32 波乱の予感5746
オリバーとアガサとは別れて、エリアと円形闘技場から正門に繋がる道を歩いていた時のことだ。エリアが責めるような眼差しで俺を見た。
「にしても、エイジ。あの小娘に負けるとは妾の騎士として恥ずかしいのではないか?」
「……面目ない」
隣に歩くエリアが鋭い横目で俺を睨む。かつて見せられた魔王としての圧はなくとも、少女に似合わない威圧感は思わず言い訳させられるほどだった。
「そっそもそもだな! 俺とアガサは相性が悪い。どう転んでも俺が不利になるだけだ」
「弁解は見苦しいぞ」
「それにな、俺は巷で最強の勇者だとか言われているが、場合によればかつての仲間で俺が一番弱いんじゃないか? あいつらの強さは別格だしな」
エリアがふと思い出したように俺を見た。
「そういえばじゃが、エイジからそなたの仲間について聞いたことなかったな。教えてくれぬか?」
「あ、ああ……確かに話したことなかったな」
エリアと出会ってからの二週間、考えてみれば、俺は変わり巡る環境に対応するのが精一杯で、仲間のことに想いを馳せることがなかった。
決して忘れていたわけではない。ただ、俺は彼らを魔界の僻地へ置いて来てしまったために、どこか罪悪感があったのだ。それに、彼らはここから二万キロルも離れた場所にいるのだ。会おうと思っても数年後とかになるだろうから、考える必要もなかった。
だが、エリアが気になるというのなら、アガサ以外いた二人の仲間の記憶を引っ張り出す。
「俺の仲間は三人だ。一人目はあの大陸最恐の魔術師アガサ、二人目が抜刀剣術とか扱うカタナ使いソラカゲ、三人目が風読みの異名を持つ弓兵エニセイ。三人の過去には深く知らないが、誰から聞きたいんだ?」
「少し気になる単語が聞こえた。ソラカゲ、と言ったか、そやつは刀を使うのかや?」
「意外だな、カタナを知っているのか? あのカタナを使った九之尾式抜刀剣術とかいう剣技は、俺の眼でも追えないぐらい速い。気付いたら斬られているってかんじだ。――まあいい、ソラカゲは俺と同じく故郷を魔族に滅ぼされたらしく、激しく魔族に憎しみを抱いている。たぶん前の俺以上にだ。だから、俺と同じように仲間に引き込もうとしても不可能だろうな」
「……うぬ。そやつはエイジの仲間になる前は何をしていたおったか知っておるのかや?」
「いや、知らないな。聞いてもはぐらかすだけで、なんでも騎士団によるとソラカゲは出自も経歴もわかってないんだとさ。ただ、実力も確かで魔族への敵対心から、整世教会が俺の仲間に選んだらしい」
俺が答えると、エリアは歩きながら何か考えるといった仕草を見せた。俺は彼を仲間にするのは不可能だと思ったが、エリアには何か名案が思い付くのだろうか。気になるが、どうせ再会は数年後だ。考えるのはまたの機会にして、仲間の話を続ける。
「あー、それで次は風読みのエニセイについてだ。武器は弓矢、元々は傭兵だったらしいから、いわゆる弓兵だな」
「……弓かや? 珍しいの」
俺は大仰に頷く。
「そう、珍しいんだ。少し話は変わるが、なぜ冒険者の間で弓があまり使われていないか知っているか?」
俺が問いかけると、エリアはじっと立ち止まって考えたが、何も思い付かなかったようで頭を振った。
「わからぬ。理屈で考えれば、剣などの近接武器とは異なり遠距離攻撃が可能な点で、それなりに弓を扱う者もいるじゃろうに」
エリアが指摘したように、弓は武器として万能だ。剣士はその武器で攻撃するためには、相手の懐まで深く近付かなければいけない。魔術師は魔法で攻撃するためには、長い詠唱と魔力を用いなければならない。しかし、弓は違う。予備の矢が尽きなければ、長い詠唱も制限がある魔力も必要なければ、すぐに遠距離から即発できる。
だが、そんな便利な武器が広く使われないのには、それなりの理由がある。
「簡単に言えば、殺気が伝わるんだ。例えば、弓矢で遠くから狙われると、首筋がちりちりして狙われるって気付く。獲物に殺気を悟られてしまえば、避けられるのは道理だろ?」
同じことは魔法にも当てはまる。魔法を無詠唱で構築したとしても、空気中に漂う周囲の魔力が歪むから、相手が攻撃準備していても簡単に気付く。しかし、魔法は火素や水素といった魔素の種類も多く追尾式なども選べるのに対して、弓はただ放物線を描くだけの単調な攻撃しかできない。ゆえに、避けやすさに拍車がかかる。
「しかし、風読みエニセイはそうじゃない。仕組みはわからないが、相手に気取られないまま攻撃できるんだ。ソラカゲと同じで、気付いたら既に矢が身体へ刺さっている。その恐ろしさは言葉で表せない、敵じゃなくてよかったとつくづく実感するよ」
