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リメイク中作品  作者: 沿海
1章 最強の勇者、魔王を拾う150133
15/72

15 勇者と騎士10860

「のう、エイ……エイルよ」

 コズネスへ向かう馬車の中。

 俺とエリアとクルーガの三人で狭い荷台の中、魔界で人気らしいカードゲームに興じている時のことだった。

 エリアが山場から札を引きながら、ふと俺の偽名を呼んだ。

「どうした? 札の交換は受け付けないぞ」

 俺も揃って山場から札を引きながら、エリアの言葉に反応する。

 おっと、炎龍(イグニスドラゴン)の札だ。数ある札でもこれは一枚だけしか山場になく、このゲームで最も強い札である。これなら連敗中の俺でも、連勝中のエリアに逆転勝ちできるだろう。そもそも、魔界でしか伝わっていない、俺が見たことも聞いたこともない、そんなカードゲームをしているのがおかしいのだ。これで勝ち誇ったような顔のエリアを倒せる。

 俺が心の中でほくそ笑んでいると、エリアはふるふると首を振った。

「そうではない。考えたんじゃが、エイ……エイルとおじさまは面識がないであろう?」

「そりゃそうだ。なにせ、昨日が初対面なんだからさ……それと、ウィンベット」

 俺は炎龍(イグニスドラゴン)の札を伏せながら前に出した。

 このカードゲームのルールは単純だ。札に描かれた絵柄の強さで勝敗が決まる。例えば魔物では凶鼠フィアスラット巨蛙ヒュージトード、俺がフロゥグディで倒した針熊ニードルベアの札がある。加えて役職カードとして魔王や騎士、村人といった札がある。引いた札の強さに自信があれば勝利宣言をして場に出して、他の人が賭けなければそのまま勝ち、賭けてくれば相手より強い札なら勝てる。もちろん戦った場合の方がより高い得点になり、最終的に得た点数が最も高いプレイヤーが勝者だ。子供から大人まで楽しめるため、魔界で人気な札遊びらしい。

 そんなことはどうでもいい。とにかく、俺の持つ札は炎龍(イグニスドラゴン)、つまり百枚以上ある札で最も強いため、エリアが対抗して勝利宣言をしても、俺の勝利は揺るがない。

 俺が自身に溢れた顔をしていたからだろうか。エリアはにやりと笑った。

「なら、妾もウィンベット」

「……すまんが、エリア。今回は勝たせて貰う」

 俺が言うと、エリアは不敵な笑みを見せる。

「妾が負けるわけなかろうぞ。ならば、共に裏返そう。いっせーのーで」

 エリアの声に合わせて俺は札を裏返す。

 俺の札は炎龍(イグニスドラゴン)。対して、エリアの札は……村人、だと。

「そ、そんな……」

「妾の勝ちじゃな」

 俺は持っていた札を取り落とした。

 村人。

 炎龍(イグニスドラゴン)と同じく一枚だけしか存在せず、最も弱いために、最も使いようがない札だ。ただし、炎龍(イグニスドラゴン)に対してだけは逆転して勝てる札である。

 つまり、俺は負けたのだ。

 呆然としていると、エリアは勝ち誇った顔をする。

「ふふんっ、妾が負けるわけなかろうぞ。そなたはわかりやすい。強い札を引いたら、すぐ顔に出る」

「そんなはずは……むっ、無効だ! 村人が炎龍(イグニスドラゴン)に勝つというルールはどう考えてもおかしいだろ! なんでだよ、かつて大国を滅ぼしたといわれる上級魔物に、ただの村人が勝てるんだよ!」

「理屈ではなく、そういうルールであろう? きちんと妾は最初に説明したじゃろ? 負けを認めぬのは見苦しいぞー」

「くっ!」

 正論だ。

 押し黙ると、俺とエリアのやり取りを見ていた魔王エリアの騎士クルーガが、言葉を挟んだ。

「とはいいますが、炎龍(イグニスドラゴン)の特性を知れば、勝つことはできずとも、追い払えるぐらいならできるかもしれませんよ。まあ、魔物について多くを知り得た私でも流石に好んでやりたくはありませんが……」

