22 ある魔王の話6530
たぶん、他人から見た魔王エリアは不遇で孤独な少女なのだろう。
生まれた時から魔王の娘であるために暗殺防止の観点から、外界との交流を絶った森に住んでいた。少し成長すると、生みの親と別れ、父親である先代魔王と共に魔王城で住むことになる。もちろん、恵まれた生活はできるかもしれないが、次代魔王としての責務を課せられ、鳥籠のように自由なんてなかった。食事も環境も全て決められた生活。自由はなかったが、エリアにとっては幸せな生活が続いた。
しかし、その幸せもすぐに終わる。
父親である氷結の魔王が政敵に暗殺される。とはいえ、その悲しみに明け暮れることはできない。魔王の座は空位にはできないのだから。魔王の証を所持しているものとして、魔王になる義務があった。すぐにエリアは霹靂の異名と共に、魔王の名を継ぐ。より制限される生活。どこにも行けない。何も選べない。何もできない。
そして、聡明なエリアは気付いた。
不自由なのは、世界が平和ではないからだ。争いがあるから、暗殺に気を使わなければならない。ならば、世界を平和にしてしまえばいい。
魔王エリアが幸運だったのは、その発想に至ったことだろう。
天真爛漫で考えるよりも行動が先、本来はそんな性格であるエリアは、すぐ実行に移す。
戦争のメリット、デメリット。戦争の被害者にも会った。片腕を失った吸血族、視力を喪失した白狐族。経済指標の考えも発明し、戦争が技術発達の妨げになっているのも確認した。戦争はデメリットしかなかった。
では、なぜ戦争が始まったのか。
魔界でも昔から諍いが絶えなかった。多くの種族が存在し、それぞれ身体的特徴が異なれば、諍いに発展するのは当然だった。それと同様で、人族と魔族は特徴が異なるのだから、相容れないのだろう。だが、魔族と人族は体内に魔石があるかないかの違いだけで、等しい存在であるはずだ。
戦争をする必要はない。復讐、報復、意味がない。人族だって魔族に殺されているのだ。戦争はどちらが始めたのかは関係ない。いま、この瞬間も戦争が続いているのだ。知らない所で、魔族が、人族が次々に命を落としていく。
ならば、今代の魔王であるエリアがすべきことは、人族との間に和約を結んで、八十年続いているこの戦争を終らせることではないのか。
しかし、その考えに賛同するものは少ないだろう。いくらかは戦争に疑問視している魔族もいるかもしれない。とはいえ、戦争を始めたのは人族であるから、魔族側から歩み寄る必要はない、と反対されるのは目に見えている。エリアのような考えを持つのは、魔界において少数派であったのだ。
だから、エリアはその野望を胸に仕舞い、側近であったクルーガだけにその考えを伝えた。彼はエリアの父親が暗殺されてからも長く仕えてくれて、政敵だらけの魔王城では安心できる相手だったのだ。
「――エリア嬢様がそう考えなさるならば、私もその意思を尊重しましょう」
「そうか、よろしく頼むの」
それからエリアはクルーガと平和に向けての計画を練ることになる。
魔族の説得は不可能だと考えていい。つまり、前提として人界側の協力者を取り付け、そして人界の国々を巡りながら、賛同者を少しずつ増やしていく。外堀から埋めていく、堅実な作戦であった。
まずは最初に緩衝地のフロゥグディ、次に鍛冶の街コズネス。わくわくと目を輝かせながら、まだ見ぬ旅の経路を決めていく。
「いいですか、お嬢様。旅の同行者として人族を選んでもいいのですが、今代勇者だけは駄目です。情報によると、年若い少年のようですが、していることは先代と同様に残虐非道。既に二つもの村が彼とその仲間によって滅ぼされました。」
「説得は無理そうかの?」
「無理ですね。というより、討伐要請が出ているほどです。勇者の対応は私が担当しますので、お嬢様はくれぐれも近付かないようにお願いします」
