カエルが言うには
クランベリーの収穫が始まったのは、庭の落葉樹がすっかり色づいた頃だった。
マケット夫妻が運営していた果樹園にあるクランベリーの収穫を、麦の種まきを終えた農家たちに頼んで行うことになった。果樹園は広く、ネーヴェとアクアたちが管理だけはしていたというがさすがに収穫は彼らだけではしきれないため、ネーヴェが村で声をかけたのだ。
少し時期の遅い収穫だったのであまり出来は良くないという話だったが、つやつやとした鮮やかな赤い果実はすぐにカゴを真っ赤に埋めた。
手摘みの作業だということで、ミレアたちに混じってフィオリーナも手伝っている。
手伝いになっているかと言われれば、フィオリーナがひとつの木を摘み終えるころにはミレアはもう次の木を摘み終えているので、あまり役には立っていない。
摘む作業は面倒だとカゴを運ぶ役となったネーヴェは「ゆっくり摘めばいいんですよ」とサボり気味だ。
「もっと低地で湿地にあるようなところでは、クランベリーの収穫のときには畑を水でいっぱいにするそうです」
「まぁ。畑を?」
赤い実をより分けて摘みながらフィオリーナが声を上げると、ネーヴェはうなずいた。
「クランベリーは水に浮くので、舟から棒でつついて茎から実を離す作業をしたあと、網ですくうんだそうですよ」
クランベリーでいっぱいになった水面をまるで漁でもするかのように網で囲って収穫するのだという。
「収穫の時期はクランベリーの湖があちこちにできるそうです」
真っ赤に染まった湖はさぞ不思議な光景だろう。
「ここもそんな風にできれば良かったんですが、向こうはリンゴ畑なんですよ」
ネーヴェが指したのはクランベリー畑よりも奥にある木々だ。
「リンゴの木は成育まで時間がかかりますからね。マケット夫妻が丁寧に育てていたので、そろそろ実が成るとは思うんですが」
今年は実ができているか確かめてみるという。ネーヴェはあとで見に行くのだと言って、たなごころに載せるように見えないリンゴを転がした。
「これぐらいの、手のひらに載るような小さいリンゴの実が成るんですよ。収穫したらよくシードルを作っていますね」
「シードルを?」
シードルはリンゴを発酵させて作るお酒だ。発泡水とも呼ばれていて、飲めば口の中でぱちぱちと泡がはじけるという。
だがこれは庶民の酒と呼ばれていて、フィオリーナは仲の良かった使用人から話を聞いたことがあるだけで口にしたことはなかった。
「シャンパンのようなものでしょうか……シードルは飲んだことはないのです」
「では、一度飲んでみればいいですよ。案外おいしいものですから」
どこからシードルを手に入れるのか、ネーヴェに尋ねようとしたところで遠くの木から「おーい」と呼ばれた。
「いちゃつきながらでいいから、手を動かしなよ」
ミレアがはるか向こうの木から叫ぶので、周りからも笑い声が上がった。
フィオリーナは思わず顔を赤くするというのに、ネーヴェは肩をすくめて「はいはい」と言ってカゴを持ち直す。
「では、またあとで」
ネーヴェはフィオリーナの額をかすめるようにして言って、他の木の下にあるカゴを引き受けていく。
「何かあった?」
クランベリーの木の陰からミレアがひょいと顔を覗かせた。驚くのもそこそこに、フィオリーナはすこし視線をそらせた。
「……何もありません」
何もないことが不思議なほど何もない。それをいくらフィオリーナがどことなくもどかしく思っても。
「ふーん」
ミレアはそう疑いの目を隠しもしないで、フィオリーナのとなりでクランベリーを摘み始める。
「口を挟むつもりはないけどさ」とカゴにばらばらとクランベリーを放り込んで、ミレアは笑った。
「悩むのはいいと思うよ。考えるのはいいことだ」
