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テールコートが言うには

 園遊会の翌日、ベロニカが用意した衣装は今までにない趣向がこらされていた。

 羽根飾りやビーズが張り付けられた仮面を渡されたのだ。


「今夜の夜会はね、仮面舞踏会よ」


 体にスカートのひだを巻き付けるようなマーメイドドレス姿のベロニカは、腰に手を当てて堂々と言い放った。


「身分も名前も分からない、貴族だけの秘密の夜会。毎年シーズン終盤の秋の初めに開催しているの」


「……そのお遊びに参加しろって? そんな夜会のためにわざわざ私を呼んだんですか」


 朝から溌剌としたベロニカとは対称的に、ネーヴェは眠そうに大あくびをする。朝から叩き起こされたからか不機嫌を隠そうともしていない。


「昨日はお休みになるのが遅かったのですか?」


 フィオリーナが苦笑すると、ネーヴェは眠そうにうなずいた。


「あの女装癖と夜遅くまで飲んでいたので。──どうしてそんなに元気なんだよ」


 女装癖とまで呼ばれたベロニカだったが、彼はふんと鼻を鳴らしただけだった。


「フィオリーナ嬢が参加するんだから、あなたも参加するのよ。ネーヴェ」


 ベロニカの言葉にネーヴェはいっそう嫌そうに顔を歪める。


「大体そんな夜会に参加して、フィオリーナに何か得るものがあるんですか?」


「アタシが全力でネーヴェを盛装にしてやるわ」


 この国のマナーでは、男性の盛装は古式ゆかしいフロックコートやそのまま舞踏会にも出られるような準正装の燕尾服を指す。普段のパーティで着るようなタキシードやスーツは社交用のおしゃれ着だ。

 コーディネートされた三つ揃いを着ただけで衆目を集めるネーヴェのことだ。さぞ盛装も似合うだろう。

 思わずフィオリーナが見上げると、ネーヴェはうんざりしたように視線を落としてくる。


「……そんなにきらきらした目で見ないでください」


 そんな目で見たつもりはなかったが、フィオリーナの心が表れてしまったようだ。


「でも、その……ネーヴェさんはとてもお似合いになると思うので、わたくしも一度見てみたいです」


 ネーヴェのきちんとした格好は彼がラーゴとして園遊会に出て以来だ。あのときはラーゴの容姿に似合う装いだったので、ネーヴェ自身に似合う装いを見てみたかった。

 追い打ちをかけるようにベロニカは補足する。


「身分や名前がわからないと言っても、フィオリーナ嬢はアタシのドレスを着ていることが周知されているもの。フィオリーナ嬢の情報を知っていれば誰だかすぐ分かるわ」


 フィオリーナの名前がまったく知られない夜会というわけではないようだ。


「ネーヴェさん……」


 せっかくアレナスフィル領まで来たのだ。ネーヴェには息抜きにはならないかもしれないが、一緒に夜会に参加する経験はしてみたい。


(こんな機会はもう巡ってこないかもしれないのだもの)


 ネーヴェは王都へ行くことを完全には了承していない。だから仮初でもパートナーとなってみたかった。

 フィオリーナの思惑が通じたのか、ネーヴェは深く溜息をついて「わかりました」と渋々うなずいた。


「そのかわり、どうなっても知りませんからね」


 これだけは譲れないとでも言うようにネーヴェが断言するので、フィオリーナとベロニカは苦笑する。

 ネーヴェ自身も、自分が社交に向いていないことは重々承知しているのだ。


              ▽


 今夜のフィオリーナのドレスは、あの問題の濃い紫のドレスとなった。

 ベロニカから送られたドレスをすべて持ってきていたが、彼はほとんど即答で紫のドレスを指定した。

 昼間に着るとほとんど黒に見えて、本当に大丈夫かと不安になってしまう。黒は主に葬式で身につける色だ。


「今は黒に見えるけれど、照明に当たると紫に見えるから平気よ」


 メイドたちにドレスを微調整されているのを眺めながら、ベロニカはいつものように自信たっぷりに言う。


「化粧はすこし暗めの色を多めに。宝石は、そうねそれでいいわ」


 あらかた指示をすると、今度はネーヴェの様子を見てくると言ってベロニカ部屋を出て行った。

 ベロニカの妻であるコルネリアが残って、フィオリーナの支度を進めてくれる。


「旦那さまもはりきっていたから、ネーヴェさまの仕上がりも楽しみね」


 ネーヴェはあれだけ嫌がっていたのだ。衣装を着てくれるだけでも十分だろう。

 軽食をとりながら進めた支度は順調だった。

 今夜のフィオリーナは濃い紫のドレスに、紫の水晶の宝石だ。しずくのような形のイヤリングと紫の水滴を繋ぎ合わせたようなネックレス。舞踏会ということで一応腕輪の類はせず、黒に近い長手袋を身につける。