「じゃあ、なんでそんなルールがあるんだよ」

「最強の札があると、それを引いてしまったプレイヤーが問答無用で勝利することになるため、面白味に欠けるのでしょうね。逆転要素があったほうがいいと、制作者が意図したのでしょう。それよりも、エリアお嬢様。私とエイル殿の面識が何とかと話していましたが……」

 クルーガが言うと、エリアが思い出したかのような仕草を見せた。

「話を戻すのじゃが、エイルとおじさまはほとんど面識がないであろう。じゃが、片や妾の同盟相手で、肩や妾の騎士。これから旅を共にする仲である。親睦を深めて悪いことはあらぬ」

「だから、カードゲームをしているんだろ?」

 魔物使いクルーガは魔王エリアの騎士であるらしく、勇者の俺とは全く異なる立場である。しかし何の因果か、こうして旅を共にする関係になってしまった。俺が正体を隠している後ろめたさもあり、彼とはあまり打ち解けられないのではないかといった懸念もあったが、狭い荷台の中では必然と会話が生まれ、エリアの提案でカードゲームに興じたこともあって、それなりに馴染んできた。

 だが、エリアは首を振る。

「それとは異なる。……冒険者として、魔物使いとしてそれぞれの強みを共有するべきじゃ。ゆえに、妾は二人に命じよう。エイ……エイルとおじさまは今から協力して、夕飯の食材を見つけてくるのだ! 前に食べた野獣のスープは絶品であったゆえ、適当な野獣と山野草を手に入れてくるように」

「それは……」

 俺がどのような言葉を返せばいいのか悩んでいると、意外なことに、馬車の御者台から声が聞こえた。

「それはいい提案ですね」

「べっ、ベゼルさん!?」

 思わず、俺は御者台の方を見る。

 商人ベゼルはこの馬車の主で、俺とエリアがコズネスの城壁を安全に越えるため、俺たちの身分を保証してくれる人物だ。もちろん、代価なしで乗り合わせてもらっているわけではない。この馬車が盗賊や魔物に襲われた時は俺たちが護衛する、という双方にとって利のある契約だ。

 俺が驚いたのは、そのベゼルが荷台での会話を聞いていたことだった。

 走る馬車の騒音は酷いもので、荷台内での会話も互いに聞きづらいうえに、御者台と荷台は幌で隔てられているため、会話が聞こえるとは思っていなかった。商人は耳聡いというし、聴力が他人よりもいいのだろうか。

 ともすれば、普段からの会話も聞こえているはずだ。それぞれの正体とか俺の偽名とか危うい話が多分に混ざっているが、それも聞こえていると考えられる。なのに、商人ベゼルにあまり核心を突いた発言がないのは、相変わらずの我関せず、という精神だろうか。

 俺が思考に耽っていると、ベゼルは発言の理由を述べる。

「本当はエイルさんとエリアさんのお二人だけが同行者の予定でしたが、クルーガさんが増えたため、食料が心もとなくなっています。道程が長くなることを見越して少しだけ多めに積んでいますが、旅に予想外の問題は付きものですし……」

