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リメイク中作品  作者: 沿海
2章 汝は何を望み、誰が為に戦う165745
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35 エイジの苦悩9045

 暗闇を歩いていた。

 まるで星屑一つもない夜空のような暗闇だった。

 光源なんてない。なのに、俺の身体はぼうっと不気味に発光している。

 そんな暗闇を歩きながら、ふと考える。

 俺はどうしてここにいるのだろう。

 わからなかった。直前の記憶を思い出そうとするが、頭の中に霞が張ったみたいに何も思い出せない。ただ、それで問題があるわけでもないからいいだろうと、無心で前進を繰り返す。

 光もない。音もない。においもない。そんな空間を何も考えずに歩き続けると。

 前触れなく、前方に炎が見えた。暗闇のずっと奥で燃え盛っている炎。火柱を立ち昇らせ、距離があるのに、ぱちぱちと音が聞こえる。

 燃えているのは、なんだろう。

「……っ!」

 それを頭で認識するよりも速く、俺は駆け出していた。

 燃えていたのは、一軒の家だった。

 木造で、しかし石造りの暖炉と煙突。小さな庭の楓は秋になると紅葉して綺麗だった。唯一の出入り口である扉に刻まれた幾本の傷は、俺が年を経る毎に記録された成長の証。その家は十年間俺が両親と共に過ごした、思い出が詰まった結晶。

 帰るべき家が燃えていた。

 視点が低い。手足が短い。息が簡単に上がる。もっと上手い身体の動かし方を知っていたはずなのに。どうしてか絶望的なまでに一歩で進む距離が短い。もどかしさを感じながら、そうしなければならないという強迫観念だけで、一歩、また一歩と前へと走る。

「――父さん、母さん!」

 そう叫びながら、ドアを破るように家へ転がり込んだ。

 家の中も燃えていた。火の手が蛇のように壁を伝い、視界を赤く染めている。煙が充満して、まともに呼吸ができない。天井の一部が既に崩落していて、今にも全てが炎の下敷きになりそうだった。

 それなのに――

「おう、帰ってきたかエイジ。そんな血相を変えてどうしたんだ? とりあえず、席に座って飯を食え」

「帰ってくるのが遅いよ。心配したわ。今日はエイジの好きなシチューよ。先に私たちは頂いてるから、早くエイジも食べなさい」

 村の衛兵を務めているからか、程よく筋肉が付いた体躯の父さん。曇ることのない太陽のように、周りを明るく照らす母さん。

 俺が見たのは、普段通りに談笑しながら食事をしている二人の姿だった。

 理解できなかった。

 二人の傍にも火が回っているのに。天井を支えている梁の破片がぱらぱらと落ちてくるのに。このままだと焼かれて死ぬのは時間の問題なのに。異常の中で普段通りに振る舞う両親を理解できなかった。

 僅かな逡巡もなく、喚くように訴える。

「――どうして! 早く逃げないと、父さんも母さんも死んじゃうよ!」

 食卓を囲む両親が、怪訝な表情で煤まみれの俺を眺め、ああ、とすぐに思い至ったように母さんが言葉を発する。

「死者は二度も死なないわ」

「――え?」

「私たちはもう死んでいるから」

 母さんがなんともなしに言葉を発した瞬間。

 ぴゅうっと血が舞った。

 父さんの首が取れて、ころりと地面に落ちる。なんの感情も抱いていない目が、俺を見る。

 轟っと、炎が迸った。

 母さんの身体内側から火が噴出し、雪のように白いその肌を消し炭に変えていく。悪臭が鼻孔を刺激した。

 ああ、そうだ。そうだった。

 あの時の記憶が濁流となって意識を飲み込む。

 戻った俺が見たのは、火がそこかしこで立ち上る村。一歩進むごとに見覚えのある村人たちのパーツが転がっていて、そこには父さんの首もあった。燃え尽きた家の下敷きになっていたのは、母さんと思われる真っ黒の焼死体。みんな死んだ、誰も残っていなかった。イザラと俺だけが生き残った。誰の最期にも立ち会えなかった。誰も守れなかった。みんな死んで、イザラと俺だけが焼かれた村に残された。

