背中が言うには
「フィオリーナ様がこれほど美しい方とは」
「ドレスも素敵ですわ。ベロニカ様の工房のものなのでしょう?」
「今まであなたのような美女がどうして隠れていられたのか、不思議でなりませんよ」
「噂ほどあてにならないものはありませんな」
取り囲むようにさえずられていく会話を、フィオリーナはほとんど黙って聞いていた。
今日はベロニカ主催の園遊会に参加している。
広大な城の庭のひとつを会場として、ベロニカがこのシーズンで広げた人脈たちを招いたものだ。
だからだろうか。どの人も流行に敏感で、フィオリーナとも積極的に話したがり、悪女と蔑む人はひとりもいなかった。
「それは当然ですよ。過激な噂は嫉妬の宝石。最高に彩られたあなたはこのシーズンの花なのですから」
招待客のひとりは明るく話してくれた。
ベロニカシリーズと呼ばれるドレスは王都でも人気のドレス工房で作られるもので、その新作を着て参加しているというだけで目立つという。そんな話題のドレスを毎回着て、あの噂のフィオリーナが現れたのだから、シーズンではこの噂で持ちきりだと笑う。
「わたくしも多くの会に招かれておりますが、フィオリーナ様のお姿を拝見したのは始めてでしたもの。お美しい方で驚きましたわ」
流行のドレスを着た婦人はそう言って扇子のうしろで上品に笑った。
婦人に倣ってフィオリーナも微笑むと、その場限りの談笑に花が咲く。
「みなさまにお会いできてわたくしも光栄です。これも理解ある婚約者のおかげですわね」
フィオリーナはオルミ卿のおかげだと言いながら、今日もラーゴを従者に連れている。
当のオルミ卿を伴わず美しい従者を連れて園遊会に参加しているのだ。フィオリーナはさぞ火遊びを楽しむ妖艶な女性に見えることだろう。
しばらく様々な話題といくつもの探るような視線をかわして、フィオリーナは化粧直しを理由にようやく談笑の輪から外れる。
「お疲れさまでした」
休憩場となっている木陰のベンチに腰掛けると、ラーゴが心得たようにグラスを差し出してくれる。冷たいジュースのようだった。
「ありがとう」とグラスを受け取って、フィオリーナは早速ジュースに口をつける。甘いブドウの香りと冷たさでひと息ついた。
「……うまくやれていたかしら」
そう小さくこぼすと、ラーゴは神秘的なほど整った顔で快闊に笑う。
「どこからどう見てもツバメを侍らせる悪女の見本でしたよ」
それはそれで頭の痛くなりそうな印象だ。今日はラーゴが従者なので、彼にもだいぶ助けられている。彼がさりげなく会話する人数を絞ってくれるおかげで、大人数に囲まれることがなかった。もしもネーヴェが来ていたなら、誰とも会話することすらできなかったかもしれない。
「お疲れさま」
そう片手を挙げてやってきたのは、ベロニカだ。本日の彼は明るい朱色とピンクのグラデーションが美しいドレスだ。胸元近くは朱色のレースで彩られ、裾へ向かうほど淡いピンク色になっていく。髪は羽根飾りをつけて高く結い上げられていた。
「今日もアタシのドレスが素敵ね。どうかしら」
ベロニカがそう言って微笑むので、フィオリーナも「はい」とうなずく。
今日のフィオリーナは、昼用の明るい黄色のドレスだ。ふわふわとしたドレープの可愛いデザインだが、背中は大胆に開いてレースだけで覆われている。今回のメイクは色を明るくして、目元をつり目に描いた。髪は細かく複雑に編み込んで、宝石は少し大ぶりのネックレスと耳元は宝石だけがついたイヤリング。
かわいらしく軽やかな印象で、まるで気まぐれな猫のような悪女姿だ。
「ベロニカ様にお手伝いいただいたおかげです」
今日の園遊会に参加するにあたって、フィオリーナはベロニカの居城に滞在している。
「もっと褒めていいのよ。そういえば、あの子は褒めてくれた?」
ベロニカに不意に指摘されて、フィオリーナは顔が熱くなるのを止められなかった。ごまかすためにあわててジュースを飲む。
