空気が満点の星空を透過する。

 時間が遅いのに、まだ炊き出しが続いているのか。広場はちょっとした人混みが見え、人々はポタージュの入った器を片手に談笑している。戦を前に、尤も茶番と称される戦だが、死者が出るかもしれない争いの前に楽しそうな様子は、どこか非現実的な光景だ。彼らにとっては当然なのかもしれない。いつ死ぬのかわからないから、悲観的に考えるのは損で、いまこの瞬間を全力で楽しまなければならない。そんな強迫観念。

 戦場で後ろめたさを感じながら生きてきた俺には、納得できても心から理解できることはない。

 あの会議に俺がいても使い物にならないし、作戦の確認も武具の手入れも既に終わらせている。行く当てもなく、割り当てられた寝床はあっても寝ることはできないため、暇を持て余していた俺は、またもや風素の補助で城壁を駆け上がった

 城壁の上からは、やはり両軍の様子がはっきりと見えた。何度も見ているから今更なことだ。一瞥だけに留め、俺は横になった。

 突如、視界一杯に広がる夜空。

 黒いキャンバスに麦粒がはらりと落ちているみたいだ。

 こうして一人になるとどうしても考えてしまう。

 あの悪夢。滅ぼされた故郷の隣人。俺が今まで殺した魔族。寝る度に、彼らの憎悪が籠った声と血塗れの姿が俺の精神を蝕む。常に俺が生き残った。死者には俺を恨む権利がある。アガサは死者なんて過去なんてどうでもいいみたいなことを言っていたが、俺はそう思わない。エリアと一緒に未来を目指すなら、俺には過去と向き合って決別する義務がある。

 ただ、大量の魔族を殺してきた俺にそれが許されるのか。

 ある時は、別の悪夢も見た。

 初めて殺してしまった魔人族の少女、メリーが暗闇の中で俺を罵る悪夢。どうして私を殺したの。どうして私を最初に殺したの。何も悪いことなんてしていないのに。私の家族もエイジたちが殺した。なのに、どうして。犯した沢山の罪を忘れて、どうしてのうのうと生きている。私を殺したのに、どうしてエリアとかいう同じく魔人族の少女と共に旅をして、普通に笑っている。おかしい。私は殺されたのに。おかしい。もっと殺せ。私たちだけでなく、もっと殺せ。地獄に落ちろ。もっと、もっと、もっと――

 冷静な思考で考えれば、その悪夢は不可解だ。俺が魔族の惨殺を止めたことに対して、メリーという少女が祝福するならまだしも。もっと殺せと言うのは、理屈に沿って考えればどこか不可解である。

 しかし、その不可解な夢は一度しか見ていないのに、何度も見た故郷の隣人が俺を誹る夢よりも、何故か頭の片隅にこびりついて離れない。理由は単純だろう。メリーという少女の姿が、夢とは思えないほど明瞭だったから。

 悪夢は俺の記憶を元に形成されているのか、はっきりと思い出せない父さんの顔も母さんの顔も、今思えばはっきりとしていなかった。初恋の隣人だったセシリスという少女も例には漏れない。それなのに、メリーという少女はどうしてか繊細で明瞭だった。しかも、あれから三年経った年月を強調するように、彼女が生きていればこんな姿になっただろうと主張するように、ご丁寧なことでメリーは記憶よりも成長した姿で現れていた。自然すぎて不自然なその姿は、生き写しのようだった。

 だから、彼女が悪夢の中で語った訴えは、正当なもののように感じてくる。

 まさか、魔族をずっと殺し続けているのが正しい答えだったのか。

 そんなはずはない。だが、もしかしたら。

 そんなどうしようもない考え。

 自分で思い悩んでも解決できない考えは、いつだって他人が解決する。

 今回もそうだった。

「よう、少年。思い詰めた表情だが、悩みごとか? 想いに耽るのは黄昏時って決まってるぞ」

 俺の顔を覗き込んできたのは、無精髭が目立つくすんだ金髪の男であった。

「……アングリフか。どうしたんだ?」

「どうしたもなにも、難しい話が嫌だから抜け出すと、先に抜け出した少年を見付けてな。――それで? 何に悩んでいるんだ?」

 顔をしかめる。俺の悩みは俺個人にしか関係ない。他の人に聞いてもらって解決するのだろうか。アガサの場合は参考にならなかったというより、余計に問題が複雑化したようなものだし。

