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指先が言うには

 応接間でホットミルクを飲むことにしたフィオリーナについて、ネーヴェも火の始末をしてからワインボトルとグラスを持ってやってきた。

 マグカップを手でくるみながらホットミルクを飲むフィオリーナの対面で、ネーヴェがワイングラスに白ワインを注ぐ。

 元からそれほどフィオリーナにあまり隠し事をしないネーヴェだが、最近はもっと手の内を隠さなくなっているような気がした。白ワインを飲むことも、煙草を吸うことも、配慮はしてくれるけれど遠慮はしない。

 大きな手がワイングラスを器用に持つと、テーブルの上のランプの灯りがぼんやりとグラスの中に映った。


「どうしました?」


 じっと見ていたフィオリーナに笑って、ネーヴェはグラスを傾ける。

 見つめていればネーヴェにはすぐさとられてしまうのだ。素直に白状することにする。


「……ネーヴェさんは器用だなと思って。そんなに大きな手でどうして細かい作業ができるのですか?」


 フィオリーナが白状すると、ネーヴェは楽しげに笑ってワインを飲んだ。


「しぜんと手の大きさに見合うことを選んでいるんでしょう。あなたが得意な刺繍なんて、私には針を持つことも難しいですよ」


 言われてみれば、フィオリーナの手でちょうどいい針と糸ではネーヴェには小さすぎるだろう。


「私の手なんていくらでも見てください」


 苦笑しながら、どうぞと差し出された手は痩身に見合ったしなやかな形をしているが、節くれ立ってごつごつとしている。

 本当にどうしてこんなに大きな手があんなに器用にマッチを擦ったりできるのか。


「……触ってもいいですか?」


「ご自由に」


 ネーヴェの許可をとってフィオリーナがそっと触れてみると、形はきれいなのに皮膚は分厚く硬い。


「こんなに大きいのに器用でうらやましいです」


 フィオリーナがそうこぼすと、長い指先がフィオリーナの指先を軽くすくった。


「それを言うなら、あなたのほうが不思議ですよ。……こんなに小さくて細い指が、よく手綱なんて握っていましたね」


 フィオリーナのひとさし指を大きな親指がつるりと撫でる。

 その確かめるような仕草がやけになまめかしく感じて、フィオリーナはとたんに逃げ出したくなった。


「……すみません」


 ふわりと解くようにしてフィオリーナの指を放すと、ネーヴェは苦笑してワインを飲んだ。


「……私はあまり約束を守れないようなので、嫌がってくれると助かります」


 菫色の瞳を伏せて、ネーヴェは自嘲するようにソファの背もたれにもたれる。


「嫌だなんて……」


「怖いと思うでしょう?」


 言い掛けたフィオリーナを遮るように言って、ネーヴェは口の端を上げた。


「……嫌だと思ってくれないと、困ります」


 まるで自分に言い聞かせるような言葉だ。

 ネーヴェがただの大きな猫ではなく、凶暴な狼の一面を持っていることはフィオリーナも知っている。それでも、彼から遠ざかりたいとは思えなかった。


「……ネーヴェさんにされて、嫌なことなんてありません」


 フィオリーナが釈然としない気持ちをそのまま言葉にすると、ネーヴェは前髪をかきあげて溜息をついた。


「……あなたは男が馬鹿だということを知らなさすぎる」


 そう言って、うなだれるようにしてワイングラスに白ワインを注ぐ。食事はゆっくりととるネーヴェにしてはペースが早いが、そうしていないと良くないことが起こるかのように緩める気配がなかった。


「私も、あなたの元婚約者と同じなんですよ」


 記憶の外へ追いやっていた元婚約者のことを持ち出してこられるとは思っていなかった。


「……ネーヴェさんは、あの方とは違います」


 フィオリーナの顔がこわばるのを、ネーヴェは困ったように見つめた。


「いいえ、同じです。……ずるくて、馬鹿な男です。違うように見えるのなら、あなたが私に甘いだけですよ」


 ネーヴェはそう吐き捨てるように言って、手にしたワイングラスを回した。


「もし違うところがあるとすれば……」


 とろりとした白ワインがグラスの中でゆったりと回る。それを自嘲した形の良い唇が流し込むように飲み干した。


「……私は、あなたに嫌われたくない」


 自嘲が思わず洩れたような呟きだった。

 だから、とネーヴェはいつものように苦笑する。


「これからも逃げてくださいね。……あなたに嫌われたくないので」


 矛盾しているというのに、フィオリーナはいつかクリストフに言われたことを思い出していた。

 ──君は狼の腹の中にいることを自覚したほうがいい。

 ホットミルクはすっかり飲んでしまった。

 ネーヴェが入れたスパイスのおかげだろうか。体が温かくてぐっすり眠れそうだった。

 フィオリーナはネーヴェの言葉には答えないで、そろそろ寝ようと思うことを伝えると、ネーヴェは素直にうなずいた。


「おやすみ、フィオリーナ」


「……おやすみなさい」


 フィオリーナを見送った菫色の瞳はいつものように穏やかだったが、もうまどろんでいる猫のようには見えなかった。

 何事も射貫き見透かす瞳は、まるで野生の狼のように見えた。 

 




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