 記憶と直面した現実が重なった。

「ああっ……」

 膝から崩れ落ち、嗚咽が漏れ出る。

 これはあの記憶の再現だ。父さんも母さんも失ったあの日の。

 理解した事実に呆然とする俺に対し、炎に包まれた眼前の母さんは縋るように、俺へと這いずり近付く。その速度は赤子の匍匐移動よりも遅く、しかし、俺は眺めるだけで何もできない。ずりっ、ずりっ、と嫌な音が響く度に距離が縮まり、ついに、母さんは俺の鼻先まで辿り着いた。

 本当の意味で火事場の馬鹿力か、ぎこちない動作ながらも母さんは顔をもたげ起こす。

「……ねえ、どうして。ねえ、教えてエイジ。どうして私たちは死んだの、ねえ」

 揺らめく火柱の中から、対照的に悲しそうな苦しそうな冷たい視線だけが届く。

「魔族がいたから。あいつらがいたから私たちは死んだ。ねえ、エイジ。あなたは魔族を駆逐してくれるのじゃなかったの? 私たちの憎しみを背負ってくれるのじゃなかったの? ねえ、教えて?」

 業火に焼かれる白い両腕が伸びて、俺の細い首を掴んだ。振りほどくことはできない。加護もない女性の握力なんてたかがしれているはずだ。だが、その締め上げる握力は俺の抵抗を封じた。

「かっ、母さん?」

 無抵抗な俺の首を掴んで揺さぶるように激昂した。

「死んだ私たちに代わって殺してくれるのじゃなかったの? あの日の地獄と復讐の決意を忘れたの? どうして魔族の少女と共にいるの? ねえ、教えて。教えてよ。教えて、教えておしえてオシエテねえドウシテ、オシエテどうして!」

 俺の首を掴んで離さず叫び続ける母さんの問いに、俺は何も答えられなかった。

 どうして、どうして、どうして、どうして。

 どうして、私たちが死んで、お前が生き残っている。どうして、私たちだけが殺された。

 どうして!

 と、繰り返す声に、俺は何も答えられなかった。

 力尽きたのか、母さんの両腕が俺の離れて、声も途絶えた。

 失望したような虚ろの眼差しを最後に、狂熱の業火が吹き荒び、母さんの身体を灰に変えていく。今まで身体のかたちを留めてきていたのが奇跡に見えるほど、いとも簡単に身体がひび割れ灰に転じ崩落し霧散し消滅し、後には何も残らなかった。

 悲嘆に暮れる間もなく。

 突然、聞き覚えのある声が響いた。

「――どうして?」

 はっと振り向くと、炎と煙の中から少女が現れる。

 風に靡く稲穂のように輝いた金髪と、誰も彼もを虜にする底抜けの笑顔。身長と同じほどのキタローネという大型楽器の演奏が得意で、よく英雄譚の語り弾きをしてくれた。隣の家に養子でやってきた、天使を具現化したような少女。俺よりも少し年上で、俺にとってはお姉さんのような存在で、そして、初恋の相手。

 セシリス。

 俺の唇が動いて、四文字の名前を零した。

 俺とイザラを保護した騎士団からは、生き残りは俺たち二人だけだと言われていた。でも、彼女の死体を俺はこの目で見ていないから、きっと今もどこかで生きていると信じていた。

