覚醒編 1
『世界の守護者』ーー。
この世界に太古から存在する英雄だ。
彼らは邪神エレボロギヌスと長い歴史の中、永遠のように戦い続けてきた。
世界を滅ぼさんと何度でも蘇る邪神。
世界を護るために戦う『世界の守護者』。
長い長い歴史の中、それは今なお続いている。
きっと、これからも続いていくのだろう。
永遠に。
永久にーー。
よく夢を見る。小さい時の夢だ。
あれは確か……そう、六つの時だ。父が、たった一人で旅に出たのだ。幼い自分と、母を残して。あの時の父の後ろ姿と、母の何かを決意したような瞳を思い出すたび、これは悪夢なのだと思い出す。思い出したくないと思うたびに、まるで嘲笑うかのようにこの悪夢を見る。
この一件の後、自分はジェイノスと呼ばれる男に預けられた。
彼は『狩人』と呼ばれる存在だった。彼は自身の持つ『狩人』の技術を惜しみなく自分に授け、気付けば十一年の時が流れていた。
「ーーぁ」
ぼんやりとした頭で瞳を開く。
空は陰り、陽は落ち切っている。十一年の月日が流れたとはいえ、心の奥底に刻まれた負の思い出は、そう簡単には消えてくれない。
「目が覚めたか、アクス」
「レイル……?」
アクスと呼ばれた少年がゆっくりと体を起こす。
凛とした瞳にスッと通った鼻梁。肩まで届く黒髪を無造作に纏め、纏わりつく眠気を振り払うように頭を振った。
「ああ……くそ、最悪だ」
「また見たのか?」
レイルの問いに、アクスは力なく頷いた。
「ここ最近ずっとこんな調子だ。やっぱり『あれ』のせいか……?」
そう言ってアクスは目を閉じた。
疲れているのだろう。いくら寝ても治らないところを見るに、これは精神的なものだ。
「ーーまあ、最近あんなこともあったばかりだし、精神的に参っているのかもな」
そう言ってレイルは自身の手元にあった薪を、目の前の焚火の中へと投げ入れた。
空に浮かんだ星と月の光以外に、この場で唯一の光源だ。夜は体が冷える。体温維持のためにも、ここで消えてしまわないように誰かが焚火を管理しなくてはいけなかったのだが、どうやらそれはレイルが一人で行ってくれていたらしい。
アクスは申し訳ないと思いつつも、同時にレイルらしいとも思っていた。
レイルとの付き合いも十一年になるが、彼は中々自分の事を話したがらない。アクスの事を長いこと支えてくれているが、それでも分からないことの方が多い気がする。一人で色々と面倒事を片付ける事もあり、アクスが気付いた時には全て終わっていた、なんてこともある。
そんな彼だ。今回も、アクスが気を失ったように寝ている間、一人で薪を集め、一人で火を起こしたようだ。
「ーー悪いな、火起こしてもらったのに寝ちまってた」
アクスが立ち上がろうとするが、フラッと立ち眩みを起こす。
それを見たレイルが、心配そうな表情で見つめる。
「アクス……気にしなくて良い。お前は休んでいろ」
「それは出来ない相談だな。お前に全部やらせる訳にはいかない」
背中を預けていた木に手を当ててアクスは立ち上がった。
「大体、休むならお前も休んだ方が良い。俺だけが休んでいられるか」
それを聞いたレイルは小さく肩を竦め、
「分かっているさ。分かっているよーー」
溜息を一つつき、空を見上げた。
「ーーただ、何も考えたくないだけさ。何かしていないと、嫌でも思い出すだろう?」
アクスは黙ったまま、レイルの言葉を聞いていた。
二人には『師匠』と呼べる人がいた。名はジェイノス。『狩人』と呼ばれる存在だった。
『狩人』はその名の通り、主に狩猟を行う存在だ。獣から魔獣、場合によっては『兵士』と同じように戦場に立つ。
『下位』、『上位』、『最上位』の称号があり、それよりさらに優れた『狩人』を『狩人の五指』と呼ぶ。師のジェイノスはかつて『最上位』に属している『狩人』であった。
数年前までは『狩人』の存在感も大きいものだったが、今や斜陽にある。というのも、数年前に発生した大規模魔獣災害によるものだ。その時に大勢の『狩人』達が死に、衰退の一途を辿ってしまったという訳だ。
アクスもレイルも、師匠と共にその大規模魔獣災害に対処していた。
かつての思い出が瞬間的に思い出され、アクスの顔は苦痛に歪んだ。
大勢の仲間が死んだ。目の前で。
首を切り落とされ、はらわたを引きずり出され、骸となってなお弄ばれる『仲間だったもの』を目の当たりにし、正気でいられる筈がなかった。戦場は混迷を極め、司令塔はまさに無能の二字が相応しいほどだった。
生き残った『狩人』はごく僅か。あれから『狩人』は、昔のような勢いを失った。
それからしばらくして、師匠のジェイノスは体を壊していった。
そして、つい五日ほど前の事だ。師匠は死んだ。
