29 VS, オリバー6604
アルベルト騎士団の本部はルベルク共和国にあるわけだが、魔界と隣接していて戦地に近いギアーデ帝国には、ルベルク共和国よりも多くの騎士団支部が置かれている。
その最たるところであるアルベルト騎士団コズネス支部、そこに併設された大規模円形闘技場の中心に俺はいた。
ここは俺にとって始まりの場所でもある。
四年前。俺がオリバーに勇者と任命された場所はここだ。
「ここは数ある支部の中で一番広い面積を誇る円形闘技場だ。軍事演習に使用していて、普段は全隊員に解放している訓練施設だよ。いつもなら、誰かしら剣の素振りをしているはずなんだけど、今日は誰もいないね。珍しい……」
「冗談じゃない。こうなることを見越して、あらかじめ人払いしていたんだろ?」
「そこはエイジ君の想像にお任せするよ」
そう言いながら片目をつぶるオリバーは、凄く腹が立ってくる。なんだろう、ここまで自然に他人をいらつかせるのは、天性の才能なのだろうか。
ただ、人払いしているのは間違いないはずである。炎龍と戦った時は仕方なかったとして、もちろん勇者である俺どころか、魔族であるエリアは人目に付いてはいけない。ここに来るまでの間でさえ誰とも会わなかったことから考えても、あらかじめ人払いの根回しをしているのだろう。とはいうが、部外者が現れないとも限らないから、用心に越したことはないだろう。
闘技場の誰もいない観客席、その最前列にちょこんと座るエリアに目配せしてから、俺はオリバーと向き直った。
「で、俺はどうすればいいんだ?」
「とりあえず、僕と真剣で戦ってくれるだけでいいよ」
真剣、ということは、自前の剣で戦う、つまり実戦形式ということか。
オリバーは収納魔法から一振りの細剣を取り出すと、俺に向かって構える。
高位の貴族が持っていそうな華奢で装飾が多い細剣。鍔にはルビーやエメラルドがあしらわれていて、刀身の独特な輝きは伝説の金属ミスリル……だろうか。なるほど、確かにその剣ならば、アダマント製である宵闇の剣と切り結んでも、折れたりはしないだろう。
しかし、使用者の力量を考えれば、明らかに俺が有利過ぎる。
こきこきと全身の骨を鳴らす準備運動中のオリバーに、俺は確認する。
「いいのか? この勝負、明らかに俺が有利だ。俺は女神の加護持ちだが、お前はそうじゃない。手加減しようか?」
そんなオリバーを気遣った言葉に、彼は心底心外だといった表情を見せた。
「随分と余裕そうだけれど、自分の心配をしなくてもいいのかい? 先に言っておくけれど、僕は君が思っているよりも強い。つまり、エイジ君は僕に勝てないよ」
「……あ?」
喉から酷く尖った声が出る。
「お前、俺に勝てると思っているのか?」
「そんなことないよ! ただ、僕は君に伝えたいだけさ。外見に囚われていると、足を掬われるよ」
「へえええぇぇ! そうかい、なら全力で戦ってやるよ!」
舐められたものだ。
そこまで言うなら仕方ない。本気の本気で戦ってやろう。ただし、最後の慈悲として先手は譲ってあげることにした。
俺は左腰から宵闇の剣を引き抜いた。そして、待つ。
待つ。
待つ。
待つ。
オリバーの攻撃はない。
まさか、俺が先手を譲ってやると表しているのに、気付いていないのか。いや、気付いているのだろう。気付いていながら、先手を打とうとしないのだ。
本当に舐められたものだ!
