軍馬が言うには
軍馬は速かった。
そしてマーレの猟犬も馬に負けないほど速く、軍馬の前を迷うことなく駆けていく。
静かな村の脇を疾走する馬を驚くようにして見ていた人もいたが、あっという間に追い越した。
街道を抜け、山道を抜けて、小高い丘を下ると、やがて牧草地が広がった。羊たちがのんびりと草をはんでいる。遠くに家々が見えて、その先には海が見える。きっとあれがもう一つの海が見える村なのだ。
その牧草地の先に崖が見え、猟犬はその麓へ一目散に駆けていく。
フィオリーナも馬首を巡らせて猟犬を追う。
少し林になった崖の下で猟犬にまとわりつかれているのは、今朝見送った長身だ。
「ネーヴェさん!」
馬の足音に気付いて顔を上げた顔が驚いたように目を丸くする。
馬を降りるのももどかしくて、フィオリーナは馬上から叫んだ。
「鉱山跡で崩落があって、子供が巻き込まれたようなのです。ミレアが知らせてくれました。今はマーレがブラッドリーさんを呼びに向かっています」
事情をすぐ飲み込んだのか、ネーヴェは「わかりました」と手に球体を作り出した。そこから大きな鴉がばさりと生まれたかと思えば、あっという間に三羽に分かれて飛んでいく。
「マーレたちとはあれで連絡がとれます」
ネーヴェの言葉にフィオリーナはひとまずホッとする。
「では、この馬で崩落現場まで……」
行ってください、とフィオリーナが馬を降りようとするが、ぐっと手綱をつかまれた。
「このまま行きましょう」
鐙も使わないで、ネーヴェは馬に飛び乗った。どういう運動神経をしているのか、ほとんど助走もしていない。
相乗り用の鞍でもないので、フィオリーナはほとんど抱き込まれるような形となる。
「これを持っておいてください」
ザックを寄越されたかと思えば、ばさりと着せられたのはネーヴェのコートだった。鐙はまだフィオリーナが足をかけているから、ネーヴェは膝だけで馬体に乗っているようだ。
「少し飛ばすので、つかまっていてくださいね」
そう言うので鐙をフィオリーナが明け渡すと、ネーヴェは手綱を素手で取る。
ネーヴェがゆっくりと馬首を巡らせたかと思えば、小気味いい音を立てて手綱を打つ。すると今まで猟犬を追って走っていた馬が力をみなぎらせるようにして走り出す。
フィオリーナが走らせていたときよりもずっと重い蹄の音だ。牧草地を瞬く間に駆けて、速かったはずの猟犬とほとんど並んでいる。
みるみるうちに景色が変わる。風で目が痛くなるほど速いというのに、フィオリーナを支えるネーヴェの体はひとつも揺らがなかった。馬を走らせることを熟知した人の走り方だ。
横目で振り返れば、葡萄色の髪を風に任せて、まっすぐ前だけを見ている顔が下から見えた。
いったいこの人にはいくつ知らない顔があるのだろうか。
きっとまだフィオリーナが知らない顔をいくつも隠している。
馬はあっという間に来た道を駆け戻り、丘を上がる。草地のなごりを抜けて砂利だけの道を駆け上がると、鉱山が見えてきた。問題の崩落現場は村から一番近い坑道のようだった。
すでに大勢のひとが集まっている。
ほんの手前でネーヴェは馬を停めると、自分が先に降りてから、ほとんど当たり前のようにフィオリーナを抱え降ろした。
そこでようやくフィオリーナの格好に気付いたようだが、すこし苦笑したあと着せかけたコートを合わせ直した。長身のネーヴェのコートだけあって、フィオリーナではふくらはぎまですっぽりと覆ってしまう。
「少しここで待っていてください」
そう言い残して、ネーヴェは集まった人の中へ向かっていく。
馬を残していくわけにもいかないが、フィオリーナも現場は気になる。
そこで馬が行けるところまで引いて近づいてみることにした。軍馬は疲れた様子もなく素直に従ってくれ、その足下を猟犬もおとなしくついてくる。
崩落現場はひどい有様だった。
坑道は崩落した岩石で完全に塞がれて、今もときどき石が転がってきている。
その砂利や石を村人が手作業で取り除こうとしていた。
「領主さま」
誰かが声をかけるとネーヴェは挨拶するように手を挙げた。
「状況は?」
石を取り除こうとしていた村人にネーヴェが話しかけると、男性は顔をしかめて首を横に振る。
「……よくない。中の状況がまったくわからねぇんだ」
男性の答えにネーヴェは少し考えて、
「ここを掘るのはあきらめましょう」
ネーヴェの言葉に周囲の人々はぎょっと目を剥いた。
「何言ってんだ! 子供を見捨てろっていうのか」
「ちがうちがう。元々ここは崩落しそうな場所だったんですよ。掘ったところで他が崩れるだけです」
だから、とネーヴェは崩落場所に立って続ける。
「今、私の部下を別の坑道から入らせました。子供だって馬鹿じゃない。自力で動けるなら少なくとも崩落場所からは逃げているはずです」
そう言ってネーヴェは両手のひらを一度合わせる。そして次に開くと無数の糸が両手のあいだに作られている。糸は意思を持つかのように宙で舞ったかと思えば、坑道を塞ぐ石や岩のあいだに潜り込んでいった。
ネーヴェの不思議な魔術を見ていた周囲の人々は唖然としてその光景を見届けた。
「なんだ、今のは」
近くで様子を見ていて唖然とする男性にネーヴェはこともなげに言う。
「魔術ですよ。言ってませんでしたっけ」
「聞いてねぇよ! あんた魔術師だったのか!」
「私を何だと思っていたんですか」
ネーヴェはあきれたように言いながら、糸を操るように手をふるう。
「ただの変人領主じゃなかったんだな!」
「……今年の税収は期待するとしようかな」
あっけらかんとした男性の言葉に、ネーヴェはそう苦笑して糸を引き上げた。
「岩の下に子供はいないようです。崩落現場の近くにもいないから無事ですよ」
ネーヴェは周囲を見回しながら言うと、ひとまず安堵の声が広がった。
「じゃあ、あとは岩の撤去だが……」
「いい機会だから、坑道はこのまま塞いでおきましょう」
人を集めようとした男性にネーヴェは言う。
「子供の遊び場になっていたんでしょう? 私もさすがに気付きませんでした」
「それはそうだが……」
眉をひそめた男性に、ネーヴェも苦笑を収めて言う。
「廃鉱に入って今まで死人が出ていないのは運が良かっただけです。採掘中、どれだけ死人が出たんですか?」
男性は苦笑いして頭をかく。
「……わかった。あんたの言うとおりだ」
しかし、と男性は怪訝な顔をする。
「どうやって他の坑道から子供を助けるんだ?」
「一番近い坑道の出口なら覚えているので、私たちも行きましょう」
無数にある坑道の場所をネーヴェは覚えているらしい。
聞いていた周囲の人々はあきれ顔でネーヴェについて坑道前から降りてくる。
「やっぱりあの人、変わったひとだねぇ」
どこからともなく聞こえてきたつぶやきに、フィオリーナは心の中でつい同意してしまった。