今回の滞在には、ベロニカから招待されてネーヴェも同行しているのだ。オルミ領にはマーレが残っているので、傍付き侍女はアクアが、御者はラーゴが務めている。
城から出る前、準備を整えたフィオリーナをネーヴェは当然のように褒めてくれた。
けれど、ふと思いついたように近寄ってきたかと思えば、フィオリーナを抱くように長い腕を回したのだ。そして、その手を大きく開いた背中に近づけた。
レース越しの肌に手の気配を感じて思わず縮こまるフィオリーナの額に、ネーヴェは笑い声のような吐息を落とす。「いいですか」と手のひらがフィオリーナの背骨を確かめるようにして上から下へとゆっくり降りていく気配がひどく生々しい。
──間違ってもこの背中は誰にも触らせないように。
約束してくれますね、と言われて、フィオリーナはうなずくしかできなかった。ネーヴェは触りもしないでフィオリーナを真っ赤に染めるというのに。
会場につくまで、フィオリーナは火照った頬を扇子であおいで冷やさなければならなかった。
「……あんまり信用しちゃダメよ。あの子は本当にどうしようもない男の筆頭だから」
愛妻家のベロニカに言われては、ネーヴェも反論すらできないだろう。フィオリーナは曖昧に微笑むだけで発言は避けた。ネーヴェが大人の悪い男性だということは思い知っている。
「手紙にも書いたけれど、明日の夜会も参加できそう? 疲れているなら無理強いはしないわ」
ベロニカの招待は園遊会だけではなく夜会も含まれていた。少し変わった趣向の夜会も主催するという。フィオリーナはその夜会にも参加するつもりだ。
「大丈夫です。半日ありますので」
「良かった。じゃあ、詳しい話は帰ってからしましょ」
主催であるベロニカは会の最中は忙しい。朱色のドレスを見送って、フィオリーナは今日招待客たちと交わした会話を思い出していた。
クリストフがいつだったか言ったように、このシーズンに参加している貴族たちはあきらかにフィオリーナのことを観察しにきていた。
噂は憶測でしかない。今日話しかけてきた招待客たちはフィオリーナが噂の悪女かどうか見極めにきたのだ。
それは下世話な噂の探り合いでもあるのだろうが、ザカリーニの末娘が本当に悪女かどうかを確かめに来たようにも思えた。
彼らにしてみれば噂の真偽はともかく、フィオリーナの名前だけははっきりとわかっているのだ。噂の悪女がフィオリーナ本人か確認することは当然だ。
それに、先日オルミ領を訪れた兄から気になることを聞いたのだ。
フィオリーナの噂は兵役を経験していない者、十代から二十代の者から広まっているようだという。
それは奇妙な噂の広がり方だった。二十歳以下のデビュタントから間もない若者のあいだで広がったかと思えば、突然中高年層に広がっている。フィオリーナから見れば親世代だ。
つまり噂はフィオリーナと同世代から広がり、突然親世代に飛び火する形で広がったということになる。
兵役には、一般的には今の三十代から四十代が主に召集された。噂の広がった世代は、兵役の免除を受けられた世代、もしくは従軍する前に戦争が終わった世代だ。噂はこの両側から挟まれるようにして全世代に広がっているらしい。
引き続き調べてみるが、と兄のアーラントは前置きして顔をしかめていた。
──この件は思っているよりも単純ではないかもしれない。
兄の言葉にフィオリーナも我知らず考え込んでしまう。
これほど人為的に噂を流しているのなら、フィオリーナを気に入らないというだけで噂を流したわけではないかもしれないということなのだ。
▽
園遊会から帰ったフィオリーナは着替えたあと、今日の会話を夕食までの時間にネーヴェに話した。
ネーヴェも兄と同じように気難しそうに顔をしかめて、談話室のソファの肘掛けに頬杖をついた。
「……テスタ卿の指摘は、おそらく当たっています」
