11 ある魔術師の話4350
「全素召喚・構造走査……」
七代目勇者エイジの仲間、その一人であるアガサは苛立っていた。
人類最凶とも呼ばれる魔術師である彼女は、感情の起伏が乏しいのは有名な話である。笑わないし、悲しまない。ただただ無表情で攻撃するその姿は、多くの者を震え上がらせ、だからこそ最凶と呼ばれるのだ。
そんなアガサが苛立ったのは珍しく、その珍しい現象を作り出した原因は、僅か数分前のことである。
アガサは勇者を含んだ仲間たちと共に、魔族の町を訪れた。理由は、この町を悉く破壊するためだ。
これはアガサの意志ではない。整世教会から魔界を混乱に陥れるため、道中の主要な町は破壊しろ、と命じられていたのだ。これは戦争であり、教会に背くことができないアガサは、その命令を飲むしかなかった。
そして、その命令はアガサたちにとって、簡単なことだった。広範囲延焼魔法を唱えるだけで、街の大部分が消失。後は勇者エイジがしらみつぶしをするように、魔族を追い込む。今日もいつものように、その地名が地図から消え失せようとしていた時だった。
仲間たちと合流しようとアガサが思ったその時、その少女がどこからともなく現れた。
――妾は霹靂の魔王、エリアだ。
魔王の名前を騙る少女は十六歳ほどの外見で、長い髪と紅玉の瞳が印象的だった。だが、その姿は魔族としては普通で、とても魔王には見えなかった。
しかし、魔族である。魔族は敵である。敵である故に、殺さなければならない。エイジは魔族を殺すのは快く思っていなかったみたいだが、アガサにとっては違う。魔族は敵だ、ただ無感情に殺すべき対象である。
そう考えて、詠唱を開始した瞬間、しかし、アガサは既に負けていた。
幼い見た目に気を取られてしまったのが敗因だ。冷静に観察すると、その少女の身体には高密度の魔力が纏わり付いていたのだから、警戒することもできたはずだ。
少女は魔法で鎖のようなものを作り出し、アガサを一瞬で捕らえ、虚空にぶら下げていた。気付いた時には、がんじがらめに縛られ、身動き一つすらできないのだ。どうにかして鎖から抜け出そうとするアガサに向かって、その少女は言った。
――そこで魔法が消滅するまで待っておけ。妾は慈悲深き魔王故、命までは奪い取らぬ。
アガサは生まれて初めて、勝てない、と思った。アガサは人界で唯一の五重魔法使いの、大陸最凶魔術師である。それなのに、勝てないと思った。
魔王と名乗る少女から滲み出る魔力は底知れず、やろうと思えば、アガサには無理な七重魔法も、いや八重魔法でさえ行使できそうな出で立ちだった。
たかだか五重魔法が使える程度の自分では勝てない、と本能が警鐘を鳴らしていた。
だが、そんなアガサには興味がないように、アガサを虚空に鎖で吊り下げたまま、少女はどこかへ歩いて行った。
それが、数分前の話であった。
「――魔法因子直接接続」
身体を縛る鎖から抜け出すのは無理だと判断し、アガサは魔法でそれを分解しようと試していた。魔法で構築された鎖なのだから、魔法での対処が可能だった。しかし、その魔法構成は暗号やら対解読用術式やらが埋め込まれていて、それも予想以上に時間が掛かっている。
それは本来ならば、ありえないことだった。アガサは人界で最も優れた魔術師であり、勇者の仲間として選ばれたほどである。そんなアガサが拘束魔法の解除に手間取るとは万が一にもないはずだった。
やはり、彼女は魔王のようであった。アガサでさえ不可能なことを実現するその知識と技量。感嘆する一方で、アガサは苛立ちを覚えている。
負けて拘束されて生かされて、その上で魔術師としてのプライドすらへし折られる。これで苛立たない方が不思議であった。魔術師として屈辱だった。
「――全開放」
やっと完成した詠唱の、終句を告げる。途端、朗々と紡いできた詠唱が魔力を伴い構成され、戒めを破る魔法として作用する。
それまで身体を束縛していた鎖がするするとリボンのように解かれる。ついに虚空から降り立ったアガサは、刹那、弾かれたかのように視線を町の反対側へ向けた。
はっきりと感じたわけではない。だが、気のせい、とは言えないような何かの音が、微かに聞こえた気がしたのだ。
「この音は……」
次は聞き洩らさなかった。咄嗟に魔法で強化した聴覚が捉えたのは、剣が風を切る音。かなり遠くでの音だったが、今までずっと隣でその音を聞き続けていたアガサには判別できた。
「……エイジ」
鋭い金属音を纏った音は、仲間のエイジが剣技を使用した時の音と一致する。もしかしたら、町を守る兵士と戦っているのかもしれない。だが、この町にエイジを苦戦させるような相手はいないだろう、と考えてから、はたと気付く。
あの方向から先ほどの魔王の気配を察した。禍々しい、まるで蛇のように渦巻いていた魔力。
アガサは嫌な予感を感じた。エイジが戦っているのは、あの魔王ではないのか。魔王の目的は、アガサなどではなく、勇者の討伐だったのではないか。もしそうだとしたら……
――勇者エイジは絶対に勝てない。
