16 ある吟遊詩人の話4143
――その流星は、虚空を美しく彩り、まるで流星群のようでした。可憐で、しかし絶対的な暴力の奔流の前では、あの忌々しき魔獣ニードルベアですら立っていられません。
――流星の軌跡と飛び交う血が収まり、その草原に佇んでいるのは冒険者エイルだけでした。彼は果敢にこの村を守るため魔物へ挑み、そして勝利したのです。
――彼の勝利のおかげで、このフロゥグディは守られ、ここに新たな伝説が始まったのでした。
「……おしまい」
わたし――吟遊詩人セシリスがキタローネでの演奏を終えると、村の子供たちが「えー」と名残惜しそうな声を上げました。それもそのはずで、子供たちは冒険者エイルの武勇を見ておらず、また英雄譚や冒険譚は男児の大好きなものですから。
ですが、わたしは話を続けるつもりはありません。
戦場の歌姫と呼ばれていますが、わたしは吟遊詩人。各地を巡り、詩を収集し、歌を届ける者です。偶然ここフロゥグディに滞在していたお陰で、冒険者エイルの武勇を見ることができましたが、すでに滞在期間は一週間を超えています。そろそろ準備をして、次の目的地に向かわなければいけません。
愛用のキタローネを担いでわたしが宿屋へ帰ろうとすると、しかし、一番やんちゃそうな男の子が呼び止めてきました。
「なあ、歌のねーちゃん。今の話、もう一回聞かせてくれよ」
「……すみません、用事がありますので」
できれば昼までに荷物を纏め、出発したいです。野営の準備は終わっていますが、道具の整備を行いたいです。周辺の詳細な地図と新しいコンパス。夜は冷え込むので、厚い防寒着。一人で旅をしているので、道具の整備を怠ると、仲間に頼ることもできず簡単に死ぬこともあります。早く宿屋に戻り、最終点検をしなければ。
そう思っていましたが、考えを変えなければいけなくなりました。
なんと、一緒に聞いていたご老人がわたしにユルド硬貨を握らせてきたのです。
「これでお願いできんかの」
「……わかりました」
わたしは吟遊詩人。蔑ろにされることも多い立場ですが、これも立派な職業です。代価を貰ったからには、仕事をしなければなりません。それが誇りなのですから。私は深く座り直し、キタローネを構えまえました。大型のリュートみたいなこの楽器は演奏するのにとても体力を消耗するので、これを最後の演奏にしましょう。幼い頃は持つことですら難しかったのですが、弦の調整を行って、さあ、吟遊詩人の物語が始まります。
――それは、ある秋の日でした。のどかな世界に突如、甲高い警鐘が鳴り響きました。それはまるで、冒険者でも足が竦むような不吉な響きを伴っていました。
あのとき丁度、わたしは冒険者ギルドの近くにいました。話を聞くと、どうやら中級の魔物ニードルベアが出現したらしかったのです。しかも、突然変異した強力な個体らしく、緊急依頼が発令されるまでの事態になったのです。
もちろん、わたしも避難勧告をされましたが、吟遊詩人の矜持があって逃げることはできませんでした。わたしは職業柄、冒険者たちの武勇を見て、新たなお話を紡ぎたかったのです。
ニードルベアは上級の魔物とはいえ、そこまで強くないと聞きます。しかも、この村には上級冒険者がるはずですし、いざという時はわたしも参戦するつもりでした。これでもわたしは上級冒険者として登録されているほどの実力があるのですから。危険な事態になるはずありませんでした。
ですが、そのニードルベアは予想以上に強かったのです。やはり突然変異した個体だったのでしょうか。後に聞くと、その毛皮は鋼よりも硬く、ミスリルのナイフで解体しなければならないほどだったみたいです。しかも、上級冒険者は山脈地帯へ遠征中で、残された中級冒険者だけではとても対抗できるものではありませんでした。
討伐に出向いていた中級冒険者パーティー『百獣の牙』は、腕の一振りで地に伏し、もうフロゥグディは終わりか、と思いました。
――しかしその時、草原に一筋の彗星が生れ落ちました。眩い光が迸る剣は、一直線にその巨躯へ突き刺さったのです。
あの瞬間は、心に焼き付いて忘れられません。美しい、ただただ美しいと思いました。その光は真っ直ぐ突き進む流星のようでした。冒険者エイルです。彼は華奢な剣で、降り注ぐ暴力の嵐に対抗します。冒険者エイルとニードルベアの戦闘は熾烈を極め、まるで円舞曲のようでした。時間的には僅か五分もなかったでしょう。しかし、わたしにはその戦闘が永遠に続くかのように思われたのです。
――流星の軌跡と飛び交う血が収まり、その草原に佇んでいるのは冒険者エイルだけでした。彼は果敢にこの村を守るため魔物へ挑み、そして勝利したのです。
そして、傷付きながらも、流星群のような剣技で勝利を収めたのは、冒険者エイルでした。勝負が付いた時には、わたしは涙を流していました。それはフロゥグディが守られたことに対する、というよりも、その美しさに対してです。一種の芸術作品を見たように感じられたのです。だから、例え冒険者エイルが負けたとしても、その勝負に立ち会えて良かった、と後悔することはなかったでしょう。
