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伊達男が言うには

 案内されたのは、レストランでもさらに奥にある個室だった。大きな窓からは庭だけが見える。


「自己紹介がまだでしたね。私は、クリストフ・ラザルノ・ランベルディ。このヒースグリッドを含むランベルディ伯爵領領主を勤めております」


 領主ということは、彼こそがランベルディ伯爵ということになる。

 フィオリーナは先ほどついた席を慌てて立って、ドレスをつまむ。


「失礼いたしました。わたくしはザカリーニ家の末娘、フィオリーナ・テスタ・ザカリーニと申します」


 深く頭を下げると、クリストフの笑い声が聞こえた。


「なるほど。こちらがあの噂の悪女殿か」


 フィオリーナの背筋が一息に凍る。

 苦労して遠ざけた社交場のからかいめいた嘲笑が舞い戻ってきたようだった。 


「思っていたより、普通でつまらないな」


 呟くような声が聞こえて、フィオリーナは顔を上げられなくなる。

 半年前はこんな言葉をたくさん浴びた。


(どうしよう)


 どうにか繕わなければならないと思うのに、冷や汗が手ににじむばかりで動けない。


「希代の悪女だというから、どんなものかと期待して…うわっ」


 クリストフの悲鳴で、ようやくフィオリーナが顔を上げると彼の背後に人が立っている。

 いつの間に部屋に入ったのか、外で待機していたはずのアクアが氷のような瞳でクリストフを睨みつけていたのだ。


「やめろ、アクア」


 ネーヴェは涼しい顔でアクアをたしなめた。フィオリーナはアクアがいつ現れたのかすら分からなくて驚いているというのに、彼は椅子から動こうともしていなかった。


「それを殺しても何の益にもならないよ」

「……かしこまりました」


 ネーヴェに諭されたのか、アクアは静かにクリストフから離れた。しかし、侮蔑の目をクリストフに向けることはやめなかった。

 睨まれたクリストフは、怒るでもなくただ驚いた様子で首をさする。


「まったく、生きた心地がしないな」

「おまえが悪い、クリストフ。──フィオリーナ、座っていいんですよ」


 不意にネーヴェに言葉を向けられて、体から力が抜ける。それで、フィオリーナは自分の体がひどく固まっていたのだと分かった。

 いつの間にかそばに来てくれたアクアが椅子を引いてくれて、フィオリーナは再び席につく。

 何とか息をついたが、丸テーブルを等分に分けるように座っていたのが、少しネーヴェへ寄ってしまったのは仕方ない。

 それでも、アクアがフィオリーナのうしろに控えてくれたので少しだけ気が楽だ。 


「お茶をお持ちしましょうか」


 アクアの問いかけがありがたくて「ええ」と頷くと、彼女はオルミの屋敷でそうであったように穏やかに微笑んでくれた。

 そんなやりとりの横で、ネーヴェはクリストフに前置きもなしに話し出す。


「噂と言ったな。王都ではどんな噂になっている?」


 ネーヴェの問いにクリストフは「そうだな」と顎をさすった。


「男を誘って遊び明かす悪女が、とうとう家に愛想をつかされて辺境の田舎領主と婚約したって噂と、その美貌でもって辺境でも男漁りをするんじゃないかって」

「なるほど、わかった」


 聞くに耐えないというようにネーヴェは手を軽く振ってクリストフの話を遮る。


「じゃあ、やっぱり悪女がどんな女性かなんてことは噂になっていないんだな」


「ああ……そういえばそうだな」とクリストフは頷く。


「だから、俺も今日確かめに来たんだよ。ネーヴェを見かけたってヒースグリッドから報告があってな」


 ここに来ると思っていたから張り込ませていた、と言うクリストフがとんでもない物好きだということはフィオリーナにも分かった。


「フィオリーナ」


 唐突にネーヴェに呼びかけられて、フィオリーナは姿勢を正してしまう。そんなフィオリーナを見つめて、ネーヴェは切り出した。


「悪女になってみませんか」


「えっ」とネーヴェ以外が声を上げた。


「噂があなたを悪女だというのなら、悪女になってしまえばいいんです」


 その噂のせいでフィオリーナと家族は苦しんできたのだ。彼の言いたいことがいまいち分からない。

 フィオリーナの困惑を分かっているのか、ネーヴェはもっとかみ砕いた言葉で説明を始める。


「人は、あなたの外見しか見えないんです。そこのクリストフがいい例です」


 指摘されたクリストフが「ひどいな」と苦笑するが、ネーヴェは彼に構わず話を続ける。


「外見だけでいい、あなたが噂や陰口も相手にしないような悪女に見えるようにするんです」


 フィオリーナの困惑が収まらない隣で、クリストフが「なるほど」と相づちを打つ。


「要は、高嶺の花に見えればいいんだ。並の男や女なんか全然相手にしない、気位の高い女性に見えれば下手な手出しはできなくなる」


 フィオリーナは強くも気高くもない。でも、そのようになろうとすることはできるかもしれない。

 つまり、


「ハリボテの悪女になるのですか…?」


 中身のない悪女を演じて、噂を外見だけ同じにしてしまおうというのだ。サーカスの出し物によくある布と木で出来た怪物のようだ。

「いいですね、ハリボテ」とネーヴェは笑う。


「悪女のあなたは、すでに悪評と私との婚約という制裁を受けています。そんな哀れな境遇でも、矜持だけ高い悪女になりましょう」


 フィオリーナ自身はネーヴェと出会ったことを罰だと思えないが、気位の高い悪女ならばどうだろうか。

 悪女のフィオリーナは家族に見放され、辺境の領主と婚約させられた。でも妖しい徒花のような彼女はどんな場所でも美しい。そういうシナリオになるのだろうか。


