悲しそうな人は悲しそうに立っている。
龍は『「トラ」に似た人』に抱きかかえられて、銀色の「龍」の背中に乗った。
大きな蛇みたいな「龍」は勢い良く上へ昇ってゆく。
龍にはとても遠くに思えた金色に光る水面を、「龍」は簡単に突き抜けた。そしてそのまま十メートルくらい空中に飛び上がった。
池の上に広がる空は真っ暗だ。太陽も月も星も、町の明かりだって見えない。
カラカラに乾いた風が、カサカサに乾いた木の葉を巻き上げながら吹いている。
龍はそおっと下を見た。
足のうんと下の方に、丸く切り抜かれたような形の「渇いた地面」があるのを見た。
龍の頭は混乱した。
自分は確かに池に落ちて沈んだはずだった。
池の底から高く飛び出したとしたら、足の下に見えるのは池の水面じゃなきゃオカシイ。
でも真下に見えるのは、幼稚園の頃に遊んだビニールプールを何十倍にも大きくしたような、まん丸の形に地面をくり抜いて、うんと掘り下げた地形だ。
龍はちょっと身を乗り出して、足下の不思議な地面をもっとよく見た。
乾燥した黄色っぽい色の丸い地面のへこみの真ん中に、そこだけじっとりとしめった焦げ茶色の土が、ほんの少し盛り上がっている。
その「土饅頭」のすぐ近くに立つ人影があった。
薄い緑の混じった灰色のきれいな着物を着ている。長い灰色の髪はバラバラにほどけていた。
真上から見下ろしているから、顔が見えない。
だからそれが男の人なのか女の人なのか、龍には判らなかった。
泣いているのか、怒っているのかも判らない。
ただ、その人の立っている格好から……肩を落として、ぶらんと両手を下げて、首を下に向けている姿から……その人はとても疲れていて、とても悲しくて、とても辛いのだということは解った。
「……」
龍の背中の方から小さな声がした。あわてて振り返ると、「トラ」によく似た大人の女の人は寂しそうにその人を見つめていた。
「よく聞こえなかった」
もう一度言ってとせがむと、大人の「トラ」は寂しそうに笑った。
「自分の知らないうちに、自分の大切な物を、自分自身で『壊して』しまったということに気付くと、人は自分の心を自分で壊してしまうの」
声は聞こえるようになったけど、言葉が難しすぎて、龍には「トラ」が何を言っているのか、結局よくわからなかった。
龍は目を瞬かせた。
目蓋を一回閉じるたびに辺りがぐんぐん暗くなる。見えていた物がどんどん見えなくなっていく。
直ぐ側にいる大人の「トラ」の顔も、どんどんぼやけて、だんだん見えなくなる。
龍はあわてて目の回りを腕でこすった。目玉がぐりぐりして、頬骨の上がひりひりする。
そっと目を開くと、あたりは薄暗い闇に包まれていた。
じっとりと湿っていて、お線香の匂いのする風が、ほっぺたの上を通って行った。
もう一回、龍は瞬きをした。
ぼんやりと明るい。
一度目をぎゅっと閉じて、それから目をそっと開けた。
龍は明るい光の中にいた。
「あれ?」
龍の体は、木陰の草むらの上で横になっていた。
シャツとズボンと靴が脱がされていて、その代わりに大きめのバスタオルが体を覆い隠していた。
身を起こすと、石でできた鳥居が直ぐ近くにあるのが見えた。その鳥居の向こう側で、池の水面がちらちらと光っていた。
龍は周りを見回した。
小さな人形の家みたいな形をした古びた祠がある。
小さな石塔がいくつも建っている。
小さな菊の花束がたくさん飾って|ある。