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じっとり湿っていて全然乾いていない服。

 (せみ)がジュワジュワと鳴いている。

 生ぬるくて重たい風が、池の表面を渡ってきた。

 空気は土のニオイがする。


 龍は目蓋(まぶた)を開きっぱなしにしていた。

 見たくないのに、その文字から目が離せない。

 見ているのが怖い。目を閉じるのも怖い。

 閉じたらきっと目蓋の裏に「トラ」の顔が浮かぶに違いなかった。


 自分よりちょっと背の高い「トラ」は、多分自分と同い年か、もしかしたら一つか二つ年上ぐらいの年齢だろう、と、龍は思っている。

 そしてお墓の中の子供は、生きていたら自分より一つか二つぐらい年上だ。

 二つのイメージが重なってしまうのが、そして重なったまま離れなくなるのが、龍には恐ろしくてならない。


 龍は目を見開いていた。目蓋(まぶた)痙攣(ピクピク)しても目を見開いていた。目頭のあたりがヒリヒリと痛くなっても、目玉の裏っ側がジリジリと痛くなっても、龍は目を開いていた。


 考えたくなかった……「トラ」と読める文字の名前で自分と年が近い子供と、「トラ」という名前で呼んでいる自分と年の近い子供が、同じ人間なんじゃないかと言うことを。


 彼は思いたくなかった……「トラ」と呼んでいる友達が、本当は「トラ」と読める文字の刻まれた墓の下にいるんじゃないかということを。


 目玉の表面がカラカラに渇いて、視界(見えるセカイ)がチカチカしてきた。

 龍はこらえきれずに目を閉じて、同時に首を引っ込めた。瞬きを素早く何度も繰り返して、強引に涙を引っ張り出して、なんとか目の痛みを減した。それから身体に巻き付けていたバスタオルを放り投げた。

 龍の身体を()らしていた池の水を全部()いつくしてくれていたバスタオルが、重たそうにべっとりと地面に落ちた。

 その後すぐ、龍は木の枝にかかっていた自分の服をひっつかんだ。それはまだじっとり湿(しめ)っていて、ちっとも(かわ)いていなかったけれど、龍は無理矢理に(そで)を通した。


 しめった服を強引に着たものだから、布地(ぬのじ)(なな)めにねじれて、ギュウギュウと体を(しめ)め付けた。

 ズボンは特に(ひど)かった。お尻のところの()い目が変な風に体に食い込んでいる。歩こうとするとしただけでお尻の穴が痛くなった。


 龍は着心地が悪いのや痛いのをがまんして、走り出した。

 とにかくお墓から離れたかった。

 闇雲(やみくも)に池の周りの土手になっているところをぐるりと走る。

 でも、彼は(もと)()たよく判らない装置のある所――取水口(しゅすいこう)――には、なぜか戻らなかった。

 土手が池の水面よりも一段高くなっている方へ駆けて、草の根っこを(つか)みながらよじ登った。

 そっちに何があるのかを、龍は全然(ぜんぜん)知らない。だって、ここには始めて来たのだから、周囲(マワリ)がどうなってるかなんて判りっこない。ただなんとなく、この上に行くのが良いような気がしたから、よじ登った。


 そしてその「なんとなく」は、なんとなく正解だった。


 土手を上りきると、金網(かなあみ)のフェンスがあった。その向こうに太い道路が走っている。

 何台ものトラックがすごいスピードで行ったり来たりしていた。


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