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呼び鈴が言うには

対決回その1

 彼らが選んだ部屋は休憩用の小さな個室だった。まだ開場してそれほど時間は経っていないので、ほかの部屋を利用している気配はない。

 部屋にはソファとサイドテーブル、チェストが置かれているだけで、奥に重そうな緞帳が吊されている。化粧直し用の洗面室があるのだろう。チェストには使用人を呼ぶための呼び鈴と花が飾られていた。

 女性と従者はネーヴェが扉を閉めるのを確認もしないで、奥のソファへと向かう。

 女性が一人掛け用椅子に腰掛けたところで、従者はほかのソファを押しやって彼女の前から障害物をなくした。

 従者が自分のそばに立つのを待って、女性は「もう分かっていると思うけれど」と自分の仮面に手をかける。

 つり目がちな黒い瞳が露わになって、フィオリーナたちを眺めた。


「わたしはグラスラウンド国第三王女、イズベラよ」


 彼女が名乗ると同時に、フィオリーナはカーテシーのまま床に両膝をついて頭を下げ、ネーヴェは床に片膝をついて頭を下げる。これが臣下の礼だ。

 その様子に満足したのか、イズベラは紅唇の端を上げて「顔を上げていいわ」と言う。


「楽にして、というのもおかしいけれど、個人的に話があるだけなの」


 イズベラは気軽そうにそう言って、椅子の肘掛けに肘をついた。

 しなだれかかるような仕草は男性を誘うことに長けているようにも見えた。

 こんな風に見えるのは、イズベラがネーヴェを誘ったことを知っているからだろう。


「さっきのダンス、とても素敵だったわ。あとでわたしもお相手してほしいぐらいよ」


 王女殿下の熱のこもった視線に気づいているだろうに、仮面越しにネーヴェの様子を垣間見ても素知らぬ顔で目線を伏せているだけだった。イズベラはこの鴉面がネーヴェであることに気付いていないようだが、目上の者には相手に許されなければ発言はできない。


「話というのはね、ほかでもない私の騎士の元婚約者についてよ」


 イズベラがそう言うと、彼女のとなりに控えていた従者が仮面を外す。

 整えた銀髪に、切れ長の青い双眸。男性らしく整った甘い容姿の騎士だ。

 喉の奥から出掛かった悲鳴が体に響いていくようなしびれを感じて、フィオリーナは体の震えをスカートの端を握ってこらえた。扇子を持っていたら、音を立てていたかも知れない。


(シリウス様)


 銀髪を見たときからもしかしてとは感じていた。けれど、実際に顔を目にすると胸が早鐘のように打ち鳴らされて苦しくなる。


「このシーズンであなたたちが、フィオリーナという悪女の名前を使って色々な会場に参加しているのは知っているわ。随分と美しいという評判もね」


 王女殿下の視線がフィオリーナにぴたりと合わされるのを感じて、目線を上げるのをこらえる。


「でもね、フィオリーナの名前があまり広まると、このシリウスが困るのよ。せっかくあの悪女と婚約を解消できたというのに、彼女のせいでまた噂に煩わされているの」


 そうイズベラは一度話を区切ると「だから」と諭すような口調で続けた。


「フィオリーナを装って、シーズンに参加するのはもう止めてほしいの」


 何を言われたのか一瞬わからなくなった。

 どういうことかをフィオリーナは混乱した頭で整理しようとする。


「発言をお許しください、殿下」


 低い声で王女に許可を求めたのはシリウスだ。イズベラがうなずいて許すと、彼はフィオリーナに視線を向けた。


「王女殿下は、もうあなたのような美しい女性がフィオリーナのふりをし続けることは必要ないと仰っているのです」


 よろしいですか、といつだったかおまえが悪いのだと諭した口調でシリウスは続ける。


「私の婚約者であったフィオリーナは身持ちの悪い女性でしたが、あなたのように上手に社交場で立ち回ることなどできない女性でした。男性の言うことを従順に聞いていればいいと思うような女性で……男性に誘われれば誰にでもついていっていたのだと思います」


 フィオリーナは鳥肌が立つのを抑えられなかった。

 つまり、今ここに居るフィオリーナは偽物で、彼のいう元婚約者のフィオリーナは噂のように身持ちが悪くて頭の悪い女だったというのだ。

 シリウスはフィオリーナの様子になど気が付かず、そのままとうとうと続ける。


「前の婚約者をあまり悪く言うのも気が引けますが……私の知るフィオリーナは本当につまらない女性でした。ダンスを踊らせても人並みにしかできず、自分の主張すらもできない。私のうしろをついて歩くことだけしかできませんでした。そのくせ男性の気だけは引くような、そういう女性だったのです」