五重魔法を扱うアガサに勝った魔王に、勇者は勝てない。彼は確かに強いが、アガサとは違ってまだ成長段階だ。勝てるとは思えなかった。だからこそ、旅に出てからすぐに魔王討伐へ向かわず、ゆっくりと進んだのに。こちらの居場所が割れないように神出鬼没な行動をしていたのに。魔王があちらから現れるなんて予想外だった。
アガサの小さな胸に焦燥が芽生える。速く、早くエイジの元へ行かねば。
「風素召喚――」
アガサは自身に加速魔法を二重に掛け、地を蹴った。短い脚によって生み出された推進力は魔法を介して凄まじいものとなり、アガサは燃える家屋の間を矢のように走り抜ける。全力で走れば燃え盛る家屋に激突するため、速度はかなり抑えめだったが、それでも、出来る限りの速度で走る。
もう一度、アガサが魔王に戦いを挑んで勝てる可能性は、やはり万に一もないだろう。そして、エイジと二人掛かりで戦っても、勝てるかどうかは怪しい。だが、不意を打てば、エイジを逃がす程度の時間は稼げるはずだ。
エイジを護らなければ、アガサはその一心で走った。彼に気があるわけではない。そもそも、感情の起伏が少ないアガサにとって、エイジは味方であるという程度でしかなかった。しかし、彼を助けるように、彼をサポートするようにと教会から指示されているのだった。その命令は絶対だった。
神速の如き速度で、アガサは炎の中を突っ切る。
そして、走り続けて数分、アガサは教会のような建物の前で停止した。
石造りで、三角屋根。窓枠にはめられたステンドグラスは虹のように鮮やかで、大きな鐘が釣られている。アガサの放った広範囲延焼魔法はほとんどの家屋を倒壊させたが、この教会は石造りだったからか、炎に包まれていなかった。
アガサは何が起きても対処できるように、障壁魔法を無詠唱で構築する。
炎の海にぽつんと建つ教会の中から、なにやら話し声が聞こえてくる。
「――保証できない。あいつらは俺よりも頑固で、魔族を殺すのに躊躇しないぞ」
「あの魔術師とカタナ使いのことであろう? では、その心配はないというもの。奴らはそなたほど戦争が嫌いではないようだから、先ほど出会い頭に拘束魔法で吊るしておいた。穏便な解決方法じゃの」
やはり、エイジが話している相手は先ほどの少女のようだった。だが、どうして敵である勇者と魔王が呑気に話しているのだろう。あまり険悪な空気ではなかったから、二人の会話に割り込むべきなのかアガサは躊躇した。
アガサはゆっくりと教会の扉を開き、その間から覗き込む。すると、意外なことにエイジは剣を装備するはずの右手で、魔王の掌を握りしめているではないか。いよいよアガサは眼前の光景が理解できなくなってきた。
彼女が混乱していると、魔王が懐からよくわからない宝石を取り出し、重なった二人の手の上にかざす。何が行われるのか、怪訝に思ったのも束の間、魔王は高らかに宣言する。
「では、世界平和への最初の一手と……妾には小さな一歩だが、世界にとっては偉大な飛躍となろう。転移、フロゥグディ」
「へ?」
慌てて教会に入り込んだアガサが見たのは、緑色の光に飲み込まれる二人の姿だった。眩い光が収まると、そこには二人の姿はどこにもなかった。
どこにもなかったのだ。
「ありえない……」
信じられなかった。アガサは、どうしても今見た光景を全く信じられなかった。
「……転移魔法?」
ありえない、転移魔法は古代に失われた魔法の一つだ。そんなものがあってはならない。だが、そうでなければ、今の現象は説明できない。
いや、もしかしたら、魔王が持っていたあの宝石が、実は古代の遺物なのではないか。遺物には魔法が記録されているものも多い。あの宝石には転移魔法が記録されていた、そう考えれば辻褄は合う。
だが、そんなことよりも問題なのは、勇者エイジの行方である。もしあれが本当の転移魔法ならば、行き先は少女が唱えていた平和の村、フロゥグディだろう。
困った。本当に困った。フロゥグディは人界と魔界の境界にある村で、対してここは、魔界のほとんど奥地である。仲間とここまで旅してきたのは、四年間。つまり、エイジを探しに行くには、四年間の道のりをとんぼ返りする必要があるのだ。
とはいえ、方法がないでもなかった。アガサが五重魔法で加速魔法を使用し、不眠不休で一直線に走り続ければ、一週間ほどで辿り着くだろう。アガサの魔力が足りなくなる心配はしなくていいのだが、問題はその後だった。
アガサがそのフロゥグディに辿り着いた時には、あの二人が既に別の場所へ移動している可能性もある。しかも、他の仲間をここに置いていかなければならない。しかし、勇者の監視も教会から命令されているアガサとしては、探しにいかなければならない。同時に、あの魔王は信用できるのかわからないから、早くエイジと合流しなければならない。どうするべきか、アガサは困っていた。
「……仕方ない」
アガサは小さく溜息を付くと、他の仲間と別れて、勇者エイジを追いフロゥグディまで戻ることを決めたのだった。