 言葉を濁した商人ベゼルに向かって、姿が見えないにも関わらず、クルーガは丁寧に頭を下げた。

「迷惑を掛けて申し訳ございません。では、次に野営の準備をする時に、エイル殿と共に食材の調達に向かいましょうか。それでいいですか、エイル殿?」

「あ、ああ」

 とんとん拍子で話が纏まった。

 俺が頷くと、ベゼルは走行音に負けぬよう声を上げる。

「では、そろそろ暗くなってきたため、ここらで野営の準備をしますね」

 ベゼルの声と共に、みるみると馬車の速度が落ちる。御者の腕がいいのだろう、停車はゆっくりとしたもので、衝撃が発生することはなかった。

 完全に馬車が停車すると、いの一番に、エリアは馬車から飛び降りて、背を伸ばした。

「あー、やはり荷台で三人は狭いのう」

 その言葉に、クルーガが反応する。

「エリアお嬢様が私も馬車に乗れと仰ったのではないですか……」

「うぬ、そうじゃったか?」

 エリアが惚けたような顔をすると、クルーガはやれやれと首を振った。

「まあ、とりあえず、私はエイル殿と食材の調達に行きます。準備はいいですか?」

「ああ、問題ない」

「でしたら、あちらの森に向かいましょう。適当な野獣も山野草も見つかるでしょう」

 クルーガが先導して歩く。

 俺も後ろに続いて歩く。

 ひょろりとした身体だから体力がないのだろうと思っていたが、魔物使いとして森の歩き方を知っているのだろうか、木の根がある道を避けて歩いたり、獣道を通るために、予想以上にすいすいと前へ進む。距離的には馬車からあまり離れていないはずだが、どんどん深い森になっていく。

 そして十分ほど歩き続けただろうか。

 少し開けた場所に辿り着いた。例えるなら、森の広場、とでもしようか。樹海の中にぽっかりと穴が開いたような場所だ。

「エイル殿」

「ん?」

 クルーガが振り向いた。

「私は魔物使いのため、魔物や野獣などの生態には詳しいと自負しておりますが、山野草についての造詣はさほど深くありません。すいませんが、お願いできますか?」

「ああ、わかった」

 俺は頷いた。確かに、長らく旅している俺の方が多くの山野草を知っているだろう。対して、野兎などを俺は調達できる自信はないが、クルーガはすぐに見付けそうだ。エリアはそこまで見越していたのだろう。互いに協力しなければ目標を達成できない。否が応でも連携しなければならなくなる。

 ここは俺の出番である。適材適所というやつだ。

 俺は森の開けた場所の中心まで移動する。

「たぶん、ここらへんに……あった、あった」

 広場のちょうど中心で屈んで、俺は一輪の花を摘んだ。

 夕焼けのように赤い花。

「これはヴァイシアっていう花だ。深い森の中でありながら日光を受けるような場所にしか生息していない。ただの花だが、これもれっきとした山野草の仲間で、疲労回復の効果が見込めたはずだ。茎が頑丈だから、食感が面白いぞ。ああ、もちろん、毒はない」

「味の方は?」

「形容しがたい独特な味だから、自分で食べてみるのがいい。旅する時はスープに香辛料として入れたり重宝するんだ」

 俺が一輪の花を片手に説明すると、ふむふむとクルーガは頷く。気付けば、いつの間にかクルーガの手中には紙とペンが握られていて、俺の話を記述していた。熱心なものだな、と思った。

 俺は他にも何輪かヴァイシアの花を摘むと、次に、隣に群生していた草のようなものを引っこ抜いた。

「こっちはアルマナ草だ。雑草のようにしか見えないが、先端に白い斑点があるから簡単に識別できる。毒はないし、栄養が豊富だし、味も割と美味しい部類だし、どこにでも生えているから、よく料理に使われる。ちなみに、水で洗えば根も食える。万能食材だな」

「なるほど」

「あと、傷口の回復を促進する効果があるから、補填魔法が開発される前は、これを傷口に貼り付けたらしいぜ」

 これもまた、俺は適度に引っこ抜いて集めた。

 回収したヴァイシアの花とアルマナ草を収納魔法の中に入れる。四年間の旅ではろくな飯がなかったことも多かった。何度、これらの山野草に助けられたことか。さて、と俺は膝に付いた泥を掃ってから立ち上がる。

