やっぱりここがスタート地点だ。
『ここは、お墓だ!』
そう理解した瞬間、龍はしがみつくみたいにバスタオルを抱きかかえて、跳ね起きた。
怖い。
目玉の端っこで、白い物が揺れたように見えた。
「うわぁ」
びっくりした声が、龍の喉の奥の方から出た。
『幽霊が出た!』
龍の胸の中で怖さが大きく膨れ上がった。でも同時に、興味も湧いてきた。
龍はそうっと白い物が揺れた方向に視線を移した。
木の枝に掛かった濡れたシャツとズボンが掛かっている。それが池を渡ってきた重たい風になびかされて揺れている。
「なぁんだ」
龍は、自分の声を聞いた自分を落ち着けるために、わざわざ大きな声で言った。
自分のお陰でちょっと安心した龍だけれども、すぐに、
『今見えたのが幽霊じゃなくても、他に幽霊がいないとは限らないぞ』
と思って、また怖くなった。
『だって、ここはお墓じゃないか。死んだ人がたくさんいるところだぞ』
龍は背中を丸くした。バスタオルを抱きしめ直して、もう一度ゆっくりと周りを見回した。
動く物は風に吹かれた木の枝や草の葉、お墓に供えてある線香の煙、水面に弾かれた太陽の光。
他には何もない。
薄暗い木陰に、人間は自分一人きりらしかった。
龍は急に心細くなった。あまりに寂しいので、
『幽霊でも良いから誰か側にいて欲しい』
とさえ思い始めた。
心細くて、何かにすがりたくなった龍は、なんとなく祠に近づいた。人がいなくても、人が作った物であれば、その近くにいた方が寂しくない様な気がした。
祠の前には小さな浄賽箱と小さなテーブルみたいな祭壇があった。
祭壇の上には紙の束が置いてある。紙が風に舞わないように、とぐろを巻いた蛇みたいな龍の形をした金属の塊が乗っけてあった。蛇みたいな龍の形をした文鎮の頭の天辺には穴の通った出っ張りがあって、そこに色褪せた紫色の紐が結びつけられている。
蛇みたいな龍の形をした置物には、茶色く変色した大きめの付箋が張り付いていた。
そこにはものすごく上手な文字が書いてあった。
「寅姫様御身代札
思い込めて人型に抜きて龍神に祈念し
水にお流し下さい
お気持ちは浄賽箱へ
辰寅社禰宜」
ちょっと難しい字が並んでいる。でも「龍」は自分の名前だから読める。夏休み前に図書館で調べたから「寅姫」という文字も読める。
「祈念」とか「浄財箱」とかは読めないけれど、神社やお寺なんかで似た文字をチョット見た覚えがあるから、それも「願い事」とか「小銭を投げ入れる箱」だろう、ぐらいの理解度で意味がわかった。
「辰寅社禰宜」の「辰」の字は、どこかで見たことがあるような気がするけど、どこで見たかはわすれた。
「寅」は読める。「社」も解る。
「禰宜」は読めない。特に「禰」の字は画数が多すぎて、
『もしかしたら字じゃないのかも知れない』
なんてと思ったりした。
(本当はちゃんとした漢字だということを龍が知るのはもっと先のことだ)
龍は置物をすこしだけ持ち上げて、紙を一枚引き抜いた。
学校のプリントよりもずっとかすれた印刷……もしかしたら版画か、大きなハンコかも知れない……で文字が書かれた四角い紙には、薄い色で人型の線が引いてあった。
線は少し凹んでいる。そのところだけ髪が薄い感じがした。
凹みに沿って千切れば、手でも簡単に人型にくりぬけるようになっているらしい。
「そうか、ここがやっぱり御札が流れはじめる場所なんだ」
誰かがここで何かを念じながら人型の御札を池に投げる。雨が降って池の水が増えると、御札は川に流される。流れて流れて、翌々日ぐらいには、あの川瀬にたどり着く。
一つ謎が解けた気がした龍は、ほんの少しすっきりした気分で池を眺めた。
でもそのすっきりは、すぐに別のもやもやで覆われてしまった。