第一章 エスクリヴォの帰還 五
ボート乗り場を越えて飛んできたのは間違いなく鸚鵡だった。片足から赤い筋が垂れているのが一瞬血のように見えたが、よく見れば真紅の組紐だった。
鳥はコックスが腕を伸ばすと舞い降りてきて頑丈な鈎爪で捕まり、日本語で何やら叫んだ。
「おやおや、君は二年ですっかり日本の鸚鵡になっちまったみたいだね! 主殿様には大事にしてもらっているかい?」
コックスが苦笑してちっぽけな頭を撫でてやる。
この鸚鵡は元々イギリス船の船大工が飼っていたものだった。二年前、商館の設置のためにイギリス船が初めて平戸を訪れたとき、船を見物にきた藩主の弟の「主殿様」が欲しがったため贈られたのだ。
「王の館から逃げてきたのでしょうか?」
「いや、でも川のほうから来たような――」
川面を見やると対岸の小高い岬の上に陽が昇りきっていた。亀岡である。二年前までは先代藩主の居城のあった場所だが、城が大火事で燃えてしまって以来頂には小さな社しかない。イートンは思わず鸚鵡に訊ねた。
「な、お前、昔の城砦に戻っていたのかい?」
と、そのとき、ボート乗り場の真向かいの中洲を廻って一隻の小舟が現れた。舳先に立った若者がよく通る声で呼ばわっている。
――じゃかとらぁ! じゃかとらぁ! 何処へいったんや――!
若者は鮮やかな緋色の帷子に皮の袴を合わせて、背には弓を負い、右手に古びたマスケット銃を持っていた。漕ぎ手が二人と従者が二人。傍に真黒な狗までいる。見るからに貴公子の狩猟姿だ。
「何だ、あれは主殿様じゃないか!」
コックスが拍子抜けたように叫ぶ。「鸚鵡を捜していらっしゃるのかな? おーい主殿様――! 鸚鵡はここですよ――!」
コックスが英語で呼びかけると、舳先の若者が顔を向けた。額が狭く顎の尖った険しい印象の顔だ。イートンは一瞬相手が誰だか分からなかったが、すぐに主殿様だと気付いた。二年前に見たときにはもっと少年じみていたが、すっかり一人前の貴公子に成長していたようだ。
主殿様は鸚鵡に目を向けるなり嬉しそうな声をあげた。
――かぴたん、ようとらえてくれた! 今行くけんつかまえよってくれ!
小舟がたちまちボート乗り場へ漕ぎ寄せてくる。コックスが慌てて命じる。
「ミスター・イートン、急いでゴレザノを呼んできてくれ! それからヨスキーに何でもいいから酒の支度を頼むと!」
「はい商館長!」
急いで母屋から通訳を連れて戻ると、川岸にはもう貴公子が上陸して鸚鵡を受取っていた。
貴公子はイートンを見とめると元々険しい目を細め、下から睨みあげるようにじっと観察していたが、不意に真白い歯を見せて笑った。
――エスクリヴォ! エスクリヴォやな! 大阪から無事帰っとったんか!
嬉しそうに笑いながらイートンの背を叩き、やおら従者に命じるなり、舟から肢を縛った白鷺を一羽掴んで来させた。
――よう戻ったの! 祝いばい! じゃかとらもよう捕まえてくれた!
ずいっと突き出された白鷺をイートンが受け取るなり満足そうに頷いて小舟へと戻ってしまう。通訳のゴレザノが申し訳なさそうに言う。
『商館長、主殿様は狩猟の途中なのだそうだ』
『どうもそうらしいね』
コックスは苦笑して頷いた。「あの若い放蕩者にはいつだって逃げられちまうんだ。セイラス縞八巻の代金をまだ回収していないのに!」
ぼやきながら目を細めるコックスの顔は殆ど愛しげとさえいえた。こういうところも頼りないのだとイートンは内心でぼやいた。主殿様は確かに快活で魅力的な貴公子だが、どう見たって自分の財布から金は貸したくないタイプだ。