13 旅立ち5354
朝日が昇る前の澄んだ空気。まだ空は群青色で、見上げれば輝く星も消えていない。目抜き通りはひっそりとしていて、時間に厳しい商人だけが、せっせと開店の準備を始めている時間。
俺たちはそんな通りを歩いていた。
理由は簡単で、今から村を出るからである。
流石に昨日は目立ち過ぎた。武具屋の店長や村長は俺を許してくれたが、他に過去の俺を知っていて憎んでいるやつがいないとも限らない。だから、予定を前倒しにして、すぐに旅立つことを決めたのだ。
もちろん、このことは村長に話しているため、夜逃げではない。移動手段である馬車も村長が用意してくれている。至れり尽くせりであった。
「で、次の目的地はコズネスでよかったのか?」
「うむ、鍛冶で栄える街と聞く」
エリアははっきりと頷いた。
コズネスは王国の最西にある、鍛冶が主要産業となっている街だ。
王がいるわけではないが、立派な城を中心として城下町が不規則に広がり、そしてフロゥグディにあった城壁を遥かに超える高さのそれで、コズネスは囲まれている。魔族との戦争が始まってから建設された街だが、最前線ゆえに、魔族の侵攻を徹底的に対策した造りである。そして、ここコズネスは戦争へ供給される武器のほとんどを生産している、鍛冶の街だ。
そのような背景のだが、コズネスの魔族に対しての敵対感情はさほど強くないらしい。とはいえ、エリアが訪れるのは、俺としてはお勧めしない。騎士団の影響が強い街だからであった。が、人界のどこへ向かうためにも必ずコズネスを通るはめになるので、仕方ないといえばなかった。
とはいえだ、コズネスは……
俺が一瞬だけ沈黙したからだろうか。エリアが怪訝な顔をした。
「どうしたのだ? まさか、コズネスに行きたくないのか?」
「いや、まあな……」
自分でも驚くほどの、歯切れの悪さだ。
コズネスは鍛冶の街だからこそ、最高品質の武器が安価で簡単に入手できる。
そして、俺の剣はニードルベアとの戦闘で、ぼろぼろだ。整世教会から支給された最高級の剣にも関わらず、あの硬い毛皮を断ち斬ったせいで、刃こぼれしまくっている。何本か予備の剣もあったわけだが、生憎とそれら全ては仲間である魔術師アガサの収納魔法の中である。
フロゥグディで買い替える選択肢はなかった。両替商に預けていた代金は受け取ったが、それだけでは剣を買えるほどの代金がなかったからだ。
だから、俺としてはコズネスで剣を買い替える必要があるのだが、ある事情で躊躇していた。
溜息と共に、呟く。
「友達が……、俺の友達が街にいるんだ」
「それの何が問題なのだ? 久しぶりに会えるではないか」
「――考えてみろ。勇者として魔界に飛び立った奴が、よくわからん少女と一緒にのこのこと帰ってくるんだぞ」
「…………」
つまりは、そういうことだ。
俺も今ごろは、かつての仲間と共に魔界にいるはずなのだ。それなのに、仲間じゃない少女と帰ってきているのを見れば、俺だったら、非難する。人界の希望を背負っていた勇者が、どこの馬の骨かもわからない少女となぜ帰って来たんだ、と。
だから、顔を合わせづらい。唯一、救われたのが、その友達は戦争賛成派ではなかったことであろう。俺と同じように彼もまた両親を魔族に殺されたが、彼は復讐の道を選ばなかった。とはいえ、再会しづらさは変わらない。どちらにせよ、である。既に馬車を用意して貰っているので、今からの行き先を変更することはできないのだが。
どうしたものか、と考えていると、エリアがふと思い出したかのように言った。
「親はどうじゃ? 友人がおるのなら、そこが故郷なのじゃろう? なら、両親と再会できるのでは――」
「死んださ。二人とも魔族に殺された」
「……すまぬ」
エリアが申し訳なさそうな顔を見せる。
「いい、戦争だからな。俺のような孤児を新たに作り出さないためにも、この戦争を終結させなければいけない。……そういえば、エリアの親はどうなんだ? 今のお前って実質のところ家出中だろ、心配しないのか?」
「父親は殺された」
その言葉に、振り返ってしまった。