噂される勇者のような強者と渡り合うために、八重魔法を開発した。協力者の信頼を得るために、魔力を身体能力に変換する魔法さえ開発した。古代遺跡を巡り、失われた転移魔法が刻まれた魔石を発見した。
そうやって数年もの歳月で作戦を練り、エリアはあの日、勇者の目撃情報が出た村へ向かったのだ。
――こんばんは、勇者。
側近のクルーガには勇者以外にしろと釘を刺されていたが、エリアはその勇者エイジを同行者にすることとした。彼の瞳、まるで暗く濁った瞳を見た瞬間にわかったのだ。彼もまた戦争に疑問を抱いていると。説得さえ成功させれば、彼はエリアの旅に同行してくれると。
その目論見は達成され、それから一週間も二人で行動を共にしたエリアは、しかし、一人で路地裏を歩いていた。
向かう方向は、エイジの親友だというイザラの工房。道順は複雑で迷ってしまいそうだったが、エリアは魔王らしく記憶力がいい。朝方に通った道をそのまま通る。
隣にエイジはいない。なぜなら、彼は炎龍の行方を追ったのだから。本当はエイジが隣にいれば心強いのだが、彼がいないのなら、一人で済ませるしかない。
「お帰り……エイジは?」
工房の扉を開けると聞こえてきたのは、イザラの声。
「炎龍という魔獣を追っておる」
「なら、安心できるんだな?」
イザラの言葉には二通りの意味が込められているのだろう。炎龍が追い返されて街が安全であるということと、エイジに傷はないということ。
どちらも正しかったため、エリアは頷いた。
イザラはほっと安堵の息を吐くと、言った。
「ところで……エリアさん」
「うぬ?」
「上で待っている、とクルーガさんから伝言です」
「……わかった」
謎に恭しいイザラの態度に首を傾げながら、エリアは備え付けの階段を上る。
そこは居住区だった。両開きの衣装棚、柔らかそうなソファーと作業机、壁には多くの剣が飾られていて、手紙の貼られたコルクボードもある。
エリアを追って人界まで来た騎士のクルーガは、作業机で何やら手紙を書いていた。エリアは静かにその背中へ呼びかける。
「おじさま」
「――エリアお嬢様、ご無事で何よりです。話したいことがありますが、もう少しお待ちください。この部屋は興味深いものが多いので、見て回ればいいかと」
エリアはその言葉の通りに、室内を見て回ることにした。人界の書物に、並べられた鉱石標本。全てが確かに興味深かったが、エリアの目に付いたのは、コルクボードに貼られた大量の手紙だった。差出人は――
「エイ……ジ?」
暦によると約三年前に書かれた手紙だ。
『久しぶり、イザラ。なかなか手紙出せなくて、ごめん。今は戦線から百キロル離れた森で仲間と野営しているところだ。お前に貰った短剣、用途が違うけど魚を捌く際に使わせてもらってるぜ。
……らしくない書き出しで始めてしまったな。今回、手紙を書いたのは、相談をしたいというか愚痴を聞いてほしいというか、まあ読み流してくれて構わない。俺の問題なんだからさ。
……なあ、イザラ。俺さ、人界を出る前はずっと魔族を憎んでいたんだ。あの日のこと、覚えているだろ? 俺もお前の両親も魔族に殺されてから、俺は全ての魔族を殺すって心に誓った。けれどさ、こっちで魔族と出会って、彼らは俺たちと変わらないって知ったんだ。彼らは俺らと同じ言語を話し、同じような生活をする。ちょっと姿が違っているだけで、他に何も変わらない。俺は迷っているんだ。このまま彼らを殺していいのかって。復讐にだけ囚われていていいのかってさ。
……でも、俺の仲間たちは躊躇なく殺していく。同じ言語を話す彼らを。俺にはそんなことできない。俺は剣を彼らへ向けれないんだ。弱い奴なんだよ、俺は。人族の平和のために、勇者へ選ばれたというのに。なあ、イザラ……俺はどうすればいい』
