表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/127

買い物が言うには

 ヒースグリッドという街はオルミ領から馬車で一時間ほどかかった。

 牛が行き交う牧歌的なオルミから見れば、石畳で整備されたヒースグリッドは草原に突然現れた都会のように見える。

 瀟洒な建物には住居よりも王都から出店している菓子屋や服飾店が並んでいて、避暑地として有名なこの街は、さながら小さな王都のようだった。


「山側は別荘地になっています。湖がある景勝地は公園になっているんですよ」


 馬車の中でヒースグリッドについて話してくれたネーヴェは、今まで開けていた箱馬車の小さな窓にカーテンをかけた。

 不思議そうなフィオリーナに、ネーヴェは人差し指を立てて唇に当てた。


「ここは貴族も多いですから」


 噂は貴族のたしなみとまで言う人もいる。

 不必要な面倒は避けるべきだろう。


「買い物はお任せしますよ。女性に必要なものは、私には分からないので」


 ネーヴェの用事は、本屋で予約していた本の受け取りだけだという。


「良かったのですか? お付き合いいただいて」

「予約した本を取りに来なくてはならなかったので」


 ずっと先延ばしにしていたのだというから、嘘ではないのだとフィオリーナは思うことにした。


「では…どこへ行けば良いでしょうか」


 ヒースグリッドは初めて来た街だ。土地勘のないフィオリーナはあいにくどういう店があるのかなど知らない。


「まずは日用品から揃えられてはいかがでしょうか」


 見かねたように口を挟んだのはアクアだ。


「ヒースグリッドの店ならば、一通りご案内できます」


 アクアの提案にネーヴェも頷く。


「ご婦人の店は同じ女性に聞くのがいいでしょうね」


 そう言って、ネーヴェは懐から手帳を取り出して何かを書き出した。自分の名前のようだ。そのメモ書きをアクアに渡す。


「今日の支払いは私が持ちましょう」

「それは…」


 滞在費はフィオリーナの実家が持つと決めたはずだ。


「必要な物を揃えられない方が不便ですよ」


 それはその通りだ。それに、フィオリーナの手持ちではきっと日用品を揃えるだけになってしまって、着替えなどは揃えられないだろう。


「……では、のちほど支払い金額を教えてください。実家からの手紙が届きましたら、その旨を折り返し伝えます」


 滞在費については兄が請け負ってくれたのだから、じき送金されるだろうがそのお金は生活のためのお金だ。日用品については別に送金してもらう方がいいだろう。

 どれぐらいかかるだろうかとお金の計算をするフィオリーナに、ネーヴェは不思議そうに首を傾げた。


「貴族の女性は、あなたのようにしっかりとしたものなのですか?」


 ネーヴェに言われて、フィオリーナも少し考える。


「……たしかに、男性に任せるのが良いとされている風潮はありますが、それは社交場でのことではないでしょうか」


 貴族の娘ならば、女主人として家を取り仕切る管理能力も身についてなければならないのだ。フィオリーナも管理に必要な教養は身につけてきている。 


「夫の代わりも務まらなくてはならないので、お金の管理もできるのは普通のことだと思います」


 ただ、社交場では女性は男性を立てることが求められるから実務については話さないだけだろう。

 だが、ここまで話しておいてフィオリーナは少しためらう。


(反論したりして、生意気だったかしら)


 女性が男性に反論することは、あまり好ましくないのだと言われたことがある。

 けれど、ネーヴェはあっさりしたものだった。


「なるほど。そういうものですか」


 フィオリーナの答えに頷いて、


「では、あとで金額はお知らせします。費用については、私もあちらに手紙を一緒に出しましょう」


 今度はフィオリーナの方が不思議な心地になって、ネーヴェを見ると彼は苦笑した。


「私は貴族とのやりとりなど分かりませんから。正直に言ってくれた方が助かります」


 この話はまたあとで、とネーヴェは自分は歩いて本屋へ向かうと言って馬車を止めた。戸口で懐中時計を見て、


「そうですね……これから三時間後、私がいる本屋で落ち合いましょう」


 どうやらネーヴェは三時間も本屋に居るつもりらしい。


「よろしいのですか?」

「馬車で迎えに来てもらえたらありがたいんです」


 ネーヴェはそう言って行ってしまった。


「旦那様の本漁りに付き合っていたら、日が暮れてしまいます」


 アクアが呆れたように言うので、いつものことらしい。

 フィオリーナにしても、女性の日用品を買うのだからネーヴェが隣にいては少し気まずかったかもしれない。

 それから三時間という約束の時間まで、フィオリーナはアクアの勧める店へと回ることにした。


「着替えも用意いたしましょう」


 ネーヴェが援助を申し出てくれたおかげで、アクアの勧めにも気兼ねなく頷くことができる。

 それでも無尽蔵にお金を使っていいわけではない。


「既製服がいいわ」


 貴族は服の大半を仕立て屋に依頼する。フィオリーナも服のほとんどを幼い頃から馴染みの仕立て屋で採寸して作っているから既製品は買ったことがない。

 しかし、ここは実家ではないのだ。


「……お嬢様がよければそれで良いのですが」


 もしかしたらアクアはネーヴェからフィオリーナの生活について質を下げるなと言われているのかもしれない。既製品を着る貴族は、端的に言えば困窮していると見られるからだ。