「山野草はこれだけでいいだろう。出汁は野獣で取るはずだからな」

 クルーガがペンと紙を収めながら答える。

「そうですね。では、次は適当な野獣の調達に向かいましょうか。一匹丸ごとでいいですよね。余れば、商人のベゼル殿に買い取ってもらえそうです」

「ああ。……それで、野獣の件はクルーガにお願いできるか? これに関しては、俺よりもクルーガの方が詳しそうだ」

「はい」

 クルーガは大仰に頷いた。

 いつもながらに感情がわかりにくい冷静沈着な表情であるが、僅かに口角を上げたのが見えた。

 自身の知識を披露する場になり、嬉しいのだろう。俺もエリアに剣を教えるから、その感情は理解できる。

 クルーガは鹿の生態を説く。

「ならば、私が案内します。今回は野生の鹿にしましょう。鹿は環境適応能力が抜きん出ているため、どんなところにも生息しています。また、巣を造ることもないため、見付けるにはコツが要ります。……あちらの獣道に行きましょうか。鹿は獣道を使うことが多いため、獣道には多くの痕跡も残っているのです。わかりやすいのは、先ほどエイル殿が採取したヴァイシアの花でしょうか。鹿は花も食べます。しかし、茎の中ほどまでしか食べないのですね」

「……つまり、半分だけ残っている花があったら、鹿が近くにいるってことか?」

 俺の言葉にクルーガは、我が意得たりと頷いた。

「そうです。ちなみに、茎の断面も確認します。断面が唾液で濡れていたら、より近くにいる可能性が高いという寸法ですね。というわけで、行きましょうか」

「――いや、その必要はないようだ」

 歩み始めようとしたクルーガの肩を俺は掴んだ。

「どうやら、あちらさんから来たみたいだ」

 怪訝な顔をしたクルーガに、俺は獣道の前方を指し示した。

 見通しが悪いため、何も見えない。

 ただ、加護によって強化された俺の聴覚は、確かにその音を捉えていた。

 音が近付いてくる。

 クルーガも気付いたようだ。

「……なるほど。わざわざ見付ける必要はありませんでしたね」

 獣道に鹿が現れた。一般的な茶色の鹿だ。

 その狭い道を、閃光のように駆ける。

 こちらへ走ってくる。

 俺は鞘から剣を静かに抜いた。

 鹿が俺たちの姿を認める。だが、走るのをやめたり、方向を変えたりはしなかった。俺のすぐ隣を通ろうとする。

 交差する。

 俺は剣を振り抜いていた。

 直後、鹿の頭が宙に舞い上がり、胴体はまるで死んだ事実を知らないかのように、走る速度のままに前へ進む。しかし、次の瞬間、その頭も胴体も光の粒子となり、消えた。俺がこれも収納魔法内に落としたのだ。容量が少し厳しくなったが、服に血が付着することもないし、ちょうどいい。

 血振りをしてから、鞘に納刀する。

「よしっ! これで終わりだな」

 俺が来た道を戻ろうとした時だった。

 クルーガが焦った様子で、叫んだ。

「エイル殿! 今すぐ鹿を収納魔法から出して、地面へ置いてくださいっ!」

「えっ、急にどうした?」

「説明している暇はないです! ほらっ、早く!」

 クルーガに急かされて、訳もわからないまま鹿を収納魔法から出そうとすると、前方の草むらが、がさり、と動いた。

 そこから現れた姿を見て、俺は納得した。

「ホーンウルフか……」

 角狼ホーンウルフという名前の通り、額から立派な角が突き出た狼のような魔物だ。

 中級の魔物だからそこまで強くないが、ホーンウルフは群れで狩りをするという特性がある。今回もその例に漏れず、茂みから四匹のホーンウルフが現れた。彼らは頭がいいから、きっと茂みの中にまだ仲間がいてもおかしくない。