 ですから、とシリウスは仮面をつけたフィオリーナに優しく諭すような声で言う。


「体面を考えたザカリーニ家の意向で秘密裏に依頼されたのかもしれませんが、あなたのような素敵で聡明な女性があのような悪女だと偽る必要などないのですよ」


 まるで今のフィオリーナを最大限尊重するような紳士のふりをして、シリウスは宥めるように続ける。


「あなたの身分が低くて、ザカリーニ家に逆らえないのであれば、私たちはあなたたちを確実に救うことができます」


 いかがですか、という言葉を最後まで聞けていただろうか。

 気を失いそうになるのを唇を噛んで耐えているのを、涙をこらえているようにでも見えたのだろうか。シリウスは気の毒そうにフィオリーナを見つめている。


「そちらのパートナーの方もあの悪名高いオルミ卿に雇われているのでしょう?」


 イズベラはまるで心配するような口調でシリウスの話を引き取った。


「あなたたちの身はわたしが保証しますから安心なさって。あのフィオリーナという女性が悪女だという噂は、そもそもわたしのために流されたものなのだから」


 甘いはちみつを詰め込んだようなイズベラの声が耳にまとわりついて広がった。


「実際のフィオリーナさんが身持ちの悪い方かどうかは本当はどうでもいいの。あの噂はわたしの噂と重ねて流したものなのよ」


 吐き気をこらえるようにして目線を落とすフィオリーナに、冷や水を浴びせるようにしてイズベラは続ける。


「以前から、わたしが夜会や園遊会でお知り合いになった殿方との交流を噂する方たちが大勢いて困っていたの。その噂をフィオリーナさんに請け負ってもらうことにしたのよ。──ちょうど、このシリウスが身持ちの悪い婚約者のことで悩んでいたから」


 これほど最悪の種明かしもないだろう。

 イズベラが口にした殿方との交流というのは親睦会などというものではなく、男女の関係を意味している。彼女は恥ずかしげもなくただれた内情を白状したのだ。

 これまでフィオリーナが浴びせられた噂は、すべてイズベラの噂だった。

 それも、彼女が男性たちと火遊びに興じていた事実を隠すために。


「わたしはかねてより婚約していたハルディンフィルドの第二王子殿下との結婚が控えているの。だからお兄さまがわたしを心配なさって、フィオリーナさんに身代わりになってもらっただけなのよ」


 あけすけな告白は、白々しいまでに甘くて空虚だった。


「でもフィオリーナさんにも機会が与えられると聞いたわ。このシーズンであなたたちが社交場で話題になったためね」


 イズベラは一見慈悲深いような笑みを紅唇にたたえている。


「あなたたちの功績よ。シーズン終わりの舞踏会にはフィオリーナさんへ招待状がいくはずだわ」


 だから、と悪夢のように甘い声が笑った。


「あなたたちの仕事はここでおしまいにしてくれないかしら。身の安全はもちろん、報酬が必要なら用意させるわ」


 恐ろしいことに、彼女たちは事の真相のすべてを当の本人たちに話しているとは夢にも思っていない。偽物のフィオリーナとネーヴェがここにいるのだと信じて疑いもしていないのだ。

 これほどまで信じ切っている様子を見ていると、そう彼らに言い含んだ者がいるとしか思えなかった。

 フィオリーナが何かに気付きかけた隣で、今まで身じろぎもしていなかったネーヴェが深く頭を下げた。


「──王女殿下のご厚情に篤く御礼申し上げます」


 ネーヴェがそう言うと、イズベラはますます優越感に浸るような笑みを深めた。


「こちらの事情をご説明するために、発言の許可をいただけますか」


 ネーヴェの丁寧な言葉が心地よいのか、イズベラは目を細めてうなずく。

 すると、何を思ったのかネーヴェはフィオリーナの手を取って自分と共に立たせてしまった。

 驚いたのはフィオリーナとシリウスだったが、イズベラは「いいわ」と笑う。


「立って話してくれたほうが顔がよく見えるわ。──ねぇ、もっと顔をよく見せてくれないかしら?」


 甘えるようなイズベラの声に、ネーヴェは苦笑するように喉の奥で笑った。


「では、お言葉に甘えまして」


 ネーヴェが仮面に手をかける。

 露わになっていく白皙の顔を見て、イズベラはみるみるうちに顔色を変えた。


「……おまえは、ネーヴェ…っ!」





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― 新着の感想 ―
本当にひどくて泣きそう… どうかもう二度とこんな男と出会わなくてよくなりますように! そして2人が幸せになりますように、!
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