驟雨《とつぜんのあめ》
居間で母親がくすくすと笑っている。龍は唇を尖らせて、どすんと座った。
目の前に、冷えた麦茶のコップが出された。
琥珀色の液体の中で、氷がころころと音を立てた。
「待ってばかりいないで、自分から電話をかければいいのに」
母親は龍の正面に座って、「ものすごく簡単なことだ」と言う。
「まずY先生に、
『お借りした服の洗濯ができました。いつ返したらいいですか』
って訊くのよ。
それでそのお返事をもらったそのあとで、お友達の……ヒメコさんだっけ?
『ヒメコさんに電話を代わってください』
って頼めばいいじゃない」
「ヤだよ」
龍は小さな声で言った。
そして、もし理由を聞かれたら、正直に「怖いから」とは言いづらいと思い、聞かれる前になんとか誤魔化そうと考えて、
「女子に電話するなんて、恥ずかしい」
と付け加えた。
「そう」
母親はにこにこと笑い、
「夏休みが終わったら、嫌でも学校で先生に会うのだものね。それからでも遅くは無いけれど」
すっと席を立った。
手にしたお盆の上に麦茶のグラスが2つ乗っている。お店に持っていって夫婦二人で飲むつもりなのだ。
そうやって龍を一人きりにするのは、龍自身が独りで「一番良い方法」を思いつくのを待っているからだろう。
「親の心子知らず」ということわざがある。
龍には母親の考えなんかちっとも解らない。
なんとなく放り出されたような、匙を投げられたような、見捨てられたような気がして、とても寂しくなった。
狭苦しい居間の真ん中で、コップの中の氷はどんどん溶けて小さくなっていった。
龍は麦茶が薄まってしまうのが惜しくなった。
おおあわてで麦茶を飲み干して、コップを食卓に置置いた。カランという涼しげで気持ちのいい音がして、氷がコップの底に落ちた。
氷をはジワジワと溶け続けて、冷たい水に変わって行く。
龍の目の前のコップの中で重なり合っていた透明なかけらが、からりと崩れた。
その日、お昼ご飯過ぎまで刺すような感じだった暑さは、夕方に近くなる頃には水気がかまとわりつく感じの蒸し暑さに変っていた。
窓から差し込んでいた痛いほどの日差しが、不意に消えた。
龍が顔を持ち上げると、目の前で窓ガラスが小さく、でも不気味に揺れた。
同時に、雷鳴がした。
音よりすこし遅れて、外の世界が光った。
「ああ、これはまだ遠い……」
店の方で父親がつぶやいた。
途端。
鼓膜が破れるんじゃないかという轟音が、目が潰れるんじゃないかと思う位のまぶしい閃光と、ほとんど同時に鳴り響いた。
龍はびっくりして立ち上がった。母親は耳を押さえてうずくまった。父親はせっかく拾い集めた売り物をもう一遍床にばらまいていた。
でも、床に缶ケースが落ちる音は、龍の所までは聞こえてこなかった。
バケツの底がぬけたみたいに激しい雨が降り出して、屋根やら地面やら窓ガラスやらをバチバチとたたき始めたからだ。