20 VS, イグニスドラゴン5589
炎龍が翼を大きく動かす。またもや迫る暴風の塊。
攻略法を考えている暇なんてなかった。俺は次々と迫る無色透明の攻撃を避けながら、炎龍の元へ走る。口頭で風素召喚の詠唱をし、足裏で保持。その巨体の真下まで近づくと、俺は跳躍した。
「――全開放ッ!」
展開した風素が宙に足場を形成する。
空中を蹴って、俺も空を飛ぶ。しかし、それでも届かない。頂点に来たら、後は重力に従い落ちるだけだ。そんな俺を嘲笑うかのように、炎龍は悠々と滞空する。自身に攻撃が届かないと思っているのである。
だが、攻撃を届かせる方法がないわけでもない。
俺はすぐさま剣を肩の上に構え、剣技を発動した。どこからともなく現れた赤い燐光が、周囲を漂う。
「……紅弦」
シュバッと剣が加速し、俺の胴体ごと持ち上げて、重力に抗いながら天高くへ突き進む。世界の理として、剣技はどんな時でも一定の加速力を持つ。だから、空中で発動したら、より高みへ昇れるのだ。この技術は、不安定な空中で姿勢を保つ必要があるため、かなり難しいが、一発で成功させる。
炎龍を越えた高度に達し、反転するとその背中に着地する。やっと攻撃が届く距離だ。俺はすぐさま剣を振り上げると――
「グァアアァァ――!」
――俺が攻撃するよりも早く、炎龍が行動した。
背後の俺を感じ取った炎龍が、振り落とそうと、ぶるりと身を捩らせる。無造作な行動だが、その巨躯が引き起こす振動の凄まじさたるや。一瞬で体勢を崩してしまい、本能的に振り落とされぬよう、俺は剣を無防備な背中に突き立てた。
とはいえ、突き刺さるはずがない。ガキンッと嫌な音と共に、宵闇の剣は弾かれる。炎龍の鱗はアダマントよりも遥かに硬質なのだ。剣技も発動していないのだから、傷さえ付くはずがない。
支えを失った俺は、簡単に宙へ放り出され、次こそ重力に従い落ちていく。ここでまた剣技を発動して背中へ行っても、同じ流れになるだけだろう。どうやって攻略しようか。
落下しながら、そんなことを考えていたからだろう。
迫っていた炎龍の爪に、直前まで気が付けなかった。
「――うっ!」
反射的に掲げた剣で防ぐが、その剣ごと俺の身体が弾き飛ばされる。宵闇の剣を手放さなかった自分を誉めたいほどだ。ぐるぐるとまたもや上下左右に荒ぶる視界。その端で、俺に追撃しようと炎龍が爪を構えた。危ない。防御もまともにできないいま、その攻撃を喰らえば俺は終わりだ。少しでも掠れば、俺の体は木ノ葉のように吹き飛ばされ、ただの肉塊と成り果てるだろう。
俺は焦りながら、魔法を構築する。
「風素召喚・全開放オォォッ!!」
装句どころか主句さえない不完全な魔法。
だが、そんなこと気にしてられなかった。
紡ぎ出した風が俺の身体に襲い掛かる。魔法の暴発。不完全な魔法の発動は、本来ならばしてはいけない失敗だ。現れた風素が荒れ狂う波のように、俺の身体を飲み込み、凄まじい速度で吹き飛ばす。四肢が千切れるような痛みを感じ、しかし、俺の命を刈ろうとする魔の手からは逃れることができた。
安堵も束の間――俺は自分で生み出した風に、背中から地面へ叩き付けられる。
「ぐぅッ……」
胃の中身が逆流し、朝に食べたものが血と混じって吐き出される。とにかく痛い。立ち上がるのも億劫になるほどの痛みである。これほど術者に負担を与えるのだ。魔法の暴発だけは駄目だ、と昔から言われてきた意味が初めてわかった。いまにも死にそうなほどの痛みだ。今すぐ剣を投げ出して、ここで眠りたい。
だけども、逃げるわけにはいかない。早く立ち上がらなければ、次こそ炎龍が俺に爪を突き立てるだろう。
宵闇の剣を支えにふらつきながらも、なんとか立ち上がった俺は、思いもしなかった光景を見た。
「……は?」
炎龍が、頭から地に落ちていた。
えっと、どういうことだろうか。
とにかく、炎龍が頭から地に落ちていたのだ。
意味がわからない。
あれほどまで炎龍を地に落とすのは不可能だと考えていたのに、自分から落ちている。俺は何もしていない。ただ、攻撃して反撃されただけだ。