やはり、とエリアは思った。
彼は心から魔族を憎んでいても、心から復讐したいとは考えていなかった。だから、あんな悲しそうな顔をしていて、だから、簡単にエリアの説得を聞いたのだろう。
そんなエイジと同じように考えている人族は多いはずだ。彼らを説得すれば、平和な道も拓けるはず。
だが、そんなことよりも今は、目下の疑念を解消するのが先であろう。
物音が聞こえて意識を戻すと、クルーガは手紙を書き終えたようだった。それを細く折り畳んでどうするつもりだろう、とエリアが思っていると、開いた窓から鳩が入ってきた。手早く足に手紙を結び付けられた鳩は、クルーガから餌を貰い、すぐさま窓から飛び出していく。
今度こそ、とエリアはその背中に声を掛けた。
「おじさま」
「エリアお嬢様、少し場所を変えましょうか」
エリアは頷いて、クルーガに従い階段を降り、イザラが何か言いたそうにしていたが、工房から出る。夜空が広がるそこは、秋風が吹いて若干肌寒い。迷路のような路地を、何のあてもなく揃って歩く。
目抜き通りの方向はまだ炎龍の混乱が続いているようで、喧騒が届いてくる。けれども、この道は反して街灯が点々と並んでいるだけで、誰の姿もない。
エリアは覚悟を決めると、おもむろに話を切り出した。
「おじさま……妾の質問に答えてくれぬか?」
「いいですよ」
「炎龍を連れてきたのは、おじさまじゃろ?」
「……どこでわかりましたか?」
クルーガの前で突きつけると、その双眸は細められた。十五年も共に過ごしてきたのに、それは今まで見たことのない、冷たい氷のような眼光だった。
「否定しないのじゃな。まあ、よい。まず疑問を抱いたのは、季節じゃ」
「季節?」
「今の季節は秋である。本来、炎龍はこの時期になると冬眠を開始しているはずじゃ。なのに、あやつはコズネスへ現れた」
炎龍は寿命が長い反面、数年単位で眠って過ごしたり、冬眠が他の魔物に比べて遥かに長い。秋にもなると、既に冬眠しているはずだった。
「そして、あの炎龍は幼体じゃった。本来、魔物使いといえど上位の魔物を使役するこはできぬ。しかし、抜け穴がある。その赤子を攫って調教すればいい。違うかの?」
魔物使いは魔物を飼い慣らし、使役して戦闘する者のことだ。
彼らは魔物を圧倒的な力でねじ伏せ、調教する必要がある。そのため、上位魔物を使役するなんて無理だと考えられていた。だが、それが幼体ならどうだろうか。親としての刷り込みも簡単だと思われる。
その理屈をエリアが説明すると、クルーガは星空をどこか憧れているような熱い眼差しで見上げた。怪訝に思うと、その口元から奇妙な笑い声が漏れる。
「ええ、ええ。そうですとも、あの炎龍は我が子ですよ」
「……それで、何が目的なんじゃ?」
「そうですね。エリアお嬢様から勇者を引き離すつもりでした。彼は正義感が強いですから、きっと戦いに向かうだろうと思いまして。なので、エリアお嬢様が一緒に行く、と言った時は肝が冷えました。……が、こうしてエリアお嬢様が単独で戻ってくるとは、よかったです。手間が省けて」
「っ!?」
その瞬間、構築した風魔法で身体を後方へ飛ばしたのは正解だった。凄まじい殺気と共に飛んできたのは、クルーガの横蹴り。ちりちりと服に掠る。
「ふむ、本当に身体能力は高くなったようですね」
「な、何の真似じゃ!」
「……答える必要はありません」
クルーガがぶっきらぼうに言うと、彼の周囲に魔力が広がった。エリアが咄嗟に身構えると、その魔力は収束して、何本かの帯が出現する。エリアがかつて開発したオリジナルの拘束魔法だ。鎖型のそれが、じゃらじゃらと音を響かせながら迫る。
「くっ!」