口から血を吐いて、死んだ。
「ーーそうだな。何かしてないと……嫌でも思い出すな」
アクスは顔をしかめた。
思い出したくない記憶ほど、記憶の奥深くまで刻み込まれる。
アクスの意識は、五日前に遡っていったーー。
酷い雨だ。
雨具があるおかげでまだずぶ濡れとはいかないが、このままだと低体温になってしまう。雨を凌げる場所、そして体を温められる場所を確保する必要がある。
「ーー師匠、もう少しだけ耐えてください! すぐ休める場所を見つけますから!」
そう言ったのはアクスで、ジェイノスの左側から支えるように肩を貸して歩いていた。
周囲は鬱蒼とした森で、空を覆いつくさんとばかりに葉が生い茂っている。この森で遭難して数日。一向に脱出の兆しが見えず、アクスもレイルも焦っていた。
「アクスーーゲホッゲホッ!!」
「師匠!?」
ジェイノスが咳き込む。
膝から崩れ落ち、あてがった右手からは鮮血が零れ落ちる。
症状がどんどん悪くなっている。吐血の量が増え、歩みも遅い。知人に診てもらおうと旅をしているのだが、こことは別の大陸にいるため、何としても早くこの森を抜けなければならない。
「師匠、大丈夫ですか!?」
レイルが慌ててジェイノスに駆け寄る。
「師匠、ああこんなに血が……!」
「レイル……すまないが、近くに座らせてくれないか」
それを聞いて、レイルがジェイノスの右側から肩を貸す。
アクスはレイルに視線を向けると、近くの大木に向かって歩き出した。
「全く……こんな筈じゃあなかったんだがな……ゲホッゲホッ!!」
「師匠、もう何も話さないで下さい。体に障ります」
「アクス……」
師匠の体はもう、かなり冷えてきていた。
雨のせいだけではない。死にゆく者特有の、嫌な冷たさだ。
二人はジェイノスを大木に背を預けさせると、
「……お前達に、伝えておかなければならない事がある」
そう言ってジェイノスは、自身の胸に手を当てた。
苦しそうに呼吸をする師匠の姿は、アクスとレイルの胸に重くのしかかった。
「ーー『世界の守護者』、知っているな?」
二人は頷いた。
『世界の守護者』ーー太古の昔から存在する、この世界を邪神エレボロギヌスの脅威から守っている十三人の英雄の事だ。
彼ら一人一人が神の力を宿しており、神の力を宿した武器を振るって邪神と戦ってきた。遥か昔から語り継がれ、そして二十二年前にもその『世界の守護者』が邪神を討ったと聞いている。今度こそ完全に邪神が葬られたら良いのだが、そのことについて確実なことは何も言えない。
口から血を滴らせながら、ジェイノスが言葉を発する。
「アクス……お前の父、アロンは……『世界の守護者』だった」
「……え?」
アクスは目を丸くしたまま、言葉を失った。
父が? 母と自分を残して家を出て行ったあのろくでなしが、あの『世界の守護者』だって?
ゲホッゲホッ、と血を吐き出しながらさらにジェイノスが続ける。
「まあ、俺も……『世界の守護者』だった訳だが」
アクスとレイルは互いに顔を見合わせる。
師匠も『世界の守護者』……すでにアクスの頭の中は情報過多に陥りかけていた。
その様子を見たジェイノスが、堪え切らないとばかりに笑みを浮かべたがすぐに咳き込む。口から溢れる鮮血が彼の服を赤く染めていく。
「……いいか、よく聞け」
ジェイノスがアクスの両肩を掴む。
その手は震え、かつての力強さは感じられない。自身の記憶にある師匠は不敵に笑い、どんな時でも余裕のある人物だった。それがこんなにも……
俯いたアクスに向かってジェイノスは優しく微笑む。
「別れは誰にだって、いつかは来る。遅かれ早かれな。俺達にはそれが『今だった』だけだ」
アクスの頬に涙が伝う。
ジェイノスはアクスの目をしっかりと見つめ、さらに言葉を紡いだ。
「俺はもうすぐ死ぬ。それは避けては通れない。だが、死ぬ前にどうしてもお前には伝えなければならないことがある」
「……?」
ジェイノスの最期の言葉を聞き逃すまいとアクスは意識を集中する。
しかし、ジェイノスが口にしたのは、アクスにとって衝撃的なものだった。
「アクス、そしてレイル……お前たちは『世界の守護者』だ。アロンの体を利用して邪神が復活しようとしている。その前にーー」
ジェイノスの瞳から光が消えていく。
「アロンを……殺せ」
そう言って、ジェイノスの手が力なく地面へと落ちた。
「……師匠……?」
虚ろな声がアクスの喉からこぼれる。
十一年だ。十一年同じ時を過ごした家族同然ーーむしろ家族よりも大切な存在であった師匠が、目の前で死んでしまったのだ。
言葉を失ったまま、どこか冷静な頭で考える。
自分が「世界の守護者」? 邪神が復活する?