何が起こったのか俺が理解しようとしていると、頬に微かな風を感じた。
単なる風ではない。魔力が込められている風だった。
「この風は――」
その発生源に視線を移すと、エリアが右手を掲げていた。
それで理解する。
炎龍は翼だけで空を飛ぶことができない。風素を無意識に生み出し、その揚力で巨体を空中に維持しているのだ。
しかし、そこに俺の暴発した風魔法が当たったため、風や魔力の流れが乱れて、姿勢制御ができなくなり、地に落ちたのだろう。あの炎龍は幼体であるから、簡単に姿勢を崩してもおかしくない。
だとすると、エリアが柔らかな風を草原全体に流し続けているのも説明できる。再び炎龍を飛ばせないようにするためだ。素晴らしい援護である。地上でならば戦略にも幅が出るし、ないと思われていた勝機も現れ始める。
俺は息を整えると、剣を構えた。痛みは少し引いていて、戦えないことはない。外傷がないのだから、当たり前だが。
剣を構え、右足で地面を踏み出す。
先ほどと同じ剣技を発動し、赤き尾を引きながら倒れる炎龍へ斬り込みに行く。
「紅弦ッッ」
やはり弾かれる。だが、流れるような動作で次の剣技を繰り出す。左中段からの抜き技である古代流派剣術、朱閃。上からの振り下ろしと斬り上げを組み合わせた古代流派剣術、噴炎。次々と赤き剣尖が炎龍を叩く。
炎龍もやられてばかりではない。飛ぶのを諦めて、体勢を立て直すと、俺に向けて右腕を振り下ろす。しかし、予想できたその反撃は後ろに大きく跳ぶことで、簡単に避けることができる。怒り心頭といった炎龍は直径六十セン超えほどの尾を薙ぎ払うが、予備動作が大きすぎるために、俺は余裕を持って逃げた。それでも、その衝撃波までは避けようがないゆえ、足を取られることもあるが、破壊的な攻撃に掠ることは絶対になかった。
ぎろりと炎龍が俺の姿を睨む。
ちょこまかと逃げ回る俺にしびれを切らしたのか、炎龍は長い首をたわませた。
口元からちらちらと火の粉がこぼれた次の瞬間、ゴアッ、と空気が震えた。その爆発めいた炎の奔流は避ける間もなく、一瞬にして俺の体を飲み込――まなかった。
「――全開放」
今しがた発動した不完全な詠唱とは異なり、きちんと無詠唱で紡いでいた風魔法が迫る炎を切り裂き、俺の身体へ届く一歩前で拡散させた。一度、距離を大きく取ると、俺は水素を生み出して身体全体に被せる。一時的に熱を遮断できればいい。
炎龍は炎を吐き出し続けている。俺はその真っ赤な海に、剣を携えて正面から突っ込む。
水素による熱遮断の衣がみるみると剥がされ、熱さを感じ始める。だが、俺はコートの裾で顔を守り、前へと突き進む。ただのコートではない、素材が小火龍の皮であるため、熱には強い……はずだ。
その期待を裏切らず、俺は消し炭になることもなく、炎の海を越えた。俺が眼前へ不意に現れて驚いたのか、炎龍は長い首を捩ろうとする。
その首筋を足掛かりとし、また背中に駆け上がった俺は、最上位奥義技を発動した。
宵闇の剣が青白く発光し、スパークを撒き散らす。
「――スターダスト・レインッ!」
虚空で発動した剣技は、驚異の九連撃。
その名の如く星屑の輝きに満たされた剣が、打ち出される。弾き返されるがままに、上段、下段。流星群が打ち付けられる度に、衝撃波が世界を震わせる。その鱗を貫け、砕け、穿てと念じながら、俺は剣を繰り出し続ける。しかし、やはり全ての攻撃は強靭な鱗により防がれると思われた――が、俺は見た。
「な!?」
突き出された最後の九連撃目が、遂に鱗を突破し、その刃はほんの僅かに身体へうずめたのだ。
「――オアアァアアァァアァァァッッ!」
天地を揺るがせるような絶叫が響くと同時に、はた、と思い至った。
ある。この戦いに勝利する方法がある。
剣技の威力はイメージする強さに左右される。ゆえに、理論上では木の枝でさえ鉄の剣を砕けると明確にイメージすれば、実際に砕くことだって可能である。ならば、最高威力のスターダスト・スパイクに最大までイメージ強化を行えば、その強靭な鱗でさえ貫くのではないか。