「なるほど? それで風読みの異名は何に由来しておるのじゃ?」
その疑問はもっともなことだ。
「ああ、それか。エニセイは戦争で両目の視力を失った。代わりに周囲へ風魔法を巡らすことで……って言ってもイメージが付かないな。――例えば、炎龍と戦った時に、エリアが風を巡らして援助してくれただろ? あんな感じで風を戦場に満たして、その震えとかで相手の位置や動きを読み取っている。それで、風読みらしい」
相手に殺気を気取らせない能力と、遠くからの狙撃ができる点において、仲間の中では最強と言っても過言にならない。たぶん彼女だけが俺たちの中で加護を与えられていないから、というのも理由になるだろう。気配には人一倍も敏感な俺であっても、彼女が背後に回って肩を叩くまで気付かないぐらいなのだ。それと、脳天に気付かず矢を射られるのと何が変わろうか。敵にはしたくない人物なら彼女の名前を最初に挙げてしまう、それがエニセイだった。
とはいっても、幸いながら、エニセイはソラカゲと違って魔族への憎しみはそこまでない。彼女が魔族を殺していたのは、俺とソラカゲに倣ってのことだった。ゆえに、もし仲間にするならばエニセイをまずは勧誘するべきだろう。
「うぬ、了解した。……して、最後に」
エリアが横目で促してくるから、俺はその意を汲んで情報開示する。
「最後に最恐の魔術師アガサ。エリアが知っている通りの整世教会所属で、気紛れに行動する猫みたいな奴だ。特に説明することはないが、強いて言うならば、魔力無限回復とかいう加護で持久力が高いみたいだな。説明は以上」
「以上とはなんじゃ、以上とは。他の奴らとはしばらく関わり合いそうにないが、アガサとは今後の関係もあろう。妾が最も知りたい内容である。……それで、あの小娘とエイジの関係はどうなっておる? 妾は小娘と末永い仲を築きたいが、少しエイジには馴れ馴れしくあらぬか?」
「馴れ馴れしいって、ただ四年間共に旅した仲間なだけだろ」
呆れた声でそう返してから、エリアの言葉に少し微妙な引掛かっりを覚える。エリアが他人のことを名前で呼ばないのは稀有なことだ。
「……ん、ちょっと待て。小娘って言ったな? まさかとは思うが、エリアはアガサのことを何歳だと考えているんだ? そもそもお前は何歳なんだ?」
「妾は年末に十六となる。あの半端な小娘は……十歳になるかならぬかぐらいじゃろう」
その返答を聞いて、俺は話が食い違っていた原因に納得した。
「なるほどな、お前が何に勘違いしていたのかわかったよ。アガサは既に十六、そしてお前はまだ十五。つまりアガサはお前より年上だから、小娘じゃない」
その瞬間、ありえない音量の声が響き渡る。
「とっ、年上じゃと!? 嘘じゃ! 妾より身長が三十セメルも低いのに! 小娘に限ってそんなことはない!」
「いや、事実だから……」
「そんな……、わっ、妾は……」
知りたくなかった真実を知ってしまったといった絶望の表情で、エリアは膝を抱えて座り込んだ。何に絶望する必要があるのだろうか、馬鹿な嘘じゃ、とぶつぶつ地面に向かって呟いている。
確かに、アガサは年齢に反して幼い。身長が低いのもそうだし、童顔な上に髪も短く切り揃えている。挙句には、その気紛れな言動が年齢不詳に助長しているのだろう。考えてみれば、初めてアガサと出会った時から、彼女の姿形が一切変わっていない、全く成長していないように思える。……髪色を除いてだが。
「まあまあ。一応同年代なんだし、仲良くしてくれよな」
「――仲良くできぬではないか。思わぬ身近なところに強敵がいるとは……妾の方が後れを取っておるゆえ、うかうかしれおれぬな」
「なんの強敵なんだよ……」
よろよろとエリアは立ち上がり、ふらつきながらも前へ進もうとする。ショックを受けすぎだろ、いやそもそもショックを受ける要素がどこにあったんだと思ったが、少し危なっかしかったため、肩を支えてやる。
「ほら、元気出せって」
エリアは頬を膨らませていじけている。ここ二週間以上の付き合いでわかったことだが、こうなったエリアが機嫌を戻すのには時間が掛かる。こんな時は彼女が好きな話題を振るのが得策だ。
「あー、仲間の話をした代わりに、エリアも話をしてくれないか?」
「…………」
「ほら、十一代目氷結の魔王クラディオ、つまりエリアの先代であり父親の話を。詳しく聞いたことなかっただろ?」