 化粧はベロニカの指示通り、目元に暗い色を乗せて、目尻を流し目のように描いた。唇だけは淡い金色めいた朱色。この化粧だけで切れ長の瞳が美しい女性に見えた。

 髪は首のまわりをわだかまるように編み込んで、垂らした紫のリボンが揺れるように仕上げた。ダンスを踊ればリボンが舞うようになっている。

 こうして出来上がったフィオリーナは、夜から抜け出してきたような美女となっていた。


「良い出来だわ。早くお披露目に行きましょ」


 コルネリアにドレスと揃いの紫のレースがついた扇子を持たされて、フィオリーナは支度部屋を出た。

 コルネリアとベロニカの手腕は疑う余地もないので、フィオリーナの出来が良いことは心配していない。実のところそれよりも心配なのは、ネーヴェのほうだった。

 ネーヴェの出来映えについても心配はしていない。その出来映えにフィオリーナが耐えられるかが心配だった。

 ネーヴェはすでに着替えて広間の窓際で煙草を吸っていた。

 声もかけていないのに、ゆったりと紫煙をまといながらこちらを振り返る。

 襟首で結われた髪がゆったりと紫のリボンといっしょに揺れた。

 濡れ羽色のような燕尾服だ。ジャケットは高い腰の位置で一度切り返して、ふくらはぎあたりまで裾が延びているテールコート。問題はそのベストとシャツの色だった。ふつうの盛装では白と決まっているベストは濃い紫色、そしてドレスシャツにいたってはインクに浸したような黒だった。襟は大きなリボンのようなラバリエールをネクタイのように結んで、タイピンで剣先を留めている。

 しなやかな長身にぴったりと沿ったテールコートが翻るだけでひときわ優雅に見えた。オペラパンプスが床板の上で控えめな音を立てる。たいていの紳士と違ってネーヴェは靴音をあまり立てないので、彼が歩くと猫のように静かだ。

 そっといつの間にかそばにやってきて、眼鏡の奥から菫色の瞳を細めるのだ。


「今日もきれいに化けましたね、フィオリーナ」


 いたずらをするような顔で微笑まれて、ようやくフィオリーナは息を吸えたような心地になった。

 色を見たときからわかっていたことだが、フィオリーナのドレスと並ぶとまるで夫婦のように装いが揃えられている。


「どう? マントでも羽織ればおとぎ話の悪魔みたいでしょ」


 ベロニカが自慢げに笑うのを、ネーヴェはうんざりしたように睨む。黒に近い手袋の長い指で煙草を挟んで、煙を吐く様子は人を惑わすという悪魔にも怪人にも見えた。


「人をおとぎ話の住人にしないでください」


「化け物じみた容姿のくせに」


 ネーヴェのひと睨みにも動じないベロニカは、笑いながら肩をすくめる。

 たしかに、普段に比べてきちんと櫛を通して髪を結っただけで、ネーヴェはまるで別人のような美貌となる。それが化けの皮を剥がれたようだとすれば、たしかに人外じみていた。


「それに、この色じゃあ盛装とは言えないんでしょう?」


 ネーヴェが指したのは彼のドレスシャツとベストの色だ。マナーでは、男性の盛装は白いベストと白いドレスシャツと厳密に指定されている。ネーヴェの黒いドレスシャツと紫のベストはおしゃれ着としては許されるが盛装ではマナー違反となる。