ならば、お望み通りこの一撃で終わらせてやる。人界最高位とか知るか、死んでも責任は取らないぞ。
オリバーが僅かに瞬きをしたその刹那、彼の警戒が薄れたその一瞬、俺は電光石火の如く剣を腰だめに構えて、最速の剣技を発動する。気付いた時には、青白い煌めきがオリバーの胸元へ迫っている。
勇者専用剣技、スターダスト・スパイク。
これを見てから防いだ奴はいない。勝った。そう思った。
「――なっ!?」
しかし、オリバーは上半身を後方に倒して、それを避けた。僅かに剣尖が服へ掠りちりちりと音を立て、広がる剣風が彼の金髪をさらさらと揺らす。
避けるとは考えていなかった。だが、オリバーが一枚上手だったのだ。たぶん、先ほどの瞬きは俺を攻撃させるための誘導だったのだろう。まんまと誘われてしまった。
しかし、彼は大きく身体を後ろに倒してしまっている。そんな不安定すぎる体勢だと、攻撃も防御も何もできない。オリバーが身体を立て直すよりも速く、俺が次の攻撃を行うはずだ。
そう思ったのに、またしても予想は裏切られる。
「ッ!」
不自然な姿勢なのに、オリバーは剣を振るった。
予想外の攻撃に、俺は剣を掲げてぎりぎり防ぐ。
「こっ、この!」
宵闇の剣から青い燐光が霧散し、次は真紅の炎が灯る。古代流派剣術、朱閃。鋭い踏み込みから、目にも留まらぬ速度で剣を振り抜く剣技。明らかに、彼がこれを受けきることはできない。
しかし、オリバーはその不自然な体勢で不自然な剣の動きで受け止め、衝撃のままに後方へ大きく跳ぶ。身軽な動作で着地したオリバーに、俺は言葉を投げかける。
「なるほどな。あんたがそんなに自信ありげだったのは、その不気味な剣術があるからか」
大袈裟にオリバーは肩を竦めた。
「不気味とは人聞きが悪いね。きちんと名前があるよ。現代流派剣術アルベルト流剣術」
「ん、現代流派剣術ということは、剣技もあるのか?」
その問いには何も答えなかった。手の内は全て教えないということか。面白い。
俺は刹那にして間を詰めて、宵闇の剣を振るう。猛然と迫る攻撃をやはり彼は受け流す。だが、剣技でないこれは一手二手程度では終わらない。荒れ狂う暴風の如く、斬り薙ぎ払い突き、と攻撃が次の攻撃へと繋がってオリバーへ殺到する。そして、彼は木ノ葉が暴風をやり過ごすみたいに、最小限の動きで体勢を崩しながらも受け切る。僅か数秒にも満たない刹那、その間に膨大な数の攻防が繰り広げられる。
それで俺は完全に理解した。
オリバーの剣術は、俺の剣術が攻めであるのに対し、受けの剣術なのだ。
相手の攻撃を待ち、それを剣の切っ先で逸らし、開いた隙間に身体を無理やりすりこませる。不自然な姿勢でありながらも、反撃を相手に与える。一回の攻防で崩した体勢を次の攻防で戻し、その反動を反撃に活かす。
どんな姿勢であろうとも剣を受け止めることができるということは、どんな環境にいようとも剣を振れるように訓練したということ。たぶん、背中側から攻撃を受けても、同じように受け止めてからの反撃ができるはずだ。例え、それが暗殺者による不意打ちであっても。
不気味で気持ち悪い剣術ではあるが、称賛するに相応しい。
いったい、その訓練にどれほどの時間を掛けたのか。予想であるが、俺の数倍程度ではない。先人がいたとしても、剣の王道から外れた剣術だ。習得しようなら物心付く頃から剣を握らなければならないだろう。とてつもない努力の証が見て取れた。
しかし、俺も負けていない。数多くの実践を積んできたのだ。
攻撃が受け流されるのなら、受け流せなくなる量の攻撃を繰り出せばいい。
俺は宵闇の剣を振るうペースを、また一段と上げた。
「っ!? ……まだ、上がるのかい?」
「まだまだ上げるぞ」
既に剣は実体を認識するのが覚束なくなるほど速い。
オリバーは飄々とした顔が無表情となり、額から出る冷や汗を隠せなくなっていた。
限界が近い。傍から見てもわかる。
逆に、俺は加護持ちであるため、息切れすらしない。
