25 過去を知る者たち2691
「まったく……」
男は大量に積み上げられた書類の前で、小さく溜息を吐いた。
「なぜ俺が業務以上の書類整理をさせられているんだ。あいつめ、炎龍が現れたからとか言って、持ってきた仕事を放ったらかしにしやがって。本来ならコズネスを任されている俺が出るべき案件だろ。部下ぐらい信用しろ。……ただなあ、あいつのことだから部隊の統制も完璧なのだろうな。はあ――」
男はぐちぐちと文句を言いながらも、作業を進める。舞い込んだ大量の要望書は的確に要約し、資金案には承認の印章を押し、集められた情報はわかりやすく表状に纏める。男は剣の指導役であるが、アルベルト騎士団コズネス支部を任されている身なので、書類整理は簡単なものだった。
窓の外は明るい。本来ならこの時間は誰もが寝静まる頃合いなのに明るいのは、炎龍の騒ぎによるものだろう。とはいえ、男はこの街に炎龍が現れたとしても、そこまで危機感がなかった。炎龍はかつて大国を滅ぼしたという。ただ、この鍛冶の街コズネスが滅ぶことはない、と男は信じていた。
ここコズネスは上位の魔物でさえ破れないような城壁を備えているし、ここには大勢の冒険者も屈強な騎士団員もいる。そして何より、男の仕えている主が炎龍を討伐するために出撃したのだ。男が知る中でその彼は最も強い。そんな主が出撃したのだから、危機感を持つ必要はない。
だから、仕事を続ける。
黙々と慣れぬペンを動かし、文字を紙に刻む。
そして、外の喧騒が聞こえなくなり、月明かりが窓から差し込むようにもなった頃。何とか仕事を終わらせた男は、ペンを投げ出すと、背を伸ばした。蝋燭の炎だけがゆらゆらと揺れる執務室に、ぱきぱきと凝り固まった筋肉の音が鳴り響く。
「……そろそろ寝るか」
そう男が呟き、立ち上がったその瞬間だった。
バンッ、と鈍い音を立てて、執務室の扉が勢いよく開かれた。
見ると、男が仕えている相手が肩で息をしながら入ってくる。
男は溜息と共に、訪問者へ言った。
「ようやく帰ってきたか。主の仕事、終わらせといたぜ。残業代と、明日の休日ぐらいは用意しろよ」
「ああ、もちろんさ。……それよりも、朗報だぞ!」
その訪問者、というより、この執務室の主は謎の物体を抱えながら、入ってくるなり叫ぶ。
男は怪訝な顔をした。
「何が朗報なんだ?」
「ついに、探し物を見つけたんだ!」
その訪問者は機嫌よく答えた。
彼がそこまで張り切るなんて珍しい、と男は思った。
探し物とは、いったいなんだろう。そう考えてから、訪問者の腕に抱えられているものを視界に捉える。十四歳ぐらいの少女、だろうか。ローブを身に纏っているその少女は、すやぁすやぁと訪問者の腕に抱えられながら寝ている。意味がわからない。
状況に理解が及ばないままに、男は喋る。
「俺としては、悲報だな。アルベルト騎士団総長ともあろうお方が、人攫いをしてくるなんて。いくら好みの少女だとしても、攫うのは犯罪だ。流石の俺でも、それは庇えないぜ」
「ちょっと待て! 何か勘違いしていないか!? この少女は攫ったんじゃない、保護……そう、保護しているだけだ! 路上で寝ていて、話し掛けても起きないから運んだ。やましいことはない。あのまま放置していたら、麗しい少女が襲われる可能性があるだろう? 善意の結果なんだ、これは! だから、剣を収めてくれないか!?」
訪問者は必死に弁解する。その様子に嘘は無さそうだ。
ただ何か事情があるのだろう。
男は抜きかけていた剣を鞘に直す。
「冗談だ、説明しろ」
「笑えない冗談だな……それよりも、説明なんて必要ないさ。君もこの少女に見覚えあるだろう?」
「はあ?」
訪問者に言われて、すやぁと眠る少女の顔を見る。肩に掛かる程度の長さである、限りなく白い青髪は、確かに、どこか見覚えがある。どこで見たのだろうか。古い記憶を引っ張り出す。
「こいつは……」
「思い出したか?」
そう急かされた瞬間、記憶にぶかぶかのローブを被った無表情の魔術師が浮かび上がる。
「あ、ああっ! まさか、最恐の――」
「魔術師だよ。あの勇者の仲間さ。……さて、おかしいよな。魔界にいるはずの少女が、なぜこんなところにいるのか。不思議だなぁ。しかも、不思議なことはまだあるぜ。さっき現れた炎龍だけど、誰が退けたと思う?」
「主なんだろう? ……いや、主の言い方だと、その少女になるのか? 最恐と呼ばれるように、そいつはありえないほど強い」
男は答える。
青髪の少女、アガサという一人の少女が戦う姿を、男はたった一度だけ見たことがある。とてつもなく恐ろしく無慈悲な魔法の数々。空を飛んでいた小火龍の群れは、翼をずたずたに引き裂かれ、肉塊となって地に落ちた。男は自分がそれなりに強者だと自負しているが、あの一方的な戦いには身の毛がよだつような思いをした。たった一度見ただけだ。それなのに、あの光景を忘れることができない。
だから、最恐の魔術師アガサなら炎龍を退けてもおかしくない。そう男は思った。
しかし、訪問者は首を振った。
「いいや、この少女でもない。……灰色の髪で、圧倒的な戦闘センスを持つ少年。まるで流星のような剣技を扱う少年。覚えがあるだろ?」
「まさか!」
すぐに思い出す。
七代目勇者、エイジ。
女神に愛され、勇者に選ばれた少年。男にとっては、忘れるはずがない相手だ。なぜなら、彼に戦い方を教えたのは、男であったのだから。確かに、彼の仲間である魔術師がこの街にいるなら、勇者自身もこの街まで帰ってきていると考えるのは当然だろう。とはいえ、魔界にいるはずの勇者と魔術師が、なぜこの街にいるのかという疑問は残る。
男が黙ると、訪問者はすやぁと眠った少女を椅子に乗せると、にやにやした顔で言った。
「そこでだ。僕は君に頼みたいことがあるんだ」
「予想できるが、言ってみろ」
「勇者エイジを秘密裏に見つけ出せ。僕の部下を使ってもいいから、できるだけ早く見つけさせろ。ただし、接触は図らずに遠くからの観察に留めろ。長くても期限は一週間」
訪問者は早口に要求すると、窓に身を乗り出して、この街のどこかにいるはずである人物を見据えた。
「さあ、勇者。俺から逃げられるとは思うなよ」
開け放たれた窓から、冷たい秋の風が吹き込んできていた。
【物語は第2幕へ続く】
これで第1章の完結です。長かったような、短かったような……。ちょっと色々な伏線が回収できていないので、第2章以降に期待ですね。
ちなみに、第2章が始まる前にちょこっとショートストーリーと設定集が続きます。本編には深く関係しませんが、息抜きがてらに読んでくだされば幸いです。
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