風魔法で軌道を逸らし、次に迫る鎖は圧縮した水魔法で切断する。脳内詠唱の隙が生まれると、すぐさまエリアも拘束魔法の鎖を構築し、互いに絡み合わせて相殺する。殆ど不意打ち当然の攻撃だったが、エリアは魔法に最も秀でた魔王である。神業のような芸当で、迫りくるクルーガの攻撃を次々と無効化する。
ついに鎖の動きを全て止めると、エリアは叫ぶように尋ねた。
「おじさま! おじさまは魔法が使えぬのではなかったのか!」
魔族は全員が体内に魔石を持つ。だからこそ、魔力との親和性が人族よりも高く、魔法に秀でた者が多いのだ。しかし、地霊族のような魔法が使えない者も一定数はいる。クルーガもその一人で、魔法が使えないからこそ魔物を使役して戦うようになった、そう言っていたはずだ。
そんなエリアの疑問は、次いでの攻撃で砕かれる。
「もちろん魔法は私だって使えますよ。秘密でしたけどね」
「……ぐうっ!」
エリアは押されていた。エリアは魔王であるため、どれほどクルーガが魔法に秀でていても、簡単に相殺できるはずだった。しかし、エリアは変換魔法で身体能力向上の代償として、大量の魔力が支払われている。限られた魔力では捌ける量にも限界がある。このままでは押し負ける。
どうすればいい、どうすればいい。魔法を幾重にも展開しながら、思考を加速させる。そして、ある手段に行き付くと同時に、実行していた。
「――全開放!」
背中側で風素を解放して得た推進力と共に、エリアは踏み出す。
霹靂の魔王。
その異名を彷彿とさせる、予備動作もなにもない神速の踏み込み。同時にエリアは腰から星空の剣を引き抜き、右肩に構えていた。エイジに教えてもらった古代剣術奥義の紅弦。イメージを込めた直後、どこからともなく赤い燐光が漂い始める。
クルーガが両目を見開いた。クルーガには避けようのない一撃。次の瞬間には、その剣がクルーガの首元に深々と突き刺さることだろう。
その光景を予想して、エリアは僅かに躊躇った。
クルーガはエリアが魔王城に来てから、ずっと隣で仕えてくれた唯一の側近。学業も丁寧に教えてくれたし、一緒に戦争を終わらせる作戦だって考えてくれた。そんなクルーガが裏切るなんて信じられない。誰かに脅されているだけではないのか。偽物とすり替わっているのではないのか。
そう考えると、ここでクルーガを斬ってしまっていいのだろうか。別の手段が――
そんな躊躇いの気持ちが剣を遅らせたのだろう。
その身体には深傷を与えるはずだったその一筋は、しかし、掲げられたそれによって阻まれた。
見れば、クルーガの右手に、何やら剣が握られていた。魔力で構成されているのだろう、それは紫色に光り輝いていた。
飄々とした態度で、クルーガは言った。
「いやあ、今のは私でも流石に危なかった。剣技ですか? エリアお嬢様って、剣が使えないはずだったと思うのですが?」
「……もちろん妾だって剣ぐらい扱える。秘密じゃったがの」
隠していたわけではない。伝えそびれていただけだ。ただ、この一瞬ではクルーガに対しての隠し玉になりえたのに、失敗してしまった。これでもう、勝ち目はない。
剣を交差させたまま、再度、蹴りが伸びてくる。
が、今度は躱せなかった。
「く……うっ!」
一度も経験したことがない鋭い痛みを感じ、地面に倒れ込む。握っていた星空の剣も、乾いた音を立てて石畳の地面に転がった。
動かなければ。立ち上がり、剣を構えなければ。
そう思っても、痺れる痛みが体力を奪い、呼吸すらも普通にできない。
エリアがぴくりとも動けないでいると、背中を踏みつけられた。頭を駆け巡る疼き。だが、それも全て急速に遠のいていく。
意識が消えて――けれど、これだけは。
転がっていた星空の剣を収納魔法へ落とすことができた。エイジが買ってくれた剣。これでどこか安心できた。何とか保っていた最後の線を手放す。
「……エリアお嬢様、申し訳ございません」
遠くから誰かの声が響くと同時に、エリアの視界は暗転した。