エリアの親は、たぶん先代の魔王だ。殺されただと、そんな馬鹿な。事実だとしたら、殺したのは先代の勇者だろうか。それこそありえない。魔王が死んだのなら、それで戦争が終わるはずではなかったのか。しかも、自分の親を殺した勇者の、その後継者が俺だ。どうして憎しみの対象である勇者と共に、呑気に旅をしているんだ。
俺が混乱していると、魔王エリアはふふっと笑った。
「父親を殺したのは、恐らく政敵じゃ。勇者ではないゆえ、安心せい。それに親代わりとして妾を長らく世話してくれた腹心の騎士がおるため、心配するようなことは何もなかったの。……にしても、今頃は家出中の妾を血眼になって探しておるだろうなあ。あの常に冷静なやつが慌てている様子を想像すると、なんと面白いことか」
「……笑いことじゃないだろ。それなら、母親はどうなんだ?」
「母親はのう、どこにいるのかもわからない。妾は次代の魔王であり、暗殺される可能性があった。ゆえに妾が幼い頃は、両親と共にどこかの深い森の中で暮らしておったわけじゃ。そして、妾が成長すると、父親と魔王城で暮らすことになった。しかし、母親はその地から動くことができず、その深い森に残ることとなったのじゃ」
「つまり?」
「幼かった妾は当然にその場所を覚えておらぬし、唯一その場所を知っていたはずの父親は殺された。ゆえに、再会することはかなわない」
そうか、と俺は呟いた。
少し重苦しい雰囲気になってしまった。
にしても、だ。今後エリアと旅を続ける間に、エリアは母親と再開できるのではないか、と思った。理屈も何もない。そう思っただけだ。
ただ、俺はその重苦しい雰囲気を払拭するため、ずっと心の奥で燻っていた疑問をエリアにぶつける。
「ところで、エリアの父親は魔王。エリアも魔王。つまり、魔王っていう存在は家柄での継承なのか? ……エリアは魔力を身体能力に変換しただろ? 失礼な言い方だが、魔王らしい強さがなくなったとしても、魔王を続けることはできるのか?」
「うぬ」
エリアは唸った。少し難しい質問だったらしい。エリアは数秒黙ると、嚙み砕いて説明してくる。
「魔王はの、初代魔王の血を少しでも引いていたら、魔王になる資格はあるのじゃ。つまり、家柄は関係なく、血筋の問題じゃの。そして、その中から魔王の証を持つ者が生まれてくると、そやつが次代の魔王になる」
「……魔王の証?」
「アザのような紋章が身体に現れるのだ。魔王の証を持つ者は何かしら秀でた能力があり、魔王に相応しいと考えられる。だから、次の紋章所持者が生まれぬ限り、妾は魔王の立場であるの」
魔王の証、アザのような紋章か。さぞかし格好いいものなのだろうな。いつか見せてもらいたいものだ。
そんなことを考えていると、突然。
エリアは釘を刺すように、口調を強める。
「ただ! くれぐれもエイジは魔王の証を見たいとは言わぬように!」
「……なぜだ?」
「恥ずかしいことじゃが、紋章の現れた場所が問題なのだ。妾の場合は臀部にある。見ようとすれば裸になる必要があるため、流石にエイジが相手でもその願いは聞き入れられぬ」
「そんなこと頼まないって……」
重苦しい雰囲気を払拭するための会話だったはずなのに、次はどこか気まずい雰囲気になってしまった。そんな俺を楽しむかのように、エリアは両手で臀部を服の上から隠す。わかってやっているだろ、と突っ込みたかった。
そんな茶番を二人で繰り広げていると、目的地である東の門まですぐだった。
東の門、つまり俺たちが入ったのと反対の門から村を出ると、一台の馬車が停まっている。アーチ状の幌と、後方が吹き抜けになっているそれは、いかにも行商人の馬車といった見た目だ。
俺たちが近づくと、御者台から小太りの商人が降りてきた。
やはり商人らしく高級品の一張羅で身を包み、靴までしっかりと磨かれている。髭も一部を残して整えられていて、身綺麗さが印象に残った。
「これはこれは、おはようございます」
「おはようございます。冒険者エイルです、よろしくお願いします」
「私は商人ギルド所属、行商人のベゼルです。それでは、契約内容を確認しましょう」
俺たちが商人から受けた依頼は、コズネスまでの護衛。ちょうど目的地が同じだったために、村長がこの商人と引き合わせてくれたのだ。
予定道程は約一週間で、報酬はなし。ただし、野営の準備や食事、移動まで全てあちらが用意してくれるので、妥当なところだろう。
