31 VS, アガサ5259
瞬時に距離を詰めた俺に、アガサが右手を掲げた。中間に水素が出現し、縄のような形に変わる。それを認識した瞬間、ひゅっと音を立てて振るわれた。
「――ッ! 鞭か!」
初撃で決着になりそうだったが、辛くも避けた俺に、またもや鞭が迫る。咄嗟に剣技を発動したのは、ほとんど条件反射だった。選んだのは古代流派剣術、赤釘と呼ばれる突き技。反射で選んだにしては、我ながら自画自賛したくなる最良の選択だった。
勇者専用剣技であるスターダスト・スパイクはその高威力と射程と発動速度が取り柄の剣技だが、古代流派剣術赤釘は全てそれに劣る反面、他の剣技にはない珍しい特徴がある。
その剣尖が何かに衝突した瞬間に発生する衝撃波がとても強いのだ。例えば、この突き技を生身で受けてしまえば、体内で発生した衝撃波で内臓をずたずたにされるという、使い方を誤れば非道な剣技である。とはいっても、初速が遅いために避けやすく、愚鈍な魔物相手にしか使いどころがない。
しかし、その剣技を選んだのは、水の鞭への対処として考えると最良だ。
水の鞭はそのまま実体を持たない。だから、他の剣技で斬ったとしても、すぐに再生してしまう。
だが、赤釘は違う。
高速で前へ進む紅色に染まった宵闇の剣が、水の鞭と正面から接触する。ぱんっと破裂音が響いたかと思ったら、鞭が弾けて周囲に水滴を散らした。
「……うそ」
俺が完璧な対処をするとは考えてなかったのだろう。アガサがそんな二文字の言葉を漏らした。
それでも、いつだって冷静なアガサのことだ。瞬きするよりも速く次の魔法を紡ぐ。が、即座に構築できる魔法なんてたかがしれている。
アガサが放ってきたのは、四本の赤い矢。威力は低いだろうが、受けて傷を作りたいとは思わない。演武のように避けるか剣で逸らして前に踏み込み、瞬時に剣技を発動する。古代流派剣術、旋緋。世界の理を無視した加速で、宵闇の剣が右下から跳ね上がる。
本気で発動した剣技で、宵闇の剣はアダマント製だ。だから、もしもアガサに直撃すれば、簡単に命を奪うことだろう。しかし、俺は躊躇いもなく剣を振り抜く。アガサを信じているから。信じているからこそ、殺すつもりで腕を振るう。
迫る赤き一撃を前に、アガサは何もしなかった。否、何もする必要がないのだ。
アガサの首元に剣尖が触れようとする瞬間、劈くような重金属音と共に宵闇の剣が弾かれた。俺の剣とアガサの間に浮かび上がっているのは、半球状の障壁魔法だ。
アガサは五重魔法が使えるというが、実際のところ、その能力を全て攻撃魔法に注力するのはまれなことである。常にリスクヘッジを行うアガサは、必ず安全策を選ぶ。
例えば今だって、攻撃魔法に使用しているのは四重までで、残りを自身が攻撃されそうになった時のために防御魔法を展開しているのだ。
俺はアガサならそうすると信じていた。だから全力で剣を振り切れた。
だが、俺がアガサに勝利するにはその防御を越えて、攻撃を届かせなければいけない。
俺は迫りくる攻撃をしのぎながら、その方法を考える。
アガサの言葉が事実ならば、長引かせてアガサの魔力切れを狙うのは不可能だろう。オリバーの場合は簡単に体力がなくなったが、アガサには限界がない。
それに加えて、俺が不利な理由がある。
俺とアガサは四年間も共に旅をしてきて、ほとんど手の内をアガサに知られてしまっている。俺は前衛で、アガサは後衛。前線近くで戦う俺は後方を見ることなんてできないが、アガサは前方の俺を見ることができた。つまり、四年間で培ってきた攻撃方法は全て筒抜けで、もはや通じないと考えても遜色なく、それゆえ一度の白星を挙げることができなかったのだ。
ならば、エリアと出会ってからの二週間で新たに覚えた戦い方で、強敵であるアガサを倒さなければならない。
候補は二つある。
片方はクルーガとの戦闘時に一度だけ成功させた二刀流剣技、スターダスト・ノヴァだ。本来ならば両手に剣を握る時は剣技が発動しないはずなのだが、あの瞬間だけは右手と左手でそれぞれレインとスパイクを発動し、新たな剣技を編み出すことに成功した。
