水の操人
龍も何か良くわからないものを見たと言うような目で、男の人を見つめ返した。すると男の人は、ガタガタ震えながら龍に向かって手を合わせた。
「南無法蓮華経、八百万の神等を神集に集へ給い神議に議給い、般若波羅蜜多、オラショ、オラショ、神様仏様龍神様、どうかお助けをぉ」
龍には男の人が何を言っているのかさっぱり解らなかった。だから、
『なんだか良くわからないよ』
と言おうと思った。
ところが、口から出たのは、
「うぬが寅姫を池の底に埋めたる者なるか?」
という、雷鳴のような声だった。
龍はびっくりしたけれど、下の方にいる男の人もとてもびっくりしていていた。
元々お皿のように見開いていた目をもっともっと大きく、目玉がこぼれ落ちるんじゃ無いかと龍が心配するくらいに開いた。それから、血の気の失せた真っ白な顔を何度も小刻みに縦に振った。
龍には何が起こったのか全然判らない。でも龍の口は勝手に動いて、こう言った。
「我は水の操人也るぞ。
龍脈の流れを動かし、この地に水を引きしは、寅姫のたっての望みなれば、我は見返りに姫を所望し、姫はそれに応え、我が妻となりし。
さりとて龍脈をこの地に押さえ続くるに、我が力常にここにあらねばならぬも、さて我らに棲む社ぞなき」
自分の口が言っているらしいのに、龍にはその言葉がさっぱり解らなかった。
解らないのは、どうやら足下の男の人も同じようだった。真っ白な顔、真っ青な唇を不安そうに奮わせている。
龍は自分でもどうしたらいいのか解らなかった。だいたい自分の方が、身体がものすごく高いところにあるらしいと言うことが怖くて、泣き叫びたくなっているというのに、なにもできない。
その時。
『男子がこの程度のことで驚いてはなりません』
その声は、龍のすぐ隣から聞こえた。
声のした方を見ると、そこはやっぱり空中だった。そして声の主は、白い着物を着て、長い髪の毛を後ろでひとつに縛って、赤い口紅を塗っていて、ずいぶん背が高い女の人だった。着ている物も髪型も顔つきも体つきも全然違うのに、龍にはやっぱり、
「トラ」
にしか見えない。
それで、自分で「トラ」の名前をつぶやいたのに、やっぱり龍は自分の口と声が合っていないと思った。
自分の口から出ているらしい声は、まるで台風の風か、大雨の濁流のように、轟々として荒々しい音だった。
解らないこと、奇妙なことだらけだ。龍は不機嫌に首を傾げた。
すると空中に浮いた、元々大人びているのにもっと大人っぽく見える「トラ」が、龍に向かって優しい笑顔を向けた。
その一つの笑顔で、龍はなんとなく安心した。
そのあとで「トラ」は足下で震えている男の人にも同じように笑いかけた。
「我はかつて寅姫という人間であったものです」