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夜空が言うには

 ネーヴェの持ち馬車はまだ新調できていないので、馬車はアレナスフィル候のものを借りている。

 豪華な内装の馬車をわざわざオルミ領まで使いを出してまで寄越してくれたのだ。

 クッションが効いた椅子の上で跳ねそうになりながら、フィオリーナは別の緊張を強いられていた。

 大人が対面して座れる広い馬車だというのに、ネーヴェはわざわざフィオリーナのとなりに座っているのだ。

 男女が馬車で並んで座るのは、恋人か夫婦だけだ。

 フィオリーナは緊張でしゃちこばっているのに、ネーヴェはこちらに苦笑するだけだった。


「一応世間には、私と親しい間柄と思わせていることをお忘れですか」


 忘れてはいないが、馬車の中は別ではないのか。並んで座るには、今日のネーヴェは整いすぎているのも悪い気がした。フィオリーナはもはや恨めしい気持ちでうなる。


「……ネーヴェさんはずるいのです……どうして今日のような格好でとなりに座るのですか」


 これでは本当に夫婦か恋人のように思えて、フィオリーナまで勘違いしそうになってしまう。


「格好が違うだけでしょう。私は変わらないですよ」


 そう言って笑うネーヴェが憎らしい。まだ眼鏡をかけているとはいえ、ネーヴェの形の良い顔立ちが損なわれるものではないのは気のせいではないはずだ。顔立ちは絶世の美女のようだというのに、男性らしい首筋や体つきのひとつひとつが絶妙に相まってネーヴェを大人の男性に仕立てているようだった。同じ顔形なのにラーゴに化けていたときとはまったく違う。ネーヴェは誰もが見て美しいといってあまりあるほど魅力的な大人の男性だ。

 フィオリーナの沸点は上限に達しそうだというのに、ネーヴェは楽しげの笑うだけだった。 


「この顔のどこがいいのか分かりませんが、あなたが気に入ってくれるなら悪くないですね」


 ネーヴェはどこか自分の姿を嫌悪している節がある。けれど、今日に限っては最大限フィオリーナの好奇心を満足させようとしてくれているようだった。その結果は藪をつついたフィオリーナが勝手にドキドキしているだけだが。


「あの……どうして今日は、わたくしにお付き合いくださったのですか?」


「あなたのためならどこにでもお付き合いしますよ」


 言葉に嘘はないのだろうが、フィオリーナのわがままに唯々諾々と付き合ってくれるほどネーヴェは律儀でもお人好しでもない。

 うそぶくネーヴェをフィオリーナが顔を赤くして睨むと、彼は息をつくように笑った。


「──あなたにお礼がしたいと思って」


「お礼、ですか?」


 首を傾げるフィオリーナに、ネーヴェは目を細めた。


「あなたのおかげで、ティエリ領を訴えることまで漕ぎ着けましたから」


 それは兄の提案であるし、これまでネーヴェが難題に向き合ってきたおかげだ。そう伝えると、ネーヴェはゆるく首を横に振る。


「……土台があったとしても、きっかけをくれたのはあなたなんです」


 ネーヴェひとりでは、きっとティエリ領を訴えることなどしなかったという。


「私には司法に強い知人などいませんからね。それに、私が一から学ぶには時間がかかり過ぎます」


 相手は奇病だ。早急に手を打たなければ刻一刻と状況は悪化していく。だからネーヴェは訴訟を起こすよりも薬を作ることを優先したのだ。


「だから……ありがとうございます。フィオリーナ」


 菫色の瞳にまっすぐに見つめられて、フィオリーナは恥ずかしさとは違う意味で頬が火照っていくのを感じた。

 フィオリーナは貴族の娘で生きた契約書だ。

 それでも、生きているからネーヴェのきっかけになれた。


(無駄なんかじゃない)


 どんなにささいなこともネーヴェのためになるのなら、フィオリーナがここにいる意味はたしかにある。


(ここに居て良かった)


 そうやって思えることが震えるほど嬉しかった。

 貴族の娘でも、生きた契約書でも、フィオリーナを肯定してくれる人がネーヴェで良かった。


「……わたくしがオルミ領に……ネーヴェさんのそばにいられて良かったです」


 涙がこぼれそうになるのをこらえて微笑んだフィオリーナに、ネーヴェは困ったように笑う。そして、ジャケットからハンカチを取り出すとフィオリーナの目元をおさえた。


「……お礼を言いたいのは私のほうですよ。そばに居てくれて、ありがとう」


 だから、とネーヴェは目を細めて柔らかく微笑んだ。


「あなたの願いはできるかぎり叶えようと思っているんですよ。こんな格好ひとつで喜んでもらえるならいくらでも着ます」


 苦手ですけれどね、と苦笑するネーヴェがおかしくて、フィオリーナも思わず笑ってしまう。


「……もっと色々なわがままを言ってしまうかもしれませんよ?」


「悪女のわがままを叶えるほどには、甲斐性はあるつもりですよ」


 そう言って口の端を上げるネーヴェと笑い合うと、やっぱり素敵な人だとフィオリーナは思ってしまう。悪い大人だとわかっているのに、フィオリーナにとってネーヴェは魅力的にしか映らないようだった。

 もしもこの人に恋をしてしまったら、きっと大変だとわかっているのに。


「まぁ、今日は厄介な人も来ることですし、適当に過ごしましょうか」


 ネーヴェの言葉で一気に現実が帰ってくる。そうだった。今夜の仮面舞踏会には第三王女殿下が参加しているのだ。

 赤らめていた頬を一転、顔を青ざめさせたフィオリーナにネーヴェは苦笑する。


「会わなければいいんですよ。みんな仮面を付けているのですから、とくべつ私たちが目立つこともないでしょう」


 仮面をつけていても、きっとネーヴェは目立つだろう。身びいきを抜きにしても、テールコートの立ち姿だけでどんな紳士よりもしなやかで美しい。

 ネーヴェをここまでの出来に仕上げたベロニカに、フィオリーナは初めて文句を言いたくなった。

 窓の外はもうすっかり日が暮れて、夜空で星が素知らぬ顔でまたたいていた。




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