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清廉潔白な騎士が言うには

近衛騎士の独白回

(差別的表現・不適切な表現などが含まれています)

 ようやく目覚めたのは馬車の中だった。

 シリウスが身を起こすと、ひと目で騎士とわかる男がこちらを見ている。


「気分は?」


 そう問われて、ようやく頬骨と頭にしたたかな痛みを感じた。すでに手当てはされている。包帯の巻かれたそこをかきむしりたくなるような衝動を抑えた。

 油断しただけなのだ。相手が魔術師だと知っていたから、まさかあんな風に素手で反撃されるとは思ってもみなかった。

 いつか必ず復讐してやる、と奥歯を噛んだところで、「やめておけ」と同乗していた騎士がシリウスの激情を見透かしたように言う。白を基調とした詰め襟は近衛騎士のもので、その徽章は第一王子殿下の所属を示していた。


「貴殿は嵐にでも遭ったのだ。嵐には誰も勝てない」


「何を……」


 一方的にやりこめられたことを認めたくなくて、シリウスは思わず顔をしかめた。


「ネーヴェ・オルミ・カミルヴァルト卿は貴殿の前任たちをひとりで殺しかけた男だ」


 近衛騎士を殺しかけて許されるはずもない。しかし、実際はあの魔術師はのうのうと領主の座におさまっている。


「──間違っても近衛騎士が魔術師ひとりに殺されかけたなどと他言できると思うのか?」


 近衛騎士は騎士団の中でも優秀な人材を集めている。それが、戦争帰りだというだけの魔術師ひとりにあしらわれたとあっては外聞が悪いという。

 それでも納得できないシリウスに騎士は溜息をつく。


「……貴殿が殺されなかったのは、ひとえにアレナスフィル候の城の中だからだ。間違っても城外で復讐などを企てるな」


「そんな、殺されるなど……」


 それほど人を容易く殺すような者がいるのか。ありえない、と言い掛けてシリウスは押し黙る。まるでゴミでも蹴るようにシリウスを蹴り飛ばした男だ。それは、決闘というよりもまるで出来の悪い犬への躾のようだった。あの男は最後までシリウスのことを歯牙にもかけていなかった。


「彼はただの魔術師ではない。38小隊を束ねた隊長だ。魔術を使われなかっただけ幸いだったな」


 38小隊という言葉を聞いてシリウスは無造作に心臓を掴まれた心地となった。死神部隊の悪名は戦争を知らないシリウスでも知っている。激戦地で戦った勇敢な兄でさえ、あの部隊の出身者には近づくなと言っていたのだ。

 シリウスが躍起になって武芸に励んでいた十代で戦争は終わってしまった。自分が行っていれば兄よりも戦功を挙げたという自負がある。

 けれど、38小隊のおぞましさは騎士団に入って大人になってからのほうがその異様さを理解できた。彼らはそのひとりひとりが戦略兵器だったのだ。一兵士でしかないシリウスの比ではないほど戦場で活躍した人殺し集団。それが38小隊だ。

 相手が悪いのだという騎士の言葉をシリウスはようやく飲み込んだ。


(それもこれも、すべてあの女が悪い)


 フィオリーナ。シリウスのおまけでしかなかったつまらない女。

 男をたぶらかすことしかできない彼女が、あの人外じみた凶悪な魔術師をどうやって引き入れたのかわからない。ザカリーニ家の力をもってすれば、オルミなどという存在もわからないような小さな領地の領主など買収も容易かったということか。

 シリウスと結婚できなくて良かったなどとうそぶいていたが、あの女はすでに醜聞にまみれている。もう幸せになることなどない。

 すべてシリウスが台無しにしてやったのだ。

 生意気な女の末路などシリウスが知ったことではない。

 昔からシリウスは女性に困ったことなどないし、女性たちもシリウスの庇護下にあることを望んで従順だった。イズベラ王女すらもそうだった。王女は男を発奮させることに長けていて、そのしなだれかかる体は従順な女性たちの中でも極上だった。

 このように他にはいくらでも可愛い女性たちがいるというのに、婚約者であるフィオリーナは本当に陰気でつまらない女だった。優しくしてやっても控えめに微笑むだけで感謝もせず、すこし注意をしただけでうつむいた。華奢な体は庇護欲をそそられたが、中身は堅い木のように頑固な女ですこしもシリウスに気を許そうとはしなかった。シリウスが少しつついただけで簡単に折れ曲がるというのに、いつまでもシリウスの思い通りにはならなかったのだ。

 結局、男の力がなければ立つことさえ叶わないというのに、その生意気な瞳が気に入らなかった。


「……ほかに女性などいくらでもいる。今回のことは出世への勉強になったと思うといい」


 同乗する騎士の言葉にシリウスもうなずく。ほかの女などいくらでもいる。フィオリーナでなければならない理由などどこにもない。


「貴殿は今回を機に第一王子殿下の近衛騎士へと配属変えとなった。精進されよ」


 それは思ってもみなかった栄転だった。第三王女を奉仕するだけの情夫のようなお守りはもううんざりだったのだ。

 今まで仕えていた王女の処遇や行く末などもうシリウスの頭からは抜け落ちていた。自分の役に立たない女などいないも同然だった。

 しかし目の前の同僚となった騎士は言葉とは裏腹に、まるで哀れな子供を見るような目で眉をひそめた。


「……元婚約者のことなど、悪魔にくれてやったのだと思って早々に忘れてしまうことだ」


 それはまるでシリウスのためというよりも、真に哀れむべきフィオリーナのための言葉のようだった。


(そんなはずはない)


 同情されるべきはシリウスのはずだ。女は男に庇護されるのだから媚びを売ってしかるべきだというのに、それができなかったフィオリーナはシリウスにふさわしくなかった。


 ──さようなら。


 あんな風にはっきりと言葉を発するのだと初めて知った。常にうとましかった瞳が伏せられていることにどうしようもなく苛立った。

 フィオリーナのまっすぐな瞳がいつまでも苦手だった。

 シリウスは自分より弱い者に威張り散らさなければ生きられない。

 そんなシリウスの醜さと弱さを暴き立てるような瞳だ。

 もっとも忌避したかったその瞳に、もう自分が映ることなどないことが信じられなかった。

 夜道を走る馬車の窓には、怪我で歪んだ醜悪な顔が映っている。

 その醜悪の顔はシリウスに重なって見え、やがて闇に溶けていった。




   


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