こうやって話を振れば、たぶん乗ってくれるはずだ。エリアから父親についての話題をはっきりと聞いたことはなかったが、関連する話の時はいつも嬉々として語る。その漏れ出る父親好きの気持ちは、鈍感とよく言われる俺でもわかる。
その例に漏れず、エリアは渋々ながらも嬉しそうな顔に戻った。
「……うぬ、仕方あるまい。エイジがどうしてもと言うなれば、妾の偉大なる父について語ろうではないか」
「おお、聞きたい聞きたい。待ってました、よお!」
俺が盛大に囃すと、エリアは気をよくして語り始める。ちょろい、というやつか。
「妾の父は歴代魔王の中で最も慕われた魔王じゃ。様々な種族が住まう魔界でそれぞれの街に自治を認め、才能あるものを広く集めてた。新たな魔法理論を次々に編み出して、魔界魔法学の進展に大きく貢献した。それに、今の人界でも使われている収納魔法は妾の父が開発したものじゃ!」
「そうなのか? それは凄いな!」
新たな魔法を造るのは並大抵の労力では成し遂げれない。しかも、誰しもが無意識下で使えるような魔法なんて、そもそも造れるものなのか。やはり魔王というのは、俊足移動を見せた霹靂の魔王しかり、規格外ばかりなのか。
「であろう? そして何よりも凄いのは、その特殊な創造魔法じゃ。妾の父である十一代目氷結の魔王クラディオは、物を凍らせる魔法が使えた」
「凍らせる?」
「本来ならあり得ぬじゃろう? 物体の温度は高くできても、低くすることなどできぬはずじゃ。そんな常識を覆した、凄い魔王なのだ! 他にも様々な魔法を生み出し、魔界魔法学の進展に大きく貢献した。やはり、妾の父親は凄いのじゃ!」
「お、おう」
先ほどまでいじけていた姿は見る影もない。
どれだけ父親のことが好きなんだろうか。エリアはぐいぐいと俺に迫る。
「そんなに凄い魔王だったのか。俺もエリアの父親に会いたかったよ」
「……うぬ。意味合いが少し変わるが、妾もエイジを父に紹介したかった」
しみじみといった様子で、エリアが頷く。
ただ存在しえない別世界の話をしても意味がない。
「とりあえず、早く帰って飯にするか。色々とあって遅くなったから、イザラも腹を空かせてるはず……だよな?」
頬を膨らませて何かに怒っているらしいエリアとは関係なく、俺の言葉が途切れたのは、聞き慣れた声が耳朶を震わしたからだった。
「……イザラ?」
俺たちがやっと辿り着いた正門では、騒ぎが起こっているようだった。その中心にいる亜麻色の髪を持つ青年は、俺の幼馴染であるイザラだ。何があったのか彼は、門を守っている騎士団隊員に詰め寄っていた。会話の内容を聞き取ると、戦争がどうたらとか、物騒な単語が混ざっている。
普段は温厚な性格のイザラが、胸倉を掴みかかりそうなほど守衛に詰め寄っている様子は、何か一大事が起きたのかもしれない。
「――だからっ、このままだと戦争が始まるって何度も言ってるだろ! なんとか、中に入れてくれよ!」
「ですから、私は立場上……」
「そこをなんとかってさ、俺の幼馴染が騎士団のお偉いさんに呼ばれてるんだ。そいつに会わせてくれるだけでいいからさ」
「ですが、事前の手続きがなければ、許可を――」
守衛の言葉を手で制して、平行線を辿っていた二人の間に割って入ると、イザラが目を丸くした。
「イザラ、こんなところでどうしたんだ?」
「エイジ! ちょうどいい、これを見てくれ」
焦った様子でイザラは俺に紙切れ、いや一通の封筒を手渡してくる。なんてことはない、少しばかりサイズが小さいがどこにでもある茶色の封筒で、赤い封蝋は既に剥がされ中を読まれた形跡がある。それに、封筒自体を折り畳んだ跡のしわもあるから、これは伝書鳩が届けてくれたものなのだろう。アガサがよく連絡手段に使っているからよくわかる。
差出人の名前は書かれておらず、宛名はクルーガ・ナデイル。エリアの護衛だったやつだ。既に開封された跡があるのは、今は亡き彼が墓場から這い出して手紙を読んだわけではなく、イザラが開けただけであろう。
「で、これがどうしたんだ?」
「とにかく、読んでくれ!」
俺はその言葉に急かされて、封筒に入っていた一枚の手紙を取り出した。薄い紙きれのようなそれへ綿密に書かれた小粒の文字へ目を通し始めた瞬間、ぶるりと背筋が思わず震えた。冗談じゃない。
そんなことがあってたまるか。
書かれていた内容は想像を絶するもので、すぐさま対策を講じる必要があるものだった。
顔を上げると、隣から覗き込んで同じ内容を読んでいたエリアと、視線が交差する。
「エリア……これって?」
俺の言葉に、エリアは目を細めた。
「うぬ。これが事実なら戻らなければならぬな」