 だが、黄金の金髪を血に濡らしてここにいるということは、つまり、そういうことなんだろう。

「どうして?」

 その問いは母さんと同じ響きで、俺を言外に責め立てる。

 それを皮切りにだった。

 炎の奥から、次々と声の主がわらわらと現れる。獣を狩っては、得た肉を分けてくれた兄貴的存在のオルウィン。一緒に野原で駆けっこして遊んだ亜麻色髪の少女、リリアナ。

「なあ、エイジ。なぜお前が生きている?」

「助けて、誰か助けて! 私の子供が!」

「熱いよお、痛いよぉ」

 俺と同じくセシリスに密かな想いを寄せていたセトが。難産ながらも息子が生まれたと喜んでいたマリアーナが。俺に酷く懐いてくれたリトが。

「許さない、許さない許さないゆるさない」

「死にたくない、まだ死にたくないのにぃ」

「裏切り者! 俺たちを救ってくれるんじゃなかったのか!?」

「エイジ、エイジ。私の腕はどこ?」

 アルノードが、アリスが、ジャンが、カルメンが、死んだはずの亡霊たちが。

 次々と恨みの声を上げる。その憎しみの矛先は村を滅ぼした魔族へなのか、生き残ってしまった俺へ対してなのか、ごちゃ混ぜでわからなかった。セシリアが正面から俺を抱きしめるように拘束し、リトが小さな手で俺の足首へしがみつく。決して離さない許さないと。

 あれほどまでにみんなともう一言でもいいから話したいと切望していたのに。これは、こんなかたちは望んでいないなかった。

 苦しい、痛いと。そうすすり泣きながら次々と亡霊が現れる。その数は十を超え、二十に凌駕し、三十に達し、四十五十と膨れ上がる。全てが顔見知りで、だからこそ、恐怖と絶望に顔が歪んでいたり、身体の一部が欠落していたりしているのを見ると、心が蝕まれていく。

 ばらばらと。

 炎の勢いに負けた組木が落ちてくる。天井が崩落してくるまで時間がなさそうだ。

 終幕を感じたのか、亡霊たちの勢いも熱狂的なものに代わる。怨恨の声は絶えず、全方位から伸びた無数の腕により俺の服が引っ張られる。

 跪いて、両耳を掌で塞いで、じっと堪えるだけで限界だった。

 もう嫌だ。何も聞きたくない。何も知りたくない。

「――やめてくれよ」

 そう懇願するが、俺の心を抉るように、取り囲む亡霊の数は増えるばかり。耳を塞いで得られた恩恵は束の間で、掌を貫通して怨恨の声が飛び込んでくる。上書きするように、頭を抱えて絶叫した。

「やめてくれ、やめてくれよ! もう、やめてくれ。嫌なんだ、俺から離れてくれ。やめてくれ――

 叫びは途中で。

 崩落してきた天井が、俺と亡霊たちを一緒くたにに飲み込んだ。



 ――やめてくれ!」

 叫びながら、がばりと身を起こした。

 枕元に立て掛けていた剣を手に取って、そこで初めて自身の状況を把握する。

 場所は、鍛冶工房の二階。リビングの中央で鎮座するソファーに俺はいた。つまり、俺は眠りから覚めたばかりなのだ。

 じっとりと背中に汗で張り付いた衣服と、破裂しそうなほど鼓動を重ねる心臓が気持ち悪い。荒ぶった身体と心緒を宥めながら、直前の自分を思い返していく。

 先ほどまで見ていたらしい悪夢は、細部の記憶はもう欠落し始めているが、まだ覚えている。真っ暗な闇中を歩いていた俺は、燃え上がる自分の家を見付ける。駆け込んだ俺は両親との再会を果たすが、すぐに父親は死んで、母親は業火に身を焦がされ、続けて炎の中から故郷の隣人が現れて。どうして殺されたのだの、どうして魔族を殺さなくなったのだの、恨みと責めの言葉を俺に浴びせて。家の天井が崩落して、その悪夢から目が覚める。