ただ、そこまでの威力が出るほど強いイメージをするには、少なからず時間が掛かると同時に、溜めている間は俺が無防備になる。炎龍がそのような時間を与えてくれるはずはない。
だが、考えるだけでは時間の無駄であるし、炎龍が痛みにのたうち回っているこの瞬間がチャンスだ。
俺がいつものように腰だめに剣を構えると、剣が青白い燐光を纏う。だが、俺はさらに剣技のイメージを呼び起こし、より深く引き絞ると、青白い燐光は深淵のような濃い色へ移り変わる。
これでも、これでも鱗を貫くには足りない。
――強く。もっと、強く
そう念じながら、俺は自分の精神力全てを剣に注ぎ込んだ。
それでも、そんな俺を嘲笑うかのように、地面が震えた。炎龍が痛みから立ち直り、こちらへと向かって来ているのだ。すぐにでも、無防備な俺へと襲い掛かってくるだろう。
まだ鱗を、その身体を貫く威力が出るほどのイメージはできていない。間に合わないか、と俺がイメージ強化を中断しようかと思った、その時。
「――任せろ、少年!」
後方から風のように飛び出した金髪の青年が、剣技の煌めきを放ちながら炎龍へ突進する。それを皮切りに、白と青で統一された制服を着た者たちが雄叫びを上げながら、武器を片手に炎龍へ次々と突進していく。白と青、アルベルト騎士団の制服だ。もちろん、その攻撃は少しも効かないが、俺の起死回生の手段を信じて、時間稼ぎを買ってくれたのである。最初に向かった青年にどこか見覚えがあったが、それよりも俺は自分のすべきことをする。僅かたりとも無駄にはできないのだ。
俺は両目を閉じて、意識を剣に戻した。まだ足りない。もっと強く、早く。一筋の閃光として一点を穿つように。まるで宵闇を突き進む流星のように。そのイメージを世界の理がくみ取ったのか、剣が瞬いて激しいスパークを迸らせているのが、両目を閉じていても感じられる。剣がぶるりと震え、今にも自分で突き進みそうなほどの推進力を感じる。そろそろだ。
俺は瞳を開いた。
炎龍は襲い掛かる冒険者をあしらっていたが、俺の攻撃を察知して、射程圏外へ逃げようと翼を広げていた。たぶん、エリアが発生させていた飛行妨害の風には慣れたのだろう。危なげながらも、その巨体は宙に浮かび上がり始める。
宵闇の剣が獣のように震える。まるで、早くしろと急かすように震える。俺は剣の意思を信じ、解放した。
「――穿てッ!」
その瞬間、加速した意識が世界をいつもよりゆっくりと捉えた。
炎龍は予想よりも速く空へ逃げ出し。
俺が仕損じた、と思ったのと同時に。
後方から魔力で構成された鎖が飛んできて、炎龍の足首に絡みつき。
逃げ場を失った炎龍の胴体に、極限まで威力の高められたスターダスト・スパイクが突き刺さる。その光の奔流は鱗を穿ち、肉と骨を貫通し、そして先の空へと消えた。そして、忘れていたかのように、ぽっかりと開いた穴から血が噴き出す。
――グギャァァアアァァァァアァァッ
空が張り裂けるような絶叫が鳴り響き、なんとか魔力の鎖を引きちぎった炎龍はふらふらしながらも翼での逃走を図った。まるで俺から逃げるように、どんどんコズネスから離れていく。その様子を地に伏した冒険者たちは、呆気に取られながら眺めていた。
そして炎龍が視界から消え去り、火の海だった草原が鎮火すると、冒険者たちは我に返ったように歓声を上げた。
対して疲労感を溜め込んだ俺は、どさりと四肢を投げ出したかったが、やるべきことが残っていた。
俺の元へ歩き寄ってきたエリアに言う。
「援護、助かった。……ところで、エリア。すまんが、先に工房へ戻っていてくれないか?」
「うぬ? どうしてじゃ?」
「嫌な予感がするんだ。ただの予感でもいい、確かめたいことがあるからさ」
「……これからのことを考えれば、エイジも共に居た方がよいのじゃが。――まあ、仕方なかろう。妾は先に戻っておる」
「ありがとう」
礼を返すと、俺は踵を返して、炎龍の向かった方向へ駆けだした。
まだあの疑念は解消されていないのだ。
どうして炎龍がこんな所へ、という疑念が。
俺は駆ける。まるで、その嫌な予感に背中を急かされるように。