どちらにせよ、わたしはその戦闘を忘れることはありません。
ですが、わたしには心残りがあります。
あの光景を見たわたしは、その冒険者エイルと対談してみたいと思いました。それゆえ、その次の日、迷惑なのは承知でしたが、朝早くから彼の泊まっていた宿に赴いたのです。
しかし、そこは既にもぬけの殻。つまり、冒険者エイルはわたしが訪れるよりも早くに宿を引き払って出立していたのです。どうやら、向かったのは鍛冶の街として知られる、コズネスらしいです。
これが七日前の話。それからわたしはこの滞在のお礼として、村を巡りながら語り弾きをしていたのでした。
――彼の勝利のおかげで、このフロゥグディは守られ、ここに新たな伝説が始まったのでした。
わたしがキタローネでの演奏を終えると、ぱちぱちと拍手が聞こえました。先ほどのご老人や子供たち、それに仕事の合間と思われる商人まで顔を見せていました。
これまでも拍手されることがありましたが、やはり、実際にあった英雄譚は反応が違います。ほら、多くの聴衆が硬貨をわたしの帽子へ投げ入れてくれますから。
仕事を終えたわたしは、今度こそ立ち去ります。予定していた出発の時間まで余裕はありません。急いで準備しなくてはいけません。しかし、意外にもまた行く手を塞いだ人物がいました。
今度はなんでしょう? と思ったわたしが見たのは、一人の少女でした。
雪色とでもいいましょうか、限りなく白に近い空色の短髪に、無表情を貼り付けています。そして、身に纏っているのは、漆黒のローブ。まるで、少女には似つかわしくない、魔術師のような出で立ちです。でも、どこかその少女は異質な雰囲気を纏っていて、少しわたしは気後れしたのです。
「さっきの話……」
私が何かを言うよりも早く、少女が話し始めました。
「……何日前のこと?」
「えっと、八日前の話ですね」
「その冒険者はエイルで、いい?」
「そ、そうですが」
答えると、少女は考えるような可愛いらしい仕草を見せました。といっても、相変わらずの無表情ですが。この少女は何者でしょうか。わたしはそう思いました。
その漆黒のローブは本当に魔術師を彷彿させます。齢は十に達するか満たないかほどです。魔法に年齢は関係ないくとも、少女に魔術師は早すぎるかと。ですが、それよりも気になることがあります。わたしは以前、どこかで彼女を見たような気がしてならないのです。わたしの記憶はいい方でありますから、見た気があれば必ず見たのでしょう。
そうやって以前の記憶を引っ張り出そうと頑張っていると、少女は言いました。
「……あなたは」
「ええ、なんでしょうか?」
「その冒険者の行方を、知っているの?」
もちろん、知っています。
知っていますが、なぜ少女はそれを知りたいのでしょう。しかも、冒険者エイルが鍛冶の街コズネスへ出発したのが七日前ですので、もう既に他の街へ移動を始めていてもおかしくありません。不思議な少女です。
ですが、彼がコズネスへ向かったのは、この村にいる人々には周知の事実ですので、教えても問題ありません。
「冒険者エイルは七日前、コズネスへ向かいました」
「コズネス、鍛冶の街……ありがとう。じゃあ、わたしはこれで」
そうやって、少女は私に価値の高い聖金貨を渡すと、踵を返して歩いて行ったのです。
――聖金貨!
思わず、取り落としそうになりました。聖金貨は人界で最も高い価値を持つ貨幣です。聖魔白銀とも呼ばれる伝説の金属オリハルコンで作られており、たった一枚で小さな国を変えてしまうほどの稀少価値があります。たった数回のやり取りだけで渡す対価には、どう考えてもなりえません。急に掌に収まるそれが、とても重く感じられました。
わたしがそれを返すため、少女を追いかけようとした時でした。ふと、わたしは思い出します。
四年前。魔王を討伐するために組まれた勇者パーティー。彼らの出立を見送る祭りが開かれました。そこでわたしは見たのです。最恐の魔術師と呼ばれる、幼すぎる少女を。空色の髪で、ぶすっとした無表情でした。 どこかで見たことがある、その直感は正しかったのです。少し髪の色が薄くなっていましたが、彼女はあの時の少女に間違いありません。
そう確信すると同時に、芋蔓式に思い出します。
あの時、少女の隣にいた勇者エイジと呼ばれる少年を。灰色の髪を持ち、流星のような剣技を扱うと聞いています。
まさか、そんなはずはない。そう思いましたが、可能性はあるのです。
話を聞くために、先ほどの少女を追いかけようとしましたが、彼女はすでに人込みの中でした。見つけることはもう無理でしょう。
仕方ありません。
わたしは急遽、目的地を変更することにしました。
鍛冶の街、コズネス。
冒険者エイル、彼が向かった場所です。




