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リメイク中作品  作者: 沿海
1章 最強の勇者、魔王を拾う150133
24/72

24 VS, クルーガ17903

 懐かしい夢を見ていた。

 まだ幼いエリアが、深い森の中で両親と暮らしていた頃の夢だ。

 父親は暗殺されておらず、母親とも別れていない、そして隣には優しい兄がいる、そんな幸せな頃の夢。

 エリアは母親の膝上で、頭を優しく撫でてもらっていた。

 宝物のように、愛おしむように、ゆっくりと撫でる。さらさらとした髪を指先でくしけずるように、優しく撫でられる。

 昔からエリアは母親にこうされるのが好きだった。甘える、甘やかされるのが好きだったのだ。身を任せるがままに撫でられるのも、ひんやりとした母親の掌も気持ちよく、ずっと母親から離れようとはしなかった。

 例え、これが夢であっても。

 夢であるとエリアは自覚していた。もう父親も母親も兄もエリアにはいないはずだから、夢だと気付くのは早かった。でも、夢の中ぐらいは、かつてのように甘えたい。ずっと寂しかったのだ。二人の声が聞けなくても、これまでの努力が救われた、と思った。

 しかし、その幸せな夢もすぐに終わりを迎える。

「……そろそろですね」

 遠くから声が聞こえると、エリアの頭が持ち上げられて、冷たい床の上に身体を横たえられる。どこにいくの、と叫びたかった。でも、夢の中では声が響かない。離れていく母親の背中を見ているだけしかできなかった。

 母親の背中が視界から消えると、世界が光に包まれた。そして、意識が明瞭になっていく。夢から現実へ戻っているのだろう。

 覚醒する。

 はっとエリアが目を覚ますと、よくわからない場所に転がっていた。

「……ここは?」

 身を起こすと、場所が明らかになる。小さな半球状の洞窟だろうか。外縁部分には松明が置かれていて、唯一の出入り口はエリアの対角にある。つまり、エリアは洞窟の出入り口から一番遠い場所にいるみたいである。そして、松明に囲まれた中心では見慣れた姿――クルーガが地面にしゃがみ込んで何やら作業を行っていた。

 そして――直前の記憶を思い出す。

 炎龍(イグニスドラゴン)の襲撃、クルーガの裏切り――どれもつい先ほどのことなのに、現実味が湧かない。それなのに、あの時の痛みだけは、まだ疼くように残っている気がする。身体にも、心にも。

 そんなことよりも、クルーガは何をしているのだろうか。

 立ち上がると、はっきりとわかった。

 クルーガは木の棒で地面に何かを刻んでいた。

 巨大な円に大量の幾何学的な模様と文字が刻まれている。魔法に精通しているエリアには、それがなんであるのか、簡単に思い至った。

「……まっ、魔法陣?」

 詠唱ではなく、刻まれた術式で魔法を発動する技術。普通の詠唱魔法と異なり、準備に莫大な時間が掛かってしまう反面、周囲に漂う微量の魔力を集めて発動するため、術者自身の魔力が少なくてもいいという利点がある。

 ただ、エリアはあまり使わない技術だ。最大魔力量的に問題はないし、わざわざ術式を刻むよりも詠唱した方が断然に早い。高威力の魔法を使うには大規模な魔法陣になってしまうし、それを布状にして持ち運ぶことも難しい。色々な理由があって、エリアも市井の魔術師も魔法陣を使うことは少なく、同時にあまり発展していない分野なのだ。

 だからこそ、地面に描かれているものが魔法陣だと気付いて、驚いたエリアは声を漏らしてしまったのだ。

 まさか、魔法を使えないはずのクルーガが魔法陣なんて!

 よくよく考えてみれば、魔法が使えないというのは噓だったのだから、魔法陣も使うことができると考えても不思議ではなかった。エリアは声を漏らしてしまった、自分の失態を悔いた。

 その声に反応し、クルーガが振り向く。

「ああ……目が覚めましたか、エリアお嬢様。ご機嫌はいかがですか?」

「――最悪の気分じゃ、まったく」

 エリアは答えながら、収納魔法から星空の剣を取り出して構える。いつ攻撃が迫っても対応できるように、脳内詠唱も進める。長らく仕えてくれたクルーガが裏切るなんて信じられないが、敵だと思って対応しなければ、またもや足を掬われる羽目になるだろう。

 エリアが緊迫感を滲み出す一方で、クルーガは敵意はないと訴えるように両手を広げた。

「私にエリアお嬢様と戦うつもりなんて、まだありませんよ。とりあえず、思い出話をしましょう」

「……思い出話じゃと?」

「ええ、少し昔の話です」

 クルーガに敵意がないのは本当のようだ。魔法を練る前兆が感じられない。エリアは紡いでいた魔力を霧散させて、しかし、星空の剣は構えたままに促す。

「話してみよ」

「そうですね、どこから話せばいいやら……。エリアお嬢様、魔王となるのに必要な条件を知っていますか?」

「条件……魔王の証じゃろ? それがどうした?」

 魔王の証、確かフロゥグディを出発する当日、エイジに説明をした覚えがある。

 初代魔王の血を引いていると、身体のどこかにアザのような紋章が現れることがある。これが魔王の証と呼ばれ、それを持つ者は何かしら秀でた能力があり、魔王に相応しいと考えられている。

 ただし、その魔王の証は必ずしも見える場所には現れない。エリアの場合は臀部にあるため、鏡でも使わなければエリアでさえ見ることはかなわない。とはいえ、間違いなくエリアは魔王の証を所持しているのだから、魔王であるのに難癖を付けられることはない。