「……またか」

 また。今の状況を表現するならその言葉が相応しい。

 ここ数日、眠ると必ず悪夢を見る。しかも、何かの思惑が働いているのか、全く同じ内容の悪夢を続けて見続けていた。それなのに、夢の中で俺はこれが夢の中だと気付くことは決してない。考えれば、不自然な内容にも関わらず、加えて両親の顔も本当に両親なのか怪しいほど輪郭がぼやけて、それどころか俺の身体は四年前に遡っているのか身長も低く手足も短いのに、俺はそれが夢だと気付くことはなかった。だから、彼らに掛けられた責めの言葉は俺の心を抉り、重ねてきた罪の数を自覚させてしまう。

「くそっ!」

 悪態を付いてしまうのもやむなし。こんな時は気分転換に限る。

 着替えの必要はない。俺はソファーから完全に起き上がると、勇者時代から長らく使っている、とはいっても成長に伴い何度も新調されていた革製の靴に両足を通し、剣を腰帯に引っ提げるだけで、階段から下へと降りる。

 高鳴っていた心臓のせいで気が回らなかったが、工房では既にイザラが仕事を始めていたようで、奥からはガンガンと周期的な鈍い金属音が聞こえる。混じって微かにイザラの鼻歌が聞こえるのは、振るう鎚のタイミングを掴むためか。

 仕事の邪魔をしては悪い。挨拶もなしに、俺は裏口から併設された庭へ出る。

 太陽はすでに高く昇っていた。そろそろ昼時だ。

 本来、俺は決まった時間に目が覚める。だいたい日の出と共に起床して、仲間たちが起きてくるまで剣の素振りをするのが旅の日課だった。例え、野宿だろうと町宿だろうと、その日課は忘れたことがなく、日が登る頃に眼が覚めるほどだ。身体に染み付いた癖になっているのだ。

 だが、やはり悪夢のせいか、その生活周期が狂って、起きる時間がこんなに遅くなってしまった。

 明日も、そして明後日も続けて同じような悪夢を見るのなら、何か対策を考えなければいけない。そもそも女神に与えられた勇者の加護による効果か、俺は一睡もしてなくても行動に支障が出ない身体になっている。寝ないという選択肢もありだろう。

 井戸から組んだ水は冷たかった。

 顔を軽く洗ってから、俺は腰に掛けた鞘から宵闇の剣を抜き立つ。

 澄んだ音と共に引き抜かれたのは、細くて真っ黒な刀身。柄を両手でしっかりと握ると、天へ掲げるが如く頭上に構える。ぴたりと静止した体勢から、まっすぐに振り下ろす。

 剣風が周囲の雑草を揺らした。動きに逆らわずに、剣尖を腰だめへ構えると、動から静へ。僅かの動きたりとも許さないという心算で、身体のブレを極限まで抑える。

 そしてまた、静から動へ。横薙ぎに振り抜く。

 まるで演武のように。素振りを繰り返す。これは古代流派剣術オルドモデルと同じ軌道を辿った動きだが、剣技の発動をイメージしていないため、宵闇の剣に炎のような深紅の輝きが宿ることはない。旋緋から紅弦、噴炎から赤釘。一周終われば、もう一周。同じ動きを繰り返す。

 本質が勇者というより剣士だからであろう、剣をこうやって振れば心も身体も落ち着いていくさまが実感できる。振り下ろす度に、心が浄化していくような、五感が研ぎ澄まされていくような感覚が全身を支配する。悪夢なんて、なかったかのようだ。

 滴り落ちる汗が、木々の間を吹き抜ける風が、心地よい。ずっとこのまま剣を振り続けていたい。

「……エイジ」

 ふと、小さな声が耳朶を震わした。

 振り返ると、意外な人物が立っていた。眠そうに見える無表情と空色の髪、明らかに似合わないであろうトレードマークのぶかぶかのローブ。人界では最恐の魔術師と名高い、いや、悪名高いと言えるかもしれない魔術師アガサだ。

 アガサは庭に備えられた格子門の向こう側から、俺をじっと見ている。いつもは風魔法で跳躍して塀やらなんやらを飛び越えるのに、今回は律儀なことで外で待っていたようだ。俺は剣を鞘に納め、格子門の鍵を開錠して、アガサを庭に招き入れながら問いかける。

