とても優秀な小学生。
龍の脳味噌がチョット混乱した。
『あれ、四十三人だったっけ』
二年生の時に一人転入生が来て、四年生の時に一人転校したから……。
指を折りながら足し算と引き算をする。
そうやって何度数えても、
「四十三人」
龍の口から漏れた数を校長先生がどう思ったのか、龍には判らなかった。
ただ龍の顔を見た校長先生は、
「君は、友達を作るのが上手いんだね」
安心したような、それでいて困ったような笑顔のまま、二、三回うなずいた。
時計の長針がかちりと動いた。天井のスピーカーが振動して、四時間目の終わりのチャイムを響かせる。
校長先生は腕時計をちらりと見た。
「ああ、もうお昼だね」
「もう!?」
思わず声を上げた龍だったけれども、そのすぐ後で、
「あれ、まだ……?」
まるきり反対のことをつぶやいた。
今日は朝から色々なことがありすぎた。ちゃんとした授業は一時限だってやっていない。ちゃんとした休み時間だって一時間目と二時間目の間にあったぐらいで、それだって教室から図書室への移動時間で大半が潰れてしまった。
四十五分間緊張して、五分間ホッとする繰り返しをちゃんと四回やらないと、給食の時間が来た感じがしない。
図書室から運び出されて治療が終わったのもついさっきのようだったし、「トラ」が救急車に乗せられるまでの時間も、校長室にいた時間だって、そんなに長くなかったように、龍には思えた。
だからまだお昼の時間だという実感がわいてこない。
だけれども――。
今日は朝から色々なことがありすぎて、なんだかあっという間に時間が過ぎてしまった気もする。
朝早くにお婆さんが学校に押しかけてきたり、突然担任の先生がいなくなったり、校長先生が授業をしたり、図書室で(また)倒れたり、「トラ」が救急車で運ばれたり。
何年分ものビックリを経験したみたいで、とても半日しか時間が経っていないとは思えない。
龍はおなかをさすった。
おなかが減ったという感じもしない。
実は、救急車が来てくれるまでとても時間がかかっていたことに、龍は気付いていなかった。
泣き叫び続けて喉がガサガサになるくらい長い間校長室にいたことも解っていない。
本当の時間が判らなくなるほど頭が混乱してしまったから、腹時計の方も調子が狂ってしまったらしい。
「君、今週は給食当番になっているかな?」
校長先生の質問に、龍は首を横に振って答えた。
「それなら、もう少しゆっくりしていってもかまわないね。もし君が『教室に行きたくないない』と思っているなら、ここで給食を食べても良いんだよ」
「え? 自分の教室以外で給食を食べても良いんですか?」
龍は瞬きをして、小首を傾げた。
校長先生は静かにうなづく。
「学校へ来ても、どうしても教室にいるのが嫌な人は、教室以外で食べても良いんだよ。
ただ、誰にも何も言わないで勝手に出かけて行ったらこまるから、担任の先生には言っておいた方がいいね。
それど、図書館やお手洗いで食べてもらっちゃ困るかなぁ」
校長先生の言葉は、龍にはとても衝撃的だった。
彼にとって給食の時間というのは、教室でみんなと一緒に食べれば嫌いなおかずだって平気で食べてしまえるくらい楽しいものだった。
給食を教室以外で食べることを想像することができないし、給食を教室で食べるのが嫌な子供がいるなんて信じられない。
龍はぽかんと口を開けて、校長先生の顔を見た。
校長先生は優しく笑った。
「君は……とても優秀な小学生だね」
龍の口はますます大きく開いた。
国語も算数も社会も理科も音楽も図工もどれも、胸を張って得意と言う科目はない。
通知表はどの科目でもだいたい三だった。
何年生の頃だったか忘れたけれど、三学期のおしまいの通知表を渡された後、その時の担任の先生に呼ばれて、誰も居ない廊下の隅っこで、
『算数の成績は二に近い三で、国語は四に近い三だから、それぞれもう少しずつ頑張ろうな』
とそっと言われたことがある。
他の科目だと、図工と体育で四と書いてもらったことが一回ずつあったけれど、五は一回ももらったことがない。
つまり、龍は大体の科目が真ん中ぐらいの成績で、取り立てて苦手なことがない変わりに、取り立てて苦手なこともない。
『勉強でほめられたことって、あったっけ?』
龍は小学校に入ってから今までのことをできるだけ思い出そうとした。
この間怪我をして入院するまでは遅刻も欠席もしなかったから、去年までは毎年皆勤賞の賞状を貰っていた。。
それと、毎年夏休みの自由研究で毎日天気を観察し続けて大きな模造紙に一覧表にまとめたのを提出したら、金賞を貰えた。
それ以外にみんなの前で褒められた、なんてことは、
『思い出せないや』
そんな自分だから、優秀なんて言葉は、全然関係ないものだと思った。
なんと返事をして良いのか判らなくて、龍はまるで酸欠の金魚のように口を開けて校長先生を見た。
校長先生は相変わらず優しい顔で笑っていたけれど、
「君は教室に戻った方が良さそうだね」
と言った声は、ちょっと淋しそうな感じに、龍には聞こえた。