 いったい、クルーガの話に魔王の証が何の関りがあるのだろうか。

 そうエリアが考えると、クルーガは右手の白い手袋を外した。

 エリアは思わず、息を飲んだ。

「っ!?」

「わかりましたか、エリアお嬢様」

 クルーガが突き出した手の甲にあったのは、魔王の証。

 いや、そんなはずはない。

 クルーガに魔王の証があるのなら、先代魔王だったエリアの父親はもっと早くに退位し、彼に魔王を継がせていたはずだ。しかし、クルーガが掲げるそれは、どこからどう見ても魔王の証である。

 エリアが困惑していると、クルーガは言った。

「これ、魔王の証に見えますが、実はただのアザです。限りなく似た模様のアザですね」

「……アザ?」

「そうですよ、ただのアザです。しかし、私が生まれた時、周りの大人たちは本物だと勘違いしてしまいました。私を次代の魔王候補として教育し、残念ながら、私も自分が次代の魔王だと本気で思い込んでいました。ただ、おかしいですよね。私には初代魔王のような他人を惹き付ける才能もなく、二代目魔王のようなひときわ優れた知能もなく、誰かのように最大魔力量が素晴らしく高いわけでもない。私はただの凡人なのに、誰も疑わず魔王として教育されました」

 この話がどこへ行き着くのか予想できて、エリアは黙るしかなかった。

 クルーガの独白が続く。

「私は周囲の期待を裏切らないように、必死の努力をしました。他人よりも要領が悪いため、寝る暇も惜しんで努力しました。人並みの魔力しかなかったため、魔法陣の習得に励みました。その努力が実ったのか、魔王に相応しいと自他共に認めるほどまで強くなりました。しかし――そこにエリアお嬢様が現れたのです」

「わっ、妾にそんなつもりは――」

「先代氷結の魔王が存在を秘匿していた、才能ある一人娘です。エリアお嬢様が城にやってきたその当日、私の居場所はお嬢様に奪われたのです。その時の絶望感といったら……まあ、安堵の気持ちも少しはありましたが。もう魔王という立場に縛られなくていいんだってね、ははっ」

 クルーガが自嘲気味に笑う。エリアは何も言えなかった。

 エリアがクルーガの未来を奪っていたなんて。

 知らなかった。そんなの、知らなかった。

 考えてみれば、おかしいと思い当たる点はある。

 クルーガに魔法が使えない、そんなはずはない。

 魔法が使えない種族もいるにはいるが、クルーガは魔人族というエリアと同じ種族だ。だから、詠唱さえ正確に行えば、魔法は必ず発動する。なぜ疑わなかった。クルーガが嘘を付いていたなんて、少し考えれば明らかなのに。

 思い返せば、コズネス城壁内でクルーガが合流した時、エリアには酷い違和感があった。今なら何に疑問を抱いたのかわかる。どれほど身体が頑丈でも、あの高さから無傷で着地するなんて不可能だ。ならば、増強魔法を使用していたのは明らかだ。なぜあの時に気付かなかった。

 クルーガはずっと嘘を付いていたのだ。

 エリアが何と言葉を返せばいいのか悩んでいると、クルーガは言った。

「では、私の身上話はここまでにして、戦いを始めましょうか。剣を構えてください、エリアお嬢様」

 エリアは剣を握っているが、今にも取り落としそうだった。知らぬ間に自分の存在が迷惑を掛けていた相手と、とても戦えるわけがない。エリアが恨まれ、裏切られるのは当然の話だったのだから。

「さあ、早く剣を構えてください」

 掻き消えそうなほど小さな声でエリアは言う。

「で、できぬ。妾がそんな……」

「はあ、軟弱ですね。エリアお嬢様の闘志を出すためには…………ああ、ところでお嬢様の父親である先代魔王がなぜ死んだのか知っていますか?」

 あたりまえだ。魔王は何かと政敵が多い。その誰かに暗殺されたのだ。

 しかし、その考えが覆される。

「私が殺したのですよ」

「えっ?」

 私が……殺した?

「私がエリアお嬢様の父親を殺しました。そうすれば、当時のエリアお嬢様は魔王を継ぐには幼すぎると判断されて、私が魔王になれると考えていたのに。生意気なお嬢様が継ぐと言い出して……」

「あぁ、ああァッ!」

 慟哭が零れる。

 憎しみに変わるのはすぐだった。

 エリアは星空の剣を構えた。魔法を詠唱するよりも、こちらの方が圧倒的に早い。

「おっと、やる気になったようですね。ならば、私も名乗りましょうか。本来、私が使うはずだった異名を」

 クルーガはそう言うと、にやりと笑った。

「私は十二代目循環の魔王クルーガ。さあ、始めましょうか」

 エリアはその言葉の前に飛び出していた。あの時と同じ古代流派剣術オルドモデル、紅弦。ただ、あの時とは異なり、迷いのない剣筋は凄まじい速度でクルーガの首元へ肉薄する。避けようがない。クルーガからは魔力の波動を感じないから、障壁魔法も展開していないだろう。防ぎようもない。

 次こそは、ついに、この刃が辿り着く――しかし、予想外の感触が剣を伝わって返ってくる。

 ぱりんっ、と何かが割れるような音が響く。

 一瞬だけ、本当に一瞬だけ剣の動きが阻害された。

 心臓がどくんと鼓動するよりも短い一瞬。

 ただし、その一瞬は、クルーガがエリアの攻撃を避けるには長すぎた。

 クルーガは身を捩り、すんでのところで赤く染まった星空の剣を避けると、後方へ逃げる。

 エリアは深追いしなかった。何が起こったのか理解したからだ。

 障壁魔法でエリアの攻撃を阻害したのだ。ただ、クルーガに魔法を発動する素振りはなかった。魔力が練られた感覚はなかった。つまり、障壁魔法はクルーガが発動したのではない。

