21 交差する物語3765
地を蹴ると、加速魔法の影響もあって、景色が凄まじい速度で流れていく。が、俺の遥か先を飛ぶ炎龍はそれ以上の速度で空を飛ぶため、流石に追い付けない。ただ、ふらふらと痛みにより蛇行しながら飛行しているため、距離が引き離されることはなかった。
炎龍はその広い両翼だけで飛んでいるのではなく、風素による補助で飛んでいる。だから、俺が暴発させた風魔法で炎龍は体勢を崩して、地に落ちたのだ。
その時と同じで、本当に追い付こうと考えれば、炎龍の両翼付近に風素を投げればいいだけだ。しかし、俺の目的はその背中に追い付くことではなく、炎龍が向かうその先にあるものが目的だ。たぶん、辿り着いた場所に、なぜ炎龍が現れたのか、その答えが待っていると俺は考えていた。ただ――
「……本当に、どこへ向かっているんだ?」
炎龍の目的地がわからない。進んでいる方向はだいたい魔界側だが、こっちには街も村もないし、ただただ草原が広がっているだけだ。炎龍の巣は山脈に造られることが多いので、その可能性もない。
いま俺は、加速魔法と、足裏で風魔法を開放して、虚空を飛ぶように駆けている。流石に八重魔法を扱うエリアには及ばないが、その速さは神速といっても過言ではないだろう。それなのに、既に三十分も走っているから、どれほどコズネスの街から離れているかわかるもの。
そして、加速魔法の効果が薄れてきた時、前方で飛んでいた炎龍は両翼を畳んだ。その巨体はみるみるうちに減速し、滑空に入る。どう見ても、これ以上は飛び続けるつもりがないようだ。
――まさか、ここが目的地なのか?
「放棄」
俺も揃って加速魔法を解除して減速すると、遠くで炎龍が着陸したのを確認したと同時に、身近にあった木に登った。近付きすぎると俺の存在に気付くかもしれない。だから、遠くからの観察だけに留める。
「水素召喚――」
俺は空中に水の玉を召喚し、それを変形させて湾曲した一枚の板を作り出す。これを数枚重ねると、即席の望遠鏡が完成。最凶の魔術師アガサから教えられた、覚えておいて損はない水魔法の使い方だ。
「あれは……」
望遠鏡を覗き込んだ俺が見たのは、何もない草原で蹲る炎龍。月光を真紅の鱗が反射して、深緑に赤い筋が走っている。普通に見れば、それはかけがえのない神秘的な光景だっただろう。
しかし、俺の眼には暗闇に溶け込んだ異物が映り込んだ。炎龍よりもだいぶ小さな身体で、色は闇に溶け込むような漆黒。空を飛ぶための両翼があり、最弱の龍種と呼ばれる魔物。
「……まさか!」
すぐに疑念が俺の脳内を満たす。まさか、まさか。仮説が仮説と結びつき、馬鹿げた仮説が浮上する。しかし、俺はある一種の確信があった。だとすれば、俺はとんでもない間違いを犯したことになる。その考えに至ると同時に、俺はコズネスへと駆け出した。
俺が見たのは、一匹の黒い小龍だった。
◆◆◆◆
最凶の魔術師と恐れられる少女アガサは走っていた。太陽が地平線に沈み、既に足元が見にくくなっていても、関係なく走り続ける。というより、夜目が利くアガサにとっては、昼間よりも夜間の方が走りやすい。温度もいい具合であるし、何より星が見えるために方角を間違えることがない。
アガサがフロゥグディを出発したのは、今から数時間前のことである。
五重魔法で加速魔法を展開し、空を飛ぶように駆けてきた。
あと少しでコズネスに到着する。そこにはアガサが探していた勇者がいるはずだった。
勇者エイジが消えてから一週間。魔王が言い残したフロゥグディという地名を頼りに、アガサは人界へ戻るために走り続けた。加速魔法で限界の速度を出し、大河を飛び越え、草原を駆け抜け、山脈を突き抜け走り続けた。
途中、押し寄せる疲労感と睡魔は魔法で黙らせ、食事は走りながら済まし、アガサは七日間で魔界の僻地から人界まで帰って来たのだ。
本当はエイジがここまで転移してきたのか半信半疑だったのだが、つい数時間前にフロゥグディへ着いた際、吟遊詩人から面白い話を聞けたのだ。