結局は加護を持っているか持っていないか、ここに帰結するのは想像できたことだ。というより、加護を持っていない彼がここまで俺と勝負になっているのが驚きだった。
オリバーは絶え絶えながらも言葉を紡ぐ。
「……仕方、ないね。賭けに、でようか」
「ああ、勝負を付けよう」
彼は頷くと、小さな声で「現代流派剣術アルベルト流――」と呟いた。
知らない剣技が。
来る。
「――トライラッシュ!」
彼の剣が灰色へ変わったと思うのも束の間。
鋭い突きが俺を襲う。
ありえない。速すぎる。受け切れない。
意識が加速し、遅くなった風景の中でそう考えたが、反射で右手が閃くように動き、一撃目を辛うじて防ぐ。
オリバーが驚きを顔に表した。俺も驚いた。防げない、と確信していたのに。
続く二連撃目の突きも、最後の最も速く鋭い突きも、俺の剣が独りでに動くのかといった様子で迎撃を成功させた。
彼はこれで俺に勝つつもりだったのだろう。驚愕で顔が染まっていた。
突き出されたままであるオリバーの剣が灰色からミスリルに戻り、身体を動かすのが酷く重くなる、といった剣技発動の代償である隙が発生する。
俺がなぜトライラッシュとかいう剣技を防ぎきれたのか気になるが、その隙を逃さないという手はない。
踏み込み浅く、剣技を起動する。
古代流派剣術、紅弦。
肩へ担ぐように構えた剣が、炎の軌跡を残しながら動けないでいるオリバーへ肉薄する。次こそ避けようがない一撃。
当然だが、剣を振り抜くことはしない。もしここでオリバーの首が飛んでしまえば、俺とエリアは世界平和どころか指名手配犯だ。
宵闇の剣は首元直前でぴたりと制止した。瞬時に霧散する赤い燐光。
「はっ!?」
金に輝くオリバーの髪先が剣風で揺れる。彼は額から溢れ出た汗が、床に染みを作った。
この剣技が止まるとは思っていなかったのだ。本来ならば、発動した剣技が途中で止まるのはありえないことだから。
そのため、エリアの護衛だったクルーガとの戦闘で俺は失敗を犯した。俺が最後に発動したスターダスト・レインを止めれなかったせいで、両腕が斬り飛ばされたクルーガは命を落とした。いまでも、俺はあの時を後悔している。
しているからこそ、同じ間違いを起こさないように、あれから剣技の仕組みを調べたのだ。
結果として判明したのは、剣技を途中で止めるのは不可能だが、条件次第で剣技が止まったように見える方法もあるということだ。大切なのは、最初の踏み込みで剣技の発動距離が変わる、つまり、踏み込みが浅ければ、途中で剣技が強制的に終了するのだ。その仕組みに則って、俺はわざわざ踏み込みを浅くすることで、剣をオリバーの首元直前で停止させることに成功したのだ。
しかし、そんな裏の事情をオリバーが知っているはずはない。
彼は生色ない顔のまま、人目も憚らずに身体をどたりと地面へ投げ出して、呟く。
「……今ほど生きていることを実感したことはないよ」
「そりゃよかった」
「勝てずとも負けることはない、と自負していたのにね。僕の完敗だよ」
オリバーは何が可笑しいのか、肩を震わせて笑い始めた。
人は極度の恐怖から解放されたとき狂ったように笑うとは言うが、傍から見て気持ち悪いことこの上ない。
冷めた目でじっと見詰めていると、オリバーはひときしり笑った後、がばっと身体を起こして言う。
「それにしても、よく僕の剣技を防いだね。あれでも初見で防げるものはいないと自負していたのに。まさか、以前どこかでこの技を見たことがある……なんて言わないよね?」
見たことなんてあるわけない。
そう即答したかったが、できなかった。俺は覚えがないが、反射的に身体が動いたということは、身体が覚えていたのではないか。考えてみれば、オリバーの戦い方はどこか懐かしさを感じる。
と、そこまで頭を巡らさなくても、思い出すのは簡単だった。
「――あっ、ああ。少し前に戦った強敵と、お前の戦い方が似てたんだ。だから、対処できたんだと思う」
「ふうん、なるほどね……」
彼は少し納得いっていない様子だけれど、それ以外に覚えはない。