 刃が首に触れるその刹那、一枚の小さな布の切れ端がひらりと舞った。エリアの動体視力はその布に描かれていた模様のようなものを認識していた。たぶん、それが障壁を展開する魔法陣なのだろう。布自体が小さいから魔法陣も小さいため、魔法の効果は低い。それゆえ、展開された障壁は僅かな衝撃で割れたが、一瞬だけ攻撃を阻害した。

 エリアは油断なく剣を構えなおし、次は無詠唱で魔法を紡ぎながら、問い掛けた。

「それがおじさまの戦い方なのじゃな?」

 クルーガの両手には何枚もの布が握られている。それは全て何かしらの魔法陣なのだろう。今更だが、クルーガは循環の魔王と名乗った。魔法陣だから循環、言い得て妙だ。エリアの言葉にクルーガはひらひらと布の切れ端を左右に振った。

「そうですね。才能のない私が歴代魔王に並ぶため考えた戦闘方法です」

 そう言いながら、クルーガは何枚かの布を空中に放った。

 すぐさま描かれた魔法陣が光り輝き、炎の矢が飛んでくる。

全開放(フルバースト)!」

 紡いでいた風魔法をエリアは咄嗟に発動する。吹き荒れた暴風が炎の矢の軌道を逸らすが、続けざまに放たれた水の球がエリアの腹部に直撃する。

「うぅ……」

 魔法陣が小さいため、威力は弱い。しかし、その量が問題だ。一度に二十を超える魔法が殺到し、対して魔法で逸らし剣で防いでも、迎撃し漏らした魔法がエリアの身体を傷付ける。

 ――戦いづらい。

 エリアは素直にそう思った。

 本来ならば魔法を構築すると、周囲の魔力が乱れて見える。だから、魔法が放たれるタイミングや魔法の種類も予想しやすい。だが、魔法陣は違う。いつ発動されるのか予知できない。

 風素で吹き飛ばし、同じ種類の魔法で相殺し、星空の剣で叩き落す。

 何とかエリアが次々と迫る魔法に対処していると、クルーガが言った。

「時間なので、これで終わらせましょうか。……では、私が人生を懸けて開発した本当の魔法陣、それをご覧に入れましょうッ!」

 クルーガが他よりも大きな布を広げた。高威力の魔法、とまではいかないだろうが、用心するに越したことはない。エリアは対抗して障壁魔法を構築する。

 しかし、予想外のことが起こった。

光素召喚(サモンシャインエレメント)――」

 クルーガに呼び出された光素が空中で円を描く。

 警戒して注意していると、その円にびっしりと術式が並ぶ。クルーガが広げた布に描かれたものと、まったく同じだ。

 エリアは心の中で叫んだ。

 布に描かれた魔法陣を、虚空に転写しているなんて。

 エリアは魔王として秘匿されている技術書も読んだことがあるが、それは聞いたことも見たこともない技術だった。

 なるほど。魔法陣は大きく複雑なものほど高威力になるが、ならば、元の魔法陣を光素で拡大複写すれば、より高威力になるのだろう。考えられた技術だ。これをクルーガが開発したのか。

 とはいえ、感心している暇なんてない。

 洞窟の天井が巨大な魔法陣に包まれた。忌々しい魔力の波動が伝わる。紋様から、エリアが開発した拘束魔法だとわかる。これほどの規模で発動したそれは、どれほどの威力なのか。

「……全開放(フルバースト)

 クルーガの終句と共に、魔法陣から何本もの鎖が飛び出す。じゃらじゃらと音を立てて、蛇のように殺到する。エリアが展開した障壁による抵抗もむなしく、儚い破壊音を残し、簡単に破られる。

 ――避けられない!

 まずはエリアが持つ星空の剣を弾き飛ばされた。続いて、鎖はエリアの身体に絡み付くと動きを封じ、地に転がされる。獲物を逃さぬ蛇のように、ぎちぎちと肌に食い込み、鋭い痛みが身体中に走る。

「ぐぅ!」

 指さえ動かせない。痛みで魔法の詠唱もできない。

「これで証明されましたね。こんな私でも歴代魔王に比肩しうると」

 そう言いながら、しかし、なぜか暗い顔のクルーガに、エリアは腹の底から絞り出した声で尋ねる。

「……それで、妾を、どうするつもりじゃ?」

「ああ、そうでしたね。……話を戻しまして、魔王の証を持つ者が魔王になる、どうしてそんな因果関係が成り立つのか、お嬢様はご存知でしょうか」

 意味がわからない。魔王の証を持つから魔王になるのではないのか。そして、その話をどうして持ち出すのか。

 エリアが沈黙すると、クルーガは言葉を続けた。

「実際は魔王の証ではありません。魔石ですよ」

「……魔石じゃと?」

「ええ、魔石です。ご存じのように、魔族は必ず体内のどこかに魔石があります。しかしですね、その世代に一人だけ特殊な魔石を持つ者が現れるのです。それがお嬢様が魔王たる所以でした。ならば、お嬢様の魔石を私に移植すればどうなるのでしょうね」

「ふっ、不可能じゃ、そんなこと!」

 エリアが全力で否定すると、クルーガは笑った。

「エリアお嬢様が現れてから五年間、この日まで何もしなかったとお考えですか?」

「まさか!」

 はっ、と息を飲む。必死に首を動かし、自分の場所を確認すると。

 ――誘導された!

 エリアが倒れている場所は、クルーガが描いていた魔法陣の丁度真ん中。緻密に大量の文字が渦巻いていて、気持ち悪くなってくる。しかし、エリアはその文字を必死に目で追う。

魔証抽出(ピックプルゥフ)権限消去(イレイズオゥソリティ)……」

 全貌を見ることはかなわないが、見える場所だけでも読み進めると、脳裏に戦慄が走る。

 予想だと、これは対象者から魔石を取り出し、術者の体内に埋め込む魔法だ。しかも、かなり魔法に教養があるエリアでも、見える範囲には間違いや矛盾を見付けることができない、いったいどれほどの時間を掛けて編み出したのだろうと思えるほどの、正確な魔法陣。

 すぐに逃げなければ。

 魔石を失った魔族は、訪れる死を免れない!