どうやら六日前にニードルベアという上級の魔物が村を襲い、それをエイジと魔王が協力して撃退したというのだ。もちろん、彼はエイルという偽名を名乗っていたみたいだが、教えてもらった様相は勇者エイジの特徴と一致していた。本当にフロゥグディへ転移したと裏付けが取れたアガサは、吟遊詩人からエイジの次なる目的地を聞き出し、今に至る。
「そろそろかな……」
アガサは呟いた。
走った速度と時間から、そろそろ鍛冶の街コズネスが前方に見えるころだ。
その予想は外れず、森が途切れて、先に草原が広がる。その中心に城壁が見えた。はっきりと。
「明るい?」
何やら城門付近が明るい。祭りの時期だっただろうか、そう思ったアガサは、身近な木によじ登る。水素を召喚し、レンズの形に加工して即席の望遠鏡を造ると、覗いた。
遠くにあるはずの景色が、はっきりと見える。だから気付いた。
コズネスの城門付近が炎で包まれていた。そして、その中心に佇む巨体の存在感。
アガサの身長を遥かに越えるほど広い両翼に、とてつもなく長い蛇のような尾。身体の表面を覆う鱗は赤く、その正体を推測するのは簡単だった。
「たぶん、炎龍……の幼体」
炎龍、空飛ぶ災害とも呼ばれる魔物である。暴れたら国が滅びると言い伝えられるその魔物は、一面を炎の海に変えていた。
そして、その巨体の傍らには剣を構えた勇者エイジの姿。視線を少し後方にずらせば、黒髪の少女が立っている。あれは一週間前に対峙した、魔王を名乗る少女エリアだろう。
どうやら、二人は協力して炎龍と戦っているようだった。勇者エイジは剣技を繰り出し、対して魔王エリアは風魔法で炎龍の飛行を妨害している。完璧な連携である。
「助けに行った方がいい……かな?」
アガサは悩んだ。
あれは炎龍の幼体みたいだ。それゆえに、かつて大国を滅ぼしたといわれる成体よりは弱いだろうが、それでも最上位の魔物。そもそも、炎龍が討伐されたという前例なんて存在しない。
彼らの目的が炎龍なのか、はたまた追い返すことなのかわからないが、どちらにせよ殆ど不可能だろう。例え勇者エイジと魔王エリアという最強格の二人が完璧な連携を行えたとしても。だから、アガサが助太刀に行くのは当然の選択肢だ。
とはいえ、アガサが二人の元へ行ってもいいのかが疑問だった。二人の事情がわからないのだ。勇者エイジが本来の敵である魔王エリアと行動しているということは、互いの間で何かしらの契約が行われたと見ていい。が、それはエイジが元の仲間を捨てた、つまり裏切ったということなのだろうか。二人の前に姿を現すと、もしかすれば魔王エリアが攻撃してくるかもしれない。
どのように行動するべきか考えていたアガサを、木霊した甲高い絶叫が現実に引き戻した。
――グギャァァアアァァァァアァァッ
「……うそ」
アガサは思わず凝視した。
エイジが発動した剣技、たぶんスターダスト・スパイクという剣技が、炎龍の胴体を貫通したようだ。ありえない、嘘だと思った。炎龍の鱗は傷付けるのさえ不可能だと考えるほど、そして伝説の金属アダマントよりも硬い。それは幼体だとしても同様で、だからこそエイジの剣がその鱗を貫くはずがなかった。
アガサが絶句していると、勇者エイジに恐れをなしたのか、炎龍はコズネスから離れていく。凄い、単純にそんな感想が出た。本当に上級の魔物を退けるとは。同時に納得もする。これなら、あの吟遊詩人が頬を赤らめながら、エイジの英雄譚を紡いだのもわかるというもの。
「……行ってみようかな?」
アガサはそう思った。
その視線の先では、勇者の元へ魔王エリアが走り寄っていた。一週間もの期間で、二人はそれなりに仲がよくなったらしい。あの様子だとアガサが二人の前に姿を現しても、問答無用で襲い掛かることはないだろう。
そう考えたアガサが一歩目を踏み出したが、意外なことに、望遠鏡に映る二人は、何やら言葉を交わすと別々の方向へと離れていった。エイジは炎龍を追いかけて。魔王の少女はコズネスへと。
――どちらを追いかけるべき?
瞬時に頭の中を思考が駆け巡る。
エイジは炎龍の行方を確認しに行っただけだろう。ならば、とアガサは魔王エリアを追いかけることに決めた。
望遠鏡を消滅させたアガサは、コズネスへ走り始めたのだった。