「あの鹿はこいつらから逃げていたってわけか」

「……ですね。随分と怒っていますよ。私たちは彼らの獲物を奪ったみたいなものですからね」

 ホーンウルフはぐるるると唸り声を響かせ、今にも飛び掛かってきそうな勢いである。

「エイル殿、彼らを刺激しないように、鹿を収納魔法から出して渡してください。今ならまだ許してくれるかもしれません」

 静かな声でクルーガは囁いた。尤もなことだ。しかし、俺は否定した。

「いや、それは悪手だな。ホーンウルフは狡猾で獰猛な魔物だ。獲物を返しても、きっと俺たちを許さない。そして油断させてから狙ってくる」

 クルーガは魔物使いらしく、かなり魔物について造詣が深いらしい。しかし実践的な知識は乏しいようだ。俺は四年間の旅路で幾度となく彼らと対峙したことがあるからわかる。

 ホーンウルフは単体の個体だとさほど強くない。だから群れる。群れて野生の魔物を追い掛け回し、弱ったところで仕留めるという狡猾な性格をしている。自身より上位の存在が相手でも同じだ。獲物が油断するその瞬間を虎視眈々と狙い続け、数の暴力で蹂躙する。

 もし俺が収納魔法から鹿を取り出そうものなら、直後には俺たちが獲物になっているだろう。

 そう説明すると、クルーガは歯切れ悪く同意した。

「そう……ですね。私は彼らの狡猾さを見誤っていたかもしれません。ここは仕方ないですね、迎撃しましょう」

 ああ、と短く答えて、俺はまたもや剣を鞘から引き出すと、赤い燐光を纏わせた。

 古代流派剣術オルドモデル、朱閃。高速の薙ぎ払い技だ。

 剣技の予備動作をしているが、俺に攻撃するつもりはない。ただ、この光にホーンウルフが少しでも怖気付いてくれたら、と合理的に思っただけだ。

 俺が素直に鹿を差し出さないと悟ったのか、ホーンウルフはより一層ぐるるると唸りを響かせる。

 対してクルーガは……何もしていなかった。否、何もできないのであろう。魔法は生来から使えず、剣は騎士であるにも関わらず常備していない。本質は魔物使いであっても、今は御供に魔物を連れていない。口笛などの手段で小龍(ドレイク)を呼び寄せてもいいだろうが、ホーンウルフを刺激するばかりか、他の魔物を呼び寄せてしまうかもしれない。彼にできることは少なかった。

 クルーガは僅かに逡巡し、申し訳なさそうに俺の背後へ控えた。まあいい。左手の負傷は治ったばかりだが、非戦闘員を護衛しながら戦うなんて楽勝だ。ましてや相手が中級の魔物ならばなおさら。

 そう相手を侮ってしまった直後のことだった。

 視界が紫色に染まった。

 俺の眼は、直前に一匹のホーンウルフが口元を大きく開けた、その瞬間を捉えていた。

 まさか、吐息ブレスか!?

 角狼ホーンウルフ吐息ブレス、魔法的な攻撃をするなんて聞いたことがない。何が原因かわからないが、たぶんあのニードルベアと同じく突然変異した個体なのだろう。しかも、辺り一面に広がった高濃度の紫霧はぴりぴりと肌を刺激している。毒の吐息ブレスである。

 毒、とはいっても、肺が僅かに痺れた痛みを感じるだけで、体調不良なんてものはない。こんな時にも勇者の加護は万能である。一切の毒攻撃が俺には効かなかった。

 しかし、予想外の事態でほんの刹那だけ判断に遅れてしまった。濃霧の奥から飛び掛かってくるホーンウルフ。その牙はしっかりと俺の首筋を狙っている。まともに受ければ致命傷だ。

 だが、例え判断が遅れてしまっても、培ってきた反射的行動で対処はできる。加護により鍛えられた聴覚により飛び掛かってきたホーンウルフを捕捉すれば、あとはその気配も頼りに剣技を発動する。目晦ましがあろうとやることに関係なかった。

 古代流派剣術オルドモデル、朱閃。

 鋭い一撃が斬り裂く。勢いのまま木の幹に叩き付けられたホーンウルフが、ぐったりと倒れ込んだ。

「――全開放(フルバースト)

 そして密かに紡いでいた風魔法で周囲に広がっていた毒の濃霧を吹き飛ばし霧散させる。

 あらわになったのは、続けて飛び掛かってこようとしていたホーンウルフたち。咄嗟に急制動を掛けたのは本能的なものだろう。その目に恐れの色が僅かに映ったのを俺は見取った。圧倒的に強さでは俺の方が上位の存在なのだ。