しかし、それからは一度としてスターダスト・ノヴァを再現できなかった。あの時と同様にタイミングをずらして試してみたり、床に落ちた剣を拾いつつの発動も試したりとしたが、どれも成功しない。
そんなわけで、いま収納魔法から別の剣を取り出し、出たとこ勝負にしたとしても成功するとは思えない。だから、この手段はなしだ。
そしてもう片方は、クルーガの戦い方を真似た、魔法陣が描かれた布の切れ端を使った戦闘方だ。
俺は剣を振りながら、左手で収納魔法から一枚の布を取り出すと、アガサに向かって投げる。描かれた魔法陣から不気味な光が渦巻き、刹那、風の刃が飛び出す。
「……っ!」
アガサが息を飲んだ。
もちろん俺は魔法陣の扱いに慣れていないし、ただの付け焼刃であるため、その魔法はあらぬ方向に飛んでゆく。しかし、アガサは無表情なのに驚愕しているといった器用な表情を見せる。
それはそうだ。俺は二重魔法が限界であり、戦闘開始時に加速魔法と増強魔法を使用した。それから一度も強化魔法を放棄していないのだから、他の魔法が介在する余地はない。
と、そうアガサは考えていたため、俺が新たな魔法を使うなんて想像外の行動だったのだ。
収納魔法からありったけの布、どんな魔法なのかも把握せず十把一絡げに取り出して、アガサに向かって放り投げる。この一週間でエリアと共に作成した布の切れ端は十枚程度。宙に漂うそれらが眩しい光を発し、色とりどりの魔法が放出される。
そのほとんどは空や地や観客席に消えたが、いくらかはアガサに、アガサの障壁魔法に衝突する。準備していた切り札は全て放出してしまったが、僅かな隙さえ生み出してくれたのなら上出来だ。
「スターダスト・スパイクッッ!」
剣が高エネルギーのスパークを発し、青白い流星がアガサへと迫る。
直後、アガサの魔力が膨れ上がったのを肌で感じた。と思ったら、アガサの周囲から紐状のものが
四本現れ、俺の方へと殺到する。もとより攻撃が来るだろうと推測していた俺は、無理やり姿勢を前に倒して、スターダスト・スパイクを意図的に地面へと衝突させ、衝撃を利用した空中での一回転。
軽業の如くといった身のこなしで一本目と二本目の紐を避けて、続く三本目と四本目は剣で弾き返す。しかし、紫色に光り輝くそれは独自の意思を持っているかのように、再度、地に降り立つ俺へと飛翔する。
こんな厄介な魔法、アガサが使ったことはあったかな、と考えてから思い出す。
先ほど、エリアがアガサに創造魔法を教えたと言っていたではないか。
よくよく見れば、紐状のそれは紐ではなく、じゃらじゃらと音を立てる鎖だ。
まさか、エリアと話していた短時間でこれを学んだというのか。
「凄いな」
剣を振りながら言うと、アガサは首を小さく振った。
「違う。本物はもっと凄い。今のわたしでは四割程度の再現が限界」
確かに、炎龍の動きが封じられた本物の創造魔法を知る俺にとっては、アガサが再現した束縛魔法はいささか物足りなく感じる。強度があまり高くないようで、俺の剣と衝突するとその部分だけばらばらと分解されて、再生には時間が掛かるみたいである。
だが、アガサは他の方法でそのデメリットを補完しているようだ。
最大が五重魔法とはいっても、加護の魔力無限回復による有り余る魔力を全て注ぎ込んでいるのだろう。俺が何度弾き返しても空中で屈折し、その長さはアガサの魔力次第で伸び続けるものだから、元を辿れば四本なのにも関わらず、俺の周囲は鎖だらけになってしまった。
完成度が甘いのならば、物量で攻撃するわけか。少し卑怯だが、文句は言えない有効な作戦だ。
陰から飛び出すのは鎖の先端。これはいつまで経っても、きりがない。普通は長引けば俺が有利になるはずなのに、アガサが有利になってしまう。忠告された通りに、短期決戦を仕掛けるとしよう。
飛び出してきた鎖は四方向から一本ずつ。どれを弾いても他の鎖に攻撃されるし、空中に避けることもできない。
一瞬だけ逡巡した俺は、剣を右肩上に構える。そして、薄緑色の輝きを剣が灯してからは、迷わずに振り下ろした。