 思い返せば、アングリフは俺に戦いの技術を教え、魔界へ送り出した張本人。悩みに関係なくはないから、相談しても問題ないだろう。

 黙考を破り、拙いながらも言葉を紡ぐ。

「……四年前、俺は勇者に任命されて魔界へ踏み出した。俺は故郷を魔族に滅ぼされている。だから、憎しみで魔族を殺せると思っていた」

 でも、違った。

 戦場で見た真実は。

 魔族も人族と同じだった。朝日と共に起床し、家族と食卓を囲み、平和な日常を享受し、来る明日へ想いを馳せて床に就く。人族と何も変わらない。どちらも同じ人間だった。同じ生活をしていた。同じ言葉を話していた。同じように笑い、同じように悲しみ、同じように――

 殺したくなかった。仲間は何の感慨もなく殺していた。でも、俺だけは殺したくなかった。魔族は人族もどきじゃない。殺せば殺人者と同じだ。

 けれど、勇者という肩書に伴う責任は逃げるのを許してくれなかった。初めて魔族を斬った時の感触が、手にこびりついて忘れられない。血飛沫が舞い、少女の身体が崩れ落ちた。

 あれからどれだけ魔族を殺しただろう。覚えていない。十人殺すまでは顔を覚えていた。百人殺すまでは数を覚えていた。千人殺したかどうかは、もうわからない。何度も仲間から諭された。世界とはそういうものだ。世界とは残酷なものだ。強者によって弱者の生活は踏みにじられるのが世界の真理で、だから、勇者は何も思い悩む必要はないと。

 俺には不可能だった。常に屍の上を歩いているような感覚がして、世界が色褪せて見えた。

 だからだ。

 だから、俺は魔王エリアが語る世界平和という夢に酷く心が惹かれたのだ。彼女と行動する内は世界が輝いていて、自分が過去にした罪を忘れることができた。

 しかし、今はエリアと別行動している。こうして一人になるとどうしても考えてしまう。

 逃がさないぞと主張するが如く悪魔が自己を蝕み、やるせない自己嫌悪を増幅させる。やはり俺は、俺だけは過去から逃げては駄目だったのではないか。許されてはいけなかったのではないか。俺の心はまだ戦場に囚われたままなのではないか。こうして思いを他人に曝け出すのは、許されたいという身勝手な願望の裏返しなのではないか、と。

「――なるほどな、少年。お前が悩んでいるのは、戦う理由を失ったからだ。少年、お前は何のために戦っている? 何のために剣を振っている?」

「……わからない」

 救いを求めるように見上げる。

「以前までお前は復讐と魔王打倒のためと自分に嘘を付いて戦っていた。最近のお前は世界平和のためと考えて戦っていた。しかし、過去にしてきた罪の数々を思い出して、自分だけ夢を追うのは虫が良すぎると思った。だから、戦う理由を失って、どうすればいいのかわからない」

 それはある意味、俺の本質を捉えた結論だった。

「お前はお前自身を許せない。それなら、もういっそ許さなくていいんじゃねえか? 戦う理由を自分のためではなく、誰かのために転嫁すればいい。あの先代魔王クラディオの娘だっていう少女がそれだ。少年はあの少女のために戦って、だから、過去に重ねた罪は関係ない。もうそれでいいだろ?」

「それは――」

「ああ、現実逃避だ。ただ、罪を忘れろって言ってるわけじゃない。いつか罪を清算しなければならない時が来る。だが、それは今じゃないってだけだ。それまでに犯した罪を負から正に返るぐらい、少年が素晴らしい行いをすればいい。十人殺したら百人救えばいい、百人殺したら千人救えばいい、千人殺したら世界中みんな救えばいい。つまり、世界平和を実現しちまえば、罪を償うどころか感謝が返ってくるぜ」

「…………」

「まあ、それに少年が明日もくよくよ思い悩んでいると、俺たちの計画が破綻するからな。さっさと立ち直ってくれ」

 茶化すように加えるアングリフに考えすぎだと言外に言われた気がする。

 確かに、考えすぎだったのかもしれない。戦う理由は難しくなくていい。クルーガと約束したのと同様に、エリアを守るため、それだけで。いつか過去の罪を償わなければならない時が来るかもしれないが、戦う理由が明確になった今はもう恐れることはない。

 ああ、エリアと合流できる明日が待ち遠しい。

 アングリフが苦笑したのは、そんな心の声が漏れていたからかもしれない。


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