炎龍をコズネスへ招き、エリアを誘拐した張本人であるクルーガ。そんな奴との決戦時に、彼は人格が乗っ取られたような様子を見せた。呪い、と説明されもので、全身に黒い靄を纏い、言葉が全く通じず、人智を越える速度で襲い掛かってきた。
それまでの彼は魔法陣と剣技を織り交ぜた独特の戦い方だったが、呪いに掛かった後は、ゆらりとした動作でありながら体勢を崩されても攻撃するといった、つかみどころのない不気味な戦い方になったのだ。
それと合わせると、オリバーの戦い方はそれにとても似ていたから、俺が辛くも対処できたのも不思議じゃない。しかし、この裏の事情も彼は知らないのだから、怪訝になるのもむべなるかな。オリバーはぶつぶつと呟きながら熟考していた。
「あー、考え込んでいるところすまん。俺にも質問があるんだが、いいか?」
顔を上げたオリバーに、どうぞ、と手で促される。
「さっきの剣技、現代流派剣術アルベルト流トライラッシュって言ってただろ? お前の家名が冠されているみたいだけれど、俺はそんなの見たことも聞いたこともないぞ。どうゆうことだ?」
俺が尋ねると、オリバーは惚けた顔をした。
「えー、それはちょっと部外者に答えられないなー、なんて。……冗談だよ! 冗談、ちゃんと答えるから剣を鞘に戻してくれないかい。君の冗談は心臓に悪いよ」
危うく抜刀しかけていた剣をしぶしぶ戻すと、オリバーは安堵した様子で胡坐を組んだ。
「で、答えは簡単さ。初代の総長がアルベルト流剣術を作ったんだ」
「……つまり?」
「そのままの意味だよ。初代も僕のように加護を持っていなかった。だから、非力な人族でも加護持ちに対応できる剣術を欲して、受けに徹するアルベルト流剣術ができたんだ。でも、習得に時間が掛かりすぎるから、次を継ぐ総長にしか伝えられなかったんだけどね」
「それはわかった。だが、トライラッシュだとかいう剣技については説明できてないぞ」
現代流派剣術は現代、とはいいながらも、ずっと古くからある。ではなぜ古代流派剣術と区別されるのか。それは古の大戦より以前からあるのか、それ以降にできたのかだけの違いだ。だから、いずれにしても数百年以上は歴史がある。
現代流派剣術アッガス流。
現代流派剣術グレンセル流。
現代流派剣術ルーデンス流。
他にもいろいろとあるが、人界にある現代流派剣術は数えるほどしかなく、その数が増えたり減ったりしたことは一度たりともない。
減ることがないのはそれぞれの流派に良さがあるという単純な理由だが、増えることがないのは、新たな流派を生み出すことが不可能だからだ。現代流派剣術を名乗るためには、その流派に独自の剣技がなければならない。しかし、新たな剣技を作れるなんて前代未聞である。幾人の剣士が夢見て破れてきたことか。
であるからこそ、唯一無二である俺のスターダスト・シリーズは特別だったのだ。
「疑問は当然だね。でも、エイジ君は実際に見たじゃないか。疑う必要がどこにあるのさ。それに君と共に旅した仲間の一人は見たことも聞いたこともない剣技を使っているみたいだし、なにより君自体が特殊な剣技を授かっている。おかしなことは何もない」
「それはそうだが……」
「確かに新たな剣技を作ったなんて聞いても、世間の誰も信じないだろう。だけれど、実際に初代の総長は実現させた。当然、大問題になったらしい。整世教会の教皇と話し合って、この剣技は門外不出にするということで当時決着したんだよ」
「……そんなものを俺に見せてよかったのか?」
「まあ、いいんじゃない?」
気楽な様子で頷くオリバー。
とはいえ、なんてものを見せてくれたんだ、という気持ちが俺の心にある。
教会とは目指す道が分かれているから対立することにいつかなるとはいっても、そんな好き好んで争いに巻き込まれたいとは思わない。
ジト目で睨むと、居心地が悪くなったのかオリバーは両手を打ち鳴らした。
「さて、本来の目的も果たせたし、観客席へ戻ろうか」