 エリアが無詠唱魔法で鎖を分解しようと試みたが、それよりも早くクルーガがぱちんと指を鳴らした。

「では、常識が覆えされる奇跡の魔法を見せましょう!」

「ぐぅう!」

 エリアの眼前で魔法陣が紫に発光し始める。周囲の魔力が収束する。同時に、痛みではない何かに、身体の活力と魔力を抜かれていくような感覚。まるで絶対零度の冷気が身体を蝕んでくる。身体の奥底にある何かが、酷く痛む。けれども、それも全て急速に遠のき、白く、白く染まっていく。思うように呼吸ができない。見える景色すら、ぼやけて把握できない。

 ああ、もう無理だ。こんなところで……



 ――ボンッ

 と何かが弾けたような音が響いた。

 突如、失われていた身体の感覚が、現実に戻ってくる。

 感じる。この肌に食い込む鎖の痛みも。ちらちらと揺れる松明の光も。全て、感じる。

 両目を見開くと、どうして魔法が中断されたのか理解できた。

 魔法陣の一部が地面ごとえぐれている。これは失敗したのではない、爆発魔法による妨害だ。

 いったいどこから、と視線で魔法の軌跡を辿る。

 そして、その姿を見た瞬間、唇から微かな吐息が漏れ出た。


    ◆◆◆◆


 エリアが魔法陣の中心で倒れている。

 嫌な予感に従って、その魔法陣を魔法で破壊したのは正解だったのだろう。

 今にも発動しそうだったそれは、収束していた魔力を霧散させて、現在は一筋の煙を立てながら沈黙している。何の魔法陣だったのかは、俺にはわからない。しかし、エリアを害するものであったのは間違いないだろう。

 拘束魔法でがんじがらめに縛られたエリアと視線を交差させると、俺は敵へと視線を向けた。

「遅かったですね、エイジ殿」

「待たせてすまんな、クルーガ」

 俺は眼前の敵を睨みつける。

 クルーガの装いはいつもと同じように見えて、いつもと少し違う。

 魔族であることを隠すためのフードは取っ払い、白の手袋は右手だけ外し、何だろうか、黒い紋章が手の甲に描かれている。そして、彼は両手の指に布の切れ端を何枚も挟んでいた。

「お前が街に炎龍(イグニスドラゴン)を放った犯人だな、クルーガ」

「やはりエイジ殿にも気付かれましたか、侮れませんね。……それで、どうするつもりですか? 整世教会にでも摘発しますか?」

「そのつもりはない」

「では、戦いを始めましょうか。そのために来たのでしょう?」

 俺は答える代わりに、宵闇の剣を構えた。

 クルーガは対して、何もしない。

 魔力を練る予兆もない。

 そうだった、確かクルーガは魔法が使えないと言っていたな。そして、洞窟の周囲には魔物の気配はなかった。だから、魔物使いとして戦うことはないのだろう。ならば、どうやって戦うのだろうか。

 俺が逡巡していると、エリアの声が響いた。

「エイジ! おじさまの持つ布に気を付けよ、あれは魔法陣じゃ!」

「えっ?」

 エリアの言葉に意識を逸らしてしまったため、反応が少し遅れた。

 クルーガが左手に握る布の切れ端をばらばらと空中に投げた。

 直後、色とりどりの矢が俺へと迫る。

 あれが魔法陣なのか。俺はそれらを宵闇の剣で危なげながらも全て叩き落す。反応が遅れてもこの程度なら対応できる、そう俺が思うと間髪入れずに、布の切れ端が続いて投げられた。次は風素と熱素の刃。線での攻撃は点での攻撃と異なり逸らしにくいため、両断する。

 戦いにくい、俺は思った。

 口頭詠唱でも無詠唱でも魔法を構築する時には、周囲の魔力が揺れ動いて見える。だから、魔法が放たれるタイミングや魔法の種類も掴みやすいため、普通だと事前に回避行動ができる。だが、魔法陣は何もわからない。

 しかも、威力が低いとしても、その多さは目を見張るものがある。多すぎて全てに対処するのが精一杯で、クルーガに近付くことができない。

 俺は思考を巡らせ、すぐに対抗する方法を考え出す。

 魔法陣が一度発動してしまえば、対処が難しい。

 ならば。

 魔法陣の発動を妨害すればいいのだ。

「――全開放(フルバースト)ッ!」

 俺は風素の球をクルーガに向けて飛ばし、彼の付近で発動させる。生み出された微風が布を僅かにずらし、魔法陣から発生した魔法があらぬ方向に飛んでいく。

「――全開放(フルバースト)ッ!」

 続けて、水素による妨害。布の切れ端を濡らし、正常に魔法が発動しないようにする。

「――全開放(フルバースト)ッ!」

 最後に、熱素で布そのものを燃やし尽くす。

 俺がそのように完璧な対応を見せると、クルーガは氷のように冷たい眼光で言う。

「初見のはずなのですが、そのように対応されると私も傷付きますね。では、私もこうしましょう。……全開放(フルバースト)

 クルーガは水素で布を濡らした。だが、それでは魔法が発動しないのではないのか。そう思ったが、違う。よく見ると、布の切れ端は少し光沢を帯びている。たぶん、強度を向上させる魔法も掛かっている。

 投げられたそれに俺は魔法で対抗する。濡らされたことにより熱素で燃やせない、重さが増したため吹き飛ばせない。魔法陣が発動し、次々と攻撃が迫る。やむなく、俺は防戦一方になってしまう。俺よりもクルーガの方が何枚も上手だったのだ。

 ただ、俺は悲観的にはならなかった。

 一秒に何枚もの魔法陣が発動し、何手もの攻防が行われる。このまま戦い続ければ、クルーガは魔法陣の布が不足するはずだ。どれほど事前に切れ端を用意していようと、何百枚なんて数を収納魔法に入れているなんて考えられない。

 その読みは的中し、明らかにクルーガは布を出し渋り始めた。

 ここが勝負の分かれ目だと俺は確信し、深く右足を踏み込み、古代流派剣術オルドモデルを発動する。

「紅弦ッッ!」

 慈悲なんてない。クルーガは街に炎龍(イグニスドラゴン)を放っただけではなく、エリアを害そうとしたのだ。絶対に許しはしない。俺は躊躇いなく剣を振り下ろす。

 宵闇の剣は赤い火花を散らしながら、無防備な首筋へと吸い寄せられる。

 ――抜けた!

