自分じゃない自分。
龍の心の外側を覆っている、別の「逞しい大人の男」の心が、捻り絞られる手ぬぐいみたいに締め付けられた。
その哀しみ方があんまり大きいので、龍は自分も一緒に押しつぶされるんじゃないかと感じた。
『人の子の命は短すぎる。子も孫も曾孫も玄孫も、我より早く鬼籍に入りおる』
『それでも普通の人よりはいくらか長う生きますような。……戦の頃は致し方ありませなんだが……』
寅姫は苦しそうに笑った。眼がちょっとだけ赤い。
龍と龍神の心は、一緒になって慌てた。
女の子が泣いているときになんて言ったらいいのかなんて、子供の龍にはまるで判らないことだ。
そして人間でなくて大人な龍神にも、とても難しいことらしい。
龍達が戸惑っていることに気付いた寅姫は、白い着物の袖で軽く目頭を押さえてから、元通りの笑顔を作った。
『さても……。これまでになく幼い、しかもこれまでになかったことに女の童である守人なれど、守人であるからにはその役目を担ってもらわねばなりませぬし、また我らもその願いを聞いてやらねばなりませぬ』
『雨を降らせよと? 無体な事を』
龍神は水の中で胡座をかいた。
腕組みして、首を傾げる。
大分困って、ちょっと怒って、そうとう弱って、かなり迷っているらしい。
龍も首をかしげた。なんで龍神が困っているのか、良くわからない。
「だって、龍神って『カミサマ』だから、雨を降らすことなんて簡単にできるんじゃないの?
だって、水のないところに池を作れるくらいすごい『カミサマ』なんだもの。ちょっと雨を降らせるくらいの事でそんなに困らなくったっていいじゃないか」
龍は口を尖らせた。龍神も同じようにすねた顔をした。
『水は龍脈に沿って流れ進む。
天空より雨と降り、大地に潜り、浸み出でて川となり、野を通り田畑と人を潤し、流れ流れて大海に出で、やがて天に還る。それがまた雨と降る。
いわば、龍脈は始めも終わりもない輪のごときモノ。
新しく流れる水はその実、昨日流れた古い水と同じモノじゃ。
故に、昨日流れ去った水が戻って来ねば、明日降り落ちる雨は無い』
龍神はまるきり、誰かに教え諭すような口ぶりで言ってる。でもその誰かは、目の前の寅姫ではなかった。
その証拠に、龍神は拳で自分の胸をドンと敲いて、こう付け足した。
『この分らず屋の青二才めが』
龍神の拳は、父親の拳骨みたいに龍の頭にごつんと当った。重たくて痛くて、でも暖かくて、ちょっと悲しい。
「誰のことですか?」
龍が言おうとしたのと同じことを、寅姫が訊いた。
『我の中におる、我でない我のことじゃ』
龍神はもう一度自分の胸を、今度は大きく開いた手で、軽く叩いた。龍は大きな掌で頭をくしゃくしゃになでられた気分になった。
『まあ、左様で』
寅姫は子供をあやす母親の顔で笑っていた。
『では我も今一度、我の外にいる、我でない我を諭しに参りましょう。
「お前自身が動こうとしなければ、天も動かぬ」と』
立ち上がり、低い天井に向かって泳ぎだそうとした寅姫を、龍神は引き留めた。
「流れを滞らせたタワケ者本人が動けばよいことじゃ」
龍神が立ち上がる。
よどんだ水が渦を巻いた。
最初はゆっくり、そしてどんどん早く、渦はぐるぐると廻る。
やがて渦は水の中の竜巻になった。