 とはいえ、ホーンウルフは群れだ。この数で、しかも隠れているかもしれない数を含めると、無傷で帰れるのか怪しいところ。それは、彼ら自身も同じである。俺に襲い掛かれば、何匹かは必ず命を落とすだろう。リスクにリターンが見合っていない。

 互いが互いに手を出せない状況だ。

 俺とホーンウルフとの睨み合いが続く。

 その沈黙を打ち破ったのは、ひときわでかい身体を持つホーンウルフだった。

 咆哮を轟かせた。俺は攻撃に身構えたが、予想外に、そのホーンウルフはじろりと俺を睨むと、背を向けて走り去った。他の個体も、まるで統率が取れた軍のように、後に続いて走り去る。その動きは素早いもので、すぐに視界から消えた。

 耳を澄ます。辺りに彼らの気配はない。

 どっと安堵が押し寄せる。

「終わったか?」

 確認の言葉に、クルーガは無言で頷いた。

 もしものことがある。一応、俺は魔法で周囲に薄く風邪を流れさせる。もし接近する存在があれば、俺に知らせるという術式だ。遠く離れた地にいる仲間が好んで使っていた魔法なため、俺でもぎりぎり使える。周辺にはホーンウルフが潜んでいないことを確認すると、木にもたれ座っていたクルーガに向き合った。

「大丈夫か?」

 そう声を掛けて当然なほど、彼は深刻な状態だった。顔は血の気が失せて真っ青になっていて、息をするのも辛そうだ。

 どう考えても毒の吐息ブレスが原因である。俺は勇者の加護によりあらゆる毒に対して耐性を獲得しているが、クルーガはもちろんそんなこともなかった。魔界だと珍しくない加護持ちなら多少は同じように毒耐性があるとはいえ、クルーガは加護持ちではないようで、しかも魔法を使えないため解毒魔法の使用も自身では不可能のようだった。

全素召喚(サモンオリジナルエレメント)毒素走査(スキャントキシン)……」

 簡単に、しかし丁寧に解毒魔法を詠唱する。

全開放フルバースト

「……ありがとうございます」

 終句を唱えると、魔法が即座に世界の理を捻じ曲げる。これでクルーガの身体から毒素が完全に抜かれたことだろう。……たぶん。

 専門ではないため自信はなかったが、問題なく発動したようだ。目に見えてクルーガの体調が回復に向かう。ただすぐに動けるようにはならない。

 手持ち無沙汰になった俺は辺りを見渡す。視界の端に倒れ伏したホーンウルフの姿が映る。近付いてみると、通常の個体だと艶やかな灰色の毛皮のはずだが、そのホーンウルフは錆びついた紫色っぽい毛皮である。恐らくこれが毒の吐息ブレスを扱える個体なのだ。

 全個体が姿を現したとは限らないし、確認できたのも霧が晴れてからの僅かだが、たぶん覚えている限り毛皮の特徴から考えると、突然変異した個体はこいつだけのようだ。自分だけが特別だと増長して突っ走ったのだろう。流石にこれほど危険な個体が何匹もいたら困る、ここで討伐できたのは運がよかった。

 指先で触れて異空間へ収納したのは、もしかすれば商人ベゼルが珍しがって買い取ってくれるかもしれないという打算的な考えだ。収納魔法の容量がぎりぎりだが、持ち帰る価値がある。

「さて、と……」

 クルーガは当然ながらまだ回復していなかった。

 俺は移動して、クルーガの隣にゆっくり腰を下ろした。

 深い森の中。人の営みがなく静かな場所だが、優しい秋風でざわめく木々が耳を楽しませる。日が落ちかけている。赤い木漏れ日が絨毯のように広がっていた。

 暫く何もしない安らかな時間を楽しんでいると、クルーガはおもむろに口を開いた。

「……貴方は、優しいのですね」

「ん?」

 俺は隣を向いた。クルーガの顔はまだ血の気に優れない。何か感じることがあるのか、瞳を閉じて彼は話す。

「貴方は人族です。それなのにエリアお嬢さまと行動している。そこに差別も偏見も忌避もない、対等な関係のようです。お嬢さまは魔族と人族の戦争を終わらせたいと本気で考えている。普通なら鼻で笑うことでしょう。しかし貴方は彼女を心から応援しているようです。本来ならば敵である私の動向を許し、毒で弱った私を攻撃するわけでもなく、解毒魔法で癒す。貴方は優しいのですね」