「……悩むことは、良くないことなのでは?」
フィオリーナが手元から顔を上げると、ミレアがこちらを見ていつものように朗らかに笑う。
「考えすぎが良くないだけさ。悩んで考えていればきっといい答えが見つかる。そう信じたほうがいいだろ」
さっぱりとしたミレアの答えは彼女の持論だろう。けれど、そう考えたほうがフィオリーナの心も軽くなる気がした。
少しフィオリーナが明るく微笑むと、ミレアも安心したように微笑んでくれた。もしかしなくても、考え込んでいたフィオリーナを心配させてしまったのだろう。
「お姫さまー!」
きゃらきゃらと甲高い子どもの声で顔を上げると、三人ほどの子どもたちがフィオリーナの前へと集まってきた。
「お姫さま?」
フィオリーナが尋ねると、子どもたちは「うん。お姫さま」とうなずく。
「母ちゃんがね、領主さまの家にお姫さまが住んでるって」
「お姫さまだなんて光栄だわ」とフィオリーナは思わず笑ってしまった。フィオリーナを姫と呼ぶ人は大勢いるが、どの人もフィオリーナに身分を思い出させるために使う。だから、こんな風に目を輝かせて呼ばれたことはないのだ。
「こうえい?」
「嬉しいってことさ」
光栄の意味を取りかねた子供に言って、ミレアはにやりと笑った。
「だからこんな優しいお姫さまにイタズラは止しな」
ミレアに言われた子供は、繕うように笑っておずおずと隠していた手を差し出した。
「まぁ、可愛いカエルね」
子供の両手に諦めたようにおさまっていたのは、大きなカエルだ。
フィオリーナがカエルを眺めて言うと子供たちは目をぱちぱちとさせる。
「カエル、平気なの?」
「オレのねーちゃん、見ただけで叫ぶよ!」
くちぐちに話す子供にフィオリーナは笑った。
「庭によく居るの。目が可愛いわ」
そうだよね、と子供たちとはしゃいでいると、ミレアがあきれ顔で笑う。
「弟の嫁さんも飛び上がって逃げるよ。何で平気なんだ?」
「実家の庭にもよく居ましたし……昔から平気なの」
そういえばフィオリーナの姉も母もカエルは苦手だった。だから城館の周囲で兄と遊ぶのはいつもフィオリーナだった。
「何かあった?」
騒ぎを聞きつけてきたのか、ネーヴェが空のカゴを持ってやってきた。
「見せてやりなよ」
ミレアがカエルを捕まえている子供をけしかける。
こういうやつほど案外苦手かもしれないしね、とミレアがフィオリーナに耳打ちした。意地の悪いことだと思ったが、ネーヴェの苦手なものには興味を隠せなかった。けれど、
「領主さま! これ!」
子供が元気よくカエルをネーヴェに掲げたが、彼は表情も変えずに首を傾げた。
「食べるのかい? 冬眠前だからマシだけど」
可食部分は少ないがよく餌を食べているからまだマシだ、とネーヴェはあまり知りたくもなかった知識を披露してくれただけだった。
オルミ領は昔から貧しい村だったが、食べ物だけには困らない地域だったという。
「だからカエルを食べる習慣はないよ」
カエルが食べられるのだという知識を身に着けてしまった子供たちは親たちの元へ散っていき、ミレアは呆れ顔で言い残して次の木へ移った。
「他国では旬の食材として有名らしいですよ」
「……美味しいのでしょうか」
ネーヴェは「さぁ」と少し笑う。
またフィオリーナのとなりでネーヴェは寛ぐつもりらしい。
ネーヴェはのんびりとフィオリーナに倣って果実をもいでは指先でもてあそぶ。
「適当に捕まえて食べてみましょうか?」
「……やめてください」
フィオリーナが曖昧に返事をすればネーヴェは迷わず実行してしまう。ここはきっぱりと断った。せっかく冬越しに向けて懸命に太ったというのに、興味本位で食べられてしまってはカエルのほうも迷惑だろう。




