嫌われっ子。
口を押さえるてのひらの下で、龍はもごもごと、
「さっき先生が、今年の桃の実は小さいって言ってたから」
恥ずかしいのを隠そうとして、言い訳をした。
答えてくれたのは「トラ」だった。
「大きくても形が変だったり、皮の色がチョット薄かったり、逆に濃すぎたり、少しだけ傷がついてたりする実は、お店にならんでもお客さんが選んでくれない。お店に置いても売れないから、集荷場に持って行く前に取り分けて、自分の家で食べちゃう用にするんだ」
龍はチョット不思議に思った。
色が違ったり傷があったりする桃は、あんまり見たことがない。形が変な桃なんて全然見たことがなかった。
「でも桃って、みんな同じ形をしてるんじゃないの?」
「うん大体はね。同じ形、同じ大きさの実を揃えて箱に詰めた方が、どの箱も同じだけ桃が入ることになるから、揃えちゃうんだ。
だからお店には行かない。お店でだけ果物を見る人とか、お店で買ってきた果物しか見たことがない人は、最初から箱に入らない果物のことなんか知らないんだ。龍だって知らなかったのが当たり前だよ」
「それはそうだけど……」
「葉っぱの影に隠れていると、日陰の所は赤くならなかったりする。
太い枝に寄っかかっていた実は、枝の当っているところがふくらまない。
ちょっと風の吹いた拍子にどこかにぶつかって傷が付くと、跡が残ったりそこだけ凹んだりする。
そういうのは、見た目が『きれいでない』から、お客さんが買ってくれない。
お客さんが買わないものは、お店の人も仕入れない」
一息に言った「トラ」は、その後に、一度唇をぎゅっと結んだ。そしてうつむいて息を吸い込んで、付け足した。
「他のモノと違ったところがあると、みんなに嫌われちゃうんだ」
「じゃあこの桃は、嫌われっ子の桃だね」
龍は言うなり、一番大きな櫛形切りの一切れを口に運んだ。
果肉が少し堅かった。でも噛んだ途端にとろりと溶けた。たちまち口の中が甘い汁で一杯になった。
濃いジュースに変わってしまった桃の実は、するするすとんと喉の奥に落ちていった。
「ふわぁあ!」
龍の口からは感動の声と、桃の甘い匂いがあふれ出た。
龍は次の息を吸うよりも早く、次の一切れを口に入れた。飲み込んで、また桃の香りがする息を吐き出し、すぐに次の一切れにかぶりつく。噛んで飲み込むたびに、龍は桃味の息を吐き出す。
お皿はあっという間に空っぽになった。
龍はお皿を未練がましくじっと見つめた。
お皿に残った果汁がキラキラ光っているのを見ながら、龍は、
「……僕は嫌われっ子の方が好きだな」
ポツッと言った。
呼吸三回分ぐらい後でになって、
「ありがとう」
「トラ」の小さな声がした。
彼女は黒目がちな瞳を潤ませて、にっこりと笑っていた。
どこか変な笑顔だった。龍の胸はとげが刺さったみたいにチクリと痛くなった。
でも、龍には「トラ」が笑った意味がわからなかった。
『ウチの人が作った桃を僕がほめたのが嬉しかったのな』
とも考えたけれど、違う気がする。
それに、我っている「トラ」を見て、自分の胸がチクチクする理由もわからない。
わらないから少し不機嫌になり、わらない理由を尋ねようとしているのに唇が尖る。
「ありがとうって、なんなのさ」
心に刺さったとげみたいな痛みを隠しておきたくて、ワザと「トラ」から顔を背けた。でも、逆にとげはもっと深くまで刺さったみたいで、胸のチクチクが激しくなった。
不機嫌は増す。
「『トラ』はいつもそうだ。僕の知らないことを、僕の分からない言葉で言う。
だから僕は分からない事ばっかりで、頭がくらくらするんだ。
『トラ』は意地悪だ。ずるいよ」
龍は空っぽのお皿を楊枝でつついた。
カチャカチャと、小さな音がする。
『ちがう、ちがう。こんなコトを言いたいんじゃない。こんな風に言いたいんじゃない』
そう思っても、ではどんなことをどんな風に言いたいのか、龍には判らない。頭の中がぐちゃぐちゃになる。心がモヤモヤする。
言いたくない言葉を吐き出すたびに龍の心に刺さったとげが、深く鋭く刺さってゆく。
痛くて苦しくて、息をするのも辛い。
そのうち、鼻の奥までつーんと痛くなった。
やがて鼻の穴がなま暖かくなって、つるりと水があふれ出た。同時に目頭がじんじんして、じわりと水がにじみ出た。
すると自分が泣いてしまったことが悔しくて恥ずかしくなった。心がズキズキする。