お城って何だろう。
「この学校があるところは、昔はお城の一部分だった……というのは知っているかな?」
「はい!」
複数の生徒が手を挙げる。手を上げない生徒の中からも、
「校章に地図記号のお城のマークが使われてるってのは知ってる」
といった声が漏れ聞こえる。
校長先生はちょっと首を傾げて苦笑いをして、
「地域学習の授業は、まだそこまで進んでないみたいだね。丁度良い機会だから、ちょっとお城について説明よう」
ひとりでうんうん、と頷いた。
「日本のお城の場合……まあ大体だけど……天守閣とか大きな櫓があるところが本丸。あ、天守閣は全部のお城にあるわけじゃないんだけどね。
それで、その本丸にはお殿様が住むお屋敷があったり、お城で働く人たちが仕事をする建物があったりする。本丸は大体お堀で囲まれてるね。
その本丸のお堀の外側が二の丸。ここは戦争の時は兵隊としてのお侍さんが集まるところだったり、武器や火薬を準備しておく場所だった。それで、戦争が終わったら……そうだな……今の市役所とかみたいな所になった。
戦争をしているときよりも、平和なときの方が、細かい仕事が増えるからね。
つまりお侍さんがお仕事をする建物や、農家の人たちが作ったお米をしまっておく場所が二の丸にあった」
「俺知ってる。さいがいびちくそうこ、っていうんだ。市役所にあるよ!」
オシャベリの刑部が大声で言った。
龍は「それとはチョット違うんじゃないかな」と思ったけれど、黙って校長先生の顔を見た。
校長先生は話を続ける。
「二の丸もまたお堀で囲まれている。二の丸堀だね。
二の丸堀の外側が三の丸。
ここにはご家老様とかお殿様の親類だとか、そういう『えらいお侍さん』たちが住むお屋敷が集まっている。
その周囲には中ぐらいにえらいお侍さんや、あんまりえらくないお侍さんたちが住む家があった……つまりアパートとか社員住宅とか、市営住宅みたいな感じかな。
ここのあたりまでが、だいたい『お城の中』ってことになるね。
三の丸の外側は、お堀で囲んでいることもあるけど、大きな堀じゃなくて、水路や川で区切ってあったり、柵や塀で囲っているだけのこともある。出入り口に門を作って、お仕事で中に入る人以外は出入りできないようにしてあった。
この辺までが侍町だね。
三の丸の外側の、商売をする人や物を作ったりする人が集まって住んでいるあたりが『城下町』だ。
それから、もうちょっと外側に、お寺や神社があったり、畑や田圃、山の木を切ったり炭を作ったり……他にも色々あるけど、そういう働く人たちが住む『集落』とか『村』がある。
全部のお城がそうだったのじゃないけれど、大体はこんな感じだったんじゃないかな。
さて、この学校の校舎がある所は、お城の三の丸だった場所だ。
江戸時代にはそのころのお殿様の親戚の人が住んだりしたお屋敷があった。そのお屋敷は回りをあんまり広くないお堀で囲まれていて、お城の中の小さなお城みたいになっていた。
これが、この学校の校章のデザインに地図記号の城跡がある理由。
いまは校舎が建っているこの下の地面を掘ると、多分、昔のお屋敷の跡が出てくるだろうね」
校長先生は革靴のかかとで、教壇の床をコンコンと叩いた。
「実際、ちょっと前に水泳プールを直すついでにやった調査では、昔の誰かがお堀に捨てた古いお茶碗の欠片が出てきた」
「ゴミはゴミ箱に捨てないといけないよ」
誰かが笑った。クラスのみんなも笑った。
校長先生は小声で「うん、そうだね」と言ってから、
「つまり、ここは元々お城の敷地だった。
そのお城を建てる命令をした人はお殿様だ。
お殿様だって、無事に立派なお城が建つかどうか、戦争になってお城が壊されたしないか、田圃や畑が荒れたりしないか、たくさんの人や自分が死んでしまわないか、と思うと、とても心配になる。そこで神様にお願いをするわけだ。
だれか新しくお家を建てる時に、神社の神主さんが来て、地鎮祭っていうのをやってるのをみたことがあるかい?