「アタシを誰だと思っているの。あなたが言ったでしょ。今日はお遊びの仮面舞踏会よ。社交用にさえなっていれば多少奇抜な格好でもかまわないルールにしているの」


 なるほど、それならフィオリーナのマナー違反すれすれのドレスの色も許されるのだ。何せ主催が是としているのだから、非難する人もいないだろう。


「……でも、あなたたちにひとつ謝らないといけないことができたの」


 それまで自信にあふれていたベロニカは、美しく描かれた眉を悩ましげにひそめる。


「招待客に代理という形で紛れ込んでいたから、今日まで気づけなかったんだけど」


 そういって言い訳するベロニカも珍しい。言いにくそうだが、言わなければならないことらしく、彼は意を決したように口を開いた。


「……今日の仮面舞踏会に、第三王女殿下が紛れ込んだみたいなの」


 思わぬ人物にフィオリーナは目をみはる。第三王女殿下といえば、ネーヴェが社交界からつまはじきにされた原因だ。

 思わずネーヴェを見上げるが、ネーヴェは「そうきたか」と平気な顔をしている。


「どうする? せっかく準備したんだから今日はうちでコルネリアたちと舞踏会ごっこをしていてもいいけれど」


 ベロニカは困ったように指を頬にあてる。

 仮面舞踏会はふつうの夜会と違って大人ばかりの集まりとなるから、コルネリアは子供たちと留守番らしい。      


「いや、やっと仮面舞踏会とやらに行く意味ができた」


 ネーヴェはそう言って短くなった煙草をひと吸いしてから、煙を吐きながら手にしていた皮の携帯灰皿に放り込む。


「仮面をつけた状態で探し出すのは容易じゃないから、遭遇する確率は少ない。運が悪ければの話です」


 ネーヴェは前置きするように言って、フィオリーナに視線を寄越す。


「──あなたにとっても無関係ではないですからね。元婚約者が近衛騎士なのでしょう?」


 ネーヴェにそう言われて、フィオリーナは少し視線を落とした。ネーヴェの胸元で琥珀色の宝石のついたタイピンが光っている。フィオリーナの瞳の色に似た琥珀でベロニカが揃えてくれたのだろう。その琥珀がやけに不安げに見えた。

 第三王女殿下がお越しになるなら、その従者として殿下の近衛騎士であるシリウスが来ているかもしれない。いずれシリウスとは会わなければならなかったが、まさかその機会が今日巡ってくるとは思っていなかった。


「こちらから探そうとしなければ、会わない可能性も十分あります。でも──覚悟はしてください」


 ネーヴェはもう逃げていいとは言わなかった。これがフィオリーナにとっても必要な対決なのだ。

 フィオリーナはそのネーヴェの覚悟にも背を押されるようにして、菫色の瞳を見上げてうなずいた。

 ネーヴェとフィオリーナのやりとりを見ていたベロニカは、あまり晴れない顔のまま苦笑する。


「あなたたちが決めたのなら、アタシも助力は惜しまないけれどね」


 そう言うベロニカに、ネーヴェは「ちょっと話がある」と呼び寄せて広間を出ていってしまう。

 それを見送ったフィオリーナはさまざまな意味で息をついた。ネーヴェの盛装にドキドキしたと思えば、今度は冷や汗をかくような驚きだ。


「大丈夫? フィオリーナさま」


 いっしょに見守ってくれていたコルネリアがフィオリーナに優しげな笑みを向けてくれる。


「殿方はああやって色々計りたがるけれど、あなたが行きたくなければ行かなくても良いのよ」


 優しい声に思わずうなずきそうになるのをフィオリーナはなんとかこらえる。そばに控えてくれているアクアにも視線をやるが、彼女も困ったように微笑んだ。

 フィオリーナがやめたいといえば、ネーヴェも無理強いなどしないだろう。でも、他の貴族たちの目を気にしないで第三王女殿下とシリウスに会えるかもしれない機会はめったにない。これほどの機会はもう巡ってこないかもしれないのだ。


(ネーヴェさんは、もっと何かをわかっているのかもしれない)


 自分から手酷く拒んだ相手と、あのネーヴェが未練がましくもう一度会おうとするとは思えなかった。彼が第三王女殿下に会おうとするなら、そこに必ず意味がある。

 フィオリーナに関係することなら、もしかしたらシリウスにも関係があることかもしれないのだ。


(覚悟を決めなければいけないのだわ)


 フィオリーナは大きく息を吸って吐く。不安に振り落とされそうになる気持ちはひとまず心の底に仕舞っておく。


「……大丈夫です。参ります」


 そう告げると、コルネリアとアクアは励ますように微笑んでくれた。





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