そして何より、『アロンを殺せ』。
父が、あの家族を捨てたも同然の男が、邪神復活のきっかけとなっている。
アクスは言葉を失ったまま、呆然としていた。師匠のジェイノスはアクスにとって道標であった。常に追い付こうとしていた存在が、今、目の前で息絶えてしまった。それだけで受け入れがたいというのに、自身が置かれた状況に、頭の整理が追い付かない。
「……アクス」
隣からの声に、アクスの意識が戻ってくる。
目の前の現実に胸が苦しくなる。
「埋葬しよう。状況の整理はそのあとにした方がいい」
レイルの言葉に力なくアクスは頷いた。
雨脚がさらに強くなってきた。冷たさが全身を覆う。
きっと、今日はもう晴れない。
焚火が爆ぜる。
揺らめく炎を見て、ぼんやりと五日前の出来事を思い出す。
あれから師匠の遺体を埋めた二人は、西へと向かっていた。
二人のいるファルフ大陸からずっと西へ進めば、海を挟んでもう一つの大陸、マリルダ大陸へとたどり着く。ファルフ大陸は『狩人』の大陸だが、マリルダ大陸は『魔術師』の大陸だ。そこにいる知人を訪ねるためにひたすら進んでいた。
街道沿いの林の中に二人は焚火を挟んで向かい合って座っていた。
夜になってしまい、徒歩のまま進むのは危険と判断した二人は野宿をしていた。携帯していた食料も、そろそろ底をつきそうになってきている。このままでは知人を訪ねる前に餓死してしまう。
「ーー食料を確保しないとな」
レイルは苦い顔をして言った。
ファルフ大陸は他の大陸と比べると遅れていると言える。言葉を選んで表現するのであれば、そう……野性的な感じだ。金銭的なやり取りもあるが、未だに物々交換が強く残っている大陸はファルフ大陸だけだろう。技術的な発展も遅く、町自体が少ない。街道の整備などは期待するだけ無駄というものだ。
思っていた以上に移動に時間がかかっており、アクスは内心焦っていた。
師匠の死を受け入れ、一先ずの目標を見つけて進んでいるものの、ここで死ぬのはまっぴらごめんであった。
「まだあと二日は持つ。幸い、この大陸は自然が多い。木の実や果物、野生動物を狩りながら進めば何とかなる」
「そうだと良いんだけど」
アクスの言葉にレイルは皮肉を言う。
『狩人』が減った影響で、野生動物や魔獣の被害が増えている。この五日間でも狼や狼型の魔獣などに襲われていた。魔獣は斬ったが、狼は極力気絶させてその場に置いてきた。魔獣そのものは魔力の塊かつ自然発生した脅威のため、『狩人』である以上優先的に狩猟したが狼のような野獣はそうはいかない。人と自然の均衡を崩すのは『狩人』失格である。
そうして進んできたため、基本的には食べられる野草や果物、たまに兎などの野生生物の肉を喰らって進んできた。
しかしそれは刹那的というか、根本的な解決ではない。
「だけど、そろそろ本当に考えた方がいい。野草や果物だけじゃ動けなくなるのも時間の問題だ。分かるだろう?」
レイルの言葉にアクスは返す。
「保存する食料も、保存するための手段も施設もない。その問題を考えていても意味がない」
「だがーー」
アクスは苛立ったようにレイルの言葉を遮る。
「今考えるべき問題はそこじゃない。あと4日で大陸最西端に着く。『世界の守護者』として戦わなくてはならないのに、全くと言っていいほど情報がない。そっちの方がよっぽど問題だ。食料なんてどうとでもなる」
険悪な雰囲気が二人の間に流れる。
先にその空気を破ったのはレイルだった。
「……分かった、もう言わない。だが心のどこかには留めておいて欲しい」
「ああ……」
アクスが空を仰ぐ。
曇天がこちらを無言で見つめている。分厚い雲がいつの間にか陰っていた空を完全に覆い隠し、月の光はおろか、星空一つ見えやしない。
まるで今の俺達みたいだな……。
そう言ったアクスの言葉は、静かに、そして虚空に消えていった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
誤字脱字、矛盾点等あれば優しくご指摘ください。
出来る限り、面白いと思っていただける作品を作っていけるよう頑張りたいと思います。
また次の物語でお会いしましょう。