建物が建つところの真ん中らへんの地面の中に、その土地を守ってくれる神様へのプレゼントを埋めるんだ。
お米とかをひとつまみぐらい、ピカピカする金属や奇麗な石のちいさなかけらみたいなもの、それから動物や人間を象ったお札」
龍の背中がビクッとした。
つい最近まで夢中で集めて、ついこの間突然消えてしまった、自分の名前と同じ字が書いてある人間の形の紙切れが、頭の中に浮かんだ。
校長先生に龍の頭の中のことなんかわかるはずがない。どんどん話を続ける。
「……そういう神様が喜んでくれそうなプレゼントをするわけだね。
さて、お城は普通の家よりもずっと大きいよね。だから神様へのプレゼントも良いモノをたくさん選ばないといけない。
お米や塩はひとつまみじゃ足りないだろう。ピカピカの金属だってちいさな欠片じゃなくて、大きな銅鏡とか長い刀とかにした方が良いんじゃないか。紙で作った動物じゃなくて、本物の馬や牛のほうが、神様は喜ぶにちがいない。
昔の人はそう考えた。
実際、ずっと前に考古学者の先生がお城の本丸の地面を調べたら、さびた刀と馬の骨が埋まっていたそうだよ」
「馬も、埋めちゃったんですか?」
質問をした生徒が、不安そうな声で訊ねると、校長先生は小さくうなずいた。
「そうすれば、お城の工事は失敗しないし、できあがった後に戦争になっても負けたりしなくなる、と昔の人は考えたんだね。
実際に工事はうまくいったし、そのあとで大変なことが起こったりもしなかったから、工事をした人やその子孫の人たちは
『あのとき神様へのプレゼントをたくさん埋めて良かった』
と思ったに違いない。――それが本当にプレゼントの効果だったかどうかは、今となっては判らないけれどね」
ざわつく教室をぐるり見渡すと、校長先生はもう一度黒板に向かった。
チョーク入れをガサゴソとかき回して、青いチョークを探し出した。
「お城が建ってから百年くらいあとのこと。お城からずっと離れた――この辺りの土地に田圃を作ろうと考えた人がいた」
言いながら、校長先生はさっき黒板に書いた地図のずっと下の方に、大きな丸を一つ描いて、その中を斜めの線を何本も引いて塗りつぶした。
「でも、この辺りは川から遠いので、新しく水路を引いたり、溜め池を作らないと水が足りなくなるということが判った。
水が流れないところに川を作って、水が溜まらないところに池を作るんだから、とても難しくて大変だ。それに失敗したら水がもっと足りなくなるかも知れない。
この工事は、お城を造るのと同じくらいか、それよりもずっと難しくなるだろう」
本当に難しそうな顔で校長先生は言った。
「さあ、君たちが『昔の人』なら、どうしたらいいと考えるかな?」
何人かの児童が勢いよく手を挙げた。龍も挙げようとしたのだけれど、自分の考えていることがとても「恐ろしいこと」のように思えたので、やめた。
校長先生に指名された女子は、はっきりした声で答えた。
「お城の時よりもたくさんのプレゼントを用意すればいいと思ったと思います」
「たとえば?」
校長先生が訊ねると、女子の声は、
「お城の時よりも馬の数を増やすとか……」
尻つぼみに小さくなった。校長先生の眉毛が「ちょっと違う」と言っているように見えたからだ。
その児童が席に着くと、また別の児童たちが手を挙げた。指名された男子は勢いよく立ち上がって、大きな声で答える。
「お城の時よりももっと高価なものをお供えにすればいいと思います」
「たとえば?」
「それは……わかりません」
男子は小さな声で言って、椅子にへたっと座った。
校長先生は難しそうな顔のまま、教壇から降りた。そうして、児童達の顔を見回しながら、机の間を歩く。
「二人ともよい考えだった。考え方は間違っていないよ。
昔の人も、お城を建てたときよりもたくさんの高価なものをプレゼントにすればいいんじゃないかと考えただろうからね。
じゃあ、なにをプレゼントにしたらいいと思いついたのか……」
校長先生の革靴が、木の床の上でコツコツキュッキュッと鳴った。
コツコツとキュッキュッは、どんどんと龍の机そばに近づいた。コツコツの度に龍の心臓が大きく縮み、キュッキュッの度にてのひらから変テコな汗が出る。
そして、ドンと言う音が、龍にだけ聞こえた。
龍以外の児童には、多分「ポン」ぐらいの小さい音に聞こえたはずだ。
校長先生の大きな掌が、龍の両方の肩の上に乗せられた音だから、大太鼓みたいな音のはずがない。
「君はさっきから、手を挙げようとしているのに挙げないでいるね?」
校長先生の声は優しかったのだけれど、龍にはお説教に聞こえた。
「答えが合っている自信がありません」
うつむいて言うと、校長先生は龍の肩を軽くなでた。
「これはテストじゃないんだよ。だから間違っていてもかまわない。
さて、君が昔の人だったら、何を神様へのプレゼントにしたらいいと思うかな?」
龍は体中の毛穴が縮んで、全身が鳥肌になるのを感じながら、
「怖くて、言えません」
とても小さな声で、ようやっと答えた。
「そうか」
校長先生のてのひらが、龍の肩からふわりと離れた。
安心したのと、変に疲れたのとがいっしょになり、カチカチに固まっていた身体が急にふにゃふにゃに柔らかくなった。
龍は落っこちたちり紙みたいに机の上に突っ伏した。
校長先生のコツコツキュッキュッが、どんどんと離れてゆく。
教壇に戻りながら、校長先生は言った。
「多分君の考えは正解だと思うよ」
龍の足が机の脚を蹴飛ばした。ゴムのキャップがかぶったスチールの脚と、木の床とがこすれて、大きな音を立てた。
校長先生はもう教壇の上にいる。