前方から凄まじい速度で飛び込んできた鎖を衝撃音と共に弾くと、ひと呼吸する間もなく放った二連撃目の横薙ぎが二本目の鎖を弾く。
右足を踏み出し、身体の回転による慣性を乗せた剣は三本目の鎖と衝突し、最後の一撃を四本目に叩きつける。
俺が昨日エリアに教えたばかりの現代流派アッガス流三連撃剣技ストームエッジの上位技、四連撃剣技サイクロンエッジで僅かに生まれた空白地帯に、俺は身体を滑り込ませた。
アガサまでの距離は、歩幅十五歩分。そこまでは丁度、駆け抜けるだけの余裕がある。
アガサがこれだけの鎖を放棄して、新たな魔法を練るには時間が足りないはずだし、俺の加速魔法と増強魔法はもうすぐに効果が切れるだろう。それに、俺がひそかに張っていた罠の位置からも丁度いい。ならば、ここで片を付けるしかない。
俺が剣を携えてその隙間に飛び込むと、狙いに気付いたアガサが広げていた両手を狭めた。すると、両脇から鎖が押しつぶすように狭まってくる。それと同時に、俺とアガサとの隙間を鎖が覆い尽くし埋めた。
本当はアガサに到達する直前で剣技を使うつもりだったのだが、道が鎖によって閉ざされた今ならば仕方がない。
刹那、俺は攻撃後に必ず生まれる隙を無視し、多連撃剣技を発動した。スターダスト・レイン、次々と現れる星屑の奔流が鎖を弾き、道を開ける。
「……っああああ!」
左右から迫りくる鎖を弾きながら、流れるように前へと進む。溢れんばかりの青白い光と、紫に染まった魔力が混ざり合い、そして勝利の天秤が傾いたのは俺だった。
七連撃と八連撃目により完全に道が開けた奥で、やっとアガサの姿が見える。距離は七歩分。俺の剣技を全て見たことがあるアガサは、たぶんこの瞬間に勝利を確信したのだろう。それもそのはず。九連撃目はスパイクと同じ突き技だが、射程が短い。七歩分の距離を届かせることはできない。
しかし、俺はこの瞬間を待っていた。
右足で踏み込む。
そこから溢れ出る紫の光。
「……え?」
アガサが呆然とした。
踏み込んだ右足の下には布の切れ端があった。魔法陣に描かれているのは加速魔法の術式。この一瞬だけ、俺自身が掛けたものと魔法陣のものと合わせて二重の加速魔法が、俺の身体を包み込む。これで七歩分の距離は無きに等しい。
この狙いを気取らせないように、俺は全ての魔法陣を一度に取り出したのだ。どれが発動されてどれが発動されていなかったか、アガサは把握できていなかっただろう。完全に意識外の攻撃だ。
過去の俺を越えた、今の俺の一撃。スパイクに匹敵した速度の突きがアガサへ迫る。これならば、アガサの防御魔法でさえ破れるはずだ。
「うらぁっ!」
先ほどよりも一層重い轟音を響かせる剣尖が、アガサの身体へと伸びて――だが、アガサの掌に構築された薄い防御魔法に激突した。
アガサがもし本気で防御魔法を張っているならば、渾身で放つスターダスト・スパイクでも貫けなかったはずである。しかし、それは防御魔法だけに五重魔法を使用した場合の話で、たかだか一重の防御魔法に俺の剣技が防がれるはずがない。
「つらっ……ぬけ!」
俺が凄まじい閃光を振り撒く剣へ、全力を乗せていたその時。
ついに防御魔法の障壁にひびが蜘蛛の巣状に広がり、パリンッ、と儚い音と共に砕け散った。これでもう、アガサを護るものはなにもない。
対して、俺のスターダスト・レインの九連撃目は、まだ輝きが失われていない。つまり、まだ剣技が終了していないのだ。
――このまま、押し切る!
俺は勢いをそのままに、地を蹴った。既に先ほどまでの加速力が失われてしまっているが、ぎりぎりアガサに届くはずだ。
だが、今度は俺が目を見開く番だった。アガサはこうなることを見越してか、俺の剣が障壁とせめぎ合っているその一瞬で、大きく後ろに飛んでいたのだ。
結局、俺の剣ははためいていたアガサのローブに掠るだけで留まり、青白い燐光は虚空に融け消えていったのと同時に、俺は敗北を確信した。
直後、後ろから追いついた魔力の鎖が、俺の身体をがんじがらめに縛り上げたのだった。