 確認するように事実を並べているが、そこにクルーガの真意はないように感じた。

「何が、言いたいんだ?」

「……貴方は善人だった。魔族であろうと人族であろうと分け隔てなく接する善人だ。それなのになぜ勇者になったのですか?」

「っ!?」

 知っていたのか、と思わず息を飲んだ。しかし、クルーガの声音は変わらず穏やかなものだ。

「勘違いしないでください。私に貴方を責めるつもりはない。……いえ、私にそんな資格はないのです。これは戦争なのですから、貴方がどれだけの魔族を殺してきたといえども仕方ないのでしょう。ですが、これだけは確認したい。貴方はエリアお嬢さまを最後まで護ってくれますか。貴方だけはエリアお嬢さまを裏切らず、最後まで傍にいてくれますか?」

「俺は――」

 言葉が続かない。覚悟を問われている、それは理解している。だが、俺に覚悟があるのかは怪しいところだ。俺はあの夜、寂れた教会でエリアの手を取った。彼女なら本当に世界平和を実現できるのではないかと感じたのも事実だし、こうすれば俺が殺してきた彼らへの償いになるのではと思ったのも事実だ。しかし、俺が魔族をもう殺さないと誓っても、それが本当なのか疑問だけが残る。前例があった。俺は数え切れないほどの魔族を殺してきた。そんな俺が約束しても、俺自身さえ信用できなかった。

 答えに躊躇った俺を見て、クルーガは苦笑する。

「急にこんなことを聞くのは礼儀に反しますね。けれども、忘れないでいただきたい。お嬢さまの母親と兄はどことも知れぬ森の中。父親は何者かに暗殺され、元老院は信用できない。彼女に身寄りはいない。もし唯一の騎士である私に何かあれば、彼女には頼れる者がいなくなる。それだけは避けたい。……ところで、お願いがあります。貴方の名前を教えていただけませんか?」

「……名前?」

 それがエイルという偽名のことではなく、本名のことと気付いたのはすぐだ。クルーガと出会ってから、傍に無関係の商人ベゼルがいたこともあり、俺は常に偽名で名乗っていたし、エリアもそう俺を呼んでいた。だから、彼が俺の本名を知る機会はなかった。

 こうしてベゼルがいない場所でないと、俺は本名を名乗ることができない。エリアはまさかそこまで考えて、俺とクルーガだけを別行動にさせたのか。

 いつかのようにエリアの先見性に驚きながら、俺はしっかりとクルーガの眼を見て名乗る。

「俺はエイジ。七代目勇者エイジだ。家名はない」

「私は魔王エリアの騎士、クルーガ・ナデイルです。では、エイジ殿。体調が回復しましたので、帰りましょうか。遅くなるとエリアお嬢さまが心配されるかもしれませんから」

 クルーガは立ち上がると、ふらつきながらもしっかりとした足取りで来た道を戻る。

 これで懸念はなくなった。クルーガが敵に回る心配はしなくていいだろう。

 しかし、まだ物語は始まったばかりだ。たった一人の同意が得られただけだ。

 ――たった一人。

 魔族は全体で何万人いると聞く。彼ら全員に世界平和を認めさせて実現するには、いったいどれほどの手間と時間が掛かるのか。想像しただけで気が滅入る。

 とはいえ、これは俺が選んだ道だ。責任と義務。逃げることは許されないし、逃げたくもない。もう現実から逃げてはいけない。

 握り締めた拳が熱さを訴えていた。


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