夏休みの自由研究。
その日の給食に、揚げパンとコーヒー牛乳の素が出たと言うことが、龍の記憶に残っている。
でもそれ以外のことはあまり覚えていない。
何の授業をしたのか。放課後はどうしたのか。
朝から学校に人がたくさん集まったり、救急車が来るような大騒ぎがあったのだから、学校のすぐ近くにある家に帰った後で両親とそのことを話した筈なのだけれども、話したかどうかを覚えていない。
翌日になって、担任のI先生と副担任のY先生がちゃんと一時間目から普通に授業をしたのは間違いない。
前日の騒ぎ――白髪のお年寄りのことや、救急車で運ばれた子どものことを、先生方に聞いた児童が間違いなくいただろうし、先生方がなにか説明をしたに違いないのだけれど、それも思い出せない。
龍が細かい出来事を思い出せないくらいの「フツウな日々」が、前の日にまるきり何もなかったみたいに、いつも通りに始まった。
テレビや新聞に水不足のニュースばかりが取り上げられる、ジリジリと暑い日が続いて、梅雨入りや梅雨明けの宣言がないまま、夏休みになった。
休みの間中、龍は毎日あの川岸に通った。
川原は生臭い匂いがした。岸辺の草はぐったりとしおれている。干上がった元川底に、鮒か鯉らしい魚の死骸が転がっていた。上空で鳶と烏がケンカをしているのは、その死骸を奪い合ってのことみたいだった。
一ヶ月以上も雨が降らない日が続いているから、川の水かさはとても減っている。
龍が来る度に水位が下がっていた。いつもはほとんど水の中に浸かりっきりの大きめのゴツゴツ岩が、乾いた無人島みたいに川の真ん中に露出している。
川幅がドンドン狭くなって、水はだんだん緑っぽい色によどんでゆく。それにつれて生臭さい嫌な匂いが日増しに強くなる。
地元の新聞が、一面の一番目立つところに「タンク車の回りにたくさんの人が集まっている写真」を載せていた。龍の住んでいる町の二つばかり隣の町では給水制限が始まっていて、水道から水が出なくなってしまったから、給水車というタンク車で飲み水を運んで、みんなに別けているのだ。
そんな日でも、龍はあの川に行った。
川はなんとかチョロチョロと流れていた。
広くなった岸に生えている蘆や薄は、しょぼくれた黄緑色になっているけれども、まだ生きている。狭まった川底の砂利の間に、小鮒や川蝦や浅瀬虫なんかが、身を縮こめて生きている。
龍は朝早くに川にやってきた。家を出るとき、両親には「友達のところへ行って一緒に夏休みの宿題をやる」と説明した。
『ウソじゃないもん。もし「トラ」がいたら、一緒に「自由研究」をやろうって話すんだ』
言い訳じみた願望を持って、龍は川まで来た。
でも「トラ」はいない。
昨日もその前もその前も、夏休みが始まってから毎日川原へ来ているけれど、一度だって「トラ」には会えていない。
普段より広い川原に下りて、龍はなんとなく川上を眺めた。
ぼんやりしていと、不意に、
「そういえば、この川はどこから流れてるんだろう?」
という疑問が頭に浮かんだ。
川がどこから始まるかなんて、龍は今まで一度だって考えたことがなかった。
始まりが解らないだけじゃない。
夢中で集めていたあの御札――今はその存在が怖くてたまらない――が流れだす最初の場所の事だって知らない。