校長先生の授業。
「席についてー!」
クラス委員の女子が大声で言った。
校長先生は出席簿を手にしていて、いつも担任の先生がクラス会を始めるのと同じように黒板の前の教卓の所に立った。
校長先生は、龍のクラスの担任のI先生よりずっと年を取っている。
背丈はそんなに高くなくて、お腹がチョット出ていて、|魚の骨がみっしり並んだみたいな縞模様の背広を着て、縞模様が斜めに入った青いネクタイをちゃんと締めている。
担任のI先生は、龍の両親よりもすこし若い。いつも紺色か青色のジャージのズボンにポロシャツを着て、ジャージの上着を引っかけている。普段はネクタイなんかしない。ちゃんとした背広を着たりするのは卒業式や入学式ぐらいで、授業参観の時だってそんな格好はしない。
だから背広にネクタイを着た人が教卓の天板に手を突いて教室を見回しているという風景自体が、龍にはヘンナカンジに見えた。
「さて、きょうの日直はだれかな? ……授業を始めるよ」
校長先生はにっこり笑って背筋を伸ばした。
当番の児童が起立の号令をかけ、クラス全員がそろわない礼をして、着席するとすぐ、女子の一人が手を挙げた。
「なんで校長先生がいらっしゃったんですか?」
「君たちのクラスの担任のI先生と副担任のY先生が、急用で出かけてしまいました。そこで、今日の午前中の授業は私がかわりに教えることにします」
「校長先生が、授業をできるの?」
誰かがぽつりという。別の誰かが、
「校長先生は先生の中で一番偉い先生なんだから、国語だって算数だって、きっと全部できるんだよ」
こそこそ声で言って、校長先生の顔を上目で見た。
校長先生は苦笑いしながら、時間割をちらっと見た。
「このクラスは、月曜日の午前中に体育と音楽がなくて良かったよ。私は体育と音楽がとても苦手だからね」
児童たちは笑ったり感心したりしながら、校長先生の授業が始まるのを待ちかまえた。
「一時間目は……社会だね。いまは地域学習をやっているとI先生から聞いているのだけれど?」
校長先生がプリントの挟まったファイルと教科書を教卓の上で開いて、少し黙読んでいるときに、
「はい」
一人の児童が手を挙げた。ついさっき「怖い話」をした男子だ。
「はい、どうぞ」
校長先生がその児童を指名すると、彼は椅子を後ろの机にぶつけるくらいに勢いよく立ち上がった。
「この学校を建てるときに、人柱ってやったんですか?」
生徒たちがざわめいた。失笑している者もいたし、言葉の意味が判らなくて回りに訊ねている者もいた。怖がって震えている者は、龍以外にも五、六人はいたっぽい。
校長先生は考えもしない質問にとても驚いたようすだったけれど、すぐににこにこと笑って、
「君はずいぶん難しい言葉を知っているね。意味は知っているかい?」
「人間を地面の中に埋めちゃうことです」
さっきの「怖い話」を運良く聞いていなかった一部の児童達が、
「そんなことしたら死んじゃうよ」
とか
「何で埋めちゃうの?」
などと、周囲の児童達に聞いて回ったりするものだから、教室の中がいっそう騒がしくなった。
「はい、チョットだけ黙って」
校長先生が右の人差し指を立てて、唇に当てた。シーっという息の抜ける音を聞いた児童達の注目が教壇に戻る。
「難しい質問だから、例え話で答えよう。そうだね……」
校長先生はちょっと目を閉じて、すぐに目を開けた。
「……みんなは、普通に何かを頼まれるのと、何かプレゼントをもらって頼まれるのと、どっちがいいかい?
例えば、うちの人にお使いを頼まれるとして、
『なにもあげないけど行ってきなさい』
と言われるのと、
『臨時のお小遣いをあげるからお願い』
と言われるのと、どっちが嬉しいかな?」
児童達は校長先生が何か突然違う話を始めたように思ったりもしたけれど、それでも、
「お小遣い、もらえた方がいいよなぁ」
「なにももらえないなら行かないよ」
口々に言った。
質問をした児童が、
「お小遣いがもらえるほうが嬉しい、です」
と答えると、校長先生は大きくうなずいた。
「そうだね。何かもらうと、頼まれごとを聞きたくなる。校長先生だってそうだよ。
それで、昔の人は
『神様だってプレゼントをもらえば喜んで願い事を聞いてくれる』
と考えたんだ」
「神様に、プレゼント?」
「神様からプレゼントなら判るけど……サンタさんからとか」
「サンタさんって、神様だっけ? 違わないかなぁ」
児童達は目玉と神経は校長先生の方に向けたまま、小声で言い合った。
「サンタさんは神様じゃないけど、それを説明すると長くなるから、それはまた今度にしよう。
とにかく、昔の人は神様にお願いするときにはプレゼントを贈らないといけないと信じていた。
今でも神社にお参りに行ったりするとお賽銭を上げるだろう? あれには、守ってくれてありがとうというお礼と、これからもよろしくお願いしますというお願いの意味がある。
普段だったらお賽銭は小銭で良いけれど、大きな願い事をするときにはもっとたくさんのお供えをした。普段近所の神社のお賽銭箱には五円玉を入れる人でも、お正月の初詣の時にはお札を入れたりするじゃない?
昔の人も、普段以上のお願いごと……たとえばたくさんの人の命に関わるようなとても大きなお願い事や、絶対に成功させなきゃいけない仕事で助けて欲しい時なんかは、チョットのお金やお餅や野菜よりも、もっともっと高価な物をプレゼントにすれば、神様は喜んで手助けしてくれて、願い事が叶うと思っていたんだね。
そうなると、普通の食べ物や飲み物だけじゃ駄目なんじゃないか、と考えたわけだよ。
お侍さんなら大事にしている刀とか、農家やお店をやっている人なら畑仕事や物を運ぶ仕事をするときに必要な牛や馬とか、そういう無くなってしまうと困る物をプレゼントにしていた」
「先生、質問!」
龍の三つ隣の席の男子児童が、手を挙げた。
校長先生が指さすと、彼はイスが飛ぶぐらい勢いよく立ち上がった。
「神様は、見えないし、触ったりできないと思います。どうやってプレゼントを渡すんですか?」
「よい質問だね。……このクラスは、とても良い質問ができる児童がいて、とても素晴らしい。
さて、昔の人も、神様にプレゼントを渡すにはどうしたらいいか、色々考えたんだ。
川の神様だったら、川に流せば受け取ってくれるかな、とか。
山の神様なら土に埋めればもらってくれるかな、とか。
空にすんでいる神様なら、空に届けるために高い山の上に持って行くとか。
それでもっと高いところに贈るには煙に乗せたらいいんじゃないかと考えついた人がいて、火にくべて燃やしたりもするようになった。
お正月のどんど焼きや、お寺のお線香、あと中国では燃やす専用の紙のお金があったりする」
言いながら、校長先生は黒板に何か書き始めた。
白いチョークでぐねぐねとした線を引き、緑や黄色のチョークで色を塗り分け、水色の太い線やゆがんだ丸の形を描き上げる。
児童達はじっとそれを見ていた。
「この町の地図だ」
そう気付いた龍が、気付いたままを口にすると、校長先生は大きくうなずいた。