 しかし、驚きを表したのは俺の方だった。つんざくように衝撃音を響かせ、振り下ろした剣は停止させられる。飛び散る閃光と、轟く爆発音。

 見ると、宵闇の剣を首の直前で防いでいるのは、禍々しく紫に光り輝く長剣だ。たぶん、魔力で構築された剣だろう。確か魔法が使えなかったはずだ、なんて今更な疑問は抱かない。やはり、最初から嘘だったのだ。

 クルーガが呻きながら言う。

「ぐぅ……流石ですね、エイジ殿。魔法陣での戦い方は、持久戦に弱いと看破するなんて」

「偶然だ。そっちこそ、よくこの剣技を防げたな」

「以前に見たことがありますから。きっ、記憶力だけはいいんですよ!」

 その言葉に、この技をクルーガに見せたことなんてあったか、と俺は考え、思い当たる。

 ちらりと後方を見ると、エリアの近くに星空の剣が転がっている。

 なるほど、たぶんエリアが発動したのを覚えていたのだろう。

「……鍔迫り合いは私の不利ですね」

 クルーガは俺の押し込む腕力を利用して、後ろに逃げた。その姿を追って、俺は突進する。

 横薙ぎに剣を繰り出した。クルーガの禍々しい剣がそれを阻む。伝説の金属と高濃度の魔力がぶつかり、周囲に鈍い音を響かせる。互いの剣が衝突を繰り返す度に、世界が震える。視界内には幾重にも剣の軌跡が残り、勘と感覚で宵闇の剣を振るう。

 クルーガは剣にもそれなりに精通しているようだ。俺の剣を的確に逸らし弾く。とはいえ、剣の戦いに俺が負けるはずない。少しクルーガの反応が遅れたと思ったら、俺はすぐに剣技を発動する。クルーガはぎりぎり剣で防ぎながら、その隙を埋めるように、布の切れ端を地面に落とす。起動、爆音。

 俺が驚いて僅かに手を止めると、クルーガは距離を詰めた。

「――これで!」

「な、それはッ!?」

 クルーガの剣が黒い炎を纏った。

 ――魔界の剣技!?

 上下左右から殺到する鋭い攻撃。

 俺は魔界でもいくつかの剣技を知り、習得してきたが、こんな剣技は見たことがない。静かに、ただただ相手の命を奪い去るためだけの実用的な剣技。まるで、俺の首筋を追尾するかのように、そこだけを狙ってくる。かと思いきや、途中で足元への斬撃が入り、軌跡が予想できない。

 だが、俺の加速された視界では、対応できる。叩き落し、弾き飛ばし、耐え凌ぐ。

 その連撃技は驚異の十一連撃だった。

 最後の一撃を弾くと、剣技後の隙を狙って俺は剣技を使おうとするが、広げられた布から赤い矢が飛び出したために、動きを中断する。

 クルーガは魔法陣での戦いもそこそこ、剣の戦いもそこそこで、突出したものがない。だが、剣と魔法陣の織り交ぜられた戦闘方法には、驚くところがある。たまに障壁魔法が込められた魔法陣も混ざっていて、攻め切れない。

 泥臭い戦いだ。

 互いに攻め手が欠ける。

 俺は剣を動かし続ける。クルーガも手を動かし続ける。

 膠着した戦況を動かしたのは、エリアの声だった。

「おじさま!」

 俺とクルーガの意識が、エリアの方へ向く。

「おじさま! 本当は妾を裏切るつもりなどなかったのであろう!?」

 エリアの声にクルーガは動きを遅らせた。俺がそこに宵闇の剣を振り下ろすと、クルーガは魔力の剣で受け止める。ぎちぎちと拮抗する二本の剣。鍔迫り合いだ。

 加護を持っていないはずのクルーガが俺の腕力と拮抗できているのは、そもそも魔人族であるために身体能力が高いのと、増強魔法を使っているからだろう。対して、俺の方は、アガサに掛けられていたはずの増強魔法と加速魔法がいつの間にか切れていた。

 新たに魔法を構築しようとすると、そこにまたもやエリアの声が響く。

「おじさま、これはどういうことじゃ! この魔法陣は間違っておる。最後の術式で魔力が循環するようになっており、絶対に発動せぬ。誰でもわかる明らかな欠陥じゃ。おじさま、最初から発動するつもりなんてなかったのであろう!?」

 クルーガの込める腕力が少なくなる。俺も慌てて剣に込める重みを抜いた。

 どうやら、二人にしか伝わらない大切な話をしているようだ。

 エリアの言葉はまだ続く。

「それに、妾が起きる直前、妾は母親に頭を優しく撫でられる、そんな幸せな夢を見た。本当は母親ではなく、おじさまなのじゃろう!?」

 クルーガは黙って、何も言わない。二人の間であった詳しいことは知らないが、図星だということは俺でもわかる。つまり、クルーガはコズネスへ炎龍(イグニスドラゴン)を差し向けた犯人だが、それは本心ではなかった、ということだろうか。言い換えれば、クルーガは敵ではなかったということだ。

