歩こう。
龍はお気に入りの青い野球帽を目深にかぶり直した。
首に自分の家の屋号と電話番号の入った薄いタオルを巻き付ける。。
夏休み前に新しく買ってもらったスニーカーの紐をきつく結び直した。
「よし!」
龍は自分自身にかけ声をかけた。そうやって決意を固めた自分の心を奮い立たせてから川上に向かって歩き出す。
小さな丸い石と、ちょっと大きなごつごつした角がある石が、足の裏の下でガリガリと鳴った。
一歩進む度に、藻がへばりついたまま乾いてしまっている「地面」と、ちょろちょろ流れる川の水の間から、青臭い匂いが立ち上る。
時々石ころの間で何かが光るのが見えた。
『もしかして、水晶かな』
前に「トラ」が拾い集める石の中に挙げていた鉱物の名前が頭に浮かんだ。
拾い上げて、日に透かして見ると、
『ガラスだね』
頭の中で「トラ」の声がする。
確かによく見るとそれは全部が角が丸くなりかけたガラス瓶のかけらだ。
透明だったり、茶色だったり、青だったりする瓶のかけらは、とてもキレイだった。
でもこの日の龍は、
「水晶じゃなきゃ、要らない」
という気分だった。
だから、川岸のできるだけ端の方――誰かが自分みたいに川岸を歩いても、踏んづけたり拾ったりしないような所――へ投げた。
そしてまた、龍は歩き始める。時々立ち止まってガラスのかけらを拾っては投げて、また歩いて、をくり返す。
どれくらい歩いただろう。周りの景色が変わってきた。
両岸の上に新築のこぢんまりした家や、コンクリートのビルがぎっちりと立っている様が見え始め、同時に蘆や干からびた雑草の生えた「地面」がなくなっている。
この川は古くからよく氾濫したそうだ。だから何度も護岸整備の工事が行われている。
江戸時代とか、明治時代とか、大正時代とかの大昔に工事をしたところは、石垣になっている。昭和の初めの方、龍が生まれるよりも昔に工事をしたところは積んだ石の隙間をコンクリートが固めているみたいになっている。
龍が生まれたより後に工事したあたりは、全部コンクリートで固められている。
特に川の両岸が住宅街になっているところは、しっかりと工事されていた。うんと古い時代に積んだような石垣もあるけれど、そうじゃないところは岸だけでなく川底の半分ぐらいまでコンクリートで平らに整えられていた。
もしかしたらコンクリートでないように見える部分も、川上から押し流されてきた土や石ころや水草やコケで覆われて見えないだけで、コンクリートが打ってあるのかもしれない。
……かもしれないけれど、見えないから本当はどうなっているのか、龍には解らない。
コンクリートの護岸の、龍の膝から踝ぐらいの高さに、緑がかった茶色の線ができていた。
いつもならこのあたりまで川の水があるということだなと、龍は思った。
一ヶ月ぐらい雨がない日が続いている今だから、龍は新品の靴をぬらさずに川を遡ってゆけるけれど、フツウならそんなことはできないはずだ。
コンクリートの壁に囲まれた川の様子を見て、龍には舗装道路の脇の細い側溝を思いだしていた。
家の前の側溝は、年に一回、自治会で金網みたいな蓋を持ち上げて「ドブさらい」をやる。道路の雨水を流すのが主目的の側溝を天気が良い日にさらって出てくるのは、とても細かい砂と、カラカラに乾いた枯葉と、駄菓子の袋と、タバコの吸い殻だ。
龍は、蓋の持ち上がらないところを逆さにのぞき込んで、何か大きなゴミが詰まっていないかを確認した事がある。
まっすぐな側溝の中の蓋の持ち上がらないところは薄暗い。その少し先で蓋の持ち上がったところには日の光が差して明くなっている。
暗いところと明るいところを繰り返しながら、側溝はどこかに続いている。
もし自分が小人になって、側溝の中を歩いたら、今の自分が見ているような景色になるのかもしれない――。
そう思って、龍は
「まるで大きな側溝の中を歩いているみたいだなぁ」
普通に喋る位の声の大きさで独り言にいった。もちろん誰も返事をしてくれないし、誰からの同意もない。
龍は誰もいない川岸を、川上に向かって歩いた。