「いいな、それ! 面白そうだ」


 まだ納得しきれないフィオリーナを置いて、クリストフが手を叩く。


「俺も協力する。悪女を作るなんて淑女を作るより面白そうなことを、ネーヴェひとりに任せていられるか」


 さっそくドレスを作ろうと言い出すクリストフに呆れた顔をしたネーヴェだったが、フィオリーナに向き合うと少しだけ微笑んだ。


「毒にしかならない男ですが、役には立つんですよ」


 危険だとしか分からない評をされたクリストフはニヤリと笑う。


「いい人だと言われるより、悪い男だと言われた方が俺は好きだよ」


 そうやって悪びれもしないでクリストフはネーヴェを笑った。


「本当に君は面白くない男だが、そういう辛辣なところはセンスがいいね。ネーヴェ」


 男性の友人関係というものはよく分からない。

 結局、ネーヴェとクリストフはそのままどうすればフィオリーナを悪女に仕立て上げられるか話し合い、話題の中心のフィオリーナは戸惑いを隠せないまま秘密の会議は終わった。フィオリーナがやったことと言えば、アクアに入れてもらったお茶を飲んだことぐらいだ。




 帰り際、クリストフはフィオリーナを呼び止めた。


「さっきは申し訳ない。失礼なことを言ったね」

「いいえ…」


 返事をしたものの、フィオリーナはクリストフの謝罪を素直には受け取れない。

 それが彼にも分かっているのか、それ以上は言葉を続けないで話題を変えた。


「ドレスを作るときは、ぜひまたヒースグリッドに来てくれ。いい職人を紹介するから」


 はい、とだけ返事をするフィオリーナにクリストフはあの意地の悪そうな笑顔を浮かべた。


「君は素直過ぎるな。女性はもっとズルくていい。君だって、社交場でうまくやってる女性をいくらでも見たことがあるだろう?」


 貴族の娘の人生は、結婚相手で決まるといってもいい。人生を賭けているのだ。賢く立ち回ることが良い相手を見つける最良の方法だ。──フィオリーナはその立ち居振る舞いに失敗したのだ。


「誰でも利用して、何でもうまく使って、賢く振る舞うんだ。最初は真似でいい。小さな女の子は母親の真似をして覚えるものだからね」

「あの…どうしてわたくしにそのようなことを?」


 クリストフは悪女作りが面白いだけで、フィオリーナに興味もないはずだ。

 フィオリーナにクリストフは「分かり切ったことを聞くね」と笑った。


「当然、悪女に振り回されるネーヴェが見たいからさ。面白そうだろう?」


 なるほど、彼は毒だらけの人なのだ。生活に困ることもなくそれでいて時間を持て余す貴族は享楽主義的な性質がある。その貴族の悪い性質を固めている出来上がるのがクリストフのような人なのだろう。




 また連絡するというクリストフと別れ、ネーヴェと共に馬車に乗り込む。

 アクアは御者台の乗ると言ってフィオリーナを馬車に乗せてから馬車の扉を閉めてしまったので、本当にネーヴェとふたりきりだ。

 馬車が動き出したところで、何を話そうかとフィオリーナは話題を探し始めたが、とつぜんネーヴェが帽子をとって頭を下げた。


「ネーヴェさん!?」

「勝手に話を進めてすみませんでした」


 少し陰った馬車の中で、濃い紫の髪がいっそう色濃く見えた。


「……でも、前向きに考えてみませんか。あなたを悪女に見せることを」


 他人にとってまずどう見えるのかが、社交場では一番重要だ。フィオリーナは今まさにその第一印象が悪女となっている。そんな彼女が本当は何も持たない弱いだけの娘だと知られれば、どうなるのか。


「理不尽なことだと思いますが、弱く見られれば弱い者として扱われるだけです。悪女という印象があるのなら、そのように見せるだけであとは世間が勝手に想像してくれる」


 ネーヴェに言われて、フィオリーナも悪女という言葉で想像してみる。華やかで美女、誰に対しても物怖じしない、気位の高い強い女性。

 そんな風になれたなら、と誰もが羨ましく思えるほどの。


「……嫌味や皮肉は苦手なんです」


 フィオリーナはその悪評にさらされてきたのだ。あれほど嫌な気分になるものはない。それを知っているから、他人に意地悪な態度をとろうという気にはなれなかった。

 うつむくフィオリーナをネーヴェは眼鏡を傾けて菫色の瞳で覗いてくる。


「そんな言葉を誰かにかける必要はありませんよ。黙って微笑んでいるだけで、羨望を集めるような、そんな悪女を目指しましょう」


 悪女を目指すなど聞いたこともない。


「噂が広まっているのなら、利用すればいい。あなたがこれ以上傷つかずに済むよう、噂を上書きしていくんです」


 社交場の噂はまたたきのあいだに過ぎていくものだ。広まった噂を払拭できなくても、上書きしていけばいい。

 最悪なことは、フィオリーナが身持ちの悪い、汚らわしい女として記憶に残り続けることだ。

 それならば、あれは美しい悪女だったのだと思われた方がいくらかフィオリーナの気分が軽くなるのではないだろうか。


「わかりました」


 容姿がとくべつ美しいわけではないフィオリーナがどこまでやれるか分からない。

 けれど、


(やれることをやろうと思ったわ)


 このオルミ領に留まると決めたとき、フィオリーナは自分にやれることを、誰かの助けを得てでもやりたいと思ったのだ。


「お願いします、ネーヴェさん。わたくしを立派な悪女にするお手伝いをしてください」


 フィオリーナの言葉に、クリストフに会ってからずっとどこか厳しい顔つきだったネーヴェは、やっといつものように穏やかに微笑んだ。




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