「おじさまにとって魔王の座を奪った妾は、憎しみの対象だったかもしれぬ。なのに、魔法なんて使えないと騙してきたのは、事実を伝えることで妾が傷付かないようにするためであろう!? おじさまは妾に優しすぎる。演技しても節々から優しさが溢れておる!」

「…………」

「本当は裏切りたくはない、なのに妾を裏切った。妾の父親を殺したなんて嘘まで付いて。なぜじゃ! なぜなのじゃ! まさか、何者かに人質でも取られておるのではあるまいな!? 唆されたわけではあるまいな!?」

「……そんなわけではありません」

 クルーガは苦しそうに答える。エリアはそれを見て、畳み掛けるように問う。

「ならば、どうしたのじゃ。おじさまは妾の馬鹿げた夢に賛同してくれた、唯一の理解者なのであろう!? 本当は妾と共に世界平和を目指したいのであろう!? それを認めぬ何者かがおるなら、妾も共に戦う! 言え、言うのじゃ。おじさまが願う本当の望みを!」

 エリアは束縛され地に這いながらも、必死の視線をクルーガに向ける。

「どうなのじゃ! おじさまの望みはどうなのじゃ!」

 エリアの叫びを聞いたクルーガは肩を震わせた。

「わ、私も本当は……」

 クルーガは俺の剣を押し返そうとしない。それは彼の心中を表しているのだろう。

 悩むようにクルーガは両目を閉じた。

 その様子をエリアは緊張した様子で見詰める。

「わ、わた、ワタシは!」

 しかし、どこか様子がおかしかった。

 クルーガの口調が急におかしくなったのだ。

「なんだ!?」

 俺は驚いて、後ろに大きく跳んで、距離を取った。

 クルーガはそんな俺にも気付かないように、頭を抱えている。

「ワタシは、ジュウニ代目循環のマオウ」

 口調がおかしい。ざらざらとした声だ。

「いったい何が起こっている?」

「……妾にもわからぬ。見たことがない現象じゃ。僅かに魔力が流れておる、つまり、魔法の一種……なのか?」

 俺が呟くと、エリアが答えた。

 その瞬間。

 視線の先で、クルーガは妙な黒い靄に包まれた。

 その靄の発生源は、左手だろうか。黒い靄がまるで炎のように、左手の手袋を燃やす。その下から、何か忌々しい模様が現れた。クルーガが剣を握っていた右手にある何かの紋章と対になる、アザのような模様だ。

「ノ、呪い……! 危ない、ノロイッ!」

 たどたどしくクルーガが声を出す。

 直後、そのアザが広がり始める。左手から上腕に広がり、顔を埋め尽くし、全身の皮膚という皮膚を覆いつくす。

「――あはっ、ノロイ。ノロイノロイィッ!」

 呪い、と言っているのだろうか。各地に伝わる奇譚には呪いという記述があるが、ずっと空想だけの存在だと思ってきた。だが、これは呪いとしか言いようがない。まるでそれまでの人格が書き換わるような、文字通りクルーガは人が変わったような印象を与えた。

「くはっ、くはハッ、クハハハッッ!」

 闇がクルーガを完全に包み込み、奇妙な声で笑う。かつての俺が思い描いていた魔王らしい異形だ。何かがおかしい。呪いか、人格を変える呪いなのか。頭の中で警鐘が響く。得体の知れない恐怖。

「ワタシはマオウ、マオウとしてタタカワナケれば!」

 クルーガは右足を踏み出した。

「っ!?」

 片言で叫びながら、クルーガが襲い掛かってくる。

 瞬く間に距離を詰められ、魔力の剣が振り下ろされる。

 ――速い!

 先ほどよりも速く鋭い刃。

 俺は咄嗟に宵闇の剣で迎撃する。それを握る右手がびりりと痺れる。

 甲高い金属音と共に、両者の剣が弾き返される。

「マダダッ!」

「――くっ」

 息をする間もなく、クルーガの剣が無尽蔵に振るわれた。がむしゃらだ。まるで何も考えていないように、いや、実際に何も考えていないのだろう。クルーガは予想できないような剣筋で剣を振るう。

 先ほどまでは俺までではないが、それなりに洗練された剣筋だった。それなのに、今は洗練とは程遠い、技術なんて少しも感じられない動きだ。しかし、その速度は常人の域ではなく、捌くのが難しい。

 何とか攻撃を届かせて、俺はクルーガの体勢を崩したが、その崩れた体勢からクルーガは突きを放つ。普通に考えたらありえないような攻撃。反応が遅れて、頬に掠る。血がしたたり落ちる。予想できない。そこに剣の技術なんてなかった。なのに、速いし重い。理性が抜け落ちたかのような剣筋なのに、速い。狂ってるとしか形容できない。

 戦いながら加速魔法を展開するが、それよりも速くクルーガは移動する。

「くっ……紅弦ッッ!」

 埒が明かないと判断し、俺は最も慣れ親しんだ古代流派剣術オルドモデルを発動した。加速する紅色の剣尖。この距離なら避けられないはずだ。

「ミタコトガ、アル!」

 しかし、ゆらりとクルーガはそれを避けてみせ、俺に反撃をあびせる。俺は驚愕しながら、反撃を咄嗟に防ぐが、勢いは殺せずに、後退させられる。

 クルーガが狂う前に、俺は同じ技を発動して防がれた。その時にクルーガは言った。一度見た剣技だと。まさか理性がない現状でも、クルーガは記憶を頼りに避けることができるのか。

「――せっ、旋緋ッッ!」

 その仮説は続く剣技で肯定される。流れるように発動した剣技を、また流れるようにクルーガは避ける。これもまた、工房の庭で見せたのを覚えていたのだろう。理性はないのに、知性だけは残っている。まずい、狂う前と同じように俺の剣技が読まれ、しかし、狂う前よりも速い。負ける、その光景が頭に浮かぶ。