「急にどうしたんだ?」

「……伝言を伝えに来た。詠唱式の構成がひと段落付いて、わたしもエイジに用事があったし、少し気分転換に」

「確か魔力移動魔法だったか。エリアから託された創造魔法オリジナルクラフト、完成しそうなのか?」

「あと一週間あれば。予想された開戦の時期も一週間後。だから、ぎりぎり間に合う」

「ふうん」

 詳しい話は聞かない。アガサがする魔法の話なんて俺程度では理解しようとしてもできないのだ。アガサが間に合うというのならば、間に合うのであろう。

 それにしても、アガサが気分転換とは珍しいことだ。四年間も苦楽を共にして把握したアガサの人物像だと、アガサという人間はまるで人間味を究極なまでに排除した人形のような存在で、だからこそ気分転換も、もっといえばお洒落や食事を楽しんだりといった、普通の人がやりそうなこともしない。よくよく思い返せば、最近のアガサは記憶にあるアガサとは少し雰囲気が変わったように感じる。表情が僅かながらも見せるようになったし、饒舌になったような気もする。気もするだけだ。眼前のアガサは相変わらずの凍えるような無表情で、やはり気のせいかもしれない。

「それで? 俺に伝言って?」

「エリアから手紙が届いた」

「――本当か!」

 思わず声を荒げる。

 オリバーの執務室で会議をしてから一週間。その時に決まった方針に従って、それぞれが目下しなければならないことを実行している。オリバーは騎士団と常備軍を合わせた連合防衛軍の編成と、作戦成功のための根回し。アガサは空中投影式魔法陣と魔力移動魔法、そして拡声魔法の開発。作戦の要となる内容のほとんどが二人に任されている。

 それならば、エリアは何をしているのかといえば、今回の進軍がいかなる理由で行われたのかを探るため、移動中だという地霊族に接触しているのだ。オリバーとエリア本人によると、敵の内通者などと思われて攻撃される可能性は限りなく低いらしく、願わくば侵攻をやめるように説得できるのが最良だが、できないにしてもどちらにせよ進軍の理由がわからなければ立てた対策が正しいのかもわからない、ということで、エリアは彼らに接触することとなったのだ。

 会議があった次の日に出発して、接触したと最後の連絡があってから五日ほど。全く音沙汰もなかったわけで、何かあったのだろうかという心配からの不安も悪夢の一助になっていたのかもしれない。オリバーは手紙が届き次第必ず俺に教えてくれると言っていたため、逸る気は鎮め信じて待っていたのだ。

「それで、なんと?」

「いい顔されなかったけど、同行は許してくれたみたい。説得は失敗。進行の理由が判明。魔王エリアがコズネスに囚われているという魔界で流行っている噂を地霊族は信じたらしく、彼らは魔王を解放するために蜂起したとのこと。詳しくは追って連絡すると」

「……それだけか?」

「大事なことはそれだけ。他には、愚痴がいっぱい書かれていたらしい。替えの服が足りなくて困ってるとか、男衆ばかりで風呂に入りにくいとか、野宿が多すぎて簡易風呂魔法という創造魔法オリジナルクラフトの開発を余儀なくされたとか。……内容的に、たぶんエイジに向けた手紙のつもりだったみたい」

「…………」

「オリバー、ずっと笑いながら読んでた。五枚あった手紙の四枚がそんな内容だったらしい」

「………………」

 なにやってるんだか。

 かなり心配していたはずなのに、内容を聞いたら安堵通り越して呆れてしまった。まあ、エリアの境遇上だとわからなくもない。幼い頃から先代魔王の娘かつ今代魔王ゆえに外出の頻度が少なかったようで、俺と行動していた二週間は見聞きする全てが珍しく、夜になるとその日にあった出来事を嬉しそうに俺へ語るのが日常だった。それがこの一週間は俺という語る相手がおらず、かといって地霊族の族長だかに代わりで語れるほどでもなく、だから手紙に書き溜めていたら、送ったつもりの相手が間違えていたと。本当になにやってるんだか。