「既製服と言ってもすぐお渡しできないと思いますよ」


 既製品は採寸して作るわけではないので、直しが必要になるのだという。


「では、わたくしが自分で直すわ」


 自分の体のサイズは自分でよく分かっている。直しが必要なら、当てながら直した方がいい。


「裁縫なら一通りできます。……分からないところは、教えて欲しいけれど…」


 たしなみとして裁縫は出来る。けれど、本職には及ばないことも知っている。

 それでも、


「自分にやれそうなことは、やってみたいの」


 ネーヴェと約束した、毎日やりたいことを見つけること。


(苦し紛れの回数稼ぎのようだけど)


 ドレスは生活に必要なことであって、やりたいことではない。

 フィオリーナの迷いも見透かしたように、アクアは苦笑した。


「かしこまりました。旦那様には、お嬢様をお助けするよう言いつかっております」


 つたなくても、やりたいことを見つける。

 大変だけれどこれでいいのだ。


「ありがとう」


 他の人にとっては小さくても、フィオリーナには大きな一歩だ。

 

 アクアといくつかの店を回って、日用品と着替えを買ったが、その荷物のほとんどをアクアが持ってしまった。

 華奢に見えるアクアがいくつも箱を抱えて平然と馬車へ運び込んでいく様子は、店員とフィオリーナを驚かせた。

 何か手伝いをとフィオリーナが申し出たが、渡されたのはハンカチが入った小さな紙袋だけだった。

 三時間はあっという間に過ぎ、馬車の荷台がいっぱいになったところでネーヴェを迎えに行くことになった。

 本屋へ着くとすでにネーヴェが待っていて、手には数冊の本を紐でくくって持っている。


「お待たせしました」


 フィオリーナが馬車に乗り込んだネーヴェに言うが、彼は「いいえ」と笑っただけだった。


「本屋にだけ居るのなら、何時間でも構いませんから」


 それはさすがに冗談だろうとアクアを見ると、彼女は呆れた様子でネーヴェを見ていた。冗談ではないのか。

 アクアの視線を無視して、ネーヴェはフィオリーナの向かいに腰掛けた。


「必要な物は買えましたか?」

「はい……実をいうと、手持ちが心もとなかったので、援助を申し出ていただいて助かりました」


 素直にそう口にすると、ネーヴェは「それは良かった」と続けて、


「少し遅いですが、何か食べましょうか」


 ヒースグリッドは貴族向けの店が多いだけあって、レストランも豊富だという。

 店選びはアクアに任せるということで、少し大きなレストランで、遅いランチをとることになった。

 メインとスープだけの簡単なランチを食べながら、今朝話していた日傘の話になった。


「そういえば買っておりません」


 日用品と着替えのドレスを選ぶだけでフィオリーナは精一杯だった。


「庭を散策するのなら、必要になりますよ」


 買っておけばいいとネーヴェに言われて、昼食のあとは日傘を見に行くことになった。

 しかし、レストランを出ようかというところで声をかけられた。


「やぁ! 今日も不機嫌だね、ネーヴェ!」


 紺色の三つ揃いに揃いの帽子を合わせた男が、さっと帽子を取って二人の前に進み出てきたのだ。

 背は高く、さっそうとした歩き方から彼の自信が表れている。鳶色の髪に整った顔立ちは女性を惑わせるに十分だったが、その碧眼はどこか皮肉屋めいている。

 見知らぬ伊達男の登場に驚いて、フィオリーナがネーヴェを見上げると、彼は見たこともないほど不機嫌に眉をしかめていた。

 そんなネーヴェを物ともしないで、伊達男はフィオリーナに手を差し出してくる。


「こんなところで立ち話はつまらないですから、お茶でもいかがですか?」


 手をとるか迷っているフィオリーナをかばうように、ネーヴェが進み出て伊達男を睨んだ。


「案内してもらおうか?」


 ネーヴェの威嚇に、伊達男は珍しいものを見るような顔で目を丸くしたものの、笑って頷いた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