 クルーガの予想できないような剣戟が、最も厄介な問題だ。反射で防げないから、目で見てから防ぐなり逸らすなり躱すなりする必要があるにも関わらず、それ以上の速度で彼は剣を振るため、俺の身体に僅かずつ傷が増えていく。

「オソイッ!」

「っ……」

 避けそこなった刃に肩を浅く斬られる。苦痛に顔を歪ませる。

 どうするべきだ。どう戦えばいい。考えろ、考えろ考えろ。

 高速で思考を回転している最中、エリアの声が響いた。

「エイジ、左腕じゃ! 左腕のあれが人格を奪っておるのかもしれぬ!」

 その指摘に俺は頷いた。

 クルーガがおかしくなったのは、たぶん左手にあるアザのようなものが原因だろう。呪い、と彼は言っていた。それがクルーガの人格を奪っているならば、左手を吹き飛ばせば人格が戻る、のかもしれない。

 ただ、それが難しい。

 あの剣戟の間を縫って接近するなんて、ほとんど不可能だ。狂ったクルーガの対応は流石としか言いようがない。ここで初めて見せる剣技でも、危なげなく避けてしまい、次からその剣技は完璧に対処してくる。どんどん俺は使える剣技の幅を狭められ、戦い方に制限が掛かる。つまり、俺の実力が足りないのである。

 ならば、と。

 俺は剣戟を捌きながら、視野を広げる。

 クルーガの剣から、クルーガの身体全体に視野を広げ、そこから洞窟全体まで視野を広げる。

 俺の実力が足りないのなら、他で補えばいい。

 あるはずだ、反撃する方法がどこかにあるはずだ。

 視界の端では、拘束魔法に縛られたエリアが魔法陣の中心で倒れている。魔力の残滓が感じられないため、エリアに頼ることはできなさそうだ。魔法陣を囲む松明も使えなさそうだ。いたるところに魔法陣が描かれた布の切れ端が落ちている。魔法陣は発動すると、もう使えなくなるから、これも活用できない。ない、どこにもない。

 クルーガの剣が俺の脇腹を掠り、俺が諦めようとした刹那。

 きらりと輝いたものを見た。

 ――いや、ある。

 咄嗟に思いついた方法へ、俺は賭けることにした。

「うおおおおお!」

 放つのは、勇者専用剣技スターダスト・レイン、九連撃。俺が扱う剣技の中で最も高威力かつ複雑なため、防ぐのも逸らすのも躱すのも難しいはずである。彗星のように青白く染まった剣が、流星群のようにクルーガへ殺到する。

「ソレモ、ミタコトガアルッ!」

 だが、やはりクルーガは対応する。これもまたイザラの工房で見せた剣技だから、縦横無尽な剣筋で逸らされる。もちろん、防がれるのは百も承知。俺の目的は防がれた先にある。

 何度も虚空で二本の剣が交差し、火花を散らす。それがクルーガの口角を照らした。嘲笑うような仕草。それもそのはず、九連撃であるがゆえに、他の剣技よりも長い後隙が生まれる。それは戦闘中において致命的で、あまりに長い。

 この九連撃を防げば勝てる、とクルーガは思っているだろう。わかっていない。普段のように冴えている彼ならば、俺の狙いに気付けただろう。しかし、思考が鈍っているのか、俺の失敗を嘲笑うだけだ。

 上段の横薙ぎ、下段の切り替えし。打ち込まれる流星群は虚空を彩り、そして禍々しい剣に阻まれる。

 五連撃、六連撃。そして、七連撃を迎えた時に、俺は剣技が解除されてしまうぎりぎり一歩手前まで、身体を地面に倒した。それと同時に俺が左手へ掴んだ物は――

「ナッ、ナニッ!」

 転がっていた星空の剣。

 クルーガの黒く塗り潰された顔が驚愕に染まる。

 残されていたエリアの剣を使うなんて、予想できないだろう。

 彼の剣が遅れる。

 俺は左手で星空の剣を突き出した。

 僅かにクルーガの思考を奪えばいい。

 僅かな隙を生み出すだけでいい。

 そう考えて、ただ突き出した剣だったのに。

 そこで、予想外のことが起こる。

 星空の剣がぶるり、と震え、青白い燐光を纏った。スターダスト・スパイクの輝きだ。そんなはずはない、両手で同時に剣技を発動することはできないはずだ。なのに、これは剣技の輝きで違いはなかった。床で倒れているエリアの願いが届いたのだろうか。

 いや、どちらでもいい。俺は剣に身を任せた。煌めきを周囲に振り撒きながら、虚空を突き進む。その様子は彗星というよりも、まるで新星(ノヴァ)のようで……

「スターダスト・ノヴァッッ!」

 シュバッ、と弾けるような効果音を響かせながら、クルーガへ肉迫する。

 彼は迎撃できなかった。

 剣尖がクルーガの左肩口へ深く突き刺さり、左腕を切断して吹き飛ばす。

 鮮血が舞う。

 予想通り、呪いが解けたのだろうか、黒い靄のようなものが晴れる。皮膚を覆い尽くしていたアザが消える。

「アアッ、ノロイガッ! ワタシハ……わ、私は」

 クルーガの瞳に理性が戻る。

 彼は剣を取り落とした。

 だが、まだ安堵できない。

「クルーガ! 避けろオオォッ!」

 俺は叫んだ。

 俺の剣技――スターダスト・レインはまだ続いていた。青白く発光した剣がクルーガに迫っている。剣技を無理やり解除するには間に合わない。このままだと俺の剣はクルーガの身体を斬り裂いてしまう。だから、彼自身で避けてもらうしかない。