 そんな呆れが思考を停滞させていたのか。それまでの流れから脱線したアガサの問いに、適切な応答ができなかった。

「エイジ。何か悩んでいることでもあるの?」

「――は?」

 反射的にアガサの瞳を見たのは、図星だと自供するようなものだ。

「……どうしてわかるんだ?」

「剣先がぶれてた。わたし、エイジのことなんでもわかる。四年も一緒だったから」

 意外だ。俺でも自覚できていなかったような極微な違いに気付くのもそうだし、その気付いた相手が最も感情の機微に疎そうなアガサだったというのが。

「悩みか……」

 覚えはもちろんある。

 あの悪夢のことだ。

 しかし、アガサに相談するのは得策だとはどうしても思えない。俺も自分の中で考えが纏まってない上に、アガサは仲間だとしても他人だ。俺は俺自身で答えを見付けなくてはならないだろう。

 だから、慢性的で俺を苦しめている悩みではなく、目下の懸念を解決するため、静かに言葉を紡ぐ。

「なあ、アガサ。魔法、ひいては魔力のことについて教えてくれないか。アガサもエリアも魔術の熟練者なのに対して、俺は感覚でやっているだけで、基本的な知識もあまりない」

 思い出すのは、一週間前。アガサとエリアが作戦の成功で必要な魔法について話していた時だ。二人が繰り広げる高度な会話を、俺は少したりとも理解することができなかった。もし、このままエリアと旅を続けるのなら、俺が魔法について知らなさすぎるがゆえに、彼女の足を引っ張ってしまうかもしれない。

「だから、俺に教えてくれないか?」

 真摯な依頼に対し、アガサはじとっと無言で睨んだ。気がする。

「悩みについて聞いたはずだったのに。……でも、わかった。いつか必要になるだろうし」

「助かる」

「礼は不要。――それじゃあ、まずはエイジでも知っているような常識的なことから」

 俺から頼んだことだが、割と長くなりそうだ。俺は剣を井戸の傍に立て掛けると、地面にどかりと腰を下ろす。アガサは倣ってか、ローブの裾を整えてちょこんと座った。

「最初に、エイジは魔法をどのように理解しているの」

「魔力を詠唱で練り上げて、魔法という形で世界に干渉させている」

「ん、だいたい合ってる。正しくは起句で魔力を魔法因子に変換して、主句で魔法の種類を決定。次に、装句で魔法の威力や影響範囲を組み込んで、終句により魔法は完成と同時に発動する」

「当たり前だな」

「うん、当たり前。つまりこれは、魔力は燃焼剤で、詠唱は着火剤と言い換えることもできる。それなら、魔力さえあれば、誰でも詠唱で魔法が行使できる理屈」

 俺は頷く。魔法はイメージも必要になるが、最も重要なことは魔力の有無だ。

 魔力があれば魔法を使えて、魔力がなければ魔法は使えない。しかも、生物である限り、誰しもが多少なり魔力を宿す。だから、そこらにいる子供でも、詠唱すれば魔法が使える。誰だって少なからず魔力を持つのだから。生物である限り、その法則からは逃げられない。

「もちろん、魔法について多少の知識は必要だけれど。でも、この法則に則れば、体内に魔石を宿している魔族は、人族よりも魔法行使に秀でているはず」

「……あっ!」

 灯台下暗し。当たり前だと思っていた常識は、実は異常なことだった。その結論に俺が達したと悟ったらしきアガサが、答え合わせのように頷く。

「そう。それなのにも関わらず、彼ら地霊族は魔法が使えない。使わないんじゃなく、使えない」

 アガサはこてんと首を傾げて、問いかける。

 ――それはどうして、と。


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