ネーヴェはそう断言して、長い足を組む。
「今日あなたに話しかけた招待客は、この噂の歪さに気付いて真相を探っているのでしょうね」
社交場は貴族の戦場と呼ばれるのは、こういった情報収集が常に行われているからだ。身元があきらかな貴族ばかりの社交場では、下手なスパイは入り込めず送り込むことも難しいので、貴族自らが情報を集めるのだ。
王国は貴族に領地を持つことを許しているだけであって、一族を守ってくれることはない。だから領地や爵位を守るため、利益を得るために貴族たちは立ち回らなければならない。
どんなに小さな噂でも彼らが聞き逃さないのは、今回のフィオリーナの噂のような真偽のわからない噂が危険だからだ。
「いびつな噂には必ず誰かの思惑が隠れている。まっとうな貴族ならそう思うでしょうね」
こちらも園遊会から帰ってディナー用のドレスに着替えたベロニカは、そう言って美しい化粧に彩られた顔に不敵な笑みを浮かべた。
「今回はクリストフの読みが当たったわね。──このままいけば、招待状を勝ち取れるかもしれないわよ。フィオリーナ嬢」
どういうことかとフィオリーナが首を傾げると、ベロニカは口の端を上げた。
「話題性よ。あとは単純に今のあなたを無視できないから。自分がザカリーニ家の姫であることをもっときちんと認識したほうがいいわ」
グラスラウンド王国には二公と呼ばれる公爵家が二つある。その公爵家の影響地のひとつがザカリーニだ。ベロニカを含む五侯は大貴族だが、グラスラウンド建国以前からある属国が原型だ。二公はグラスラウンド建国後、ふたりの王子がそれぞれ領地を分けたところから始まる。歴史は二公のほうが新しいことになるが、二公は王家に連なる領地だ。
現在、公爵領は一領地として扱われているが、歴史的に王家は二公に関わる領地を無視できない。
「ザカリーニは早い時期に公爵領から分割された古い土地柄よ。王家がないがしろにできるはずがないの」
ベロニカは自分の言葉に、すこし眉をひそめた。
「……だからこそ、ザカリーニの姫に悪い噂を流して放置していることが不思議なのよね」
考えれば考えるほど、ますますフィオリーナの噂がいびつな形となっていく。
「まぁ、今回のシーズンでの話なら王都行きは確実と思っていたほうがいいわ。──それでいいわよね? ネーヴェ」
先ほどからずっと口を挟まないネーヴェにベロニカが尋ねると、ネーヴェはあからさまに顔を曇らせた。
「……私が行かない方法はありませんか?」
ネーヴェの社交嫌いは筋金入りだ。ベロニカもそれはわかっているのか肩を竦める。
「あなたが行かないのなら、お姫様のパートナーは別の人になるだけよ。それでいいの?」
子供を諭すようなベロニカの指摘にネーヴェはますます顔をしかめた。
「どいつもこいつも私を表に引っ張り出そうと必死で嫌になるよ」
そこまで嫌がられてしまうと、フィオリーナもこのままネーヴェを連れて参加していいのか不安になってしまう。
「……あの、そこまでお嫌でしたらわたくしは家族と参加いたしますので……」
パートナーは兄に頼めばいい。もっとも、兄のアーラントは妻帯者なので彼自身が招待されていてはそれも叶わなくなるが。
口を挟んだフィオリーナを見つめて、ネーヴェはまた溜息をついた。
「……気にしないでください。これは私の愚痴なので」
愚痴といわれてもフィオリーナも深く関わっていることだ。聞き流すことはできなかった。
「いつまでも子供みたいなことを言うんじゃないわよ。どうしようもないのは性格だけにしてちょうだい」
ぴしゃりと母親のようなことをベロニカに言われて、ネーヴェはうんざりした顔をする。
「いっそ本当に子供だったら楽だったよ」
フィオリーナは思わず苦笑する。
ネーヴェの子供時代はさぞ美少年だっただろうが、性格が今より純粋だったとは思えなかった。