 俺は身体を後ろに引っ張り、剣の速度を遅らせる。

 俺の叫びを聞いたクルーガは、はっと自我を取り戻し、反応した。

 両足で踏み込み、跳んだ。

「そ、そんな!」

 ――前へ跳んだ。

 とても優しい瞳だった。

 迫る剣の下に飛び込んだ。

 剣を止めることはできなかった。

 無慈悲な刃が彼の右腕をも斬り飛ばし、続く九連撃目の突きが無抵抗の身体を貫く。響く轟音。

 クルーガは高々と吹き飛ばされ、天井に叩きつけられてから、べちゃりと地面へ落下した。

 何が起こったのか、理解できなかった。

 呆然と立ち尽くす。

「――おじさまアァ!」

 エリアの絶叫が俺を正気に戻らせた。

 俺は二本の剣を投げ捨てるや否や、クルーガの元へ駆け寄る。

 両手を失い、腹にはぽっかりと大穴が空いている。流れる血は尋常じゃなく、既にとてつもなく広い血溜まりが形成されていた。

 クルーガは焦点が揺らいだ瞳で俺を見た。

「なぜだ! なぜ、避けなかった! いや、それよりも、水素召喚(サモンアクアエレメント)損傷補填(コンペンションウォンド)――」

 俺がクルーガの傷を塞ぐために、詠唱を始める。連戦続きで魔力が少なく、補填魔法の構築に俺が手間取っていると、彼は言った。

「……補填魔法は必要ありません。呪いがあったとしても、私はエリアお嬢様を裏切った罪人です。そんな私には死が相応しい」

「そんなはずはあらぬ!」

 俺は驚いて隣を見た。

 束縛から抜け出してきたのだろう、エリアが涙ながらに訴える。

「わ、妾におじさまを咎める気持ちなんてあらぬ! 妾を裏切ったのも本心ではないのであろう? 呪いのせいなのであろう? ならば、妾は許す。許すのじゃ! だから、生きてくれ!」

 大粒の涙を流しながら、クルーガに懇願する。とはいえ、賢いエリアはわかっているのだ。クルーガに生きる道は残されていないと。両腕を損失し、胴体に大穴が空いているのだ。血を失い過ぎている。古に失われたという回復魔法でもない限り、クルーガの死は決まっている。

 だから、クルーガは首を振った。

「こんな私を、許してくれて……ありがとうございます。泣かないで、ください……お嬢様は、私の大切なお嬢様なのですから……笑顔が、似合いますよ」

 クルーガはたどたどしく感謝の念と望みをエリアに伝えると、続いて、俺の顔を見た。

「エイジ……殿」

 掻き消えそうなほど小さな声。俺はクルーガの口元に耳を近付ける。

「エリア、お嬢様……の騎士を頼めませんか? 母親と弟は、遠い森の中。父親は……死に別れ、唯一の腹心であった私には……裏切られた。彼女は独りぼっちだ。だから、私の代わりに……エイジ殿が騎士を継いでくれませんか? 本当の騎士に。馬鹿げた夢、ですが……貴方がいれば、きっと実現する。……末永く、お願いします」

「――ああ、わかった」

 俺がしっかりとした口調で頷くと、クルーガは安心したのか、瞳を閉じた。

「最期なので、あの……忌まわしき呪い、について話しましょうか」

 その言葉にエリアが泣きながら反応する。

「そうじゃ! あれは何じゃ! 僅かに魔力の移動が感じられた。魔法の一種なのか?」

「私にも――わかりませぬ。……誰が何のために、作り出したのか」

 クルーガは語る。

 とある者に呪いを掛けられた。

 その呪いは、呪いの主に背こうとすると、自我が奪われるものらしい。

 それならクルーガがあの瞬間に狂ったのも納得だ。あの時、クルーガは呪いを掛けた主に抗おうとしていた、つまり、エリアの説得に頷こうとしていたのだ。

 ただ、そのクルーガに呪いを掛けた者が誰なのか、俺が尋ねようとすると、クルーガは話を変えた。

 最期の言葉。もう長くないと自覚しているのだろう。

「世界平和……を目指すなら、呪いを扱う……敵にも出会うでしょう――あぁ、私のお嬢様を……彼ら、からお守り……くだ、さ――」

 そして。

 声が途切れる。

 沈黙がその場を支配した。

 エリアはぼろぼろと涙を落としながら、動かないクルーガの身体にしがみつく。ゆさゆさと両肩を揺さぶっても、クルーガが起きる兆しはない。

「ぐぅ……うぅ」

 エリアは肩を震わせ、嗚咽を漏らす。

 その様子を見て、俺は胸を痛めた。

「……すまない、エリア。クルーガを殺したのは俺だ」

 懺悔の気持ちで謝ると、エリアは涙を流しながらも、答える。

「……謝る必要はあらぬ。おじさまが望んだことじゃ。そう、おじさまが望んだ……こと。妾も泣いてはおられぬな……」

 俺はエリアを見た。彼女は服の袖でごしごしと涙を拭くと、不格好ながらに笑った。

「おじさまのためにも、妾は前へ進まぬとな」

 エリアは真っ直ぐ、まるで視線の先に道が続いているかのように、前を見据えた。

 ああ、エリアは強いな、そう俺は思った。

 エリアの背中が俺にはとても眩しく見えた。

 つい先ほど、大切な人物を亡くしたのに、立ち直り前へ進める。故人の想いを糧にして成長できる。そんなエリアだからこそ、かつての俺が諦めた世界平和という夢を、追求できるのだろう。そして、その夢はきっと実現するのだろう。俺はそう思った。

 そんな時。

 洞窟の出入り口から赤白い光が差し込む。

 朝焼けだ。

 エリアの門出を祝福しているかのように、白い光が洞窟内を埋め尽くす。

 短いようで長かった、そんな夜が明けた。


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