「それでお願いします」
商人が差し出した手を、ガシッと握る。交渉成立だ。
「ところで、ベゼルさん。護衛は俺たち二人だけでいいのですか?」
「ええ、大丈夫です。コズネスまでの道中は魔物が現れにくいのに加え、強い魔物が出てもお二人がいれば安全でしょう。昨日の戦いは私も見ていましたので、お二人の戦闘能力はわかってるつもりです」
「わかりました、道中は任せて下さい」
とは言うものの、俺はまだ療養中の身だ。酷い有様だった左手は包帯でぐるぐる巻きだし、身体中に傷が残っている。しかし、いくら今の俺が傷ついていても、まがりなりにも元は勇者であるし、隣には魔王エリアだっている。商人一人の護衛にはほとんど戦力過剰ではないだろうか。
「それでは出発しますので、荷台にお乗りください」
勧められ、俺は先にエリアを荷台へ上がらせると、続いてそこへ乗り込もうとする。と、その時、駆け寄ってきた人物がいた。見れば、村長だった。急いで走ってきたようで、体力のないらしい村長は肩で息をしている。
「……良かった、出発には間に合ったようだな」
「いったい、どうしたんです?」
「討伐の報酬に、冒険者殿に渡したいものがあって」
そう村長が言うと、村長は鞄から布で包まれた何かを取り出した。包みが開けられるとと現れたのは二つのインゴット。黒光りするそれは、初めて見る類の金属であった。
「これは?」
「アダマントだ。名前ぐらいは聞いたことがあるだろう」
その名前は、伝説と呼ばれるほど希少な金属の名前だ。採掘量が少なく、融点も高く、極めつけに加工が難しい。だが、アダマントは全ての金属で一番硬く、そして重い。その特徴から付けられた名は、不壊黒鉄。
「昨日、君が倒したニードルベア、その討伐報酬を渡しそびれていた。鑑定に出したのだが、なぜか一般の個体よりも素材が硬く、価値が決められなかったために競売へ出されることになった。結果は三日後だ。だから、申し訳ないが、これを討伐報酬とさせてもらう。これならどこへ行ってもかなりの価値があるし、持ち運びに丁度いいだろう?」
いったいなぜインゴットを報酬に選んだ。そんな疑問はすぐに解消される。
「これからコズネスへ向かうのだったな。あそこは鍛冶の街だ。これで剣を造ってもらうといい」
なるほど。勇者の剣はぼろぼろだし、丁度いい。しかも、アダマントは超高級素材だ。それで造られた剣ならば、あのニードルベアの皮でさえ簡単に斬り割くかもしれない。
「ありがたく、頂きます」
俺は恭しく礼してから、村長から片方のインゴットを受け取る。瞬間――
「重ッッ!」
まるで、ズシンッとくる重さだ。予期していなかった衝撃に、思わずたたらを踏んだ。両手で支えて、ほっと息を付いた。もしかすれば、インゴット片方だけで俺の剣よりも重いのではないだろうか。噂で重いと聞いていたが、これほどとは思わなかった。
俺はもう片方も受け取り、腰帯を緩めて体との間に差し込んで固定した。収納魔法に仕舞うのもよかったが、エリアに託された衣類やら大量の荷物で容量が足らなかった。そのままだといささか重いが、傷口には響かないから問題ない。これでこの村には、もう用がなくなった。
俺は次こそ馬車の荷台へ乗り込んだ。エリアも隣にいるし、運ぶ荷物が多くて少し狭いが、あまり問題にはならない。
村長とは、たったの数刻限りの関係だった。彼に俺は言い負かされたが、本来の彼はとても優しい性格だった。話してみると、その人の好さがよくわかる。話題は尽きず、夜中まで世界平和について語り合った。そんな酒を交わした仲との別れは、やはり辛い。もういっそ、この村でだらだらしたいとも思う。しかし、この旅の目的はやはり世界平和なのだから、休んでいる暇なんてないのだ。
「それでは、お世話になりました」
「こちらこそ、村を助けてくれて助かった。またこの村へ来たら、ぜひとも寄ってくれ。美味い酒を出そう。そちらのお嬢さんもぜひまた来てくれ」
「うぬ、また遊びに来よう」
エリアの挨拶も終わると、発進します、との商人ベゼルの声が響き、馬車が鍛冶の街コズネスへ走り始める。
旅は出会いの数だけ別れがある。その言葉をはっきりと実感したのは、平和の村が見えなくなるまでエリアがずっと手を振り続けていたからだった。




